瀬戸の島から

金毘羅大権現や善通寺・満濃池など讃岐の歴史について、読んだ本や論文を読書メモ代わりにアップして「書庫」代わりにしています。その際に心がけているのは、できるだけ「史料」や「絵図」を提示することです。時間と興味のある方はお立ち寄りください。

カテゴリ: エッセイ「想遠」掲載部屋

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第17話 おわりに(愛する者へ)

文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」


イメージ 1
この『小豆島発夢工房通信』の『想遠』も今日でもって終わりにしたいと思う。
というのは、いくつか理由がある。
まだまだ書きたいことは山ほどあるが、
一つには、当初の目的である小豆島の紹介を、
『小豆島恋叙情』とこの『想遠』を通してほぼ終えたからである。
「瀬戸の島から」氏の粘り強い支えと、
このブログを読んでくださる皆様方の温かい声援の賜と、深く感謝している。
特に、「瀬戸の島から」氏の内助の功的な存在は、私にとって大きな励みであり、
また原動力になったことは言うまでもない。
持つべき者は同僚。
改めて感謝する次第である。

イメージ 2
 もう一つの理由は、これからも文章は書き続けていくことは間違いない。
しかし、自分を自由に泳がせておける空間は? 
と考えたとき、やはり「小説の世界」が私には一番性に合っている。
そう思うからである。
所詮は「架空の世界」であるが、現在の私の心の襞まで正直に吐露できる手段といえば、
やはり小説を書くということになってしまう。
ストイックに生き、文章を綴る。
また、クラシックを聴き、絵画を想う。
さらに四季折り折りの草花を愛す。
金がかからない贅沢な趣味と考えている。
イメージ 3
 ここで一つお詫びをしたい。
この『想遠』で、私個人のこと、私の家族のこと、私の友人のこと等々、
私的な話に終始したきらいがあったことである。
申し訳ない。
読んで戴いた方の中には、
「なんだ、てめえのことばかり書きやがる」と思われた方も多いと思う。
もう少しジェネラルな文章を書けばよかった、と反省している。
イメージ 4
 最後に、わがままついでにもう一言、言わして戴きたい。
「愛するものは自分の手で守れ。
 家族、恋人、友人、ペット、私たちの住む地球。
 何でもいい。
 本当に大好きで、抱きすくめたいくらい愛しているのであれば、自分で守れ。
 他人を当てにするな。
 それが少なからず責任を全うすることだ」
イメージ 5 
残念ながら、私はかつてそれができなかった経験を持つ。
 慚愧の念に耐えない。
 今となっては遅いが……。
 それでも多くの人に感謝している。
 特に、私の家族。愛犬マル。それとコボ。
 最後になりましたが、皆様の今後のご多幸とご活躍を小豆島の地よりお祈りいたします。
 新たなる旅立ちに、ボンボヤージ!
イメージ 6
「何? ボンクラおや~じ、だと?」
 想遠!
 それじゃ! さようなら。

             平成十九年八月二十一日
             小豆島の賤家にて
             鮠沢 満   

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第16話 散るということ(後編)
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

 ところで、「親の責任は?」と問われたら、恐らく私は次のように答えるだろう。
子供に質素な生活の中に喜びを見出す術を教えること。
それも直接手取り足取り教えるのではなく、日々の生活の中でさりげなく。
決して押しつけがましくではなく、苦楽を共にしながらさりげなく、ね。
たくさんのお金を遺すことは? 
それも大事。
でも、傲慢であっては駄目。
愛情いっぱい育てることは? 
確かに愛情も大事。
でも厳しさのない愛情は、子供を根腐れさせてしまう。
人を育てるというのは実にむずかしい。
本音を出さずして、本音を伝えなければいけない。

イメージ 1
土庄港に『二十四の瞳』の像がある。
まさに教育とは何かを考えさせる像だ。
これまで多くの女優さんたちが大石先生役を演じたが、
果たして誰が像の大石先生に一番よく似ているのだろう。
私個人としては、やはり高峰秀子さんであってほしい。
映画の中で見る高峰さんには、教師に求められる教養、優しさ、それと品位というものが漂っていた。
教育というのは、まさに人間の「品格」を教えるものではないか。

イメージ 2
 今はロールモーデル(Role model)となる大人が少なくなった。
子供たちに、清く、正しく、素直に生きろ、と言っても時代錯誤の感がある。
そんな生き方してちゃ、学校ではやっていけないよ、と返ってくる。
親も、やられたらやり返せ、と教える。
ついでにもう一つ。
楽していい結果出せよ。
それがスマートな生き方だ。
そう言ってはばからない。
あるどこかのテレビコマーシャルに、「幸せになりたいけど、頑張りたくない」というのがあった。
これを聞いたら、大石先生は何と返答しただろうか。
イメージ 3
「敬虔な生き方をしなさい」
 一通の手紙が三十三年前に届いた。
差出人は父。
昭和五十一年、小豆島は台風の上陸で未曾有の豪雨に見舞われた。
三日間で、約一、三〇〇ミリの降雨。
その結果、小豆島はほぼ全土が壊滅し、
また、あろうことか生徒が生き埋めになって死んだ。
私はただ悔しかった。
運命を憎んだ。
あってはならない、と。
父はそのことに対し、手紙でもって一言
「敬虔な生き方をしなさい」と私を戒めた。
しかし、未だに父の教えどおり敬虔には生きていない。
もしかすると、一介の貧しい百姓で一生を終えた父を、
私は生涯乗り越えることができないのでは、そう思うことがよくある。
人生に対峙する心構え、教養、品格等すべてにおいて。

