江戸時代後半になって婚礼宴会で使用頻度が高くなるのが烏賊(いか)、低くなるのが蛸(たこ)のようです。どうして、烏賊と蛸に「格差」が生じるようになったのでしょうか? 今回は、この疑問を追いかけることにします。テキストは、「秋山照子 近世から近代における儀礼と供応食の構造 讃岐地域の庄屋文書の分析を通じて 美巧社(2011年)」です。
烏賊と蛸は、近世の料理書などにもよく出てくる魚介類です。
最古の料理専門書とされる『料理物語』にも次のように料理法が記されます。
「たこは 桜いり するがに なます かまぼこ 此外色々 同いひだこ すいもの 同くもだこ さかな」
「烏賊は うのはな なます さしみ なます かまぼこ に(煮)物 青あへ 其外いろいろ」
『古今料理集』にも、烏賊、蛸のいろいろな調理法が紹介されていますが、どれも「賞翫(良い物を珍重し、もてはやすこと。物の美を愛し味わうこと。物の味をほめて味わうこと)」の食品とされています。
『四季料理献立』には烏賊、蛸の格付けがなされ、ともに「上の中也」で「前頭(まえがしら)」に位置づけられます。
このように近世料理書では、烏賊と蛸とは他の魚介類とは異なる形状などの類似性から、よく並記されることが多いようです。
このように近世料理書では、烏賊と蛸とは他の魚介類とは異なる形状などの類似性から、よく並記されることが多いようです。
近世の讃岐の婚礼に出された蛸は、次のように6例があります
「いた子せんきり(汁)」「とふ(豆腐)二手長たこ(大平)」などの汁物や煮物、「ひかん飯たこからし(辛子)あへ(丼)」「いかかたこかのあい物(丼)」などの和物「けづりたこ(指身)」「たこのすし(皿)」
ここからは蛸は、酒肴の部の料理として出されていたことが分かります。ところが明治以後になると「たこ 小くわい(大平)」「ほせたこ(指身)」の2例だけになってしまいます。
これに対して烏賊は近世には、次の2例だけでした。
「いかかたこかのあい物(丼)」「あられいか(壷)」
それが蛸とは対照的に明治以後になると、次のように21例に激増しています。
いかの木の芽和え
「きのめ和へいか(丼)」「いかの青和へ (皿)」「小いか、ゆりねごまあへ (丼)」などの和物九例「いかのつけ焼(丼)」「やきいか(硯蓋)」などの焼物、「まきいか(さしみ)」「生いか、青のし玉子、針うど(丼)」などの刺身「塩烹、巻いか、竹の子(丼)」「いか、かんぴよう、しいたけ(坪)」などの煮物
まきいか
ここからは烏賊には、多彩な調理法があったことが分かります。加えて烏賊の特徴としては「巻、松笠、鹿の子、紅烏賊」など切り方、彩色などによる細工の多彩さが挙げられます。烏賊の細工の適性、装飾性は、蛸ではできまでん。これが両者を分けるポイントになったようです。
烏賊の松笠焼
烏賊の鹿の子
明治以後の婚礼供応は、料理人の台頭などもあって、農村部でもプロ化が進みます。
そうなるとプロの料理人は、味だけでなく技巧、見栄えも追求するようになります。こうして讃岐の婚礼献立にも「花こち、花海老、花蕪、松風くわい、紅百合根」などの烏賊料理が登場します。これは前回見たような色とりどりで、さまざまな形をした細工蒲鉾の急速な普及と重なります。
このような傾向が、細工、彩色が容易な烏賊に追い風となります。さらに、調理法が簡便なこと、種類が多くほぼ通年使用可能なことなども増加理由として挙げられます。
このような傾向が、細工、彩色が容易な烏賊に追い風となります。さらに、調理法が簡便なこと、種類が多くほぼ通年使用可能なことなども増加理由として挙げられます。
もともと烏賊のランクは、蛸と同じように「上の中」でした。
幕末以降に、江戸庶民間で盛んとなる「魚島料理仕方角力番附」、「日用倹約料理仕方角力番附」などの料理番付にも「いかきのめあい」「たこさくら煮」「すたこ」などの料理が前頭(まえがしら)の番付にあるので、格付けは中位だったことが分かります。婚礼献立では、鯛を主役にして上位の魚を使われてきました。
蛸のさくら煮
しかし、明治以降には烏賊が急速に増加していきます。この背景には、何があったのでしょうか?
第一に考えられるのは、烏賊という素材が、料理人の技巧性、装飾性などの技術が生かせる食材だったことです。それが婚礼献立の装飾化という流れに、ピッタリとはまったようです。第2は、明治以後の婚礼供応の階層分化の進行が、価格の安い烏賊を選択する要因となったことです。例えば今から百年前の大正13(1924)年の佐野家の婚礼では「吉辰献立、三日目、道具入、むかへなど七献立中」で、烏賊料理は次のように出されています。
「いかあへもの」「あへもの いか木の芽(道具入、二十五人)」「あいもの(八十人位)」「いか附焼」「内ノ分 四十人分 いか」
烏賊の和え物
これを見ると烏賊料理のオンパレードです。 佐野家の5月19日~26日までの購入記録では合計で、「いか 三〇七杯、もんご 六十四杯」とあり、多量の烏賊が購入されています。ここからは、近代婚礼では烏賊が多量に使用されるようになったことが分かります。烏賊一杯は、12,5銭~16,3銭、もんご一杯は80銭前後で購入していて、鯛などに比べると遙かに安価だったようです。
以上をまとめておきます。
①近世前半の料理書、烏賊と蛸はともに「前頭」で「上の中也」のにランクされていた。
②ところが明治以後の讃岐の婚礼では、烏賊が蛸を圧倒するようになる。
③その背景にはプロの料理人が腕が発揮できる烏賊を好んで使用するようになったこと
④烏賊が調理法が簡便なこと、種類が多くほぼ通年使用可能なこと
⑤こうして大正時代になると、見栄えの良い烏賊料理が数多く婚礼には出されるようになった。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献
秋山照子 近世から近代における儀礼と供応食の構造 讃岐地域の庄屋文書の分析を通じて 美巧社(2011年)関連記事
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