前回は空海と丹生(水銀)との関係を見てきました。その中で松田壽男は次のように述べていました。
「水銀が真言宗で重視され、その知識がこの一派に伝わっていたことは、後の真言修験に関係する重大な問題である。このことを前提としない限り、例えば即身仏の問題さえ、とうてい解決できないであろう」
今回はこの課題を受けて、空海と錬丹術について見ていこうと思います。テキストは「大和岩雄 秦氏・秦の民と空海との深い関係 続秦氏の研究」です。
内藤正敏は「ミイラ信仰の研究 古代化学からの投影―』の中で、空海を錬丹術者と位置づけています。すぐには信じられないので、眉に唾を付けながら読んでいきます。
内藤氏は応用化学を学んだ専門家なので、煉丹術の化学反応を方程式を駆使してくわしく述べます。そして『抱朴子』巻四金丹編の
「世人は神丹を信じないで草木の業を信じている。草木の薬は埋めればすぐ腐り、煮れば爛(ただ)れ、焼けばすぐ焦げる。自らを生かし得ぬ薬が、どうして人を生かし得よう」
という文章を示して「漢方薬が多くつかう草根木皮でできている薬は効きめがなく、鉱物性の薬品を上等のものと考えている」と指摘します。当時の民間医術で用いるのは「草根木皮でできている薬」ですが、それに対して「鉱物性の薬品」は特殊技術なしには作れない業です。その技術を古代人は「巫術」とみていました。これを『日本書紀』は「巫術」と書いています。
続いて、内藤正敏は、空海の「巫術」について次のように記します。
「丹薬はこれを焼けば焼くほど、変化はいよいよ妙である。黄金は火に入れて百煉しても消えず、是を地中に埋めても永遠に朽ちない。この二薬を服して身体を錬るから、人は不老不死にできるのだ」と「金丹編」には記される。仙薬の中でも丹つまり水銀化合物と金を中心に考えている。その理由は、金はさびることもなく、熱で熔かしてもまた金になり、永久に変化しない。一方、水銀は熱や化学反応によっていろいろと変化し、しかも、多くの金属とアマルガムをつくって、他の金属を熔かす作用がある。つまり、金を不変、水銀を変化の象徴として考え、これに各種の物質を高温で作用させて、人工的に金や、もっと霊力のある神仙の薬をつくろうとしたのである。
このような視点で空海の書いた『三教指帰』や『性霊集』を読んでみると、空海は確実に中国式の煉丹術を知っていたことがわかった。あの水銀を中心に数々の毒物を飲む中国道教の神仙術を知っていたのである。そればかりか、空海自身も水銀系の丹薬を飲んでいたらしい。今まで「三教指帰」や「性霊集」について論じた学者は多い。しかし、そうしたことに気づかなかったのは、これらの書物を単に、宗教・哲学・思想という面からしか見なかったからであろう」
「三教指帰」(題名は「聾瞽指帰」と書かれている)
内藤は、「三教指帰」や「性霊集」を「化学書」として読むと、空海の「化学者・薬学者」の面が見えてくると云うのです。その例として挙げるのが「三教指帰」です。この書は、空海が渡唐前の24歳の時に大学をドロップアウトして、立身出世の道を捨て仏道を歩むことを決意するまでの心の遍歴が戯曲ふうに書かれています。しかし、これを化学書として読むと、丹薬の重要性が次のように記されている所があります。
白金・黄金は乾坤(けんしん)の至精、神丹・錬丹は薬中の霊物なり。服餌(ぶくじ)するに方有り、合造(かつさう)するに術有り。一家成ること得つれば門合(もんこぞ)つて空を凌ぐ。一朱僅かに服すれば、白日に漢に昇る。
「白金・黄金は水銀と金です。乾坤は天地陰陽のこと、神丹・煉丹は『抱朴子」に『黄帝九鼎神丹経』の丹薬として紹介されています。神丹は一匙ずつ飲めば百日で仙人になれ、煉丹は十日間で仙人になれ、禾(水銀)をまぜて火にかけると黄金になるという丹薬です。
一家で誰かがその薬をつくることに成功すれば家族全部が仙人になれる。仙人になる描写を白日に漢(天のこと)に昇ると締めくくっています。
一家で誰かがその薬をつくることに成功すれば家族全部が仙人になれる。仙人になる描写を白日に漢(天のこと)に昇ると締めくくっています。
ここからは空海が『抱朴子』などの道教教典から、神仙術、煉丹術の知識を、中国に渡る以前に、はっきり理解していたことを示していると研究者は指摘します。さらに詳細な記述や熱の入れ方は、空海自身が思想的には仏教を肯定して、道教を否定しようとしながら、体質的には道教の神仙術、煉丹術に異常な興味を示していたことがうかがえると記します。
それでは、これを空海が表に出さなかったのはどうしてでしょうか。
これについては、次のように説明します
「煉丹術の全盛期の唐の長安で、すでに入唐前に強い興味を示していた煉丹術に対して、知識欲旺盛な空海が関心を示さなかったはずはない。ただ、日本では真言密教を開宗するためには、おもてむきに発表するわけにはいかなかったただけだと思うのだ」
空海の死に至る病気について、内藤氏はどのように見ているのでしょうか?『性霊集』の補闘抄には、次のようにあります。
