前回に佐文誌を読んでいると、6月18日に龍王(リョウハン)の祭りであるリョウモウシ(十八夜)が龍王講によって行われていたことが記されていました。そこからは龍王山は善女龍王の山として雨乞い信仰の山とされていたこと、その山腹に龍王祠が祀られていたこと、それを佐文の中筋の人達を中心に龍王講を組織してお奉りしていたことが分かります。
綾子踊が奉納された龍王社(踊入始第二図:尾﨑清甫画)
私は佐文の住人なのですが、龍王(リョウハン)祭りのことは何も知りません。約90年前の戦前のことは人々の記憶からは、さっぱりと消えていくようです。今回は、龍王(リョウハン)とは何者なのかを探って見たいと思います。
香川県の水資源対策課のHPには「鰻淵と龍王社」と題して、次のような話が載せられています。
むかしむかし、あるところに源左衛門、源三郎という親孝行で信心深い兄弟が住んでいました。ある年の春から夏にかけてのことです。①百日あまりもの長い間、雨が降らず日照りが続き、作物は枯れ、村人達は、たいそう困っておりました。そこで、その兄弟は、みなを見るにしのびず、話し合って山の峰にこもり、②龍王の神に、七日間雨乞いの祈願をしました。そして最後の夜、③なんと美しい女神様があらわれて「かの所を掘れば願いは、かなうであろう」と夢のお告げがあったのです。兄弟は不思議なことだと思いながら、さっそくその場所を掘ると、きれいな水がこんこんと湧き出してきました。兄弟の喜びはたいへんなもので、夜の明けるころまで、一生懸命に拝んでいますと、その中から五色の光がまばゆく輝いたかと思う間に、④小さな黒い鰻が現れて岩の上に登りました。兄弟はなおも一心に「どうかみなが助かるよう、大雨を降らせてくだされ」と祈り続けました。すると小さい黒い鰻がもとのところに入ったと見る間に、一天にわかにかき曇り、たちまち強い雨が降りだしてきました。雨は田畑をじゅうぶんに潤し、作物はよみがえって、みなは助かりました。そこで兄弟は、⑤鰻淵の岩の上に、石のほこらを立てて、竜神様をお祭りしたのです。それが「龍王社」で、人々は「おなぎ(うなぎ)さん」と呼んで詣でる者は後を絶たなかったということです。
書かれていることを要約すると
①大干魃の年に、②龍王社に7日間の雨乞い祈願をしたこと
③美しい女神が指定した場所を掘ると、④小さな鰻が現れた
④鰻によってもたらされた雨に感謝して、鰻淵に龍王社を建てて祀った。
「小さなうなぎ」とは、善女龍王伝説の説くところの龍神で、美しい女神とは「善女龍王」のことのようです。近世以後に広がりを見せた善女龍王伝説の系譜が感じられるお話しです。このような説話が讃岐では各地に伝えられています。
手元にある香川叢書民俗編68pの「雨乞い」記事を開いてみます。
まず出てくるのがオリョウハンマツリ(龍王祭)です。
①大干魃の年に、②龍王社に7日間の雨乞い祈願をしたこと
③美しい女神が指定した場所を掘ると、④小さな鰻が現れた
④鰻によってもたらされた雨に感謝して、鰻淵に龍王社を建てて祀った。
「小さなうなぎ」とは、善女龍王伝説の説くところの龍神で、美しい女神とは「善女龍王」のことのようです。近世以後に広がりを見せた善女龍王伝説の系譜が感じられるお話しです。このような説話が讃岐では各地に伝えられています。
手元にある香川叢書民俗編68pの「雨乞い」記事を開いてみます。
まず出てくるのがオリョウハンマツリ(龍王祭)です。
観音寺市栗井町奥谷には通夜堂があります。
