瀬戸の島から

金毘羅大権現や善通寺・満濃池など讃岐の歴史について、読んだ本や論文を読書メモ代わりにアップして「書庫」代わりにしています。その際に心がけているのは、できるだけ「史料」や「絵図」を提示することです。時間と興味のある方はお立ち寄りください。

カテゴリ:瀬戸の島と船 > 小豆島の集落と民家

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島を訪れたお客さんを案内して、田浦分校へ行って来ました。

二十四の瞳の舞台となった分校です。


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一年生が使っていた机と椅子です。


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教壇の上に置かれた紙芝居です。


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教室のオルガンです。


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この日も訪れた人の残したノートを読んで、時が過ぎて行きます。

予定した時間は過ぎています。

でも、次に行きますと声はかけれない雰囲気です。

一人一人が教室と対話をしているように私には思えて・・

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重油流出から3週間たった今日のどぶち海峡です

「世界一狭い海峡」の白いラインは、なんだと思いますか?


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海峡の狭いところにも張ってあります.

私には「てるてる坊主を並べた」ように見えます。

重油の吸収マットだそうです。一週間前には張られるとすぐに真っ黒になっていました

今はご覧の通り、真っ白(?)です。


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海岸では、汚れた砂を回収する作業が続いています。

黒くなった砂を、作業員がスコップで袋詰めしています。

袋はドラム缶に密閉されていました。


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そして、他の回収物と一緒に岸壁に集められています。

最終的には、その他の汚染物と一緒に島から運び出されるのでしょう。

被害にあった700を越える海苔筏も撤去が終わったと聞いています。


ドラム缶にして300くらいの小規模の流出事故の顛末にしてこれです。

県の報告では「海苔筏以外に、漁業や環境への被害影響はみられない」ということです。

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フェリー岸壁に並んだリヤカーたち

彼らは今も島では、現役で大活躍中です


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島のフェリーは、こうして荷物だけも運びます

そこで活躍するのが、リヤカーです

荷物を載せたままフェリーに乗せられます

高松には荷受け人が引き取りに来る仕組みです


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かつて船で荷物を各港に運んだ「廻船業」の名残りです

青い軽トラックは荷物を引き取りにきた回漕(かいそう)店のものです


ちなみに、新車のリヤカーはいくらくらいだと思いますか?


新車があったので聞くと、一台約6万円くらいだそうです

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島の港町を歩いていると
井戸が大切に保存されているのを見かける。

港町の家は、海に近いので水はよく出る。
しかし、塩辛く飲み水には適さない。

そこで、水筋のいいところに共同井戸が掘られている。
昔は、井戸の周りには人が集まり、話の花を咲かせたという。

古いお寺には必ずと言っていいほど、
一枚石を使ったしっかりした共同井戸が残っている。

いい水は、沖ゆく船の寄港の条件でもあったようだ。

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昨日に引き続いて屋島・四国村からです。

ここで、もうひとつ見ておきたかったもの。
小豆島の小部地区から移築された農村歌舞伎舞台です。

幕末に建てられ、人々を楽しませてきたこの舞台は、
映画やTVの普及とともに島では、使われなくなりました。

今は、屋島・四国村で野外劇場として、コンサートなどに使われています
第2の人生を、こういう形で送れるのは、幸せ者だとおもいます。

ついでに、今でも小豆島で現役で農村歌舞伎舞台と使用されているものを2つ紹介。
2枚目は、中山のもので10月に公演
3枚目は、肥土山のもので5月に公演があります。

あとひとつ、大阪に移築されたものがあるそうです。
これも、いつか会いに行きたいと思っています。

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牛の形をした小豆島、その肩にあたる伊喜末(いぎすえ)
冷たくなった風の中、原付を走らせる。

サツマイモの収穫が終わった畑に、イモズルが捨て置かれている。
来春の肥料になるため、地に還っていくのだ。
輪廻やな。と呟いていると・・

何かしら見慣れないものが、畑の向こうに2本見えてきた。
好奇心が騒ぎ出す。
原付を止めて近づいてみる。

芋づるを集めて、塔にしてある。
かつては、藁を集めて塔にした「藁ぐろ」は晩秋の風物詩だった。
では、これは「芋ぐろ?」

なんのためのものか、私の辞書には載っていない。
知っている人が、あればお教え下さい。

追伸
分かりました。http://app.blog.livedoor.jp/oh_live/tb.cgi/50043729をごらんください。

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島の丸瓦をのせたような古い民家の屋根。
この時期に白いネコのしっぽのようなものがにょきにょきと出てきます。

昨日のブログで「これ何ですか」と、
聞いたところ「ツメレンゲ」だと教えていただきました。

私の「発見」を報告します。

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△泙譴法△佞土をおいた古い民家の屋根にも根付く。
この時期に、「しっぽ」を伸ばし、白い小さな花をつける。
つ祖灰ロツバメシジミは、この葉しか食べない。
セ殻鄙陲箸靴討眇裕いあり、絶滅危惧種に指定されている。

