921年に大師号が下賜されてから、約1100年あまりの年月が過ぎました。空海の大師号が「弘法大師」ですから、「空海=弘法大師」で同一人物なはずです。しかし、人格的には、両者を別人としてあつかった方がいいと研究者は考えているようです。どうしてなのでしょうか?
空海は、宝亀5年(774)に誕生して、承和2年(835)に入寂します。その間、62年間、真言宗の開祖となった仏教界はもとより、詩文、書、芸術、教育、社会事業、土木技術などの諸分野で大活躍した実在の人物です。一方、弘法大師とは、人寂のあと86年目に、生前の功績を讃えて醍醐天阜から贈られた最高の称号です。信仰や説話・伝承の世界で、いかなる願いも叶え、生死の苦しみや困難に出迎ったとき、必ず手を差しのべて救ってくれるスーパーマンのような存在として語られる人物です。つまり、弘法大師の名で語られる人物は、必ずしも実在した空海その人ではないということになります。
 それでは、弘法大師を主人公として語られる物語には、空海は存在しないのでしょか?
空海ほど伝記の多い人物はいないとされます。特に、空海が開眼してから時代が降るにしたがって、伝記には荒府無稽とも思われる物語が加えられ、超人・弘法大師として語られるようになります。それは弘法大師伝説として、ひとつの研究分野にもなるほどです。

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 たとえば、弘法大師は唐から帰国するに先立って、明州の浜で「密教を広めるにふさわしいところがあれば教えたまえ」と祈念して、持っていた三鈷杵をわが国に向けて投げ上げます。それを帰国後に、高野山の松の樹上に発見し、この地に伽藍を建立することになった話などが、その典型的なものです。
 それらの奇蹟諄を想像力たくましく絵画で表わしたのが、『弘法大師行状絵詞』『高野大師行状図画』といった絵巻物であることは以前にお話ししました。そこには、われわれ常人を超えた能力を持った人物として描かれています。しかし、その裏には宗教的な真理、歴史的な真実が隠されていると研究者は次のように述べます。

 絵巻物をひもとく楽しみのひとつは、それら背後に隠された歴史的な真実、宗教的な真理を探索することにある。一見して、実在した空海とは無関係と想われる物語も、冷静に読みすすめると、空海の事績が核となり肉付けされていることが多い。すなわち、弘法大師として語られる荒唐無稽とも思われる不思議な「弘法大師」物語からも、真実の空海を読みとり、日々の生活に役立つ教訓を読みとることができる。

弘法大師伝説の中に実在した空海が隠されている。注意深く読み取れば、それが見えてくるということでしょうか。この時に注意すべきことを、次のように記します。

空海と弘法大師とを混同すべきではない。このふたつの名前は厳然と峻別しておくことをお勧めしたい。歴史的事実が信仰を否定するものでも、フィクションが事実をゆがめるものでもないからだ。ただひとついえることは、歴史的に実在した空海だけを追っかけても真実の空海像にはたどり着けないということだ。いい換えると、真実の空海を知るには超人的な能力、奇蹟諄をもって語られる弘法大師伝説が不可欠である」

空海と弘法大師を「別人」と捉えながらも、弘法大師伝説を読み解いていく地道な作業が必要なようです。そこで、今回は空海が弘法大師になっていく過程を史料で辿っておきたいと思います。テキストは「武内孝善 「弘法大師」の誕生 大師号下賜と入定留身信仰 春秋社」です。
「弘法大師」の誕生: 大師号下賜と入定留身信仰 [書籍]

まず空海が弘法大師と呼ばれるようになった経緯を見ていくことにします。
『日本紀略』延喜21年10月27日条に次のように記されています。
【史料1】(『国史大系』第。1巻、24P)
己卯。勅す。故贈大僧正空海に諡して、弘法大師と曰う。権大僧都観賢の上表に依るなり。勅書を少納言平惟扶に齋さしめ、紀伊国金剛峯寺に発遣す。
〔現代語訳〕
(延喜21年10月)27日、醍醐天皇は故贈人僧正空海に諡号を下賜され、その贈り名を「弘法大師」とされました。このことは、権大僧都観賢からの上表によって実現いたしました。 そこで、諡号下賜する勅出を少納言惟扶に持たせ、(その報告のために)紀伊国金剛峯寺にむけて派遣いたしました。

ここからは、醍醐天皇が空海死後86年目の延喜21年(921)10月27日に、「弘法大師」の諡号を下賜したことが分かります。
それでは大師号とは何なのでしょうか? 『国史大辞典』(第8巻、751P)には、次のように記されています。   
①梵語シャーストリの漢訳。偉大なる師、大導師の意で、はじめは釈迦大師というように仏の尊称として用いられた。
②後世、中国では高徳の僧に対する敬称となり、智顎の智者大師(または天台大師)、菩提達磨の達磨大師、慧思の南岳大師、曇鸞の曇鸞大師、善導の善導大師、吉蔵の嘉祥大師、窺基の慈恩大師、法蔵の賢首大師、澄観の清涼大師などがある。これらは私的な敬称である。
③唐の宣宗が大中2年(848)に廬山慧遠(ろざんえおん)に辮覚(べんかく)大師の号を贈ったのが諡号のはじめといえよう。
④わが国では原則的に諡号として用いられ、最初は貞観8年(866)に最澄に贈った伝教大師と円仁に贈った慈覚大師とであり、その他、代表的なものに空海の弘法大師、親鸞の見真大師、道元の承陽人師、日蓮の立正大師などがある。
ここには大師号はもともとは大師号は私的なモノだったとあります。そして皇帝から下賜される形の大師号は9世紀半ばからです。これは、最初に最澄や円仁に諡号が送られた時期とほぼ同時になります。諡号は案外新しいものであることを、ここでは押さえておきます。

