瀬戸の島から

金毘羅大権現や善通寺・満濃池など讃岐の歴史について、読んだ本や論文を読書メモ代わりにアップして「書庫」代わりにしています。その際に心がけているのは、できるだけ「史料」を提示することです。時間と興味のある方はお立ち寄りください。

カテゴリ: 旅の窓から

上海発 烏鎮行きの乗合周遊バスのチケットを170元でゲットし、高速をノンストップ90分でやってきた烏鎮。東柵前の駐車場で集合時間15:30を確認し解散。
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 入ってみての印象は、人が少ない、きれいに修復がされ、建物も手が入っている(暦年風化が感じられない) 生活感が漂っていない。
良くも悪くも、映画のセットの中に入ったような空間。しかし、水郷をとりまく水路や店舗、住居等は本当に能く保存されている。興味深いものばかり

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東西に通る水路に面して、水面に張り出すように家々が並ぶ。水路の北側にメインルートが通っているようだ。
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東の「川港」には雁木の広場。ここからいろいろな交易品が積み出され、その一部は大運河を通って北京へ向かったのだろうか。
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水路奥のメイン通路を歩く。冬期のためか閉じられた家が多い。生活感のない家が多い。開演して間もないせいか人通りも疎ら・・・しかし、午後を過ぎると「遠足」の児童達などでいっぱいに・・・
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坊の境に立つ門(?) 
通り沿いにかつての豪商の店舗や住居を利用した博物館がいくつかあり、その内部構造などをみることもでき興味深い。
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しかし、ここの売りはやはり「水郷」
この水路が主役のように思える。水路に架かる橋の上から家並みや行き交う船を眺めていると飽きない。
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日溜まりの橋の上は人気ポイント。だが一月の風は冷たく長くはいられない。
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歩いていると絵になる景色ばかり。
船に乗ってみることする。
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乗り場の船だまりから出航。
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観光シーズンは大混雑の烏鎮もこの時期は、閑散として船も私たち二人で貸し切り状態。手こぎ船がゆったりと水路を進みます。時間までがゆっくり刻まれているかのような感じがしてきます。

上海発 烏鎮行きの周遊乗合バスのチケットを手に入れるまで

高松発上海行の春秋航空のチケットを手に入れ、LCCなるものを体験するのが目的のひとつ。上海で5泊するが、どこへ行くかは決めていない。
水郷の西糖に行きたいとホテルの受付に相談すると、ここへ行けとカードを書いてくれた。
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「上海旅遊集散中心」で地下鉄1号線の上海体育館駅で下車し6号出口から地上に出よ。そして西糖行きの旅遊バスのチケットを手に入れよというミッションであった。
非常に分かりやすい。9:10分に出発予定であるから1時間前にはホテルを出た方が良いと、全て日本語で話してくれる。30年前の中国のホテルとは大違い。
感謝 謝々
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翌朝、教えられたとおり地下鉄1号線の上海体育館駅6号口より出ると体育館が現れ、さらに歩くと
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道の向こう側に「上海旅遊集散中心」らしきものが見えてきた。

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案内板の通りエスカレーターで下りると、そこが周遊バスのチケット売り場だった。
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 西糖行のばすがあることも確認し、ホテルで書いて貰ったカードを見せて、「ここに行きたい。2枚欲しい。」と日本語オンリーで押す。
すると「没有」の一言
冬期平日は西糖行きは運行していないとのこと。
うーん 道は閉ざされたかと思いきや
「9時出発の烏鎮行きならあと2枚ある。どうするか。」との誘い。
我々は、西糖に是非行きたいわけではない、
何処か行くところはないか、郊外の水郷の何処かへ行こうか・・的な感じであるから
その誘いに飛びついた。こうして手に入れたのがこれ
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値段は170元 しかも烏鎮東柵入場券と各施設への矛盾の生家などの入館券も付いている。日本の業者が扱っている「専用車+ガイド+昼食」付チケットに比べると1/3程度という優れものだ。
しかし、入れるのは東柵のみ、西柵には入れないということのようだ。
座席番号は1号車のNO10。どんなバスが現れるのかと期待大で待っていると
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やってきたのは、これ。
そして乗り込んだのは
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定員10名。確かに私たちが最後の2人だったようです。
私たち以外は8人の団体グループのようで車内は賑やか・・・
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西糖行きが急遽、烏鎮行きとなった水郷巡り。
体育館を右手に見ながら「バス」は出発。
ちなみに、運転手さんは冬でも窓を開けて走る。暖房は入れない。耐寒訓練も兼ねたバスツアーとなった。
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途中でどこかで休息するかと思いきや時速120㎞で走り続け90分で到着。
確かに烏鎮東柵前の入場口前の駐車場だ。集合時間を確認し、バスは何処かへ消えていった。
後は各自でどうぞというスタイル。
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こうして我々は烏鎮まではやってくることが出来た。
さてこれからどうなりますやら・・・・

沖縄石垣島 石垣港で離島航路を行き交う船を眺めました。

今回の石垣・西表への旅のミッションの一つが石垣港の出船入り船をウオッチングするというもの。そのために選んだのが港に東面して立つ東シナ海ホテル(「本名」はイーストチャイナンシ・ホテル)。その部屋に4泊して見えた物の報告です。
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目の前一杯に石垣港が広がります。
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離島ターミナルまでは歩いて1分。
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真西に落ちていく太陽の方向に西表 与那国島があります。