最後にある新聞に載っていた老瓦職人の言葉を紹介します。
「名も知らん、ふき土を弱らせる厄介者やけど、
 長い年月を経た屋根にしか見ん。
 眺めていると、その家や町の歴史を雄弁に物語っているようで、
 敬意すら感じたねえ」

いろいろなことを、考えさせてくれた「発見」でした。
どうもありがとうございました。
今日、写真を撮り直してきましたので、再度アップします。

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土庄小学校の隣のしょうゆ屋さんです。

「古いええ建物やな」と思っていたら、
いつの間にか「登録有形文化財37ー0197~0198」に登録されていました。

島の醤油屋さんは、古い建物を大事に上手に残して、使っています。
近代化という波が一巡した今、これが貴重な物になっています。

でも今日のお題は、3枚目。
古い丸瓦の屋根に、この季節目立つこの草。

白い穂のようなものを出して、瓦の漆喰に根を下ろしているように見えます。
島以外の瀬戸の古い港町でも、よく見かけます。

図鑑を調べても私の力では、分かりません。
何という花か、知っている方、教えてください。

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日本名水のわき出す湯船山の札所から
ヒコバエが出始めた千枚田のあぜ道を下りていく。

見慣れない建物が田んぼの中に建っている。
遠くから見ると輝く水面が見え、お風呂のようにも思える。
う~む、こんな所に露天風呂かと一瞬、思う

近づいてみる。正体は?
湯船山の名水を引き込んだ共同洗い場だ。洗濯機も置いてある。
澄んだ水が、惜しげもなく流され続けている。

その上の田んぼでは、
もみがらを昔ながらの方法で、焼いている。
「芋を焼いたら、おいしいやろな」と、つい思う。

大師と同行二人というより
煩悩と二人三脚で歩いていた秋の半日でした。

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島を牛の形になぞらえると、後足の付け根の場所にある苗羽(のうま)の町並み。
島遍路で、このあたりの札所をまわっていると、懐かしい匂いがしてくる。

もろみのにおいだ。
このあたりは、醤油造りの蔵元さんが倉庫を並べている。

よく見ると「登録文化財」の認定書が、あっちにもこっちにかかっている。
これだけの狭い場所に、「登録文化財」が密集しているのは、四国ではここだけだろう。

中をのぞいてみると、大きな木の樽が置かれ、今も現役で使われている。
そういえば、二十四の瞳の壺井栄の父も醤油樽作りの職人だったと聞いている。

汗にまみれた若い頃の苦労の連続が、薄暗い蔵の中でもろみを醸し出すように、
彼女の胸の中で暖められ、40歳を過ぎてから作品として結晶していったのかもしれない。

そんなことを考えながら醤醢の町並みを、
次の11番札所の観音堂めざして歩いた。

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島遍路をしていると、札所の墓所で必ず見るの。
それがこのピラミッド。

古い墓石を集めて、積み上げている。
処分するのではなく、集めて積み上げ新たなモニュメントになっている。
島らしい気遣いだと思う。

更地になった墓地には、新しい墓石が並んでいる。

どうも同じ時期に、島全体で一斉にこの「ピラミッド」作りにとりくんだ気配。
古老にきいても、町史を調べても、分からない。

私にとっては島の七不思議のひとつ。

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秋のよく晴れた朝の内海湾。
晴れてはいるんですが朝靄が出ています。
鏡のような海をサン・オブ・シーが航跡を残して高松へ出港していきます。

船の向こうの半島の低くなった所に、
映画「二十四の瞳」で使われた「岬の分教場」があります。

こちら側の西村地区から向こう側の田浦までは、直線距離では2丗らず。
船で行けば数分の距離です。
でも、陸路だと、ぐるっと内海湾を回らなければならず13劼砲覆蠅泙后
それを、小説の中で大石先生は自転車で通いました。

岬の分校のセットは、海のすぐそばにあり潮風を受け、
年月を絵重ねるにつれ存在感を増したように見えます。

教室の中は、昭和の初めの雰囲気が残されています。
机に置かれた訪問者ノートには、教師の卵の決意が書き込まれたりしています。

ロケーションがいいからでしょうか、
観光地ですが、私にとっては落ち着く場所です。

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丸瓦の上には茅葺きの屋根。
8枚の木戸
一見すると、島の庄屋さんの古い大きな邸宅のようにも見えますが・・

これが変身すると・・
農村歌舞伎の舞台に早変わり。

この地区の人たちが毎年10月に小さい部落毎に、順番に公演を担当します。
昼間から夕暮れまで、演目は続きます。

前の方に陣取るのは、舞台に上がっている地区の人々や親族たち。
「わりこ弁当」持参で、酒を交わしながら、
舞台を見ているのか酒を飲みに来たのかわからない、賑やかな客席です。
でも、本当に楽しそう。
もちろん、桟敷席もありますよ。

こういう観劇もあるのです。

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最初下から見たときには、「島のコロッセウム?」かなと思いました。
そして、次にだんだん畑? 千枚田 ? いや墓地の予定地かな?
それにしては、石垣がふるびているけど?