そこでは旧6月11日のオリョウハンマツリ(竜王祭)の宵にお籠りをしていたことが記されています。シンギョウハンをあげたり、お神楽の奉納します。そして龍王(オリヨウハン)を拝み、近くのオミクジバとかうなぎ渕とよばれる渕に行って、お神酒をそそいで祈願をします。このとき黒色のうなぎが姿を見せると雨、白色のうなぎだと晴天が続くとされたようです。ここでは雨乞い祈願と云うより、天気予報のような感じで、積極的な祈願という感じはあまりしません。
そこでは旧6月11日のオリョウハンマツリ(竜王祭)の宵にお籠りをしていたことが記されています。シンギョウハンをあげたり、お神楽の奉納します。そして龍王(オリヨウハン)を拝み、近くのオミクジバとかうなぎ渕とよばれる渕に行って、お神酒をそそいで祈願をします。このとき黒色のうなぎが姿を見せると雨、白色のうなぎだと晴天が続くとされたようです。ここでは雨乞い祈願と云うより、天気予報のような感じで、積極的な祈願という感じはあまりしません。
うなぎ渕は、鉈(なた)やのこぎりなどの金物を嫌うとも云われていたようです。今は、7月11日が祭りで、きなこ(黄粉)をまぶしたむすびが出されていたようです。お籠もりとは広辞苑には「神仏に祈願するため、神社や寺にこもること」とあります。その内容については「立待ち」とのみ記されているだけです。これがなんなのかは、今の私には分かりません。
琴南町美合の美霞洞渕では、雨乞祈願のために流れの中の岩や石に小さい棚を設けて龍王(オリヨウハン)を祀り、そこで神主や村人が3日3晩祈願をしたことは、以前にお話ししました。
大崎の鼻からの大槌・小槌島
長尾町長行の当願堂にも龍王(オリヨウハン)が祀つられ、雨乞祈願が行われました。
長尾町長行の当願堂にも龍王(オリヨウハン)が祀つられ、雨乞祈願が行われました。
近くの人々は、このお堂でお籠りをします。伝説では当願は、五色台の沖の小槌島と大槌島の間の海に身を沈めたと伝えられます。この海域は、古代の神櫛王の悪魚退治伝説の舞台でもあったことは以前にお話ししました。船乗りにとっては、ある種の海の神域とされていたミステリーゾーンでした。お籠りをしても雨が降らないと、長行の人々は一斗樽にお神酒を入れて、ここまで出かけます。一斗樽を投げ込むと酒樽は空になって浮き上がってきて、小さい魚が現れます。ここで先達がオクジイレをします。オクジイレというのは先達がお経をあげた後、こよりに一週間ばかりの天候予定を書き込んだものを盆の上に載せ、それをケンザキサンで釣り上げることです。それで釣れたものをあけると雨の降る日がわかったというのです。これも雨乞いと云うよりも、天気占いのような感じがします。
この行事を主導した「先達」とは、聖や山伏だったのでしょう。
五色台全域が中世では、国分寺の奥の院とされる白峰寺や根来寺の行場であったことは以前にお話ししました。そこには全国から集まってきた廻国行者や聖達が「行道」を行っていました。その中の海の行場が、小槌島と大槌島に突き出す「大崎の鼻」でした。自分の行場へ、先達として信者達を連れてきている聖達の姿が見えてきます。
雨の少ない瀬戸内地方は、水不足に悩まされた地域でもあります。
そのため各地で雨乞祈願が行われました。龍王山という名前は、里の人々からは雨乞祈願の霊地で信仰対象の山であったことを示す痕跡のようです。
国土地理院の地図検索機能で「龍(竜)王山」を入力すると、全国に68山が出てきます。そのうち岡山県が23で一番多く、次に多いのは広島13、香川5、徳島4と続きます。ことしは辰(たつ)年です。讃岐の5つの龍王山に登ってみようかと考えたりしています。
まんのう町佐文の龍王山
続いて「もらい水」です。これは雨乞いに霊験あらたかな社寺や渕へ代参を出して、そこの水をもらいうけてきます。それを神前に供えたり、池に入れる方法です。もらい水の聖地として信仰対象となっていたいたのは、次のような所です。