イメージ 4
 春になると、散りゆく桜の下で味わった野点を思い出す。
それは小学生の私には苦かったが、大人になった今でも、
違った意味でやはりその味は変わらない。
小豆島で見る桜は、春暖の海をバックにことのほか映える。
どこに行っても海が見えるというのは、心が落ち着く。

イメージ 5
今年は地蔵崎灯台下の公園に出かけてみた。
そこにはまだ小さい桜の木があり、小ぶりの枝いっぱいに花が付いていた。
いつの日にか大きく成長し、やがて潮風に花吹雪を散らす日が来るのだろう。
遠くに屋島が見えた。
ふと父の顔が浮かんだ。
『善く生きてこそ善く死ぬことができる』
 ソクラテスの言葉である。
 そして父の言葉。
『敬虔な生き方をしなさい』
イメージ 6

果たしてどう生きよう。
今日を、明日を。
人間、散り際のことも考えておかなければいけない。

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第16話 散るということ(前編)
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」
イメージ 1

目にしみる緋毛氈。
 頭上を覆い尽くす桜花。
 それを掻き破るように緑の滴りの中に屋島が萌え出ていた。
 真っ白な懐紙の上には桜の花を取り分けたような桃色の和菓子。
 野点(のだて)。
 待つことしばし。
 茶が運ばれてきた。
 父のすることを真似し、両手をついて深く頭を下げた。
 茶碗を手に取り、三回うやうやしく回す。
 ほんのり甘い茶の香りが鼻孔をくすぐった。
 背中で深呼吸を一つして、口元に茶碗を引き寄せようとした。
 と、そのとき、いたずらな風がくしゃみをした。
 桜の枝がはじかれて揺れ、追い立てられたように桜の花びらが舞った。
 イメージ 2

 一面の花吹雪。
 夥しい花弁が一斉に流れ落ちる。
 私という一個体が完全に裏返っていた。
 表になった裏が、目の前に展開する光景を、必死になって咀嚼しようとしていた。
 これは夢ではなくて現実なのだ、と。
 桜は蝶が姿を変えたように、ひりひらと音もなく舞い落ちてきた。
 そしてその一枚が私の持つ茶碗の底に伏した静謐に身を預けた。
 真っ青な抹茶に浮いたひとひらのピンク。
 それは小さな宇宙だった。
 もうそれ以上加えるものもなければ、差し引くものもなかった。
 器に構築された小さな空間に、すっぽり私自身が包含され、桜の花びらとともに浮いていた。
 私の美的感性はこの一瞬にして生まれ、凝固した。
 芸術が何たるか分かろうはずもないのに、私はそう感じた。
 四十五年経った今でも、私はそう断言できる。
 そのとき私はまだ小学三年生だった。
 父は八年前に他界した。
 私は母より父の影響を受けた。
 ただし、芸術に対する感性の面においてである。
 父は生涯、一介の貧しい百姓であった。
 そして一人の芸術家を通した。
 当時は、家族が食べていくのが精一杯だった。
 父も母も朝早くから夜遅くまで野良に出ていた。
 石川啄木ではないが、いくら働いても暮らしは楽にはならなかった。
 そんな中、父の唯一の楽しみは、四季の自然に遊ぶことだった。
 野の草花を愛し、歌に詠み、絵に描いた。
 また、手製の花器に活けた。
 金のない父の唯一の道楽が茶であった。

  イメージ 3 

  勝はPTAの参観日が嫌だった。
どうせ野良仕事の合間にやって来て、教室の戸をそっと小さく開けて、卑屈そうに入ってくる。
そしてあっちにもこっちにもぺこぺこ頭を下げるのだ。
勝はそんな母を見たくなかった。
自分自身がおとしめられた思いがするからだ。

イメージ 4
 二十分ほどして、木の戸がガタンと唸った。
戸は古くて重いうえ建付が悪く、歯を食いしばったみたいになかなか開かなかった。
緊張の糸がほどけ、全員の視線が後方の戸に釘付けになっていた。
入り口の戸と格闘していたのは母だった。
勝の予想にたがわず、母親はもんぺ姿のまま教室に入ってきた。
振り向きざまに一瞬目が合った。
母は戸口で躊躇していた。
勝の気持ちを読み取ったのかもしれない。
顔がやや暗い。背中も少し猫背になっている。
普段の気丈な母とは違った。
勝はあわてて視線を外すと、算数の演習問題を睨んだ。
だが頭の中は真っ白で、計算ができなかった。
「勝のかあちゃんだぞっ」
 後方でくすっと笑う声が聞こえた。
 勝は背中に焼け火箸を押しつけられた思いだった。
 首をすっこめ嵐が過ぎるのをひたすら待っていた。

