瀬戸内海を前に見る讃岐では、魚介類の加工・貯蔵技術が発達してきました。なかでも水産練製品は、塩蔵、干物などとはちがう完成度の高い製品として珍重されるようになります。江戸期には、各地に趣向を凝らした名産蒲鉾が造られるようになります。今回は讃岐の慶事供応に登場する水産練製品を見ていくことにします。テキストは
       秋山照子 近世から近代における儀礼と供応食の構造 讃岐地域の庄屋文書の分析を通じて 美巧社(2011年)

練り製品(ねりせいひん)とは? 意味や使い方 - コトバンク
水産練製品

讃岐の水産練製品の古い事例としては、明和年間(1764年から1772年)の高松藩主の茶会記「穆公御茶事記 全」に、次のような練製品が登場します。
「崩し(くずし)、摘入(つみれ)、真薯(しんじょ)、半弁、王子半弁、蒲鉾、竹輪」

えび真薯
同時期の漆原家の婚礼供応では「巻はんへん、肉餅」の2種が用いられています。その後、文化年間の婚礼では「巻半弁、茶巾玉子、青はしまき、大竃鉾、白焼かまほこ、舟焼」が記されます。ここからは讃岐の水産練製品は、明和年間の18世紀後半頃に登場し、次第に婚礼儀礼などを通じて普及したと研究者は考えています。
幕末の青海村大庄屋・渡辺家の史料には、代官供応、氏神祭礼など計9回の供応献立に、次のような水産練製品が出てきます。

「摘入(つみれ)、小川崩し、すり崩し、しんじょう、半弁、結半弁、大半弁、角半弁、茶巾、小茶巾、箸巻、市鉾、角蒲鉾、小板、船焼、大竹輪、合麹」

摘入/抓入(つみれ)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書
摘入(つみれ)
また、嘉永5年(1852)から安政3年(1856)の浦巡検使への供応(4回)には、次のようなものが出されています。
上分には「摘入、しん上、半弁、分鋼半弁、角半弁、竹輪、蒲鉾、鮒焼王子」
下分へは「摘入、半弁、竹輪、蒲鉾」
ここからも幕末には水産練製品が大庄屋などの上層農民に定着していたことが見えてきます。
以下明治以後の讃岐の庄屋で使われている水産練製品を挙げておきます。
①漆原家の婚礼(明治11年)では、以下の12種類の水産練製品
「進上、白子進上、炙十半弁、小判型半弁、茶巾、蒲鉾、舟焼、青炙斗玉子、養老王子、ぜんまい崩し、生嶋崩し、柏崩し」

②中讃の本村家の婚礼儀礼(明治期)には、多量の水産練製品
「生崩し十五杯、白玉九十九個、半弁(丸半弁)四一本、蒲鉾(蒲鉾圧文板)一六七枚、茶巾 十五枚、箸巻(青箸巻)六七本、生嶋崩し十八枚、藤半弁一七枚、相中蒲鉾八枚、花筏四〇枚、合麹二十枚」

ここでは、いろいろな形に成形、彩色した細工蒲鉾類が数多く使われるようになっていることが分かります。
  ③本付家史料は婚礼だけでなく、厄祝、名付、軍隊入営、上棟、新年会、農談会などの供応にも水産練製品が使われています。
  ④明治期に開かれた13回の供応には、次のような水産練製品が使われています
  「摘入、しんじょう、王子しんじょう、安平、半弁、小半弁、雪輪(半弁)、小板、白板、蒲鉾、肉餅、合麹」
 
⑤火事見舞(明治4年)には酒、菓子などの食品・日用品とともに、「竹輪、蒲鉾、紅白板、小板、箱浦鉾」が贈られています。
  以上からは明治期になると、水産練製品が上層農民の婚礼儀礼に使用され、それが庶民へと広がりをみせていたことがうかがえます
  さらに時代が下がると、天ぷら(すり身を平らに調え油で揚げた製品)、安ぺい、篠巻などの製品が増えます。これらの品々は、それまでの儀礼など晴(ハレ)食へとは違って、庶民が日常的に食べるものです。庶民の食生活にも普及する新たなタイプの水産練製品の登場といえます。これが水産練製品の需要の裾野をさらに広げることになります。
  讃岐の水産練製品は、どのように作られていたのでしょうか?
成形方法、加熱方法などから研究者は次のように分類します。
・①蒲鉾(かまぼこ)類
・②細工物、細工蒲鉾類)
・③半弁(はんべん)類
・④竹輪(ちくわ)類
・⑤真薯(しんじょ)類
・⑥舟焼(ふなやき)類                        ・
・⑦天ぷら類
・⑧その他
  それぞれを見ていくことにします。
①の蒲鉾は水産練製品の原型とされます。
その起源は永久3年(1115)に、関白右大臣藤原忠実の祝宴で亀足で飾った蒲鉾の絵が最古とされます。また、「宗五人双紙」(1518年)には「一 かまぼこハなまず本也 蒲のほ(穂)をにせたる物なり」とあり、「蒲のほ(穂)に似せて作られたと、その曲来が記されています。製法は『大草殿より相博之聞書』(16世紀半ば)に次のように記します。
「うを(魚)を能すりてすりたる時、いり塩に水を少しくわへ、一ツにすり合、板に付る也。(中略) あふり(炙り)ようは板の上に方よりすこしあふり、能酒に鰹をけつり(削り)、煮ひたし候て、魚の上になんへん(何遍)も付あふる也`」