まんのう町新目の尾瀬神社高瀬町羽方の大水上神社琴南町美合の美霞洞渕財田町財田上の渓道龍王社伊予の黒蔵渕
もらい水に出かけるときは、竹筒や桶などにお神酒を入れて行って供え、帰りにお水をいただいてきます。豊中町・大野原町田野々あたりでは、伊予の黒蔵渕へ五升樽と五色の絹糸を持って出かけ、黒蔵渕の近くでお籠りをして、翌朝渕にお神酒をお供えしてお水をいただき、それを持ち帰って池にうつし込んだと伝えられます。
水でなくて火をもらってくることもあったようです。
近くの社寺からもらってくることもありましたが、近代になってからは金毘羅さんへ出かけることが多くなります。布などを縄状にしたホテ・火縄・スボキなどとよばれるものに神火をいただきます。その時に注意することは
①途中で休むと、そこに雨が降り、自分たちの所に降らないとされたので、休まずにリレー式に走るように急いで運ぶこと②雨が降るのを信じて、カッパなど雨の対策をした装束でいくこと③持ち帰った火で、大火(センダタキ)をたき、蓑笠姿で拝むこと。
前回に見た佐文誌の白川義則氏の日記には、次のように記されていました。
7月31日(1939(昭和14)年青年団員として金刀比羅宮で御神火を戴き、リレーで佐文の龍王山に運び、神前に供え雨乞祈願を行った。佐文部落も今日は、龍王様に総参りして、みんなが熱心に雨を願って額づいていた。その誠心を神は、いつかなえてくれるのだろうか。雨がほしい。(意訳)
8月3日朝、(煙草の)乾燥当番だったので少し寝過ぎた。起きてみると待望の雨だ。我等農民だけでなく山野の一木一草まで歓喜雀躍、どうかいつまでも降り続いてもらいたいと祈る。そして⑤今日は龍王講の日だ、中筋講中として龍王山に総参りをする。午前十時より(雨乞成就の)御礼のために、⑥先日いただいた御神火を金刀比羅宮に青年団として御返しに行く。今朝の雨で繩が湿って途中で御神火が消えそうになって困難を極めた。
持ち帰った火を龍王山に運び上げ、一人ひとりが持ち寄った藁束を燃やして大きな火を焚いて雨が降ることを祈っています。そして、願いを叶えてくれると雨乞成就のお礼参拝をしています。ちなみに金刀比羅宮に雨乞い参拝するという記録は近世には出てきません。日中15年戦争が始まり、戦時体制が強化する中で、戦勝祈願などのために金刀比羅宮への参拝が村ごと、組織毎に強制されるようになります。そのような流れの中で始まったことで、新しいことのようです。それまでは佐文は、財田上の渓道龍王社から神火を迎えていました。それが国家神道強化の中で金刀比羅宮へと変化したようです。
長尾町の女体山では、頂上に着くと竜王の祠の前で大火を焚きます。
男たちは素裸になって踊りながら竜王さんを抱えて手送りをします。綾上町羽床上では城山神社で大火をたきました。この時に燃やす木は、水の文字の形に組んだとと云います。そして、雨が降るとオカヤシ(お返し?)に行くといって、お神酒やお供えを持って金毘羅さんにお礼お参りに行きました。
渕に汚物を投じて水神を怒らせ、大いに暴れていただいて雨を振らせる「フチアラシ」という雨乞いの方法もありました。
まんのう町塩入の釜が渕では、村人がコマゴエ(堆肥)をと少々のごぼう種を用意して渕に行きます。渕では神職が祈願中に幾人かの人が渕に入ってごぼう種をまき、続いてコマゴエを入れて渕の中をかき回します。このとき渕の上では獅子舞を奉納しますが、水神さんは金物が嫌いなので、鉦は叩かなくて太鼓だけを打ちます。
金物が嫌いな水神様を怒らせるために寺の釣鐘をつけるところもありました。
白鳥町福栄の薬師庵大川町の西教寺三豊郡豊浜町姫浜の満願寺