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翌朝、明るくなる7時頃から離島航路の始発便の高速艇が次々と出航していきます。
その数の多さは「日本一」かもしれません。目を覚まし活気づく港です。
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港の主役は高速艇です。西表や竹富以外にも多くの島を結んでおり、便数も多い。
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しかも、ここでないと見えない船もあります。
大型巡視船が10隻近く停泊しています。尖閣諸島警備のために投入された大型巡視船がここに配備されています。そのため、海上保安庁の配備人数がもっとも多い港の一つのようです。
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瀬戸内海ではなかなか見られない光景です。
同時にここが「国境」に近い島であることを改めて気付かされました。


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散歩していると港の入口に、大きな客船を発見
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 台湾や香港からのクルージング船だそうです。船が入ってきた日は、街は観光客で一杯になります。多くの外貨が落ち、島が潤っていることが感じられます。
「離島で人口が増加しているのは、日本中で石垣と西表だけ」という話が納得できます。
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サザンゲートブリッジの盤には西に向かって台北まで270㎞ 香港まで1100㎞ とあります。ちなみに東京までは約2000㎞。那覇よりも台北の方が近い。
国境の無い時代、ここは東シナ海の港と深く結びついていました。
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サザンゲートブリッジから見えたこの船。
「はてるま」と船名が見えます。波照間島と石垣港を結ぶ定期船です。

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その向こうには、もう少し大型の定期船が停泊しています。
与那国島を結ぶ「よなくに」です。私が宿泊している7日間は動きませんでした。
波が高いため欠航状態にあったのかな?

活気ある南の島の港の船の出入りを眺めるという願いがかなった旅になりました。

西表島 ピナイサーラよりの帰路

冷たい北西の風が吹き付ける3月初旬。ピナイサーラへのカヌーでアプローチ編を前回は紹介。今回はその帰路編です。
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昼御飯にコッフェルで作っていただいたそうきそばは出汁も麺も最高。冷えた体によくしみ通りました。感謝。
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でこぼこの巨木のゲートを通って

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15分足らずでカヌー係留地に帰ってきました。

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帰りは配偶者は、インストラクターと同乗。
相変わらず口は回るがオールは回りません。
それでもすいすいと進みます。
帰りはゆっくりと木々を観察しながら進みます。
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下るにつれて川幅も広くなります。
マングローブのおかげで風も受けません。
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ここが合流点。右に行くと河口です。
左に入り支流を遡ります。
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追い風を背に受けて漕がなくても進むほどでした。

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そして、ゴール。上陸です。
これで午前の部は終了。後半は、鍾乳洞の探索だそうです。
さてどうなることやら・・・・

沖縄西表島 カヌーで遡って、ピナイサーラ(滝)まで

海中道路から見えるピナイサーラ(滝)に、カヌーでアプローチするというツアーに参加しました。お世話になったのは「おさんぽ気分さん」。

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河口から遡るのかと思いきや、山の中に入っていきます。自動車を下りて川に下りていくと「カヌー基地」があり乗船。
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早朝から入っていた修学旅行の女子高生たちが帰ってくるのと出会いました。
この辺りは「上流」で川幅も狭くいっぱいいっぱい。
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二人乗りのカヌーを選んだのですが前に乗った配偶者は、漕ぐ気はなし。
運転手は君だ、写真を撮るのは私だという感じ。
マングローブの根がよく発達しています。
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合流点まで下って、別の支流を遡ること40分。
前方に沖縄では一番、落差の大きい滝が見えてきました。
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カヌーを係留して、ここからは歩き始めます。

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大きな盤根を持った木が行く手に現れます。

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彫刻のフォルムを思わせる巨木も現れます。
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そしてピナイサーラに到着。
強い北西の風で滝が斜めに落ちていきます。
後半は次回へ

30年ぶりに芸北の恐羅漢に行く。

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牛小屋高原のエコロジーキャンプ場で前泊。

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ミズナラやアカマツの木立の中のキャンプ場を独り占めして気持ちの良い朝を迎える。
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砥石郷との鞍部にあたる夏焼峠に向かってミズナラの林の中を歩く。
昨日の雨上がりの後で、沢からは水の流れる音があちこちから聞こえてくる。
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所々にベンチやテラスが設置され、高低差も少ないため快適な森歩きができる。
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次第にトチや沢ぐるみの巨木が混じるようになる。
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小さな尾根を越えるとブナの子ども達が姿を見える。
かつて芸北ののブナの原生林は臥竜山を除いて、伐採された。
稜線沿いに残されたブナの母たちが飛ばした種子が広がり、再びブナの幼木が育ちつつある。40年以上の年月が経ち、ブナ林はよみがえりつつある。
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ゆっくりと森を楽しみながら歩いて50分で夏焼峠。
真っ直ぐに行くと中の甲を経て奥匹見峡へと続く。
稜線を恐羅漢に向けて南に進む。
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夏焼けの丘から台所原にかけての稜線で、ブナの巨木が迎えてくれる。
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山葡萄の葉が赤く紅葉し、黒い実をつけている。
ナナカマドも赤い実をたわわにつけている。
今年の森は豊穣だ。豊かな実を求めて、北からやってきたばかりのツグミやシロハラが集まってくる。南に帰る夏鳥達も混じる。
双眼鏡を取り出して「鳥見」。さえずりがあちらこちらから聞こえてくる。