ここからは、蒲鉾の初期の加熱方法は焼加であったことが分かります。
同時期の茶会記などには、次のように記されています。
一カマボコ 二切ホトニ切 ソレヲ三ツニ切タマリ 懸テケシ打チテ温也
一ヘキ足付三ツカマホコ キソク赤白(文禄三年九月二五日昼)
ここからは、いろいろに料理された蒲鉾が出てくるようになっていることが分かります。蒲鉾は、魚肉をすり潰したもので、初期には竹などに塗りつけた蒲の穂型でした。それが次第に板につけた板付蒲鉾に姿を変えていきます。このような板付蒲鉾を讃岐の史料では「板、小板、白板」と呼んでいます。また、肉餅に似ていることから「肉餅」の呼称もあったようです。
  蒲鉾は大小によって「小板三文半、五文蒲鉾、蒲鉾六文板」などのランクに分けられ、上分には六文板、五文板を、下分には三文板など客の階層に応じて出されていたようです。

細工かまぼこ 華ごよみ
細工蒲鉾類
細工物・細工蒲鉾類は、その形を色とりどりに飾って、デザインしたもので、その成形法にはいろいろな技法があったようです。
その製法は経験と熟練による高度な技術が必要な「ハイテク蒲鉾」でした。例えば、
値段はいくらでもいい』裏千家家元夫人の願いでできた、1枚450円の幻の高級笹かまぼこ「秘造り平目」数量限定・期間限定で発売。 | 株式会社  阿部蒲鉾店のプレスリリース
「鹿の子崩し」
⓵蒲鉾の表面にヘラで一つ一つ鹿の子模様を掘り起こした「鹿の子崩し」(ヘラ細工)
②すり身を薄焼卵や黄色の奥斗(すり身を薄く伸ばして蒸したもの)で包んだ「茶巾」「巾着」
③扇面に三菱松、鶴亀、寿などの祝儀の模様を描いた「末広」
④彩色したすり身を組み立て切り口に菊水の文様を写した「菊水崩し」
⑤二色のすり身を巻き切り口に渦巻模様を作る「花筏」「源氏巻崩し」
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⑥すり身と簾盤を合わせた合麹、麹巻
以上のように多彩な製品群が登場し、贈答品としては欠かせないものになっていきます。

【レシピ②】はんぺんフライ

半弁は明和年間に、蒲鉾とともに登場する代表的な水産練製品の一種です。

しかし、その名称と実態がよくわからないようです。史料には濁音符、半濁音符がないので、半弁は「はんペん、はんべん、はべん」とも読め、名称が特定できません。 讃岐の半弁は関東一円に流通するすり身に山芋、でん粉などを加え気泡により独特の軽い食感を持つ「はんぺん」とはまったくちがう製品であることは間違いないようです。
  近世料理書も半弁を特定する記述はわずかで、具体的な加熱、成形方法などもよくわかりません。讃岐のはんぺんは、すり身を巻き賽で巻き締め茄でた製品の総称であり、また、蒲鉾とともに水産練製品の代名詞的に用いられるなど、加賀藩の「はべん」とよく似ているようです。
  半弁は讃岐の近世から近代の史料では、蒲鉾とともに最もよく登場する水産練製品です。しかし、現在では讃岐では、ほとんど見ることができなくなっています。  
讃岐の半弁製法について研究者は聞き取り調査を行って、次のように報告しています。
⓵すり身を整えて巻き簀で巻いて大釜で茄でる
②茄であがった半弁を巻き簀から離れやすくするため巻き簀一面にたっぷりの塩を塗り、巻き締めた後で水洗いして茄でる
③茄で時間は半弁の大きさで異なるが、約70分から100分。
④茄で上がりの判別は叩いて音で聞き分けるが、実際には茄でる前の半弁に松葉(雄松)を刺し、半弁内の松葉が変色するのを目安とする
⑤この手法は生地の内部温度の上昇による松葉の変色を利用したもので、松葉が内部温度計の役割となっていて職人の知恵である。
⑥半弁の重さは製品により異なるが、約二〇〇匁から四〇〇匁(1125g~1500g)⑦巻き簀巾は一定なので、重量の増減により、半弁の直径がちがって、大半弁、並半弁、小半弁など大小が生じる。
水産練製品群は、茄でる、焼く、蒸す、揚げるなどの多様な加熱方法に加え、成形方法、特に細工蒲鉾にみられる複雑な形状、模様は職人の技術に支えられていました。近世の水産練製品が頂点を極めた完成期といわれる所以です。

