瀬戸の島から

金毘羅大権現や善通寺・満濃池など讃岐の歴史について、読んだ本や論文を読書メモ代わりにアップして「書庫」代わりにしています。その際に心がけているのは、できるだけ「史料」を提示することです。時間と興味のある方はお立ち寄りください。

カテゴリ:瀬戸の島と船 > 島の高みから

愛媛宇和海 遊子水荷裏(ゆす みずがうら)の段畑  

      じゃがいもの収穫・運搬風景


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  水荷浦の一番奥の畑のお堂に通じる道を登っていきます。

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4月所従の陽光の中、
岩場を登るように手を使いながらソラに続く段畑の道をたどると・・
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葉が黄色くなったジャガイモの収穫作業が始まっていました。
畑から掘り出された芋は、モノレールに乗せられて麓へ
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土から掘り出され昔ながらの藁駕籠に入れられたジャガイモは、春の光がまぶしそう。
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お堂の上の芋たちはまだ葉っぱが青々、まだまだ土の中で過ごします。
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階段があるので昔ながらに前後に振り分けて背負棒で背負って下ろします。
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自動車の入ってこれない狭い通路は、運搬車で・・
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そして軽トラの荷台に運ばれてきました。
畑から掘り出されて、ここまでだけでもこれだけの手間がかかります。
北海道の十勝で見た機械掘りのジャガイモ収穫作業とは大違いです。
小さいけれど宇和の直射日光と海からと石垣からの反射光を浴びたジャガイモは美味しいそうです。
今年は4月16日が「ふるさとだんだんまつり」。
そこで売られるために、これからが収穫が本格化するようです。
 

愛媛県宇和海 遊子水荷裏(ゆすみずがうら)の段畑

宇和島の南に西に突き出す三浦半島。そこに段畑が残るという。暖かくなってきた4月の初旬に訪ねてきた。

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遠景はこんな感じ。近くから見てみよう。
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水荷裏のだんだん茶屋までやってきた。
見上げていても、もうひとつ印象が沸いてこない。やはり登ってみないと・・。
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高くなるにつれて前の海が青く輝き出す。石灰質系の白い石垣とじゃがいもの緑とが目にしみる。
海に向かって立つ半円形のコロッセウムのようにも見えてくる。

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青い空に向かって、石垣にははしごがかかる。ソラへのはしごだ。
ここでも畑に出かけることを「ソラに行く」と言ったという。
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こんどは要塞の城壁のようにも見えてきた。あっちこっちの千枚田も見てきたが、狭さと石垣の高さは半端でない。
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近世に真鰯の浜として開かれた半農半漁の浦が食糧確保のために少しづつ開いた畑は戦後の食料不足期にはまさに天に到った。琉球芋から養蚕のための桑畑、戦後には麦畑から現在では早堀のジャガイモへと畑の主役を替えながら

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今では想像も付かない多大の労働力が、この畑に投入された。一枚の写真がそれを私たちに伝える。
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私の好きなお堂が見える。お堂に続く道をたどる。
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前に広がる海にはさまざまな養殖筏が浮かぶ。
若い頃は海に出て魚を相手に、老いては段畑に上がり畑を耕して生きてきたという。
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ジャガイモの葉が黄色くなっている。収穫のシーズンを迎えているようだ。
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お堂の向こう側に続く段畑では収穫が行われていた。
収穫・運搬の様子は、次回に


小豆島坂手の洞雲山より
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壺井栄のふるさと坂手の街を歩いていると

どこにいても覆い被さるように見える山。

洞雲山です。

「アホの子と煙は高いところに昇る」の言葉通り、登ってみます。

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やってきました。頂上です。

白い花崗岩と岩苔がロックガーデンのよう(^_^;)

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2番札所の向こうに大嶽がそびえ立ちます。

ギニア高地のテーブルマウンテンのよう(*^_^*)



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足下を見ると・・・真下に屋根が・・

見えますか? 一番札所の本堂の屋根のようです。

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その向こうには「岬の分教場」に続く半島が続きます。

右側が内海(うちのみ)湾、天然の良港として栄えたわけです。

左側が備讃瀬戸東航路の海。

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もう少し、尾根の先に行くと坂手の街が見え始めました。

かつては別府航路への客船が寄港した坂手港。

そのランドマークタワーが、この山だったのかなと思いました。


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11月15日 寒霞渓のロープウエイ乗り場にやってきました。(*^_^*)