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 早手のキビレ付近では紅葉が盛りになっていた。
葉っぱを拾ってみるとハウチワカエデだ。
天狗がもっていた団扇の形に似ている。
同じ葉っぱでも色づきが異なる。不思議なものだ。
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そして頂上直下へ。ここまでで約二時間が経っていた。
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恐羅漢頂上へ

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展望は360度と言うわけにはいかない。南や西方面は灌木で視界は開けない。
やはりこの山からの眺めは北方がいい。
掛図から臥竜の稜線のラインは美しい。

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そして、なにより深入山のどっしりした山容とドーム状の山頭が愛らしい。
この日は、天候が不安定。山頂もあっという間にガスに包まれ視界が効かなくなった。
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帰路は立山分岐からスキー場経由のルートをたどる。
紅葉が始まった木々の尾根を下ると・・・。
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スキー場の最上部に出る。
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立山ルートを直登してくるグループとすれ違い、ゲレンデをジグザクに走り下りる。
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下りきったところにあるのが広大WV部の山小屋。
綺麗になっている。
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牛が放牧されていた牛小屋高原。
そして開拓者達が入植し、戦後拓かれた場所。
そこはスキー場やキャンプ場となり、その痕跡を探すのは難しくなっています。
しかし、変わらないものはここにはたくさんありました。
私にとっては魅力的な場所の一つです。

吉野川を見ながら樹上散歩を楽しんでいました。

10月10日(月)来年、吉野川で開催予定の世界ラフテング大会の国内選考会を兼ねた大会がありました。
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スタート視点は大歩危のウエストウエスト。大会期間中は展望台が無料開放されていました。
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快晴の吉野川に、ラフテングが集められ13:30分のスタートに向けて準備が整えられています。
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ここにはモンベルのお店も入っています。ラフテングやカヤックの受付も行っています。私もカヤック講座受講の際にはお世話になりました。
今回新しくこんな施設も登場していました。
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樹間に張られたロープの上をゆらりゆらり。歓声が谷に響きます。
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すぐそばは吉野川。
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踏み出す足に緊張感が張り詰めているのが分かります。
父親と楽しむ子どもの姿が多かったように思います。体験型のスポーツのひとつといえるのかもしれません。いい経験してるなと感じました。
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その前をアンパンマン列車が通過していきます。

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 スタートまでの時間を、吉野川の流れを眺めながら過ごしました。

北海道摩周湖第三展望台 瞬く間に霧に包まれました


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硫黄岳でイオウをたっぷり吸い込んで、摩周湖の第三展望台に上がっていく。
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屈斜路湖や硫黄岳方面はガスに包まれている。
摩周湖はどうだろうか。
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展望台に向かう
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摩周岳は笠雲の中、姿を見せてくれないが・・・
摩周湖のカルデラと湖面は見渡せる。
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摩周湖の「えくぼ」カムイシュ島(中島)がより近くで迎えてくれる。
摩周岳も真横から眺められる。
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第一展望台方面を眺める。
ここは摩周湖の3つの展望台のなかでも、標高701mで一番高い。
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裏摩周から釧路湿原を越えてやってきた太平洋産の雲が湖面に架かりだした。
すると、
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一瞬で、カルデラ全体から滝雲が下りてきた。
瞬く間に湖は霧に包まれた。

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 目線を湖面に落とすとダケカンバの幹が白く印象的だ。
「森と湖と火山」という三役そろい踏みの風景を楽しませてくれる。
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第一展望台に場所を変えて湖を見る。
ガスが少し晴れた。
同じ湖なのに、見る場所よって色も姿も違って見えてくる。
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いろいろな光景を眺めて、最後に視線が行くのはやはり、この小島。
 カムイシュとはアイヌ語で「神となった老婆」という意味。
伝説では
『コタンの強い首長が戦死してしまい、その首長の母が孫を抱いて闇にまぎれて逃げたそうです。しかし山野をさまよっているうちに命よりも大切な孫を見失ってしまい、行く日も探し続けて摩周湖のほとりまで来て、カムイヌプリ(摩周岳・神の山)に休むことを願い出ました。湖の中ほどで休むうちに老婆は悲しみと疲労で島になってしまいました。』
この島がカムイシュ島だと伝えられている。
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この島、水面からの高さは31mだが、実は湖底からは約240mあるそうだ。
つまり、そのほとんどが湖の中に沈んでいて、火山の頂上がほんの少し水面上に出ている。人間で言うと頭の一部が見えているのに過ぎないということ。
 巨大化したお婆ちゃんが頭だけ出して顔も、胸もお尻も足も湖の中で休んでいる姿。
そんなことを想像していると、霊気=冷気を感じて肌寒くなってきた摩周湖でした。

9月末 屈斜路湖を源流とする釧路川をカナデイアンで下りました。
お世話になったのは「SOMOKUYA」さん。

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8:30 コタンの湯を出航です。

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昨日は風が強く波立ってきた湖。
今朝は鏡のように静かです。
周囲の山々が湖面に映ります。
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台風の余波で湖面は高い状態が続いているようです。
台風で根こそぎ倒された倒木もあります。
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湖から流れ出す源流地点の橋は、水位が高く頭をぶつける危険性があるためいったん下船。

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橋をくぐって再度乗船。
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ここからは滑るようにカヌーは進みます。
インストラクターさんにパドルは任せて、一番前で移りゆく景色を楽しみます。
赤く色づいているのは山葡萄。
ミズナラは紅葉にはまだまだです。
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本州の川とちがい人工物がほとんどありません。林の中を川が流れている感じ。
倒木もそのまま川に倒れ込んでいます。
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ありのままの本来の川の姿を、見せて貰っているような気がしてきます。
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水量が多く、普段は入れない林の中にもカヌーで入っていくことができました。
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「鏡の間」ではニジマスの主にも出会いました。
お腹があかくなっています。わかりますか?