 勝は放課後、近くの鴨川の土手に寝っ転がって悔し涙を流していた。
「おい もんぺだぜ」
 同級生の囁きが耳の奥にこびり付いていた。
 日が鎮守の森の向こうに落ちて、辺りが暮色を通り越して黒くなり始めて、
  勝はようやく腰を上げた。

   イメージ 5
 父と母は日がどっぷり暮れて家に帰ってきた。
 二人とも農作業で疲れていた。
 朝作った菜っ葉の茹でものの残りと漬け物で、冷やご飯を黙って口にかき込んでいた。
「勝、どうしたんね。そんなに怒った顔してからに」
 母が箸の動きを止めて言った。
 勝は箸を置いた。そして母を睨み付けた。
「おかしな子やね。寝たら直るわ」
 母の言葉は思いやりのないものに聞こえた。
 それでつい口走ってしまった。
「なんでもんぺで来たんや」
「もんぺのどこが悪いのや。お母さんの仕事着や。勝、それが恥ずかしいて怒っとんか」
「そや。みんなきれいが服着てきよったのに、母ちゃんだけや。あんな汚らしい格好して……」
 父の平手が飛んできた。
「お父さん」
 母は勝をかばった。
 父は頬を押さえた勝に言った。
「人間の値打ちは服じゃない。汗水垂らして働くことや。
 まじめにな。貧しくてもつつましやかに暮らせばいいんだ」
 以後、父が手を振り上げることはなかった。
 う~ん苦しいな、と勝が思ったとき、今でも頬に懐かしい痛みが蘇ってくる。
イメージ 6

=== 後編に続きます_(._.)_ === 

エッセイ「想遠」(小豆島発 夢工房通信)


第15話 美林
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

川端康成の『古都』は生き別れした双子の姉妹の物語である。
小説の舞台は京都であるが、京都の主立った行事であるとかよく知られた場所が盛り込まれている。
その一つに北山杉がある。
川端康成の卓抜した筆力でもって見事に描かれており、目の前に北山杉の情景が浮かんでくる。
杉のつーんと鼻をつくような独特の匂いさえ漂ってきそうなのだ。
やはり名文は違う。
イメージ 1

 この北山杉に負けないほど立派な杉林が小豆島にもある。
美しの原高原とか星ヶ城周辺には美林が多い。
まっすぐ背筋を伸ばし、ひたすら天を突き上げている、その誠実さがすがすがしい。
いつもこうありたい、と自己反省を促される。
横線が一本もない世界。
それは少し奇異だが新鮮な感覚に襲われることは間違いない。
木々にすーと自分を吸い上げられる感覚とでも言ったらいいのだろうか。
その際、横ぶれがまったくないため、自分の中に一本の太い直線が駆け抜けたような錯覚に陥るのだ。

イメージ 2

 ジベルニーというところがフランスにある。
パリ郊外の田舎である。ジベルニーと聞いてピーンとくる人は、相当な絵画愛好家か。
クロード・モネ。
フランス印象派の旗手的存在である。
かつてフランスで浮世絵など日本の文化がもてはやされた時期があった。
パリ万国博覧会が開催された時期に相当する。
「ジャポニズム」といわれる。
モネもジャポニズムに傾倒した一人だった。
彼はジベルニーに太鼓橋を含む日本庭園を建設し、
そこで光の効果をテーマに、何枚も何枚も習作に取り組んだ。

 パリ市内にオランジェリー美術館がある。
かの有名なルーヴル美術館の隣、セーヌ川を挟んでオルセー美術館の反対側になる。
そこにモネの睡蓮の大広間がある。
広間は二つあって、奥の広間に柳と睡蓮の池を描いたものがある。
かつて私はそこに何時間も座っていたことがある。
何十本という柳の枝が、横長の巨大なキャンバスを垂直に分割している。
その奥に静かに佇む睡蓮の池。
池に浮かぶ睡蓮の葉。
水面を這うそよ風に、わずかではあるが揺らいでいるように見える。
柳の枝、池、睡蓮。
一つ一つを取ると「静」なのに、組み合わせで見ると、
柳の垂直に切り下ろす圧倒的「律動感」が見る者の胸に迫ってくる。
イメージ 3

 小豆島の杉林にも同じものを感じる。
樹間に立つ。
周囲から立ちこめる冷気。
静寂で不動。
だが決して怖くはない。
むしろ心がほどけ、溶けてゆく。
が、一本、さっき言った真っ直ぐな誠実感に自身を貫かれる。
イメージ 4

 素麺の箸分け。
素麺を天日干しするとき箸分けをする。
その箸分けが終わった素麺には、息の詰まるような快感がある。
まさに匠の技。
滝のようになだれ落ちる疾走感。
それと途中でぽっきり折れて崩れ落ちそうな危機感。
この二つが合わさって「律動感」を生み出す。
「杉の美林」と「素麺の美林」。
私は密かにそう呼んでいる。
川端康成の北山杉に負けない美林が、ここ小豆島にもある。
イメージ 5

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第14話 海の道
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」
『天使の道』と呼ばれるロマンティックな道が土庄町にはあるが、
これは潮が引くと陸と余島と呼ばれる二つの島が砂州でつながるもので、
地理の専門用語では陸繋島と呼ばれている。
その砂州の上を恋人たちが愛(?)を語らいながら歩く姿が、結構絵になる。
互いの心が砂州でつながったような気分になるのだろう。
やはり恋を語るにも場所選びが肝要ということか。
この天使の道、エンジェルロードと呼ばれているが、名前のとおり、
天空から天使が舞い降りてきてもおかしくない構図であることは、『小豆島恋叙情』で書いた。