水産練製品は最初は料理人が手作りしていましたが、そのうちに魚屋などが兼業で作るようになります。
青海村の渡辺家出入りの「多葉粉犀」は高松藩御用達の魚屋ですが、明治13年の渡辺家婚礼には鯛、幅などの魚介類とともに蒲鉾、半弁、茶巾などの水産練製品を大量に納人しています。また、渡辺家の「家政年中行司記」には次のように記されています。
「年暮 煙卓屋二くずし物買物之覚丸半排壱本 箱王子半分 小板三枚 竹わ五拾 半弁三本 小板三枚」(万延元年・1860)
「節季買物 上半弁二本 並雪輪同三本 小板五枚 船焼王子壱枚 竹輪三十本」(慶応四年・1868)
文久四年(1864)には来客に備えて「煙草屋ニ船焼小板等の崩物等誂在之候」と記されています。ここからは渡辺家では正月、祭礼などの折々に煙草屋から「崩し物購人」が行われていたことがわかります。ここからは、魚介類と水産練製品が煙草屋や魚屋の兼業によって作られていたようです。

明治29年婚礼の「生魚久寿し物控 明治十九年旧四月吉日」の水産練製品および価格一覧表を見てみましょう(表2―9).

婚礼用水産練製品一覧表 明治29年

この表からは次のようなことが読み取れます。
⓵客の階層は当日上分・人足、以下五階層に区分される
②4月12日当日は本客の上分と人足用で、半弁は「九半弁50銭・下半弁30銭」、蒲鉾も「茶引かまぼこ25銭・下かまぼこ 15銭」と階層の上下によって価格が違う。
③人足には合麹、箸巻(青色)、天ぷらなど比較的安価な製品が使われている
④4月16日の上分の客には、丸半弁、上丸半弁、蒲鉾ともに本客に準ずる価格帯のものが出されている。
⑤以下、源氏巻、合などの細工市鉾類も本客と同等の規格品が用いられている
⑥16日・17日の下作分と手伝人、内々の者などには、半弁、板(蒲鉾)、合麹、箸巻など比較的安価なものが出されていて、客の階層によって製品格差があった
明治になると、水産練製品は上分用だけでなく、下分用の下半弁、下蒲鉾なども製品化されて客の階層に対応する商品ラインナップが進んだことが分かります。
明治32年の婚礼で出された水産練製品全10品について、使用量と価格を一覧化したものを見ておきましょう。
婚礼用水産練製品一覧表 明治32年
この表から分かることを挙げておきます。
⓵種類や使用量・価格などの格差は、階層により異なること
②箸巻(青色)の価格は上位から1本「12銭・10銭・4銭」、半弁は「70銭・60銭」 など、水産練製品の価格ラインナップが細分化していること。
③これら製品格差は本客、友人などの前二立と手伝人、人足の後二献立間で明確であること
④さらに製品格差だけでなく、一人当たりの分量の概数にも差別化が行われていること
そういう意味では、水産練製品は「格差の可視化」のためには有効な機能を持っていたことになります。
 前回は、うどんが讃岐の庄屋層の仏事には欠かせないメニューとして出されるようになったこと、それが明治になると庶民に普及していくことを見ました。蒲鉾などの練り物も、婚礼の祝い物などとして姿を現し、幕末には供応食としてなくてはならないものになります。それが明治には、庶民にまで及ぶようになるという動きが見えます。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献
近世から近代における儀礼と供応食の構造 讃岐地域の庄屋文書の分析を通じて 美巧社(2011年)