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淀みに艇を入れて、コーヒーブレイク。
こんな場所で暖かい珈琲が飲めるとは思ってもいませんでした。
贅沢な時間が流れます。
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再出発です。
丸山の山陰を抜けて牧場にそって流れて行きます。
周囲がだんだん明るくなりました。
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ここがショートコースの上陸点。
もう少し流れます。
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みどり橋が見えてきました。



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本日は水量が多く、ウエイブが大きいためにみどり橋を越えたところで上陸。
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2時間掛けて下ってきた釧路川。
自動車で走ると5分で「somokuya」さんに到着。
船時間と自動車時間の異次元差を改めて感じます。

硫黄岳で掘られた硫黄が弾薬等の原料として、川船に乗せられて下ったルート。
多くの川船が行き交った歴史があるようです。

屈斜路湖畔の小さな小さな温泉 三香温泉 

今回の旅で一番気持ちがゆったり出来たのはここでした。
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和琴半島にほど近い湖畔の温泉でお世話になりました。

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森の中に溶け込むような風情。

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玄関を入ると迎えてくれたのは薪ストーブ。
珈琲を頂き、ご主人との話のやりとりが心地よい空間でした。

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窓の外にはサンクチャリー。
ヒガラ・コガラ・ゴジュウカラなどカラ類がひっきりなしにやってきます。
エゾリスもやってきていました。
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早速、お風呂に入ります。
広い敷地の「裏庭」に露天風呂はありました。
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脱衣場にもストーブがあります。

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だれもいないようです。

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いい味がでています。
木立の向こうは屈斜路湖です。
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こずえの間をえさ場に集まるカラ類が飛び交います。
湯船から「鳥見」ができます。
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おおきな温泉ホテルの大浴場もいいのですが、こんな鄙な温泉はもっと好きです。
時を忘れるくらいぼーっとして湯に浸かっていました。
その間、湯の流れ込む音と鳥たちのさえずり以外、何もしません。
時が止まっている感じ。
いい感じです。
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畑シメジだそうです。
牧場の中でとれるからそうよばれるようです。
翌朝の味噌汁でいただきました。
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同じテーブルの上には、こんなものも置かれていました。
「楽天トラベルアワード リトルスター賞」にも選ばれているようです。
なんとなくその理由がわかるような気がしました。

 今回の旅行で幾つか越えた峠の中で一番印象に残ったのは美幌峠


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美幌国道を屈斜路湖に向けてトドマツの森林の中を緩やかに登っていくと視界が広がり道の駅が現れる。

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駐車場から階段を登って展望台をめざす。
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この日は快晴。素晴らしいパノラマの景色が待っていた。
眼下に屈斜路湖が広がる。
その中に中島がぽっかりと浮かぶ。
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東方面は、峠から屈斜路湖に続く国道が笹の原を下っている。
この国道はここまでが美幌国道、そしてここからはパイロット国道を名前を変えるようだ。
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南方面は、屈斜路湖がどーーんと広がる。
そして、はるかに斜里岳を始め阿寒の山々が一望できる。
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 西側も壮大な笹の原が続く。
笹原歩きが大好きな私としては、この高原を美幌牧場まで歩いて行きたいところだが・・
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ヘアピンを描きながら下る国道の周りは白樺の幹が囲む。
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旅の疲れが溶け、心が伸びやかになる効能を持つ美幌峠からの眺めでした。

支笏湖 プチ・クルージングを楽しみました
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 お気に入りとなった丸駒温泉の大露天風呂。
チェックアウト前の9時過ぎに3度目の入浴。
誰もいない。
独り占めで贅沢に楽しんでいると・・・
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クルージングの案内が館内放送で流れた。

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こりゃ行かねばなるまいと、衣類を身につけて早々に桟橋に向かう。
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 桟橋に私たちが着くと船はすぐに離岸した。
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 湖に出て丸駒旅館を振り返ると、恵庭岳がすぐ後にそびえている。


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 恵庭岳を右手に見ながら船はオコタンベ川の河口のオコタンまで走る。

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カルデラ湖は「ドン深」で、岸から200㍍も離れると水深が300㍍近くもあるという。
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湖面から360度のパノラマを楽しめる。
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帰りは岸沿いをゆっくりと走る。
かつてアイヌが熊狩りの際に、熊を誘導し湖に落として仕留めたという「熊落としの岸壁」で、トランペットを吹くと山彦が湖に木霊する。
神秘的な雰囲気がしてくるから不思議だ。

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神秘的湖面から帰ってくると温泉は日帰り客で賑わっていた。
さて「日常への回帰」に向けて心の準備を始める。
一週間の北海道旅行の終わりが近づいている。
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ちなみにかつては丸駒温泉は「陸の孤島」。
支笏湖温泉街から宿専用の「丸駒丸」で、宿泊客を運んでいたそうだ。
宿の前の桟橋は、その名残なのだろう。