イメージ 1
 モーセ。
そう前十三世紀の古代イスラエル民族のカリスマ的指導者である。
エジプトにおける迫害、エジプト脱出、シナイ滞在、カナン侵入と、彼にまつわる逸話は多い。
なかでも、紅海渡渉の下りは有名である。
モーセはエジプトで苦しむ同胞を解放しその地を逃れようとした。
しかし、イスラエル人解放を考え直したエジプト王パロの送った軍隊に追撃され、
葦の海(紅海)を前に前進できなくなった。
まさに進退窮まったとき、モーセは杖を紅海の上に差し出し祈った。
すると海は真っ二つに割れ、海の道ができた。
イスラエル人はそこを歩いて渡った。
後を追ってきたパロの軍隊は、イスラエル人が渡り終えたとき、
流れ戻った海水に飲まれて海の藻屑と消えた。
モーセの『出エジプト記』として旧約聖書にある。

イメージ 2
 先に書いた天使の道もモーセではないが、
人間の邂逅とか訣別を敷衍して考えると、そこそこ奇蹟的な要素が含まれている。
そこは想像力に任せるしかないが、人は出会いと別れを繰り返す。
この世は無常。
何一つ定かなものはない。
一本の道に様々なドラマがある。

 ところが、もう一つ面白い話を小耳に挟んだ。
草壁から橘を経て福田に向かう途中に南風台というところがある。
そこはむかし扇形の洒落たレストランがあって、
目の前に浮かんだ島を眺めながらリラックスできる隠れ家的場所であった。
その島の名前は城ヶ島。
神奈川県の三浦半島先(三浦三崎)にあるかの有名な島と名前も綴りも同じ。
小耳に挟んだ話というのは、実は南風台から城ヶ島まで海の道があるというのである。
距離にして約二百メートルくらいか。
エンジェルロードのように砂州が現れるといったものではないが、
やはり引き潮のときには、遠浅になって島まで行けるというのである。
この道に願い事をすると叶えられるとか。
恐らく多くの人が、願掛けしたことだろう。
島は緑の木々に覆われ、海と美しい調和をなしている。この道は『希望の道』と呼ばれている。

イメージ 3
 佐恵は目を閉じて祈った。
 すると目の前の海が割れ、真っ白な海の道が現れた。
  その先に希望の光が見えた。
 佐恵は閉じた瞼の裏に光男の姿を描いていた。
 光男は追いかけてくる佐恵をはぐらかすように躯をひねっては、佐恵の手から逃れた。
 佐恵が怒ったような顔をして立ち止まっていると、光男が心配そうな顔で近づいてきた。
 光男がすぐ真ん前まで来たとき、佐恵はワッと声を上げて光男を捕まえようとした。
 が、光男はそんなことはすでにお見通しと言わんばかりに、
 またしてもしなやかな躯をねじらせると、佐恵の追撃をかわした。
「鬼ごっこなんてもうやめた。光男ったら意地悪なんだから」
「諦めた?」
「嫌いよ」
 佐恵はぷっと頬を膨らませ、そっぽをむいた。
「アーア、お嬢様を怒らせてしまった」
「この償いは高いわよ。覚悟してらっしゃい」
「何が欲しい?」
「そうね」
 佐恵は勿体ぶった面持ちで少し考えた。
「でもまあいいか。アイスクリームで勘弁してあげる」
「確かに高価な償いだね」
 佐恵の閉じていた桜貝のような目から涙がにじんだ。
 それはゆっくり朝露のように膨らみを大きくすると、真珠色に輝き、睫毛に留まっていた。
「会いたい。でも大丈夫。元気でやっているから心配しないでね。航海の無事を祈っているわ」
 佐恵の薬指にはアイスクリームの代わりに買ってくれた指輪が光っていた。
 佐恵はその手をそっと丸みを帯び始めた下腹部へとずらせた。
「さあ、お父さんに何か言いなさい」

  イメージ 4         
見える道、見えない道。
私たちは好むと好まざるにかかわらず、両方の道を歩まなければならない。
見える道で迷って、見えない道でさらに迷う。
この繰り返しかもしれない。
天使の道、希望の道。
それでもこの二つの道は、いずれも明日への期待を約束してくれそうな気がする。


雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨が降る
雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気
雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ

         ー北原白秋ー
                        
イメージ 5
 小豆島には城ヶ島を始め、美しい名前を付された島が他にもある。
これだけでも空想にひたれる。
風ノ子島、
こぼれ美島(大島)、
千振島、
花寿波。
う~ん、実にいい。
イメージ 6

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第13話 憂悶の長城
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

総延長約二、七〇〇キロ。人類史上最大の建造物。
いったいこれは?
そう万里の長城。
起源は、春秋時代にさかのぼる。
現存する長城は、明代の後半期に建造されたものであるが、
ある本によれば、東は渤海湾の山海関から中国本土を西に走り、
北京の北を通過し、黄河を越え、陝西省の北端を南西に抜けて再び黄河を渡り、
シルクロードの北側を北西に走って、嘉峪関(かよくかん)に至る、とある。

