まんのう町の町報「ふるさと探訪 アカマツに残る先人の営みの足跡」という記事が載せられていました。
ふるさと探訪原稿 松油採集

ここには、敗戦直前にガソリンなどの代替燃料として松の幹から燃料油を採取して利用しようとしたこと、それとは別にアカマツの幹に傷を付けて油を集めた跡も残っていることが報告されていす。このことについて、以前から興味を持っていたので、今の段階で集めた情報をメモとしてアップしておきます。まずは根から油を集める「松根油」についてです。テキストは、信州戦争資料センターの記事です。(https://note.com/sensou188/n/n0016eaa81420)。ここには、次のようなポスターが紹介されています。

松根油1

タイトルは「埋もれた戦力・松油掘出せ」「松根油 緊急増産」とあって、切り倒された松の根を母親と子供が掘りだしています。「銃後を支える婦人と少国民」の雰囲気がよく出ています。ここからは太平洋戦争末期の1944(昭和19)年から翌年にかけて、松の根を掘り出し、その脂分で「油」にする作業が行われていたことが分かります。
「陸軍燃料廠ー太平洋戦争を支えた石油技術者たちの戦い」(光人社・石井正紀著)には、次のようなことが記されています。(要約)
光人社NF文庫<br /> 陸軍燃料廠―太平洋戦争を支えた石油技術者たちの戦い (新装版)

1944年3月、ベルリン駐在武官から軍令部(海軍)宛ての電報で「ドイツでは松から採取した油で航空機を飛ばしている」という情報が届いた。海軍はすぐに調査を始め海軍関係のほか林業試験場なども加えて検討し「松根油からのガソリン生産計画は可能である」として、国内年間消費量の1/3ほどの採油が可能と報告した。その計画に陸軍、農商省、内務省が乗っかり、10月20日には最高戦争指導会議で承認された。

この決定に基づいて、担当相となった農商省が10月23日の次官会議で「松根油等緊急増産措置要綱」をまとめて、各府県知事を通じて松根油の生産活動が始められます。その運動を進めるために全国に配布されたのがこのポスターのようです。
松根油等緊急増産措置要綱
「松根油等緊急増産措置要綱」の第一条・方針には次のように記します。

「皇国決戦の段階に対処し山野の随所に放置せられある松根の徹底的動員を図り乾留方法に依る松根油の飛躍的増産を期するは刻下極めて喫緊の用務なるを以て、皇国農山漁民の有する底力を最高度に結集発揚し以て本事業の緊急完遂を企図し皇国戦力の充実増強に寄与せんとす」

意訳変換しておくと
皇国決戦の最終段階に対応するために、山野に放置されている松根を動員する。そして乾留方法で松根油の飛躍的増産を図る。現在は非常に重要な局面にあり、ことは緊急を要する。ついては、皇国の農山漁民の底力を最高度に結集発揚し、本事業の完遂を図り、皇国戦力の充実増強に寄与すべし。
第二条・措置
「松根及松根油の生産は地方長官の責任制とする」
 
いつものように音頭を取るのは、大本営ですが実施方法は「地方長官=知事」の責任制です。現場には、農会などを通じて実行させることになります。結果に、大本営は責任をとりません。

 松根油の作り方は、次のような工程でした。
①松の立ち枯れた古木(樹齢50年以上)をさがしてし、松株を掘る。
②伐根のノルマは 1 日 150~250kg
③掘り出された松の根は、貯木場に蓄えられた後、小割材にしてカマス袋に入れ、乾溜缶(100 貫釜)に運ぶ。
④釜の内部には中カゴがあり、この中にあらかじめ割砕した松根原料を詰める。
⑤粘土と石灰を練り合わせたものを、釜と蓋の間に塗り込み密閉し、火を焚いた。
⑥出てきた蒸気を冷却し、液体化した油分である「粗油」を改宗する
⑦これを第一次精製工場で軽質、重質油に分け、
⑧軽質油を第二次精製で水素添加して航空ガソリンにする
 この工程案に基づいて、1944年冬から、松の根を掘りだす作業に動員が始められます。当寺の新聞には、割当目標を達成の記事が載せられて、互いに村々を競い合わせています。

松根油増産戦
            昭和19年12月28日 松根油増産戦 各地の情報

当事者は当寺のことを、次のように回顧します。

とに角この仕事に動員された人々は、ここでも滅私奉公を強要され、腹をすかしながら馴れぬ手に血豆を作り、死に物狂いで松根の掘り起しに従事した。先ず在来の松脂集めには、国民学校の生徒や、都市から農山村に疎開している婦人達が充当された。松根株集めには、鉄道の枕木、鉱山の杭木用に伐採されて全国の山野に放置されている推定八十億株の松の古株を第一目標にした。これが無くなれば次々に立木を伐採し、枝も葉も根も接触分解法や乾溜法の原料にすることになった。

こうして松根はほりだされます。ところが③の乾留釜がありません。釜が据えられても今度は生産した粗油を入れるドラム缶が届かない、ドラム缶を入手しても、輸送ができないといった八方塞がりに陥ります。春頃には、山積みされた松根があっちこっちでみられるようになります。