北海道らしい牧場を訪ねて見ました

「見渡す限りの緑の牧場と草を食む牛たち、広がる大地と連なる山々、そんな北海道らしい景色の中に身を置きたい。」と相談すると、勧めてくれたのがここ。
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  場所は大雪山系・石狩山地の南端部、ナイタイ山(標高1232m)の山麓。
北から十勝平野を見おろす高原に牧場が広がる。
広さは、東京ドーム358個分で1700ヘクタール
上士幌町が管理する、牧草地面積日本一の牧場(公共の牧場として)だという。
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道東自動車道の音更帯広I.Cから、真っ直ぐに北へ約35km程走る。
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やっと牧場の入り口ゲートにたどり着く。そこからが牧場内。
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道は緑の草原の中を走る快走ルートへと変わる。
ゲートから展望台までが7㎞。
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途中の駐車場に車を止めて、雨上がりの風景を楽しむ。
一気に展望台まで走ってしまうには、もったいない。
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十勝方面は、まだ雲の中。
しかし、山裾まで長く伸びた牧場が見渡せる。
雲のおかげで幽玄さを感じる。
これはこれで「いとおかし」

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ここは、生後6ヶ月以上の乳牛を預かり、受精させて飼い主に戻すことが目的とされた町営牧場らしい。
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2000頭以上もの牛が放牧されているというが、牧場が広すぎるのか、草原を見渡しても牛はまばらにしか見えない。

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展望台横のレストハウスは、平成27年10月の強風被害により全壊。
そのため平成28年はH28年4月29日(金)から仮設店舗での営業中だそうだ。
雨上がりの後で風も強く寒さを感じたので、ここでホットミルクを頂きました。
美味でした。

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ここで景色を眺めていると、縮こまった飼い慣らされて心を、自然に帰してくれるような気がしてきました。

丸駒温泉 大露天風呂に浮き輪があるのはなぜ?

9月末からの一週間の北海道旅行 最後の宿は支笏湖の丸駒温泉。
「秘湯の湯」のメンバーでもあるようだが、千歳空港へ一時間余りで行くことが出来るのでアプローチ面では「秘湯」という感じはしない。しかし、支笏温泉街から湖の対岸にある一軒宿なので「秘湯感」は漂う。
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早朝、朝日が昇る頃に大浴場から階段を下って、湖沿いの廻廊を渡っていく。
木の階段の向こうに露天風呂のへの出口が見えてくる。 

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だれもいない。
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湯船の向こうはすぐ支笏湖。
ちなみに右側の堰堤(?)は風呂を護るための波よけ。
ここは湖の一部で、エビやウグイが飛び跳ね、ウミウが羽を乾かしていました。
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ここからの展望は最高。
心の窓を開かせてくれるよう。
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岩で囲まれた「湯船」に入ってみると・・・・
こんな感じになりました。
湖の水位と同じなのがよく分かります。

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湯は透明で底がはっきりと見えます。

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敷かれた板が途切れるロープの向こうは、確かに160㎝近くの深さがあります。
台風による増水で水位がいつもより高いそうです。
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夜に来たときに「温泉に浮き輪 どうして?」という疑問
こんな説明板がありました。

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備え付けの浮き輪は「遊具」ではなく「救命用」ということらしい。

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ちなみに宿泊客は露天風呂まで足を伸ばす人は少ないようだ。

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 同宿の高齢者は大露天風呂は「バリアフリーなし、不便・遠い・深い・恐ろしい」と話していた。
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 内風呂に付随したロケーション抜群のこんな露天風呂もある。
そのため一度大露天風呂に足を運んだら次は、こちらのお風呂で済ませるお客さんがほとんどのようだ。
そのため何度行っても誰もいない。
「清潔さや便利さ」よりも「野趣」を求める私としては、有り難いことだった。

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露天風呂の周りの木々もナナカマドから順番に紅葉を迎える準備。
来週10月8日が紅葉祭りだそうです。

襟裳岬の最突端には何があるの?
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9月末の快晴の空の下、「黄金街道」を襟裳岬に向けて車を走らせる。
襟裳の集落を抜けて、岬の駐車場を目指す。

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駐車場はガラガラ。
侮れない食堂で「海鮮丼」で昼食を済ませて岬に向かう。
お店の小父さんは「灯台の向こうの断崖まで行って還ってくる人がほとんど。
階段下りて、先端まで行くのは物好きの1割」と笑って話してくれた。

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 強い風に背中を押されながらまずは、燈台をめざす。
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襟裳岬の灯台と展望台に立つ。
四国の室戸岬や足摺岬と異なるのは樹木がなく360度の展望が開けること。
快晴の天候の中、開放的で伸びやかな印象を、この日の襟裳岬は与えてくれた。

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展望所そばの急な階段を下りていく。
ここから先にも人家がある。

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広場には昆布が干されている。日高の海岸でどこでも見られる光景が、岬の先端まで続く。
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遊歩道の石畳の間から顔を見せていた花を見て一句、
「風つよき 襟裳の岬に 低く咲く ナマエシラズ」    お粗末様

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強い風と風雪のために木々が茂らないのか、岬周辺は一面の笹の原。
その中を道は続く。
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そして最先端へ
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日高山脈から続く山嶺が、海に続いているのがよく分かる。
巨大恐竜の背骨のようにも見えてくる。
 
看板には「突端」とあるが・・・
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足下を見るとまだ青い屋根の人家がある。
岬最先端の人家の向こうには鳥居が立っている
岬自体が人々の信仰の対象となっているようだ。

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振り返ると展望台と地下施設となっている「風の館」が見える。

下りてきた道を引き返し、燈台の西側を歩いてみる。

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探していた歌碑があった。
この歌を聴いてから40年以上の月日が流れている。
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思い描いていたイメージを裏切られることはなかった襟裳岬だった。



