中讃ケーブルTVに「歴史のみ方」という番組があります。10分ほどの短いものですが、よく練られた構成だなと思って見ていると、出演依頼がありました。綾踊りの踊りではなく、残された記録について焦点をあてることにして、引き受けることになりました。事前に渡されていた質問と、私が準備していた「回答」をアップしておきます。
Q1尾﨑清甫の残した記録について
綾子踊り関係の尾﨑清甫文書
ここにあるのは尾﨑清甫が書残した綾子踊りの記録です。これらは3つの時期に書かれたことが年紀から分かります。一番古いのが110年前の1914年(大正3)、そして90年前の1934(昭和9年)、1939年(昭和14)年に書かれています。面白いのは、書かれた年に共に厳しい旱魃に襲われて、綾子踊りが踊られた年にあたります。綾子踊りを踊った年にこれらの記録は書かれています。Q2 どのような記録が書かれていますか?
綾子踊由来由来
最初にの大正9年に①綾子踊由来記などが書かれ、次に1934年に②踊りの構成メンバーや立ち位置(隊列図)などが書かれています。そして最後に1939年に、それらがまとめられ、花笠や団扇の色や寸法などの記録が追加されています。
綾子踊りの各役割ごとの花笠寸法
ちなみにいまもこの寸法や色指定に従って、花笠や団扇・衣装は作られています。Q3 記録の情報源は、何だったのですか?
西讃府誌と綾子踊文書
地唄の歌詞と薙刀問答については、丸亀藩が幕末に編集した西讃府誌に載せられています。その他の由来などについては、古書を写したり、古老からの話とされています。Q4 一番古く踊られた記録は、いつですか?
綾子踊り控え記録では、約210年前の1814(文化11)が一番古い記録になります。その後は、幕末の日照りの年に2回ほど踊られたと記されています。この頃に編集された西讃府誌に綾子踊りのことが記されているので、それまでには踊られるようになっていたことは確かです。
Q5 意外と踊られていないのはどうしてっですか?
雨乞い踊りなので、旱魃に成らないと踊られません。昔は総勢で200人近い人数で踊られたとされます。準備も大変な踊りです。そのため、それまでに祈祷などのいろいろな雨乞いを行って、それでも雨が降らないときに最後の手段として綾子踊りは踊られたようです。毎年、祭礼に踊られる踊りではなかったのです。
綾子踊りの隊形図になります。この絵は、龍王山の山腹に祀られていた「ゴリョウさん」あるいは「リョウモ」さんで、綾子踊りが踊られています。「ゴリョウさん」は「善女龍王」のことで、空海が雨乞いの際に祈った龍王とされています。姿は「龍やへび」の姿で現れます。そのため背景の曲がりくねった松は蛇松と書かれています。そこに龍王社が祀られ、その前で、子踊りや芸司を中心に大勢の踊り手達が踊っています。注意して欲しいのは、その周りを警固の棒持ち達が結界を作って、その外側に多くの人達が取り囲んでいる様子が描かれていることです。基本的には、この隊形や人数を今も受け継いでいます。
Q7 尾﨑清甫が記録を残したのはどうしてか
「明治以来、世の中も進歩・変化も著しく、人の心も変化していく。その結果、綾子踊りを踊ることにも反対意見が出て、村内の者の心が一つなることが困難になってきた。旱魃の際にも雨乞い祈願を怠り、綾子踊も踊られなくなっていく。そして二十年三十年の月日はあっという間に過ぎていく。
ここからは今、記録に残しておかないと忘れ去られてしまう危機感があったことがうかがえます。
Q8 1934年に、すでに危機感を持っていたのはどうして?
近代化が進んで昭和になると着物から洋服に着るものが替わりました。同じように迷信的なモノは顧みられなくなり、合理的な見方をする人達が田舎でも増えます。人の心も変わっていったのです。そうすると雨乞いして雨が降ると思う人もだんだん少なくなります。佐文でも旱魃がやってきても、みんながまとまっておどることはできなくなります。このままでは、綾子踊りが消えてしまうと云う危機感があったようです。
Q 9 尾﨑清甫が記録を残そうとおもったのは?
1934(昭和9)年と、その五年後の1939年の大旱魃の時には、知事が各町村に伝わる雨乞い行事を行うように通達しています。これに従って、佐文村でも新しく団扇や花笠などが整えられ、綾子踊りが踊られます。その結果、雨が降ったようです。その成就祝いとして、村民一同で綾子踊りが踊られます。この時の感動が尾﨑清甫に、記録を残させる原動力になったのではないかと私は思っています。彼は記録を残す理由として、次のような点を記しています。
綾子踊団扇指図書起の最後の署名(1934(昭和9年)
右の此の書は、我れ永久に病気の所、末世の世に心掛リ、初めて之を企てる也
病魔に冒される中で、危機感を持って記録を残そうとした尾﨑清甫の願いが伝わってきます。
以上のようなやりとりを想定していたのですが、取材当日は支離滅裂になってしまいました。それをプロデューサーがどうまとめてくれるのか不安と期待で見守っています。放送は6月中の土日に流されるようです。
追伸
中讃ケーブルの歴史番組「歴史のみ方」で綾子踊りを紹介しました。6月中の日曜日に放送されてています。以下のYouTubeからも御覧になれます。興味のある方で、時間のある方は御覧下さい。https://youtu.be/2jnnJV3pfE0
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