 『石見町誌』には、「モデル地区」となった矢上と中野に松根油の製油工場が建ったようです。
そして、海軍予備学生の生徒が動員されて松根掘りが始まります。笠森惣一氏の回顧録には、次のように記されています。

旧石見町では中野茅場にまず松根油抽出工場が建ち、抽出釜6基を配置。田植えが済むと松根堀りに駆り出され、中野の松根油は検査の結果、島根県下最優秀油に選ばれ、軍部も目をつけるようになった。山口の徳山から技術者を呼び寄せ、工場は矢上にも建てられ、抽出釜は中野7基、井原7基、矢上6基を設置してフル回転。海軍省からは矢の催促と慰問、激励を受けた。そこで、村民あげての松根堀りになった為に、20基そこそこの釜では対応し切れず、根っこをそのまま大田や松江の工場へ運ぶほどだった。そのおかげで、島根県の松根油は海軍大臣より感謝状を贈られた。

この時の鉄釜を、邑南町中野(石見地区)にある西隆寺の梵鐘は、その釜を現在でも使用しているようです。ちなみに松根油採集に使用された 乾溜炉跡や釜など遺物は全国に余り残っていないようです。全国各地に点在している可能性のある松根油製造関連の遺物の確認が必要だと研究者は指摘します。
       
松根油の窯
邑南町中野(石見地区)の西隆寺の梵鐘は、松根油の竃の再利用

 戦時中の国民向けの宣伝には、次のような、スローガンが並んでいます。
「200本の松で航空機が1時間飛ぶことができる」
「掘って蒸して送れ」
「全村あげて松根赤たすき」
これは別に視点から見れば、数十年かけて育ったマツ 1 本で、18 秒しか飛行機は飛べなかったことを意味します。もともとエネルギー資源としては効率や持続性・再生産性に欠けるものだったのです。そんため敗戦後は、松根油は近海の漁船の燃料に使用されたのみで、その役を終えたと研究者は報告しています。

松根油2

松根油の実用性についても見ておきましょう。

松根油は牛白色の粘着性液体です。そのため時間の経過とともに粘着成分ができて、燃料フィルターを詰まらせ、燃料噴射状態が悪くなりました。その打開策として、エンジン始動時には通常燃料を使って、エンジンが暖まってから松根重油(ガソリン含有量 20~30%)に切り替える方法を用いています。松根油航空揮発油を燃料として使用されたのは、テスト飛行のみで戦闘には使われていなようです。
 1945年になると本土の空襲が本格化、戦力の弱化、資材と技術の不足からほとんど活用されることはありませんでした。松根油製造は、国家総動員体制のひとつの目玉と国家あげて生産体制が組まれました。しかし、それは一貫した見通しがなく、機上の空論を現場に求めたものでした。

齋藤 暖生  「文献資料に見る第二次世界大戦期における松根油生産の概観」には、次のように記されています
大戦末期の松根油の採集・増産活動は、松林の広域伐採を招き、これが敗戦後の山地荒廃を招いたとする説がある。しかし、実際にどれほどの松の木が伐採され、山地荒廃にどれほどの影響を与えたかは資料的に残っていない。文献資料を通じて、松根油生産の実態を可能な限り詳細に明らかにすることを目的とした。

と述べた上で、次のように整理要約しています。
①松根油生産は第二次世界大戦以前から生産が行われていたが、その生産は大戦末期に極限に達した。
②松根油を生産する地域には偏りがあったが、大戦末期になるに従い、全国的に生産されるようになった。
③過剰な松根油生産が山地荒廃につながる危険性が認識されながら、大戦末期には過剰な生産ノルマが設定された可能性が高い。
④松根掘り取り過程に関しては、概ね生産ノルマが達成された。
⑤松根油生産が山地荒廃に与えた影響を検討するためには、対象地区を限った上で調査を行う必要がある。
 ちなみに、松根油政策に遅れて、本土決戦戦略の一環として進められるのが各県での飛行場建設です。香川県でも髙松(旧林田飛行場)・飯野山南・三豊平野に飛行場建設が旧制中学校の学徒動員で進められます。飛行機がないのに、燃料や飛行場を造っても意味が無いように現在の我々は思います。しかし、大本営が考えていたのは、何もしないで国民を放置しておくことに恐怖を感じていたようです。「小人閑居して不善を為す」の言葉通りに、放って置いたら不安に駆られて何をし出すか分からない。米軍機は「反乱の扇動」を行っている。それに対応するためにも、政府の下に国民を動員し続けることが必要と考えていた節があります。これは戦術や戦略ではなく、「愚民政策」だった云えるのかも知れません。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献
齋藤 暖生  「文献資料に見る第二次世界大戦期における松根油生産の概観」
金子恭三  「松根油」pp.366-376、 日本海軍燃料史(上)燃料懇話会(1972)
金子貞二  「明宝村史 通史編下巻」pp.492-495
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