釣鐘のほかに水につけるものとしては、次のようなものが報告されています。
白鳥町白鳥神社の石剣綾上町粉所猿飼神社のご幣大野原町田野々のオリョウハン石多度津町高見島の竜王のご神体
大水上神社(高瀬町羽方)のうなぎ渕
高瀬町羽方の大水上神社のうなぎ渕では、水をかい出すと雨が降るとされました。
選ばれた若衆五名が神社でお籠りをして精進潔斎をしてから水を汲み出す。うなぎが姿を現わすが、それが白色だと晴天、黒色だと雨、かにが出ると大風が吹くとされました。
塩江町下切の竜王渕は、かなり深いので梯子を三つほどつなぎ合わせて下に降り、バケツや桶でリレー式にかい出していたと云います。この渕の岩には馬踊形のくばみがいくつもありますが、これは竜神さんが馬に乗ってこられたときの馬の足跡だそうです。
その他に紹介されいる雨乞習俗を、要約して載せて起きます。
塩江町下切の竜王渕は、かなり深いので梯子を三つほどつなぎ合わせて下に降り、バケツや桶でリレー式にかい出していたと云います。この渕の岩には馬踊形のくばみがいくつもありますが、これは竜神さんが馬に乗ってこられたときの馬の足跡だそうです。
その他に紹介されいる雨乞習俗を、要約して載せて起きます。
①高松市亀水町地下のジョウガ渕は、槌の間(大槌・小槌島)につながっているとされ、渕の水をかい出した底の砂地で麦わらを焚いた。
②琴南町美合の海手洗、三木町永代谷の無縁さんなどでも水をかい出すと降雨があった。
③高松市由良町清水神社の甕塚の要を掘り出して洗う
④綾歌郡綾歌町栗熊東や観音寺市粟井町奥谷では神輿をかついで田んばを回る
⑤仁尾町や長尾町塚原のように竜のつくり物を海に流す
⑥大野原町田野々ではオリョウハンヘ行って、祠の前でお神酒とオセンマイを供えて三部経をあげる。そのとき黒い蝶が出てきてお神酒をなめると雨が降るという。
②琴南町美合の海手洗、三木町永代谷の無縁さんなどでも水をかい出すと降雨があった。
③高松市由良町清水神社の甕塚の要を掘り出して洗う
④綾歌郡綾歌町栗熊東や観音寺市粟井町奥谷では神輿をかついで田んばを回る
⑤仁尾町や長尾町塚原のように竜のつくり物を海に流す
⑥大野原町田野々ではオリョウハンヘ行って、祠の前でお神酒とオセンマイを供えて三部経をあげる。そのとき黒い蝶が出てきてお神酒をなめると雨が降るという。
戦前までの讃岐には、いろいろな雨乞習俗がまだまだ残されていたようです。「想定外の大干魃」に対して、県知事が雨乞祈願を行うように通達していたことは以前にお話ししました。襲いかかってくる大干魃に対して、最後は神に祈るしかなかったのです。
見方を変えると雨乞は、村人が雨を得ようと心を合わせて協力して行う臨時の祭りともいえます。ある意味では、村の団結力や結束力を高める結果をもたらします。これが佐文に綾子踊が残った要因のひとつかもしれません。ちなみに、雨乞祈願で降らた雨を、讃岐では「ワタクシアメ」とよんでいたそうです。なんとなくその響きが分かります。
見方を変えると雨乞は、村人が雨を得ようと心を合わせて協力して行う臨時の祭りともいえます。ある意味では、村の団結力や結束力を高める結果をもたらします。これが佐文に綾子踊が残った要因のひとつかもしれません。ちなみに、雨乞祈願で降らた雨を、讃岐では「ワタクシアメ」とよんでいたそうです。なんとなくその響きが分かります。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献 香川叢書民俗編68pの「雨乞い」
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