次に大師号を下賜された24人のメンバーを見ておきましょう。 
大師一覧表
大師一覧表2


この一覧表を見て気がつくことを挙げておきます。
①最初に下賜されたのは天台宗の天台宗の最澄・円仁であったこと、
②空海への大師号の下賜は、それに遅れること55年目であったこと
③大師号を贈られた僧は24名いるけれども、その大部分は江戸時代以降に下賜されている

大師号下賜 時代別
④平安時代に大師号を下賜されたのは最澄・円仁・空海・円珍の4名だけ、
⑤鎌倉時代は益信1人だけ
⑥江戸時代が7名、
⑦残り12名は明治時代以降の下賜であること。
⑧真言宗に属する先師は、空海を筆頭に道興大師(実恵)・法光大師(真雅・空海弟)、本覚大師(益信)・理源大師(聖宝)・興教大師((覚錢)・月輪大師(俊高)の7名
⑨法然のように一人で8回も下賜された例もあること。
ここで押さえておきたいのは最初に諡号を下賜されたのが天台宗の最澄に「伝教大師」、円仁に「慈覚大師」であることです。空海にこの大師号が贈られたのは、最澄らより55年遅い921年のことになります。空海は、最澄に比べると半世紀以上遅れています。

私にとって予想外であったのは、明治になって諡号されている人達が半分以上になることです。これはどうしてなのでしょうか?明治になると各宗派から諡号下賜申請が次々と出され、申請運動が高まります。
そこで、明治12(1879)年4月、道元へ諡号考証にあたって次のような「大師号国師号賜与内規」が定められます。

 一 大師号を賜与するは宗名公称の各宗宗祖に限るべし
 一 国師号は各宗の祖若くは其第二世以下其宗の中祖とも称すべくして特別徳望あるもの又は旧来各分派の名実ありし其派祖及び二世以下と雖も前後に諡号の勘例ある者に限るべし
 一 大師国師を論ぜず古来加号の例規ありし者は猶期年に至り上請の上 特旨を以て加号の御詮議あるべし
 一 生前死後に論なく特旨を以て大師国師号等を賜与せらるるは固より定例規格の外とす

朱書きの注意書きには、次のように記されています
第1項の大師号については当時、大師号がなかった道元、隠元、日蓮、一遍を想定。
第2項の国師号の派祖については、栄西、蘭渓道隆のみであり、二世以下の場合も授翁宗弼は例外的に漏れていたのであって、滅多にない例と記している。また真宗、日蓮宗の諸派は「近世の分派」であるから派祖であっても「諡号に及ばず」とあります。
第1項は、法然、無学祖元、宗峰妙超、夢窓疎石、関山慧玄、隠元を挙げていますが、必ず加号するものとの契約があるわけではないとします。

それから4年後の明治16年10月6日に、次のように改定され内規となります。

大師号国師号賜与内規 表紙

大師号圀師号賜与内規制定ノ件1
             大師号国師号賜与内規(朱が運用基準)

第一条 大師号を賜与するは左の六項に限るべし(大師号下賜の6条件)
一 一宗の開祖
二 一宗の中教旨に差異ありて別に一派を開き布教隆盛なるものの派祖
三 天皇の御崇敬を得て一大寺を開基し特別の由緒及び功徳ある者

大師号圀師号賜与内規制定ノ件2

四 一宗の第二世以下と雖も宗風を拡張し中興とも称すべき功徳ありて開祖に比肩すべき者
五 皇子にして学徳顕著なる者
六 天皇の戒師にして特別の功徳ある者
第二条 国師号を賜与するは左の七項に限るべし
 一 一宗一派の開祖
 二 一宗一派第二世以下と雖も特別功徳ある者
 三 勅願に依て一寺を創立し由緒功徳ある者
 四 一派を中興せし者
 五 皇子をして学徳ある者
 六 天皇の戒師たりし者
 七 学徳優長にして各宗同く景仰する者

大師号圀師号賜与内規制定ノ件3

第三条 大師号国師号は死後之を賜はるものとす
第四条 大師国師を論ぜず年期加号の例は自今之を廃止す
こうして見ると、明治になるまで親鸞や道元には大師号はなかったことが分かります。それが浄土真宗の明治政府への協力ぶりと働きかけで親鸞と蓮如が大師号を得ると、各宗派も自らの開祖に諡号を求めて政府への働きかけを強めます。それが近代以後に、大師号を送られた僧侶が数多く現れる背景のようです。
大師号下賜 近代以後

当初の「着陸予定地」が大きく狂ってしましましたが、今回はこの当たりで終わりにします。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献
武内孝善 「弘法大師」の誕生 大師号下賜と入定留身信仰 春秋社」です。