丸亀絵図5
『讃岐国丸亀絵図』(正保年間一六四四~一六四八年)です。
この城絵図は、正保元年(1644年)に幕府が諸藩に命じて作成させたものです。城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの軍事情報などが精密に描かれています。その他にも城下の町割・山川の位置・形も載されています。丸亀藩も幕府の命を受けてこの絵図を提出したと思われます。原図サイズは、東西217cm×南北255cmとかなり大きなものです。
  この絵図を見ていると私には分からないことがいくつもあるのですが、それは今は置いておいて基本的なことを確認しておきます。
①丸亀城下町は北に開ける瀬戸内海を意識した城造りがされている。そのため町割りも北には伸びているが東・西は外堀の外は田んぼや畑が広がっていた。
②西側には西南に延びる金毘羅街道沿いに市街位置が形成されている。
③外堀と汐入川を結ぶ運河は、現在の北向地蔵菩薩堂の所で直角に曲がり、城乾小学校の西側を通って汐入川とつながっていた
④汐入川河口は西から東に流れ現在の港公園付近を経由して海に流れ出ていた。
以前に、丸亀駅の北側は汐入川の河口で、その向こうには長い中洲があったこと、そこに人が住むようになり町になり、金比羅船が着く港が作られ大いに繁栄するようになったことをお話ししました。この上の地図では河口の右手(西側)の砂州にあたります。
今回は上(南)に向かって、城の方へ真っ直ぐに伸びている「運河」(水路)について見てみましょう。
この『讃岐国丸亀絵図』には「船入」書かれていることから城下町の奥深くまで船が入りこめるように、運河のような港がつくられていたようです。
丸亀市実測図明治
この「船入運河」は、現在のどこにあったのでしょうか? 
この絵図だけ見ていては分からないので、明治34年の『香川県丸亀市実測全図』と比べてみましょう.。明治34年と云えば日露戦争直前で善通寺に11師団が設立された直後になります。現在の東中学校や大手前高校、消防署・警察署丸亀城には、丸亀連隊が置かれ
明治天皇も視察に訪れたりしています。城の東側(労災病院周辺)には、広大な練兵場があったことが分かります。また、丸亀から高松への鉄道も開通し、丸亀駅も現在地点に移転しているので、江戸時代と現在を比較する際の「座標軸」の役割を果たしていくれるので私は重宝しています。
この地図で注目したいのは次の3点です
①汐入川は丸亀駅のすぐ裏を西から東に流れている
②東に流れる汐入川が直角に流れを返るあたりから南(上)が埋めたてられて「船入運河」が姿を消している
③埋め立てられた上を高松行きの鉄道が通っている。
丸亀市が西汐入川の附け替えと港湾の大改修に着手するのは、日露戦争後のことです。この時点では汐入川は江戸時代と同じ流路でした。
  この地図から推察できるのは、埋め立てられた「船入運河」が流路を東から北にかえるポイントの南への延長線上にあるということでしょうか。17世紀と20世紀の地図を拡大して比較してみると次のようになるようです。
丸亀実測図拡大版
この『香川県丸亀市実測全図』では「船入運河」の細長い港は線路より南(上)は埋め立てられています。その埋められた部分が、この地図でどこに当たるのでしょうか。ふたつの地図を眺めてみると現在の本町通りあたりまでが、埋め立てられた部分になりそうです。
丸亀城下町比較地図1
 現地調査を行って見ましょう。
線路上に「停車場」とあるのが丸亀駅です。駅前の本町通りに百十四銀行支店と記されています。現在はここには、ホテルアルファーワンが建っています。その西通は富屋通りで、南へ行くと妙法寺方面です。この通りは今でも健在です。さて、めざすホテルの東側の通りに入っていきます。はすかいの十字路を越えて丸亀市の商店会連合会事務局の前をなおも進むと、突き当たりになります。そして、左折(東)方向にしか進めない「L字道」になっています。

丸亀福島・新堀
手前左が新堀港・右が福島港 城方向に真っ直ぐ「船入運河」が伸びている
丸亀新堀湛甫3
上の拡大図

 そして、東に進むと、すぐに通町商店街に出て、そこで再び突き当たりとなってしまいます。その突き当たりからさらに東の松屋町の方へ進もうとすると、いったん右折してから、すぐに次の角で左折するというルートをたどらなければなりません。城下町として整然と区画された町割りの中で、この「L字道」は少し「ヘン」です。「地図上の比較 + 現地調査」の結果から「このL字道は、船入運河(港)の終点のコーナーであった」という結論が引き出せそうです。
2丸亀地形図
 江戸時代は、本通りの「ラーメンきらく」あたりまで港が入り込んでいたようです。明治になって鉄道が高松に伸びる頃になって、港の奥が埋め立てられ、本町通りは東に延びて通町で松屋町の方につながりました。しかし、運河によって隔てられていたために埋め立てた後に、本町通りは通町のところで突き当たって、そこから先は道が作られなかったということになります。

丸亀新堀1
 通町の真ん中あたりまで運河が入り込んで、船が出入りしていたということは新鮮な驚きです。満潮になると底の浅い川船に積み替えられた荷物が運ばれてきて、ここから荷揚げされていた光景がかつては見られたのかもしれません。
 丸亀も瀬戸の城下町として目の前の海に向かって開かれた町であり、直接に城下町の真ん中まで船が入ってくることの出来る港湾施設があったようです。

参考文献 井上正夫 丸亀本町通りの東はし 
      「古地図で歩く香川の歴史」所収