 お隣の中国のことだが、これを読んでもピーンとこない。
とにもかくにも凄いんだろうな、としか言いようがない。
(実際に私も行ったが、やっぱり凄かった)
まだある。
前二二一年、秦の始皇帝は中国を統一、北方遊牧民族に対する防衛線として、
燕や趙の築いた北の長城を西へと延ばした。
さらに西の甘粛岷県付近を起点に、黄河の北を回って趙の長城に達し、その東を燕の長城につないだ。
それが始皇帝の長城であった。
二、七〇〇キロという想像を絶する長城も、
すべてがテレビで見たり観光ガイドで見るような凄いものばかりではない。
ただ日干し煉瓦を並べたものとか、土饅頭のような簡素なものまである。
時の流れという魔物の洗礼を受け、大半が荒れるにまかせているのが現状のようである。
イメージ 1

前置きが長くなったが、小豆島にも万里の長城ならぬ、小豆島の長城が存在する。
 ええ! 嘘?
 そう、嘘です。が、本当です。
 ややこしい。本当はどっち?
 考え方次第だと思う。
 確かに万里の長城のようにランドサットからは見えないかもしれないが、
 それを遠目で眺めると、やっぱり誰もが万里の長城と思う。
 「長崎のしし垣」
 それが答え。
 小豆島にあるのに、長崎? 三都半島の長崎というところにある。
 しし垣。
 聞き慣れぬ言葉だ。
 漢字で書けば、「獅子餓鬼」?
 違います。
 獅子の子供ではありません。
 じゃあ、「志士書き」?
 違います。赤穂浪士でもありません。
「しし」とはイノシシとかシカのことで、「獣」「猪」「鹿」という漢字をあてる。
だから「猪垣」とか「鹿垣」と書いてもいいと思う。
つまり、しし垣というのは、イノシシとシカから作物を守るための垣ということになる。
万里の長城が北方の遊牧民からの防衛だったのに対し、所変わって小豆島では馬ならぬイノシシとシカとなる。
実に牧歌的色彩が濃い。
でも、昔のお百姓さんにしてみれば、死活問題だった。
やせた山間の畑で大事に育てた作物を、赤の他人であるイノシシとかシカに横取りされてしまう。
そんなことがあってたまるか。
「しし」はお百姓さんにしてみれば匈奴に匹敵した。
江戸時代中期に築かれ、その距離たるや百二十キロに及んだ。
イメージ 2

先日、実家に帰ると、兄がぼやいていた。
「今からイノシシ防御のネット張りや。猿とイノシシにやられる」
う~ん、塩害ならぬ猿害と、猪害か。
押し寄せる環境問題の波は、なにも二酸化炭素の排出量だけではなさそうだ。
気が付いたら、猿とイノシシに巻かれ、身動き取れなくなっていたりして。
これって笑うに笑えない。

 ところで、昔少しの間、イギリスのケンブリッジとチェスターというところにいたことがある。
話というのは、チェスターにいたとき、イギリス人の友人に誘われて小旅行をしたときのことである。
どうせ小旅行と言ったって、昼間から生ぬるいイギリスのビールと
ちょっと癖のあるスコッチウィスキーを飲むパブ巡りの旅なんだろう。
そう言われそうだが、違います。
友人は私にあるものを見せたかった。
それで私をそこへ連れて行った。そういうこと。
 行った先は、ヘイドリアンズ・ウォール(Hadrian's Wall)。
でも行った先と言えるかどうか。
というのも相手は、いかんせん延々一一八キロもの壁だからである。

 ここで少し概説を。
スコットランドとの国境近く、ブリテン島を東西に横断する壁が、
ヘイドリアンズ・ウォールと呼ばれるイギリス版万里の長城。
西のカーライルから東のニューキャッスルまで延びている。
長さは、先ほど言った一一八キロ。
歴史的に見ると、一二二年から一二六年に、ローマのハドリアヌス帝が命じて、
やはりこれも北方からの侵略に備えて建造させたもの。
イメージ 3

 不思議ですね。敵は北方にあり、ですかね。
みんな北からの侵入を恐れていた。
そこで私も、はてな、と考え込む。
現在私が住む官舎の北は?
大変だ。隣の婆さんちだ。
これが結構口うるさい。
雑草が生えようものなら、フェンス越しにじっとそれを睨みつけている。
ただし私がいるときだけ。
つまり、「お前、この雑草の種がうちの庭に飛んでこないうちに、さっさと引っこ抜け」
そう暗に言っているのだ。
さっそく長城の建設に取りかからなくては……。

 そう言えば、日本には「鬼門」というのがある。
昔の人にとっては、北はまさにこの鬼門だったのかもしれない。
それよりイギリスに何でローマ人が?
「すべての道はローマに通ず」のとおり、大ローマ帝国の力はそれほど凄かったということです。
イギリスもご多分に漏れず、ローマの侵攻を受けた。
そのためイギリス各地にローマの遺跡が遺っている。
特に有名なのは、バースのローマ浴場跡。
今でもこんこんと湯が湧いている。