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始発の登り便に乗り込みます。

台湾からのお客さんで一杯(^_-) 中国語が飛び交う車内です。

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標高の低い谷間は、まだまだ色づきが遅いようです。


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下りの便とすれ違います。乗っているのは一人だけ・・。

ちょうど半分の行程です。


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ここからの尾根筋は、紅葉が見頃のようです。

「奇岩と錦秋」が寒霞渓の「売り」です。


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空が近づいてきました。頂上駅が近いようです。

片道700円、5分間の「旅」でした。

上は下界より4~5度は寒く感じます。

おいでになる方はヤッケ類を一枚余分にお持ちください(^^)/~~~。


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先週末、紅葉のすすみ具合を見に寒霞渓へ

絶壁の上に立ち、内海湾を見下ろしていました。(^_-)

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ふと、足下を見るとツメレンゲが一杯咲いています。


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塔のように花房を、空に伸ばしています。

後ろの烏帽子岩と競い合うよう。(*^_^*)


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こちらは鞠のように丸いツメレンゲ。

絶壁の岩の上など、過酷な条件の場所で咲くツメレンゲ。


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地域によっては希少種にも指定されて、見ることが少なくなったそうです。

でも、島ではこんな所にも咲いているのを見かけたことがあります。


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さて、寒霞渓の山の上の紅葉はこんな感じ。

来週が見頃になる感じです。(^_^)/~


昨年の11月18日のここの紅葉の写真です。おいでになる場合の参考になれば幸いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/jg5ugv/6451550.html

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船で内海湾に入ってくると、気になる山が見えてきます。

名前も「飯神(いいがみ)山」、

讃岐では、こんな形の山は「神なび山」と呼ばれています。

「天から神が降臨した山」と伝えられていることが多いようです。


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さっそくやってきました。

三都半島の付け根の位置です。

標高240㍍と標識には書かれています。

ぼちぼちと、登っても20分で頂上につきます。

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草壁港から出港したブルーラインが内海湾を、出て行きます。

左の半島の付け根に見えるのが「二十四の瞳映画村」です。

四国のやまなみもかなたにかすかに見えます。


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頂上です。

「内海湖」と思えるほど静かに、湾が広がっています。

台風の時には、ここに多くの内航船が待避してきて賑やかになります

足下の集落名は「石場」

この山から切り出された石も、下に見える浜から大阪城に運ばれたようです。

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頂上の巨石の割れ目からアカメガシワが新しい芽を出しています。

こんな場所でも生きていこうと一生懸命です。(*^_^*)

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負けじとホオジロが「一筆啓上 奉り候」とさえずり始めました。

飯神山は、神が降り立った「岩倉」で充ち満ちていました。(^_^)/~

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1974年に地形図作成のため国土地理院が撮影したものです。

クリックして拡大すれば、いろいろなことが「見えて」きます。

②現在郵便局のある永代橋のたもとが、まだ入り江です。

③オリーブ通りは、ここまで開通。ここからは工事中です。

④流下式塩田の施設が、まだ残っているようです。

⑤あずき島にかけては、のり網(?)が並んでいるようです。

⑥土庄高校のそばを流れているのが、世界一狭い「どぶち海峡」

このあたりで幅は10㍍未満です。

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一見、川に見えますが「海峡」です。

現在「海峡」には、「生徒専用の橋」が架けられています。

体育の授業には「海峡」を超えて、生徒がグランドへ向かいます。


下のHPに行けば日本全国の30年前の航空写真がみられます。

http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WF_AirTop.cgi?DT=n&IT=p
(国土地理院 空中写真閲覧システム)

住んでいるところの写真を見てみると「発見」があるかも?(*^_^*)

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汚れた海を見て、腹が立ったので
「口直し」に寒霞渓へ

いつもの通り「四望頂」バス停のモミジを見ると・・
寒霞渓の紅葉は、これにて終了。

今年の定点観測の記録を残しておきます。
一枚目 11月30日
2枚目 11月23日
3枚目 11月11日

4枚目、木の陰が落ち葉を、まとっているように見えました
これでは満足できない方は、紅葉台の方にお回り下さい。
里は、まだまだ見られますよ

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23日にお客さんを案内するので
下見に寒霞渓へ行ってきました。

