仁尾のボラ地曳網とは?
  釣り人にとってボラは人気のない魚のようです
しかし、冬のボラは「寒ボラ」と呼ばれて美味しく、脂も乗って刺身にすると多少歯ごたえもあって真鯛とも似ています。
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金毘羅名所参拝図絵に描かれた仁尾

燧灘に突き出る荘内半島の仁尾では戦前まで地曳網でこれを捕獲していました。

冬のボラは群になって一か所に留まる習性があります。仁尾と大蔦島と小蔦島に囲まれたマエカタと呼ばれる地先の海域には冬場になると、ボラが集まってきました。その群れは寒くなるにつれて大きくなり、翌年の3月の彼岸ごろにはいなくなりました。この間、ボラの群れを散らさないために、この海域は禁漁となり、船舶の侵入も禁止とし、密漁を防ぐために番船に自炊用具を持ち込み、昼夜監視を続けたともいいます。ボラの群れ大きくなりすぎると他に移動してしまうこともありました。また、雨や風の影響で移動が早まることもあるので、地曳網を入れる時期を慎重に判断したようです。地曳網の全長は約1200メートルと長いもので、網地は木綿で網目は、細かいものを使用しました。ボラは動きが激しく網目を抜けやすいためです。
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父母ゲ浜とその向こうに浮かぶ大・小の蔦島
 地曳網を入れて引き揚げるまでには4時間ほどかかりましたので、潮が満ちるまで網を曳く広さと勾配のある砂浜が必要した。最も適したのは小蔦島の砂浜だったようです。
 こうして、仁尾の海に「冬網」と呼ばれるボラ地引き網が牽かれる日がやってきます。
仁尾町大北集落・恵比須神社のボラ地曳網の絵馬
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ここには明治41年(1908)2月21日と昭和8年(1933)12月5日にボラ地曳網の絵馬が奉納されました。明治の者は香川県立ミュージアムに収蔵されて、ここの社殿内に掛けられているのは昭和のものです。絵馬には天神山と弁天山の間で網を曳く場面が描かれています。いつもは小蔦島の砂浜で網を曳いていたそうですが、この時は湾内にスナメリが侵入し、これに追われてボラの群れが逃げてきたために、ここで網を牽くことになりました。大漁で網が裂けましたが10万匹のボラが捕れる豊漁でした。
その大漁を神に感謝してこの絵馬は奉納されたものです。
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 絵馬の左側には縦書きで網元の吉田家のマタナカの屋号に続いて「冬網連中 周旋人 河田輝一」と記されています。私は、この人が網元と思いましたが、そうではないようです。
「冬網」はボラ地曳網の呼び名で「周旋人」は絵馬奉納の世話人のことです。仁尾のボラ地曳網の従業員には、網元に年中雇われている「内人」と、地曳網の時にのみに参加する「網子」がいました。周旋人の河田輝一は「内人」にあたる人物で、この人が絵馬奉納を網元に持ちかけたそうです。
 絵馬の下側には右から「内人」七人、中央に一五人、左に九人の名があります。左端には絵馬に文字書きした「書記」の名が見えます。生存者からの聞き取りによると中央の15人は「網子」、左の9人は「網子」とは別に網を曳きに来た人で、いずれも誰の名を記すかは、すべて「内人」で相談して決めたといいます。
網元の吉田熊吉の名はなく、その子の久吉の名はあります。どうしてでしょうか?
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 息子久吉は、現場の指揮者として名が記されたようです。
絵馬奉納は網の従業員の「共同行為」として行われます。網元の吉田熊吉はこの神社の鳥居に願主として名前が刻まれています。つまり、奉納物の種類により奉納行為がランク付けされていたようです。
 これは近世以降のイワシ地曳網の絵馬にも見られる現象で、網漁の絵馬の多くは従業員が共同で奉納するような「庶民的な奉納物」だったのです。
 そういえば、戦前の三豊女学校の講堂建設に際して、建物自体への寄付金を出しているのは、西讃一の大庄屋と言われた山本町河内の大喜多家や仁尾の塩田王の塩田家など、三豊の名家に限られていたのを思い出します。その次のランクはピアノなどの備品を寄付していました。ここにも寄付の種類にランク付けがありました。
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網漁の絵馬は全国的にも少ないようです。
それが、仁尾では同じ神社に、二度も奉納されたのはどうしてでしょうか?
仁尾と蔦島の間の海には、集まってきたボラの大群を地引き網で一網打尽にすることができる「特殊海域」でした。この時のように驚異的な大漁を、もたらすこともありました。
しかもその場所は、自分たちの住んでいる目の前の海なのです。網が入れられる日には、この絵馬にも描かれているように、地元の人たちがギャラリーとして取り巻いたのです。その中での記録的な大漁。それは漁に関わった人たちをはじめ、浜の人たちまでも喜びに包みこむ大イベントとなったはずです。その渦中にいた「内陣」たちが大漁を喜び祝う気持ちと神への感謝を込めて、先例にならって絵馬を奉納させたのだと思います。

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参考文献
真鍋 篤行 仁尾のボラ地曳網と絵馬 香川歴史学会編 香川歴史紀行所収