正解は・・・
秋祭りのちょうさ(太鼓台)のかきくらべの桟敷なのです。
八幡神社の山の傾斜をうまく利用して、江戸時代から使われてきたようです。

そしてこの桟敷席は、個人の所有物で売り買いもされています。
まつりの当日、いい桟敷席に親戚や友人を招いて、
かきくらべを見るのはかつては、島のステータス・シンボルでもあったようです。

先日の日曜には、秋晴れの中、多くの人たちが桟敷の高みから
祭りを楽しんでいました。

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神浦(こうのうら)と読みます。
小豆島を牛の形にたとえると、その前足が三都半島。
その前足の甲に当たる部分にあり、島では最南端の集落です。

皇子神社のある権現崎が集落と港を西の風から守ります。
地形から見ても、備讃瀬戸を行き交う沖乗りの船の風待ち・潮待ち港として、
非常の際には利用されたのではないかと思います。

塩飽の島々に共通する焼き杉の壁と、
積み上げた石垣が特徴的な落ち着いた民家が続いています。

小高い丘に登ると、穏やかな瀬戸の海が広がります。
私の好きな集落です。

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〇?綣圈、 碁会所 → 石橋 → ぞ臆亜,箸瓩阿辰浸笋痢崢湘腑好織鵐澄璽鼻弭圈
最後のゥ團鵐櫂鵐ャラリーをめざす。

美術館巡りと言うよりも、遊び心で作った「隠れ家」めぐりをやっているよう。
さぬきうどんのデープな「隠し球店」を、地図も持たすに迷いながら探し当てる気分。
さて次は、どんな「家」が、私を待っているのか。

自転車のペダルを、こぐリズムも軽い。
そりゃそうだ、来るときは上り坂、帰るときは下り坂。
鼻歌も出てくる。
「いい日旅立ち」だ。

5分ほどで、三菱マテリアルの生協があるカーブへ到着。
その坂の下に怪しげな建物。
古びたトタンの屋根や壁が、ペンキで白く塗られている。
老婆が、白い厚化粧をしたような印象。

入口の扉の
上には「幼稚園」の紋章、
左には「卓球場」の木札。
ここはいったい何?

にこやかに入口で迎えてくれた女性にたずねる。
「なんでピンポンギャラリーなんですか」
その答によると

,海侶柀の起源は、木造の「牛舎」としてスタート
△修慮紂一部を増築し「幼稚園」へ
さらに、閉鎖後は地元の奥さんたちの「卓球場」としてリニューアル
い海竜_颪法嵌?儡曄廚慍變錣癖竸函

「戦後の大波」をくぐり抜け、生き延びてきた建物だ。
これを聞いただけで嬉しくなってくる。

展示してある作品よりも、この建物自体が主役のように私には思えてくる。
多分、作者の意図もそんなところにあるのでは・・。

説明してくれた女性に「福竹(失礼ベネッセ)の職員ですか?」と尋ねると
「いいえ、ボランテイアで神奈川県からきています。12月までここでいます」
とのこと。
どんな運営方法がなされているのかも、気になった。

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「歯医者」「石橋」へ行って、この企画のコンセプトが私なりに分かってきた。
4番目の「床屋」に自転車で向かう。

直島の北は、三菱マテリアルの天領のようなもの。
夕張炭坑や別子鉱山にあったような社宅が道路の両側にならぶ。

時代を経て自然の中にとけ込んでいるように感じる社宅群だ。
ゆるやかに続く坂道を立ちこぎして、登っていく。

島の北にある工場手前のカーブに「床屋」はあった。
こんどは通り過ぎることはない。

屋根に、たこと富士をいただくなんて、銭湯の絵を思い出す絵柄だ。
ふざけている。でもにやりとしてしまう。

店じまいしたまま、何年も放置された床屋の外観。
今度は、どんな企みがと・・。
ワクワク

誰もいない。ボランテイアの係員が一名だけ。
入ってみる。
そこは・・・。

たこに占領された空間でした。
詳しくは書きません。
一番奥の部屋でくつろぐ大だこのおやじとさしで話してきました。

しかし、高校生の文化祭の企画と同水準。
最初は、肩すかしを食らったような感じ

でも、細部にまで凝っているので、だんだん楽しくなってきくるのです。
さすがプロのしごとです。

さあ、さいごはピンポンギャラリーへ

蛇足
この付近、かつては工場の煙害で木々が枯れ丸裸の風景がつづいた所。
自然の治癒力と人々の努力により緑が還ってきています。
時の流れと風景も変わっていく。当然のことに気づいたのです。
 