 このヘイドリアンズ・ウォール、
驚くなかれ、防壁上には一マイルごとに監視所(milecastle)が置かれ、その間には二カ所小監視所(turret)が設けられていた。
いかに北方からの侵略をローマ人が恐れていたかが分かる。
防壁は土と石でできており、高さ五メートル、幅二、五から三メートル。
八達嶺付近の万里の長城が、高さ九メートル、幅四、五メートル、底部九メートルだから、
イギリス版万里の長城もいっこうに見劣りしない。
広い丘陵地を緩やかにカーブして地平線へとなだらかに続く壁に、古代ローマ人の姿が見える。
イメージ 4

 飛び越えようとして、飛び越えられなかったしし垣。
低そうで高い。回り道するには長く、遠い。
諦めて、とぼとぼ帰っていくしかなかった。
イノシシとシカの後ろ姿が、暗く、重い。
 よく考えると、われわれ人間だって、いっぱい垣がある。
飛び越えようにも越えられないもの。
人間の場合は、目に見えるものばかりでなく、目に見えないものもある。
特に、目に見えないものの方がややこしい。
人間の愛憎。
ボタンを掛け違えると、泥沼に入っていく。

イメージ 5
ばあさんが戸を開けると、美しい娘が立っていた。
もう夜はすっかり更けて、若い娘が一人歩きする時刻ではなかった。
「こんな時間にどうしなはった。道にでも迷いなさったかね」
ばあさんは若い娘をいたわるように言った。
「ええ。蒲野(かまの)の方へ行こうと山越えをしておりましたが、どこぞで道を間違えたらしいのです」
「気の毒に。それは難儀したの。もう遅い。よかったら一晩、うちに泊っていきなはれ。
なあに心配せんでもよか。このあたしとじいさんしかおらんでよ」
女は礼を言って、中に入った。
その夜、じいさんとばあさんが寝ていると、コトリと障子が開いた。
じいさんとばあさんの首筋辺りを、ひんやりとした隙間風が流れた。
ばあさんが目を覚ました。そしてじいさんの骨張った肩を揺すった。
じいさんも目を覚ました。
二人は若い女が枕元に座っているのを、月明かりに見た。
ばあさんがじいさんの背中にしがみ付いた。じいさんも震えている。
女の顔は冴え冴えとした月の光に照らされて、ロウソクのように白かった。
「起こして済みません。一言お礼が言いたかったものですから」
「お礼?」
「そうです。助けていただいたお礼です。ご恩は忘れません。おやすみなさい」

イメージ 6
女は障子を閉めると、隣の部屋に伏した。
湖の底にいるような沈黙が訪れた。
風の音も聞こえてこない。
虫も鳴いていない。
この時刻に決まって啼くフクロウも、その夜だけは啼かなかった。
ただ満月の煌々とした光が、百姓家の狭い部屋になだれ込み、すべてを沈黙へと押し込めていた。
明け方、障子が開くかすかな音がした。
が、それは夢の継ぎ目に聞いた隙間風だったかもしれない。
「有り難うどざいました」
そう言うと、女は深々と頭を下げた。
女はしし垣をじっと見ていたが、やがて諦めたように、山道を下っていった。
女はしし垣を越えようとはしなかった。
 
数日後、村人の間で話に昇った。
明け方、一頭のシカが足を引きずりながら山道を降りていった。
不思議なことに、その痛めている足には赤い布切れが巻かれていた。
「じいさん、手ぬぐいどうした?」
野良の手を休めてばあさんが訊いた。
「手ぬぐい?」
「そう、あんたの気に入りの赤いやつ」
「さあな。どこぞに置き忘れたかもしれねえな。なんせこの年寄りだ」
じいさんが、はっはっは、と頭上の太陽を真っ二つに割るように笑った。
ばあさんが、なるほど、と頷いた。
台所の木戸裏に焼酎が置かれていた。
イメージ 7
 明け方に  鹿垣(シシガキ)越えて  恩返し

 

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第12話 迷路
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

『小豆島恋叙情』の中で、『迷い恋』という作品を書いたが、
もう一度違った角度から触れておきたい。
小豆島の観光事業は低迷している。
昭和四十七年頃だったと思うが、新幹線が岡山まで開通した。
そこで岡山に来たついでに小豆島にでもということで、観光客がわんさと押し寄せた。
鹿島の海岸にも、若い水着姿の男女が甲羅干しをする姿が見られたそうである。
とにかく老いも若きも小豆島へ渡ってきたのだ。
未曾有の観光ブームであったらしい。
私が五十一年に赴任したときも、まだ観光ブームは続いていた。

イメージ 1
 私は最初の二年間は土庄町吉ヶ浦の官舎に住んでいた。
夏には二十五センチくらいの巨大ムカデが出現する、それはすごいアパートだった。
最後の一年は双子浦の独身寮に移り住んだ。
この独身寮のすぐ前横に瀟洒なホテルがあった。
ホテル東洋荘。
それが名前である。
前にはプライベートビーチがある高価なホテルだった。
通勤で前を通るたび、転勤して小豆島観光に来たら一度泊ろう、と思っていた。