いつものとおり、「四望頂」バス停のイロハもみじをチェック
先週の日曜日は、枝先3部ほどの紅葉でした。
今日は、全体に回っていますが下の方は、まだまだ緑。

おさるさんも紅葉狩りに来ていました。

四方指まで足を伸ばしました。
曇って、風も冷たいけど、空気は澄んでいます。
鳴門大橋も、四国の剣もはっきり見えました。

紅葉のピークは、予想どうり今週末くらいのようです。

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島外からのお客様を案内して、日曜日に寒霞渓に行ってきました。
登りはロープウエイ、下りは「表12景」を歩いて降りました。

先日の寒波で、朝の気温がぐっと下がったため
広葉樹は急速に色づき始めていました。

でも、稜線や登山道沿いのモミジは、まだまだこれから。
やはり、11月25日前後が「全山紅葉」のピークあたりになりそうです。

寒霞渓の紅葉のセールスポイントは、以下の3点だそうです。
[鮖砲涼罎如△發澆犬鮨⇔咾靴討たため「赤い紅葉」。
◆岼貶睇慣福廚隼躾佑詠んだように、奇岩の中の錦秋の変化。
青い海をバックにした紅葉をロープウエーで上から見れる。

案内した人たちからも、満足した声を聞かせていただき
島に住む者として、嬉しい日曜日となりました。

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小豆島を牛の形になぞらえると、喉の部分にある札所「西の滝」に登ってきました。
青い空に突きだした岩山に、へばりつくように伽藍が建っています。

島遍路で「○○の滝」と名前のつく札所は、修験道の場所だったようで
断がいと洞窟をあわせ持ち、展望も素晴らしい所が多いのです。

ここも山門から振り返ると、備讃瀬戸が眼下に見えます。
晴れてはいるのですが、靄がかかって視界はもうひとつ。
沖ゆく船はかすんで見えます。

浪もなく穏やかですが、ちょうど潮目時期なのでしょうか。
だれかが、海に文様を描いたように見えました。

紅葉には、少し早い島の秋です。

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銚子渓にあるお猿の国の展望台に登ってきました。
秋の快晴で空も海も真っ青。
毛繕いをしている猿まで青く染まりそう。

空気も澄んで岡山牛窓方面が、思いの外に近くに感じられます。
真下には残石公園のある小海(おみ)の漁港。

その沖には海苔網が規則正しく広がります。
ちょうど昼時、作業を終えた漁船が2隻、
白い航跡を残して港に帰ります。

石の上に座り込んで、
猿と一緒に、眺めていました。

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三都半島の付け根にあたる段山(551叩砲ら内海湾を見下ろしています。

一枚目、正面の山が島遍路の第一番札所のある洞雲山
    この下の町並みが醤油倉の並び、落ちついた雰囲気の苗羽(のうま)
    湾を外海から隔てる半島は、わずかばかりの砂州でつながっています。

天然の良港として、この内海湾は古くから利用されていたのが納得できる光景です。
いまでも台風が西日本を通過する際には、
瀬戸内海を航海する内航船100隻近くの船が、この湾に入って避難します。

2枚目は、その西で内海湾の入口にあたります。
    手前の山裾に開けるのが西村、オリーブ公園があります。
    湾を隔ててむこうがわが田浦。「岬の分教場」が、細いくびれた場所にあります。
 
二十四の瞳では、足をくじいた女先生は、
この海を伝馬船でこちら側の西村に帰っていきました。

その向こうの小さな島が福部島。
そのかなたに、四国志度の半島がかすかに見えます。
霞のかかった瀬戸の一日です。   

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例のごとく島を牛の形にたとえると、頭の部分が前島です。
その目のあたりにあるのが重岩(かさねいわ)です。
なんで、そんな名前がついたのか、それは写真を見ていただければ納得でしょう。

土庄港へ入ってくる船は、この下を通ります。
船からも、ぽつんと飛び出したこの岩が見えます。
 
重岩からは、どんな景色が見えるんだろう。
行ってみることにしました。

足下に見える集落は小瀬(おぜ)
島の最西端にある集落です。
すぐ真下に海が見えます。

隣の島、小手島(おてしま)との間の瀬戸を、
高松へ向かう船が行き交います。

寝っ転がって、秋の空を見るには最高の場所でした。

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豊島の唐櫃岡(からと)の集落の上の岡からです。
唐櫃港からフェリー「わかしお」が白い航跡を引きながら土庄に向けて出て行きます。

