2025年05月31日 まんのう町立図書館郷土史講座「満濃池と空海」へのお誘い 今年も年3回行われる町立図書館の郷土史講座の講師を引き受けることになりました。その初回は、昨年に引き続いて満濃池を取り上げます。「満濃池は空海が作った」と言われていますが、それについて、現在の研究者や考古学者たちがどう考えているのかを見ておこうと思います。興味と関心と時間があるかたの来訪を歓迎します。関連記事満濃池の歴史NO1「満濃池後碑文」空海=満濃池築造説をとらない史料を読んでみる讃岐の古代寺院 まんのう町弘安寺廃寺は満濃池の管理センターでもあった古代満濃池築造疑問説 満濃池は作れても治水灌漑技術が未発達で、用水を送ることができなかった?満濃池の歴史 本当に満濃池は古代に造られていたのか?満濃池空海築造説への疑問 研究者が「空海が満濃池を造った」と断定的に云わないわけは?満濃池の歴史NO2 中世の満濃池の中には池内村があった?讃岐生駒藩NO3 生駒騒動の背景に土地問題あり?讃岐生駒藩NO4 讃岐の大恩人・西嶋八兵衛と生駒騒動満濃池の歴史NO4 満濃池再築を、絵図を見ながらたどって行くと 満濃池の歴史NO7 消えた四条川 作られた金倉川まんのう町報ふるさと探訪 近世の満濃池再築の際に、消えた四条川、作られた金倉川満濃池の歴史NO8 農民達を泣かせた満濃池普請とは満濃池の歴史NO6 幕末の決壊は工法ミスが原因か?満濃池の歴史No9 満濃池は、明治維新期にどのようにして再築されたのか?満濃池の歴史NO8 満濃池が幕末に決壊したまま放置されたのはなぜか?満濃池の石碑・「真野池記」 長谷川佐太郎の顕彰碑のはずなのに、彼の名前が出てこないのはどうして?満濃池の石碑その1 長谷川(佐太郎)翁功徳之碑が昭和6年になって建立されたのはどうしてか?満濃池の歴史 満濃池の水は、どのように丸亀平野に供給されたのか満濃池第3次嵩上げ事業 土器川からの導水に、綾歌側は大反対した満濃池第3次嵩上げ事業 炭所常包に土器川ダム建設が予定され、平野や塩田は湖底に沈むはずだった1934年の大干魃No2 香川新報は、大干魃をどのように報じているのか1934年の大干魃 香川県知事は雨乞いのために、大砲300発を大麻山に向かって撃つことを依頼した。明治の満濃池 第一次嵩上げ事業は大幅な貯水量増を実現できなかった満濃池第二次嵩上げ事業 財田川からの導水に三豊の水利組合は反対した満濃池第3次嵩上げ事業 炭所常包に土器川ダム建設が予定され、平野や塩田は湖底に沈むはずだった満濃池第3次嵩上げ工事 6m嵩上げされて貯水量は倍増し、取水塔も新しくなった満濃池第3次嵩上げ事業 水没する五毛地区への用地補償は、どのように行われたのか?第3次嵩上げ工事 水利権のない土器川から満濃池は、どのようにして用水を取り入れたのか。満濃池土地改良区の財政悪化の背景には、何があったのか?土器川右岸(綾歌)の土地改良区は、亀越池嵩上げを諦め香川用水を選んだ 「まんのう町誌を歩く」カテゴリの最新記事 タグ :#満濃池#満濃池の歴史 < 前の記事次の記事 > コメント コメントフォーム 名前 コメント 記事の評価 リセット リセット 顔 星 情報を記憶 コメントを投稿する
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