私がいつも御世話になっている宮川うどんは、幼い頃の空海が遊んだという仙遊寺が近くにあります。


善通寺北側の黄色いエリアが仙遊エリア
旧練兵場遺跡群
練兵場遺跡群は、漢書地理志の奴国の「分かれて百余国」の王国のひとつだったと研究者は考えています。地図からは旧金倉川や中谷川が網の目状に流れる微高地に、集落群は建ち並んでいたことが分かります。しかし、弥生時代の仙遊エリアは川の中にあったとされていたために、ノーマークだったようです。1985年7月に住宅建設中の工事現場から箱式石棺が発見されます。調査の結果、石材には線刻画が書かれていることが分かりました。今回は、この線刻画について見ていくことにします。テキストは「仙遊遺跡発掘調査報告書1986 年」です。東側が農事試験場地区、西側が病院地区で、その間の住宅地地帯が仙遊エリアになります。古代の復元図からは、仙遊遺跡のすぐ東側には旧河道があったとされます。仙遊遺跡は、「集落からややはずれの旧河道添いに造られた墓域」と研究者は考えています。

箱式石棺は、頭部側に立派な石材(額石)を置き、これを挟むように左右に板石を立て、次にその石材の下端を挟むように、逆八字形に外側から板石を立てていました。この石材から線刻画が見つかります。
線刻画が、どの段階で刻まれたかについては研究者は次のように考えています。
①石材表面は軟質なのに、移動時の傷や磨耗が認められないこと。②葬送儀礼の一環として、被葬者を取り囲む石材に呪術的な意味を持って刻み込まれること③以上から石材採集後、棺材として手を加える直前に墓坑付近で行われた。
それぞれの石材に線刻画は刻まれていますが、その中で目をひく人面画を見てみましょう。
仙遊遺跡 組式石棺1の石材9の人面文
ひときわ目を引くように石材の真ん中に人面文が描かれています。これについて報告書は次のように記します。

鼻や口の表現はやや暖味であるが、両耳は比較的はっきりしている。顔の入れ墨についても目を基調に施されており、この人面文の周囲にも目だけの表現らしいものが多く認められる。また、石材2の内面にも人面文が認められるが、これは顔の輪郭と目だけの表現であり、やはり人面文は目が呪的な力を発揮するようである。
これとよく似たものが愛知県安城市の亀塚遺跡の人面文を施した壷形土器です。
人面文壺形土器 愛知県亀塚遺跡出土
人面文壺形土器 愛知県亀塚遺跡出土
これを見ると仙遊遺跡のものと、表現がよく似ています。これ以外にも入れ墨を施した人面文は各地で見つかっています。この顔は、壺の年代が弥生時代終末期(約1,800年前)なので「弥生人の顔」とされます。目の周囲に描かれた多くの線は入墨とされます。『魏志倭人伝』には「男子無大小皆黥面文身」(男は年齢に関係なく顔と体に入墨をしている)の記述を裏付ける資料になります。そして、この壺や仙遊遺跡は、ちょうど邪馬台国の時代のものになります。
愛知県亀塚遺跡の人面文壺形土器についてHPに次のように記します。
「人面文土器」は、弥生時代の祭祀において、瞳のない眼によって悪霊をにらみつけて退散させる辟(=魔除け)の思想などを表した特別な土器と考えられているが、その全形をうかがい知ることができる例は稀である。また、表現の精緻さにおいて群を抜く優品であり、人面文部分の遺存状態も良く、弥生時代の風俗を物語る貴重な資料である。
どうして、全身に入墨をしたのでしょうか?
一見不気味に見える瞳のないレンズ形の目目の周囲の入墨ヒゲまたはアゴの入墨耳と耳飾りを持つ顔は、「辟邪(=魔除け)=禍」から身を守るためだった
と研究者は考えています。つまり、にらみつけることで悪霊を退散させようというのです。こうした人面文の出土は、全国に30点近くあるようです。しかも表現に一定の規則があるのです。文様のひとつとして「人面文」と呼ばれていますが、一種の情報が、どのように伝播、拡散したのかはよく分からないようです。
どちらにしても入墨が災いが及ぶことを祓うとするものなら、箱式石棺を線刻画で覆うとは、被葬者を禍から守ろうとしたこととつながります。各地の人面文にみられる入墨の線条は、よく似ています。ここでは、仙遊遺跡の箱式石棺の線刻画も、被葬者に対する守護や鎮魂的願い、あるいは封鎖のために刻まれたとしておきます。
饕餮紋(とうてつもん) 戦国 紀元前4世紀