中央左ですれちがっているのが岡山航路のフェリーです。

右手中央の島が無人島の葛島。
そのむこうのやまなみは岡山の牛窓方面になります。

音もなく風もないおだやかな瀬戸の一日でした。

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島の高みをだんだん降りてきて、下界に近いところからエンジェルロードの二景です。

天上から降りてくると、世俗色がでてきます。

あしからず。

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小豆島の西にある豊島(てしま)の最高峰・壇山(337叩砲ら西方を見ています。

足下の集落が家浦。

正面の島が香川県では井島、岡山県では石島と呼んでいます。
島の真ん中に県境が走っています。

その向こうにかすかに見えるのが宇野港。
豊島航路は、この宇野港から豊島の家浦港と唐櫃に寄港し、土庄をめざします。

一直線の航路でなく島々の間を抜けていきます。そのたびに景色が変わるお気に入りの航路です。

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寒霞渓から北側の海を見ています。
足下の集落が大部。
ここからは対岸に見える岡山県の日生にフェリーがでています。

大部の沖に点在する島々が「残させ三島(みしま)」と呼ばれています。

左から小島 → 弁天島 → 大島です。

日生に向かうフェリーは、この島々を大きく右側に迂回するようにして

大部港を出て行きます。

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四方指(しほうざし・777叩砲ら福田方面を望んでいます。

遙かに見えるのが播磨灘に浮かぶ家島群島。
思いの外、近くに見えます。
採石のために削り取られた島が、地肌をだして私には裸にさされたようにも見えます。

白い航跡を残しながらやってくるのは、姫路と福田を結ぶフェリー。

海に大きく突き出た半島は金ケ崎。

船はもうすぐ福田港に入港です。

こうして見ると小豆島が備讃瀬戸の真ん中にあり、
海のネットワークの拠点であったことが理解できます。

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今度は、前島の高見山(153叩砲ら見てみました。
左から小余島 → 弁天島 → 中余島 → YMCAの島・大余島(おおよしま)だそうです。

潮が引いているので、今なら渡れそうです。
足回りをしっかりして、渡れば10分足らずで、「天子の降り立つ道」を渡りきれます。

その向こうに見えるのが、小豆島を牛にたとえるなら前足に当たる三都半島です。

春霞がかかり、眠たくなるような春の一日をここで過ごしました。

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土渕(どぶち)海峡から見上げるようにたつ皇踏山(394叩砲謀个蠅泙后
かつての中世山城跡が発掘され遺構が保存されています。
ハイキング気分で登るにはもってこいの場所です。
でも、観光客も地元の人たちもきません。
静かです。

ここからは余島方面がきれいに見渡せます。
余島に続く子余島・弁天島と砂州で、潮が引けば渡って行けます。

エンジェルロードと名付けたのは前町長だそうです。
ネーミングを変えるだけで、観光資源にしてしまう手腕はさすがです。

その砂州の付け根が、国際ホテル。
手前下の広い更地は・・ かつての東洋紡績の工場跡。
そして今は・・・
島の人はご存じ。

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小豆島ヴィラが建ち、別荘が建ち並ぶ(?)段山からです。
かつては、戦後の引き揚げ者が入植した場所であったと聞きます。
彼らが開いた畑も今は別荘地・・。

南の端の「石のレストラン」は、今はモニュメント化。
周囲の木々では猿たちが遊んでいました。

ここからの展望は最高です。
特に内海湾を見下ろす場所としては、私は一番好きです。
夏の花火をここからみるのもいいです。

写真は池田湾から白い航跡を残して国際フェリー「かめさん丸」が出港していきます。
そして、屋島方面からは「きりんさん丸」がやってきます。

平らな屋島が海に接するところが長崎の鼻
そして、その向こうに高松が見えるのですが・・

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前島の高見山に登ってみました。
360度のすばらしい展望です。
北側の土庄港をみると、岡山からのフェリーの臨時便が入って来ました。
紅葉のシーズンを迎えると、増える観光客に対応して土日には臨時便が出ています。
このフェリーは、そんなときに登場する両備運輸の「隠し球」的な存在です。

写真の左が前島、右が小豆島本島。
その間が「どぶち海峡」です。
この海峡は周囲を埋め立てられ、役場付近では数辰砲覆辰討靴泙い泙靴拭今では世界一狭い海峡としてギネスに登録されているようです。
でも、この海峡を通って漁場へ通う船を何回か見ました。
まだまだ、現役の航路なのです。

下の写真は、皇踏山(おうとざん)と淵崎の街並、そしてどぶち海峡です。

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