北海道釧路湿原展望台の散策コースを歩く


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9月末、釧路のホテルを早朝に出発して向かったのは湿原展望台。
ここの散策路を、朝一番に歩く。
入場料400円が必要なセンターで、トイレだけ済ませて散策路に入っていく。
ここをスタート地点として2.5kmの遊歩道が整備されている。
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細いミズナラの林の中に木道が続く。所々に置かれた解説板によって「湿原の学習」もできる。ヤマブドウだけが赤く色づいているが、ミズナラはまだまだ。
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最初のポイント こもれび広場。
ここからは階段の木道を下っていく。
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標識やベンチが整備されていて、それが周囲となじんでいる。気持ちよく歩くことが出来る

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小さな沢を吊り橋で越えていく。
ゆらりゆらりゆれて、心地よい。

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吊り橋を渡ったところがひだまり広場。
ここで1/3ほどの行程。
ここからゆるやかな上り坂。
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木道は自然の中の「舞台」の上を歩く感じがする。
周りの木々や草花に心を向ける気持ちのゆとりをもたらしてくれる。
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ここのミズナラは紅葉の先駈け。
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そして林を抜けるとサテライト展望台。
ここからの景色は素晴らしい。

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「釧路市湿原展望台」よりも湿原を間近に見ることができる。
昨日、立ち寄った細岡展望台が湿原の東の横綱なら、ここは西の横綱。
朝日を受けて、湿原が明るく照らし出される。
しかし、ここまで来るには自分の足であるかにゃならぬ。

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ここまで距離1.2km。
団体客は、やってこないので静かに湿原を楽しめます。
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ここからは、一本調子の道を帰っていきます。
ゆっくりとまわって1時間少々。
私にとっては価値のある散歩でした。
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釧路空港付近では牧場の中でこんな風景も見れました。


北海道屈斜路湖 台風の爪痕が残る湖の様子 

  今年の夏は、いくつかの台風が北海道を直撃し大きな被害を残しました。
その爪痕がいたるところに見えた今回の旅行でした。
そんな中で屈斜路湖の和琴半島に残っていた「台風の爪痕」を見てみます。
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和琴半島の付け根の部分です。
ここからみると、穏やかな湖面、たおやかな山容、ベンチでくつろぎたくなる屈斜路湖の雰囲気がしますが・・・
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大雨のため水位がなかなか下がらないようです。
散策路には流木が打ち上げられています。

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散策路上の流木は集められ、通行は可能でした。

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半島の付け根は水浸し状態。
白樺の木が湿地の中に生えているように見えます。
これはこれで「いとおかし」
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湖面に出てみると
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普段は陸上にあるところまで水に浸かっています。
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強風のために根こそぎ倒された木々が湖面に倒れ込んでいます。
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釧路川も倒木が増えたそうです。
そして和琴半島の露天風呂は?
台風で流木と泥土に埋まったそうですが・・・
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地元の老夫婦がボランテイアで、毎日掃除を行っていました。
その結果、入ることは出来る状態になっていました。
早速、入らせていただきました。
感謝。



別温泉 散策路を早朝散歩


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ホテルの大浴場から見えていた地獄谷を朝飯前の腹ごなしに散策することにした。
7時前の地獄谷入口は、まだ閑散として人はいない。

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簡単なマップで確認。地獄谷 → 大湯 → 足湯と巡ることにする。時間的には1時間足らず。朝飯前の腹ごなしにはちょうどいい


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地獄谷の中にある間欠泉まで木道が延びる。
かわいい間欠泉がわきだしている。

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ミズナラとナナカマドが灌木として茂り、千島笹が広がる林の中の道を進む。
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車道からわずかに下ると眼下に大湯沼が突然現れる。
湖面の表面は硫化鉄のため黒く見える。
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下っていくと大沼の右手からもうひとつの沼である「奥の湯」が見えてきた。
朝日を浴びて、こちらは表面が薄青く見える。
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わき上がってくる気泡で泥土にカニの穴のような者が幾つも見える。見ていて飽きない。ここも温泉源泉のひとつのようだ。
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大湯沼の周りを歩いて下流に向かう。
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ナナカマドの実が赤く熟している。紅葉にはまだ早い。見頃は10月10日前後になるのだろう。
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車道から散策路に入るとすぐに大正地獄の看板
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登別温泉では一番小さい「地獄」
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大湯沼から流れ出す湯ノ谷川は湯気を立てて流れて行く。
その流れに沿って歩いて行くと・・
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足湯が見えてきた。
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台風後で増水中で温度は適温。バシャバシャと足湯と言うよりも川遊び。
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ここからは車道に出て、いくつかのホテルの前を通り出発点に還る。
お腹が空いてきて、帰路の足取りが速くなりました。
温泉に入るだけでなく周辺を散策するのもいいもんだ感じました。


釧路川源流下り 2016 9月


高梁川下り

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雪の銀閣寺
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先日の日曜日、野暮用で京都にいました。

朝起きてみると真っ白

用事を置いて開門直後の銀閣寺へ

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境内は、白い世界に様変わり。

吉田山に続く街並みまで、白くなっています。

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降り積む雪に砂山は真っ白、富士山のよう・・(^_^;)