饕餮文は殷周代から青銅器等に用いられた怪獣の紋様です。饕は財貨をむさぼること、餮は飲食をむさぼることを意味します。大きな眼と口、角、爪などが特徴で、人を食らう凶悪な野獣とされていますが、転じてその力は邪悪なものを除くとも考えられていたようです。
次に仙遊遺跡の石材7の線刻画を見ていくことにします。
この起源になるようなものが中国の饕餮紋です。
饕餮文は殷周代から青銅器等に用いられた怪獣の紋様です。饕は財貨をむさぼること、餮は飲食をむさぼることを意味します。大きな眼と口、角、爪などが特徴で、人を食らう凶悪な野獣とされていますが、転じてその力は邪悪なものを除くとも考えられていたようです。
次に仙遊遺跡の石材7の線刻画を見ていくことにします。

邪視文銅鐸 弥生時代中期 22.3cm 島根・八雲本陣記念財団蔵
こうなるとモダンアート的で、私には何が描かれているか見当も付きません。研究者は大きく描かれている扇形図形に注目します。細部まで念入りに描写されていて、下方に描かれた槍先状の図形と併せて、何か呪的な性格を持った構造物を写し取った具象図形の可能性を指摘します。また、上方には扇形の図形と一部重ねて直弧文系の図文が措かれています。どれも抽象図形で多数の直線を平行に並べたものが多く、中に片側が閉じて扇形に見えるものがあります。ここには様々な文様の原単位となっているモデルがあって、その組み合わせによって複雑な文様が構成されていると研究者は考えています。
最後に県内の線刻画の類例を見ておきましょう。
①旧練兵場遺跡から出土した器台形土器の破片に、類似した図文②岡古墳群中の箱式石棺の蓋石に、無数の線条からなる線刻画③髙松市の鶴尾神社4号墳(積石の前方後円墳)では、石室内や石室周辺の墳丘上からへラ措文様を施した壷の破片。
③の中には仙遊遺跡の箱式石棺の線刻画と共通したものが多くあります。仙遊遺跡出土の土器は鶴尾神社4号墳出土の土器よりもやや古い時期のものになります。両者の関係は、どんなものだったのでしょうか? 今の私にはよく分かりません。

宮が尾古墳の線刻画
また善通寺市内には、線刻画で有名な宮が尾古墳があります。それ以外にも10基あまりの後期古墳に線刻画が描かれています。仙遊遺跡の箱式石棺は、最も古い直弧文系図文によって装飾された墓になります。墓に呪的な線刻による装飾を施すことが弥生時代後期には成立していたこと、その線刻画古墳の原型が仙遊遺跡の箱式石棺であることを押さえておきます。 善通寺周辺の線刻画の共通モチーフ 殯屋(もがりや)?
以上をまとめておきます。①弥生時代後期の仙遊遺跡の箱式石棺には、線刻画が刻まれている。
②その中の人面文様は、入墨があり、瞳のない眼によって悪霊をにらみつけて退散させる辟(=魔除け)の思想がうかがえる。
③それ以外の文様も被葬者に対する守護や鎮魂的願い、あるいは封鎖のために刻まれた
④これらの線刻画は、宮が尾古墳にも受け継がれていく要素で、善通寺王国の伝統かもしれない。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献















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