 二度目の赴任を命じられとき、まず私が行ったところが二つある。
一つが吉ヶ浦のアパート、もう一つが双子浦の独身寮。
吉ヶ浦のアパートはまだ存在していた。
これは奇蹟だった。
私が酒を飲んであれほど破壊の限りを尽くしたのに、まだあるのだ。
まさにダイハード。
双子浦の独身寮は老朽化したので、昨年の三月をもって閉めてしまった。
うん残念。また思い出の場所が消えた。
しかし、もう一つショックなことがあった。

ホテル東洋荘。
昔の瀟洒な姿はなかった。
いつ営業を止めたのか、まさに幽霊屋敷となっていたのだ。
ホテル前のビーチに押し寄せる波だけが、昔と同じように憧憬を運んできては、また引き返していた。
銀波園もそうだった。
私の行く先々で、私の懐かしい思い出は潰されていった。
飲み屋も消えていた。
スナックも、焼き肉屋も。
代わりにパチンコ屋と巨大ショッピングモールがあった。

  イメージ 2
 土庄町が『迷路の町』という触れ込みで町に遺る迷路を観光化しようと、新たな切り口で宣伝に乗り出した。
自由律俳句の奇才、尾崎放哉の俳句を染めた暖簾も店先に出ることとなった。
しかし、と私は言いたい。
観光もいいが、じっくり小豆島を考えることも大事。
気になるのは、島内に住む人たちが、自分たちの島の良さをどれくらい理解しているかということ。
慣れすぎて、ただの退屈な島。
そうなってはいまいか。
若い人は島を去っていく。
学校がないから、店がないから、仕事がないから、と。
残るのは年寄り。
年寄りはどんどん天寿を全うして物故者となる。
当然、島の人口は細っていく。
島が衰退する。
だからといって、私に秘策があるわけでもない。
まさに迷路に入ってしまった。

 海賊の攻撃から身を守るため、海から吹き付ける強風を避けるため作られた迷路の町。
もう海賊はいない。
それに建具もしっかりして、ちょっとやそっとの風にはびくともしない。
名前と先人の魂だけが残り、迷路を彷徨っているというのか。
それとも迷路の町興しも一時の思いつきで、
やっぱりな、そう言われつつ押し寄せる消費社会の荒波に飲まれて消えていくのだろうか。
イメージ 3

 つい先日、「瀬戸の島から」氏と近くのうどん屋へ出かけた。
迷路を通った。
う~ん、やっぱりいいね。
二人の顔にはそう書いてあった。
質屋の崩れかかった土塀。
その中に倒壊寸前の家屋。
蔦に巻かれながらも、しっかり遺っているのだ。
土塀に触れながら「瀬戸の島から」氏が、
「立派なもんや。こんなの遺さにゃ」
 それに対して私。
「日本は古いものを切り捨てて、新しいものに鞍替えした。情けない」

 実際そうである。
古いものは、価値がない。
だから新しいのに取り換える。
今の日本は、この流儀だ。
あったとしても、美観地区とか文化保存地区とかいうもっともらしい名前を付けて、特別に遺しているに過ぎない。パリ、ロンドンといった大都市でも、街の外観を損ねることを恐れ、修復には許可がいる。
個人の所有だからと、勝手に外観を変えることを許していない。
屋根にしてもしかり。みな統一を保つために、同じ色。
中は、勝手にどうぞリフォームを、だ。
そのことに対して、人々も文句はない。
おらが街を守るためなら、そういう気持があるからだ。
それはひとえに自分たちの伝統文化を理解しているからに他ならない。
誤解しないでほしい。
これはパリ、ロンドン、ローマといった大都市に限ったことではなく、
ヨーロッパならどこに行っても見受けられる、日常の風物詩なのだ。
   なくなって、しまった! 保存じゃ! これでは遅い。
 迷路の町が町興しどころか、本当に路頭に迷わないよう、一町民としてそう切に願う。
   イメージ 4

「おい見ろよ、俺たちの町が壊されていく」
「いいじゃん、新しくなるんだったら」
「でも色も、形も、匂いも、全部変わってしまうんだぞ」
「新しくなるんだったら、それでいいじゃん。古くて、寒くって、カビ臭い町のどこがいいのよ」
「空の色だって変わるんだぞ。星の瞬きだって、温度だって。きっと人間だって変わる」
「それがどうしたというの。ピカピカの新しいのがいいじゃん。車だって新車がいいでしょう。それと同じよ」
「おい待てよ。恋だって変わるかもしれない」
 男が言った。
「変わったら変わったでいいじゃん。変わったら、次の新しい男見つけるから」
 女が本音を言った。
「所詮は、使い捨てかよ」
          イメージ 5

 狭い路地を歩いていると、ふと昔の懐かしい風景に出逢いそうになる。
会いたい人に会えそうな気がする。
例えば土塀の角を曲がると、昔の「青い自分」が気を付けをして立っている。
好きだった彼女が日傘を持って、にっこり笑っている。
 どうしても言えなかった最後の一言。
「あなたが大好き」
 今ならきっと言える、この迷路の町でなら。
 細い路地をあなたと手をつないで歩きたい。
 何故って?
 一人で歩くには広すぎて、二人では狭すぎるもの。
 じゃあ、どうやって歩く?
 ふふふ。
「それはね、もっと顔をこっちに寄せて。そしたら耳打ちしてあげる」
 ふふふ。
「さあ、迷わないように私の手を取って。
 ううん。この際、二人で迷いましょう」
イメージ 6