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松の下の砂文様も、浮かびあがります。

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まるで枯れ枝に紙でデコレーションされたかのよう

櫻咲く光景をイメージしてしまいました。

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ときおり青空が覗いて、日の光が差し込みます。

すると今までの印象とはちがう姿に「変身」していきます。

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銀閣寺は雪だけでなく、足場にも覆われていました。

修復のため何年かは姿が見えなくなるようです(-_-;)

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出口では椿のかんざしをつけたシロクマさん(?_?)が見送ってくれました。

いつものおまけ動画です
http://videocast.yahoo.co.jp/player/blog.swf?vid=288230376152052507
雪の銀閣寺 08年2月24日

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野暮用での京都、時間を見つけて訪ねたのは大徳寺。

両側に塔頭の並ぶ境内を石畳に導かれて、まっすぐに。


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小雪の降りしきるこの日は、訪れる人も少なく静かです。

竹林の中にあるような錯覚に襲われるたたずまい。

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訪れたのは高桐院。

肥後細川家の大名細川忠興の菩提寺です。

忠興は文化人で、利休に最も気に入られていた茶人でもあったようです。

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だれもいない縁側で、お茶をいただきました。

寒さをやせ我慢する「風流」気取りも辛い物(-_-;)

利休の茶室が移築され、禅寺というよりも茶会の舞台の風情。


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今回の目的は、前庭のこの「つくばい」

ソウルの宮殿を訪れたときに、次のように教えられました。

「加藤清盛が持ち帰った宮殿の礎石が、細川家の菩提寺にある」と。

忠興は清盛から送られた礎石をつくばいに加工して愛用。

参勤交代の時にも、お抱え力士に持たせて持ち歩いたそうです。


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もうひとつがこの灯籠です。

説明文には、こうありました。

この灯籠は忠興候と奥方ガラシャ夫人の墓標である。
初め千利休が「天下一」と名付けて愛用の所、太閤がその名声を聞き所望した。
そこで利休は灯籠の一角を故意に欠いて、不良品として所望を断った。
利休切腹の際に、弟子の忠興に送られた。
忠興80歳の時に、熊本から運び込み死語の墓標とするように遺言

明智光秀の娘でカトリック信仰を守り抜いた愛妻のガラシャ夫人と、

この灯籠のしたで眠っているようです。

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オリンピックを約半年後に迎えた北京は、町の風景が大きく変わりつつあります。

でも一歩、胡同(フートン)と呼ばれる路地裏に入ると、変わらない光景も数多く残っています。

かつての色街が集中していたという胡同のマーケットを覘いてみました。


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賑やかな声が市場に響きます。

むき出しのレタスを売る夫婦。

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こちらは山と積まれたほうれん草(?)のようです。

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こちらは海産物。並べられたエビは美味しかったです。

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こちらは「五穀」

米・麦・粟・豆・黍(きび)・稗(ひえ)などが並べられています。

色合いを美しく感じました。


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「清真」という標語が見えます。

豚肉をタブーとするイスラム教徒用の肉屋さんのようです。

胡同へ一歩足を踏み入れると、タイムマシンでやってきたような

不思議な空間が広がる北京の下町でした。

おまけの動画です。
http://videocast.yahoo.co.jp/player/blog.swf?vid=288230376151976089
北京07年12月27日 桃桜胡同のマーケットから

今年も「瀬戸の島から」をよろしくお願いします。

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海に潜りたいと思うようになり(^_^;)

配偶者とともにダイビングのCカード取得のために8月末に沖縄に。

那覇から高速船で1時間。

藍よりも蒼い海 慶良間の海です。


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ダイビングスポットに着くとアンカーを入れて船を固定。


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透明度は20㍍、船の上からも海底が見えます。

前日にプールで実技講習を受けて、この日初めて海に潜りました。(^_^;)

たくさんの魚がいました。でも・・ゆっくり見る心の余裕がありません。


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40分近いダイビングが終わると、次のポイントに移動。


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那覇からのダイバーを載せたボートがポイントにはいます。

午前中に2回、午後に1回ダイヴィング。



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それが終わるとボートは那覇へ帰ります。

船の上では、傾く太陽の光を浴びながらお昼寝です。

瀬戸の島とは、また違う海と島を経験することができました。感謝<(_ _)>

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職場の若い人たちに混じって小歩危でラフテング
日本一の急流激流に挑戦してきました。(^_^
両岸は切り立ったゴルジュの白や緑の壁。

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ホワイトウオーターの激流にいくつも突入。

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瀬に入る前に一生懸命に漕いで勢いをつけて、後は舵とるインストラクターにまかせ。
落差が4㍍近くある激流の波を頭からかぶります。

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ゆるやかなトロ場では、水に入ってボデイーラフテング。
川の流れの中に寝っ転がって、上を見ると青い空に白い雲

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恐怖心が薄らいで、川を楽しむ遊び心がでてきます。
こちらのほうが川を直接に感じられて、私のお気に入りになりました。

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調子に乗りすぎて、こんな目にも遭いました。
吉野川の水をタップリといただきました(-_-

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最後は、川に着きだした岩の上から飛び込み(*^_^*)

激流は、ストレスや人に言えない愚痴やいろいろな悩みを
 きれいに流し落としてくれるような気がしました。
  
写真は随行したインストラクターがカヤックから撮ったものをいただきました。感謝_(_^_)_

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8月の終わりに沖縄にダイビングのCカード取得に行ってきました。

