大干魃の年は龍神様にお祈りをして、雨を乞う雨乞い神事が行われた。八峯龍神にも、阿波と讃岐の両農民が集って三・七・二十一日の願をこめて祈ったものである。これは八峯にある大池小池で雨乞いをした時のできごとで、古老から聞かされた話である。
二十一日の間、昼夜の別なく、神楽火をたき神に祈ったが一粒の雨も降らなかった。当時の神職は悪気はなかったが
「これ程みながお願いしているのに、今だに雨の降る様子がない、龍神の正体はあるのか、あるなれば見せてみよ」と言った
ところ、言い終ると一匹の小蛇が池の廻りを泳いでいた。
「それが正体か、それでは神通力はないのか」と言った。
すると急にあたりがさわがしくなり、黒い雲が一面に空を覆い、東の空から「ピカピカゴロゴロ」という音がしたかと思うと、池の中程に白い泡が立ち、その中から大きな口を開き、赤い炎のような舌を出した大蛇が、今にも神職をひと飲みにしようと池の中から出て来た。
これを見た神職は顔色は真青になり、一目散に逃げ帰った。
然し大蛇は彼の後を追いかけて来たものの疲れたのか、その場にあった一本の松の木の枝に首をかけてひと休みしたと伝えられる。
これを見た神職は顔色は真青になり、一目散に逃げ帰った。
然し大蛇は彼の後を追いかけて来たものの疲れたのか、その場にあった一本の松の木の枝に首をかけてひと休みしたと伝えられる。
今もその松を首架松といわれている。池からその松の所までは百五十米もあるが、大蛇の尾が池に残っていたというのだから大きさに驚かされる。
神職は家に帰ったが家内のものには何も話さず、一室にとじこもったまま高熱を出して、数日後に家族が心配していたが、この世を去って行ったとのことである。
彼は死を目前にして家族のものを集め、今後一切八峯大池小池には近よらない様にと遺言したそうな。
讃岐の人々編集事務局所収
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