巻第九「大僧都空海、疾(やまい)に罹って上表して職を辞する奏状」に、天長八年庚辰(かのえたつ)今、去る月の薫日(つもごりの日)に悪瘡躰(あくそうてい)に起って吉相現せず。両檻夢に在り、三泉忽ちに至る。」
ここには、五月の末に「悪麿」が体にできて直る見込みがなく、死期が近づいていることを述べ、淳和天皇に大僧都の職を辞任して白山の身になりたいと願い出たことが記されています。この悪瘡は『大師御行状集記』では「癖瘡(ようそう)」、『弘法大師年譜』には「?恙」と記されます。悪性のデキモノです。空海は晩年には悪性の皮膚病で苦しんでいたようです。
大僧都辞任の奉状を提出した翌年の天長9年の11月12日から空海は、穀断を始めたことが「御遺告」には記されます。空海は砒素とか水銀などの有毒薬物を悪瘡治療のために服用していたのではないかと研究者は考えているようです。さらに悪瘡ができた原因も、水銀とか砒素などの中毒ではなかったかと云うのです。そして、次のように続けます。
「私は空海の悪瘡の話を読むたびに、砒素や水銀の入った丹薬を飲みすぎて、高熱を出し背中にデキモノができて中毒死した唐の皇帝・宣宗の話を思い出す。そして、空海が死ぬ前年に書いた「陀羅尼の秘法といふは方に依って薬を合せ、服食して病を除くが如し……」という『性霊集』の一節も、実は空海自身の姿を表わしているように思えてしかたがない。」
以上のように、内藤正敏は、空海と丹生(水銀)が強く結びついていたことを指摘します。
吉田光邦は「錬金術~仙術と科学の間」で丹生(水銀)の変化について次のように述べています
変化の原因はすべて熱によるものばかりだ。火つまり熱によって、硫化水銀の赤色が、白く輝く水銀となり、ときには酸化して黒くなることも大切な変化と考えられていた。赤は火の色に通じる。そこで火による物質の変化の重要さが、神秘的なものとして認識されることになる。水銀を中心とした色の変化を火の生成や消滅と対応させてゆけば、いっそう複雑な変化の様式を考えることができる。『参同契』のなかに記される錬丹術は、こうしたものである」
鉱物による薬物を記す『神農本草経』(中国の医薬の祖といわれる五世紀中頃の陶引景の著)には、上薬とされる鉱物の薬27種が挙げられています。これらは錬丹術で使われるなじみの薬ばかりです。その中で、不死になるもは水銀だけです。他のものでは効果が見られないと、当時の錬丹術師たちは考えていたようです。その水銀の供給者が秦氏・秦の民だったとしておきましょう。
東晋の道教思想家葛洪(かっこう)は「抱朴子」の中では次のように述べています。
三斤の辰砂〔真丹〕と一片の蜜〔白蜜〕を混合して、全部を大麻の実〔麻子〕の大きさの九薬〔丸〕を得るために日光で乾燥すれば、 一年のうちに取れた十粒の九薬は白髪に黒さを回復させ、腐った歯をふたたび生ぜじめるであろう、そして一年以上も続ければ人は不死になるのだ。
「辰砂」は「火に投ずると水銀を造り出す」「死による再生の秘儀」を暗示しているとされています。「白」には、死と再生の意味があったようです。そして「赤」には「不老不死」の常世イメージがあったようです。
天工開物に描かれた錬金術と煉丹術
さらに葛洪は錬金術の理念を、次のように記します
いったい丹砂の性質は、焼けば焼くほど恒久的になり、変化すればするほど霊妙になる。黄金は火の中に入れ、くりかえし精錬しても減少せず、地中に埋めても永久に腐らない。このふたつの物を服用し、人の身体を錬成する。だから人を不老不死にする。
錬金術は錬丹術でもあります。金と丹(丹生)を活用する術だからです。しかし金だけでなく銀・鉛も使います。9世紀の道士孟要甫が残した『金丹秘要参同録』は「修丹の十」には、「坩堝(るつぼ)と炉の制作の規則を知り、そのうえで龍(水銀)と虎(鉛)の法則の学を理解し、鉛と禾(水銀)のもつ究極的な真実の不思議さを認識しなければならない」と記されています。
ここからは彼らが一定の科学知識と実験精神をもっていたことがうかがえます。そして、丹生(水銀)は錬金術にとって欠かす事の出来ない必需品であったことが分かります。
空海は、このような当時の最先端技術である錬金術や錬丹術の知識を習得するだけでなく、実践していたと研究者は考えているようです。そして、丹生に深くかかわっていたのは秦氏集団です。アマルガム鍍金法を用いて水銀を大量に生産した技術を持っていたのは、秦氏・秦の民です。空海の虚空蔵求聞持法の師は、伊勢水銀にかかわる泰氏出身の勤操でした。
丹生(水銀)は薬として用いられましたが、空海は単なる薬として用いたのではないことは、彼が虚空蔵求聞持法を習得した僧であったことからうかがえます。空海も当時の錬金術という最先端技術の虜になっていたのかもしれません。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献
大和岩雄 秦氏・秦の民と空海との深い関係(二) 続秦氏の研究
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