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「歯医者さん」で「チケットをお求め下さい」とすげなく撃退された私。
本村のJA支所を改造したただぴろい事務所でチケットを手に入れる。2000円なり。
このチケットで5つの作品と常設の「家プロジェクト」の全てを見ることができる。
家プロジェクトは以前に「体験」しているのでパス。

反撃開始。
まずは一番近い「碁会所」
庭に植えられた椿と,
その下にしつらえられた岩松が水を欲しがっている。

プランとできたものの乖離。
まあ、こんなもんでしょう

そして、「石橋」へ。
たどりつくまで、海に注ぐ川にかかる「石の橋」ぐらいをイメージしていた。
狭い通路と焼き杉の壁が続く瀬戸の港町を行く。心地よし。

「石橋」到着。
これは真っ正面から正攻法でとりくんでいた作品。
荒れ果てていた島一番の塩田主「石橋家」の豪邸に手を入れ、「作品」に仕立てたもの。

これには、私は考えさされることが多かった。
「アートは過疎を救うか」なんて自問したりしていた。

母屋とつながる海鼠塀の倉、そして土間に敷き詰められ石畳。
居心地のいい空間ができあがっていた。

そして、そこには「石橋」もあった。
ユーモアを感じてニヤリ。

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土庄と直島を結ぶ「季節・曜日限定運航」の「アート・シャトル」の初日便に衝動的に飛び乗った。
でも、この便は朝の一往復のみ。

家の浦港についたはいいが、今度小豆島に直接に帰る便はない。
高松経由か宇野経由。

どうしょうか。
港の赤いカボチャの前で『考える人』になる。

せっかくきたのだからこの際に私も「アート」なるものを楽しんじゃおうと、
港前のレンタルサイクルを借りていざスタート。

この時点では「スタンダード2」が、なんたるものかを全く知らず。
「地中美術館の方でやっているのだろう。もうあすこはええわ」という気分で、
港町の雰囲気の残る本浦へペダルをこぐ。

設計士が「ええ仕事しとるな」と思わせる小学校・中学校の建物前の坂道を下っていくと・・。
白いコンポストに「standard2」と書かれたものが道路の片隅にある。
なんなんこれ?? 
見回しても何もない。とたんがさびて古ぼけた洋館風の建物があるだけ。

上がっていくと、受付の女性が「チケットを拝見します」と言われる。
そんなもの持っていない。
スゴスゴ撤退。
その時に撮った写真がこれ。

さて、この中にどんな「アート」が・・。うーん好奇心はわいてきたぞ。
以下は、次の機会に・・

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鏡のように穏やかなうち海。
そして、海に面してたつ瓦をのせた旧家。

そんな風に見えますが、この建物はかつての旅館。
映画「二十四の瞳」で、戦後に生き残った教え子と
ささやかな同窓会を開く料亭としても使われていました。

いまは、廃業して表から見ると荒れています。
でも上から見ると、屋根の瓦や建物自体はしっかりしています。

私の中の「瀬戸のとある港の豪商、あるいは網元の豪邸」というイメージに
ぴったりの建物なんですが・・・
残念ながら白壁の倉がありません・・

向こうに見える島は、余島とエンジェルロードです。

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この付近は、かつての港から西光寺にかけての門前町の風情が残っている所です。
自然の石を積み上げた石垣やなまこ壁など、島独特の雰囲気がします。
かつて、尾崎放裁が島にやってきて歩いた道並も、こんな感じだったのでしょうか。

また、この付近は「土庄の迷路」とも呼ばれ(?)、狭くて曲がりくねた道はどこに続いていくのか、
よそ者にはまったくわかりません。よく迷子になります。

でも、その迷路性がおもしろく「道を失い」に散歩に出かけます。

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男木島の西側に密集する集落
入母屋・丸瓦葺きの民家が数多く残ります。

しかし、人の住まなくなった家は、ツタが覆まっています。
更地になった空き地には、ぽつんと井戸だけが残っていました。

かつてはここも備讃瀬戸の潮待ち港として多くの船と人が行き交った港。

いま水仙郷にすべくおばさんたちが灯台に続く道沿いの急斜面に球根を植えていました。
今度は水仙が満開になる頃に訪れたいと思いました。

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小豆島の隣・豊島の唐櫃岡は、私にとっては魅力的な集落だ。
坂に狭い道
家並みの向こうに見える海
時代を経た民家が並ぶことで、かもし出される懐かしい雰囲気。
それぞれの家の個性的な庭
等々

そして、唐櫃には人々を、ここに定住させた泉が大切に守られている。

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