三角は、するどい角をもった崖山がそそりたっているところから、名付けられました。三つの角を持った岩石の底を流れる渓流は、とびっきり美しく冷たい流れ、清らかな流れは、龍神さまもお好きと見え、三角の淵には、龍神社がお祀りされてあります。
さて、三角の地名は、かって「御門」とも「御帝」とも呼ばれていました。そして、「三霞洞」となり、現在は「美霞洞」。温泉は「三角の美霞,洞温泉」と呼ばれ親しまれています。
さて、この淵の話は数えきれないほどたくさんあります。
そのひとつ、三角の淵と大蛇のお話をはじめましょう。
むかし、戦国時代も終わりのころ、武田八郎という武士が、三角までやってきました。
そのころ三角の集落では、人々がおそれおののいていました。
淵の大蛇が、通行人や山里の人を襲うというのです。
武田八郎は大蛇の話を聞き、人々を苦しめる大蛇を退治しようと考えました。
山中の小屋にたてこもって、矢を作りはじめました。
ある日のこと、美しい女が訪ねてきました。
「矢を、作っているのですね。矢は、何本作るのでしょうか」
武田八郎は、あやしい女が来たものだと思いながら答えました。
「ああ、矢を作っている。ここは、女の来るところではない。早く帰れ」
「あの―、矢は何本作っているのですか」
女は、何度も聞きます。そこを、動こうともしません。
八郎は、少しめんどうになってきました。
「矢は、九十九本だ」
  八郎が答えると、女はどこへともなく姿を消してしまいました。
矢の用意が整ったので日も暮れてから、八郎は三角の淵へやってきました。
大蛇の現れるのを、待つつもりです。
草木も眠る丑三刻、なんともいえない生臭い風が吹いてきました。
淵の底から、ご―お―と音がしたかと思うと、淵の水が泡だちもりあがってきます。水しぶきがあがり、水が、あふれはじめます。
ものすごい音です。
もりあがった水の中から、なにかが迫ってきます。
武田八郎、弓に矢をつがえてよくよく見ると、
淵の真ん中に立ちあがった大蛇は、頭にすっぽりと鐘をかぶっているではありませんか。 
一の矢を、力いっぱい放ちました。
第二矢、第二矢、いくら矢を射ても、矢はカーン、カーンと、はねかえされてしまいます。
九十九本の矢は、たちまち射うくしてしまいました。
すると大蛇は、かぶっていた釣鐘をはねののけ炎のような舌を出して、武田八郎をひとのみにしようと襲つてきます。
八郎は、かくし持っていた一本の矢を必死で射ました。
矢は、大蛇の喉首を見事射ぬくことができました。
八郎は、矢を百本持っていたのです。
今まで盛り上がっていた淵の水が急に引きはじめ、
大蛇の姿は淵の底へ底へと沈んでいきました。

こんなことがあってから、三角の淵の大蛇は二度と人を襲うことはなくなりました。
人々に害を加えることがなくなったばかりか、逆に日照り続きの早魃の年には三角の淵の雄淵に筏を浮かべて雨乞いのお祈りをすると、必ず雨を降らせてくれます。
また、遠くの人たちは三角の淵へ、水をもらいにやってきます。
淵の水を汲んで帰り祈願をこめると、必ず雨が降りだします。
三角の淵は、雨乞いの淵としても有名になりました。

琴南町史より