帰りの飛行機の窓から見えた光景です。

本島南部の具志頭村あたりを北上していきます。

藍色の海、青い空 白い雲 。


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見えてきたのは、沖縄のすぐ北の与論島。

珊瑚礁のリーフのコバルト色の色合いが目に鮮やかに映ります。


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人口6000人 一番高いところが98㍍。。

赤茶けた土は、刈り取りの終わったサトウキビ畑なのでしょうか


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続いて見えてきたのが沖永良部島。

この日は西南諸島の島々が点々と屋久島まで姿を見せてくれました。


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地図と見比べながら飽かず眺めました。

小豆島と同じ島であって、まったく違う環境にある島々。

どんな人が住み、そんな家に暮らし、どんな生活をしているのか・・。

「旅愁」「旅心」「好奇心」を刺激された窓からの光景でした。

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先日に続いて、藍の豪商田中家からです。

母屋の屋根は、吉野川に生えている「葦」で葺かれています。

大洪水で母屋が浸かった時には、屋根が船になる工夫があるそうです。(@_@)

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母屋の前の広場に立つキリンのような長い首。何でしょう?

「はねつるべです。藍作りに必要な水は、あれで井戸から汲み上げていました。」

=== 「裏にもありますから見てみますか」と奥さん。 === 
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母屋と倉の間の空間です。

「これは、生活用の井戸の水を汲み上げていました。」

「針葉樹で一番堅いムロの木(ネズミサシ)が使われいます。」と奥さん。


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前回紹介した青石の倉、その前の井戸、そして右の支柱がはねつるべのもの。

支柱は高さ4㍍、土の中に1,5㍍埋められているそうです。

この支柱も青石が使われています。


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最後に、これなんだと思います?

その年、最初にできた藍がスタンプのように並べて押されています。

その右に見える文字は、藍造りの各屋号

これを見れば「生産者」の藍の出来具合や技術力が分かったようです。

そのためのカタログともいうべき物のようです。

品質管理や技術革新・相互競争も取り入れられていたようです。

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徳島県吉野川の下流の藍の豪商の家屋を見学してきました。

11棟の家屋が国の指定を受けていますが、民家として今も人が住んでいます。

日曜日だけの開放ですが、知らずに平日に訪ねた私を案内していただきました。<(_ _)>


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「田中家の一つの特徴は、土台にあります」と奥さんはおっしゃります。

吉野川の氾濫に備えて、北側には高い石垣が積まれています。

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庭石として珍重される「青石」が惜しげもなく使われた上に蔵が建っています。

200年以上たっていますが、隙間がありません。

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経費のかかる「青石」ばかりでなく、こちらは鳴門の砂岩が使われています。

「この蔵には、作られた藍を保管してました」と奥さん。

私には、まるで要塞のようにも思えました。


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さきほどの外から見た蔵の入り口です。

全面に「青石」が敷き詰められているのが分かります。(*^_^*)

「石垣を敷き詰め、土台作りに20年。その上に11棟の建物が全て建つのに30年。」

「宝暦年間にひとりの頭領が、一生をかけて建てっていったようです。」

「住みながらこの建物を守る方法を選んでいます」と奥さん。


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ていねいな案内を終えて、帰り際に長屋門を出て振り返ると・・。

そこにも青石が使われていました。

藍商の財力とともに住居プランの一貫性を感じた家屋群でした(^_^)/~

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広島県・尾道の千光寺から海峡を見下ろしました。

向島との間を、頻繁に小型のフェリーが行き来しています。

「フェリー大好き人間」の私は、早速乗りにいくことにしました。

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どちらが前で、どちらが後ろか分からない。

これだと接岸が楽です。

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着岸と同時に人と車が乗り降りします。

そして、すぐに出港。

まさにピストン運航です。

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自転車から降りずに、そのままの姿で乗船していました。

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「出港」から3分40秒で向島に接岸。

ちなみに代金は人間100円。自転車110円、バイク120円。

そして車は130円。

安くて便利な市民の足となっている渡船でした。

向島から見る尾道は・・・いい光景でしたよ。!(^^)!

先日の日曜日に鳥取の投入堂に、蒜山経由で行くつもりでした。
晩秋の蒜山(ひるぜん)の紅葉が見られたらと思ったのです。

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しかし

蒜山ICを下りるとあたりは、真っ白。
今年、初めての積雪だそうです。

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鏡成(かがみなる)まで、上がるとさらに雪の量は増えました。
くるぶしを越える雪の量です。

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葉っぱを落とした木々の枝も雪化粧で白く変身


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そして、鳥取へ下る道は閉鎖
すごすごと、来た道を引き返しました。

でも、思わぬ「冬の到来」を、見ることができました。

感謝

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鳥取県・三徳山の投入堂を見てきました。
小豆島の洞窟霊場を紹介していると、
「投入堂みたいですね」と、多くの人から言われたので
以前から行きたかったのです。

一枚目 入山場所でまず、関門が待ち受けていました。
バスケット・シューズでは、滑りやすく入山を許可できないとのこと。
わらじに履き替えることを求められました。

ブナの大木の根を掴みながら、雪で滑りやすくなった道を登ります。
「登山道」は、人の手をできるだけ入れない方針のようです。

2枚目 40分ほどで着いた文殊堂の屋根には、土曜日に降った雪が残っていました。
岩壁にも手すりは、つけていません

最後が 投入堂です。
岸壁にへばりつくような建物に「孤高」さを感じました。

投入堂について詳しく知りたい方は、下のTBをご覧下さい。

「観光化」や「安全」・「サービスの提供」とは違う方向で、
信仰の場を守ろうとする姿勢に、いろいろと考えさされました。

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