エッセイ「想遠」(小豆島発 夢工房通信)


第11話 重ね岩
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

 
誰が言ったか重ね岩。誰が造ったか重ね岩。
とにかく人間業とは思えない。
とてつもなくでかい岩の上に、これまたとてつもなくでかい岩が載っているのだ。
おまけにその両側は直角の断崖絶壁ときている。
命知らずの男どもが何十人かかっても、岩を重ねるのは無理。
重機を用いても、果たして……。
じゃあ誰が? 何の目的で?
重ね岩がある小瀬の住人に訊けば、その由来が分かるだろうが、あえてそうしない方が夢があっていい。
夢づくりプロデューサーである私としては、あれこれ想像力に任せる方が楽しいと思うのだが。
  イメージ 1

そもそもこの重ね岩には、語るべき思い出がある。
大学を卒業してすぐ小豆島に出稼ぎに来たことはすでに話したが、
その頃、私は野良仕事の手伝いのため、土、日曜日にはよく家に帰っていた。
フェリーから眺める小豆島の山々の美しさに、当時も今と同じように心を奪われていた。
赴任して一ヶ月くらいしてのこと、その日も朝起きると、
朝ご飯も食べずに崩れかけの官舎を飛び出し、フェリーに駆け込んだ。
フェリーは土庄港を出発し、小瀬の沖に差しかかった。

 と、そのとき、ムムムムッ、何じゃあれは? 
見上げる視線の先に異様なものがある。それも山のてっぺんに。
私はキャビンを飛び出し、デッキに走っていった。
隣で居眠りこいてたお婆ちゃんが、挙動不審の私に吃驚仰天して目を丸くしていた。
私は腰の抜けた婆さんをよそに、その異様なものに釘付けになっていた。
見れば見るほど凄い。
それはまさに巨大なアポロチョコだった。
イメージ 2

坂出と高松の境に大越半島というのがある。
五色台の歴史民族資料館からまっすぐ北に降りてきた先に、
大槌、小槌というまさにアポロチョコそっくりの島が並んでいる。
トウガンとボトウという兄弟の竜が、島になったという言い伝えがある小島である。
まさかそいつが物見遊山のついでに、ここまで足を伸してきたというんじゃないだろうな。
フェリーの右手を見た。
しかし大槌と小槌は三角帽子を海に突き出し、暢気に日向ぼっこを始めようとしていた。
「もう一度言うが、ありゃいったいなんじゃ」
以来、私の中にアポロチョコが住み着いた。
いつかその正体を確かめてやるぞ。
しかし、三年間勤務したのに、そのアポロチョコの正体を突き止めることなく転勤になってしまった。
 慚愧の念に堪えない。(何を大袈裟な!)
官舎を引き払ってフェリーに乗り込んだときも、
「俺はきっと帰ってくるぞ。そのときお前の正体を暴いてやる」と、
デッキの手すりに凭れて独りごちていた。
イメージ 3

しかしそれは負け惜しみだったかもしれない。
というのも、転勤先で仕事に忙殺される自分の姿が見えていたからである。
日々の生活に追われ、やがてアポロチョコのことも、(いやアポロチョコだけでなく小豆島のことも)
やがて忘れてしまうに違いなかった。
それが人生とはいえ、なにか忸怩たるものを拭い去ることができないままの離島となった。
「人間はときとして思わぬ力を発揮することがある。
 そういうことが昔、実際に起こったんだ。
 その証拠が重ね岩だ」
私はそう言って自分を納得させていた。
そうすることが去りゆく小豆島へのせめてもの思い入れの証であり、
また、たとえ一時であれ摩訶不思議な気分にさせてくれた重ね岩への感謝の気持ちと思えたからである。
二十分ほどすると、さすがのアポロチョコもその威容を失い、ただの小さな黒い点になってしまった。
山のてっぺんにチョコんと載っかった、そのどことなく憶病そうな姿に、
私は訳もなく切なくなって、涙が溢れてしまった。
「さようなら、愛しのアポロチョコ。それと、素敵な思い出をいっぱいくれた小豆島。有り難う」
イメージ 4

真っ青な空と真っ青な海。
貼り合わせてあった色紙を、はがして二枚にしたようだ。
フェリーが白い航跡を残しながら通り過ぎていく。
その後ろ姿に引かれるように群れ飛ぶカモメ。
美幸はまたしても臆病になっていた。
素直に卓也の胸に飛び込むことができない。
「おんぶ」
「えっ?」
脈絡のない言葉に、美幸は卓也の方を見た。
泣きべそをかいたような卓也の横顔があった。
卓也は
「あれだよ」
と、重ね岩を指さした。
両側がすっぱり切り落とされた山の稜線。
見るからに身がすくむ。
巨大な岩が、「通せんぼう」の形で居座っている。
イメージ 5

「何故こんなところに、こんなに大きな岩が?」誰もがそう訊いたに違いない。
「君を幸せにできるという保証はない」
 卓也は美幸を正面から見つめ、改まったように言った。
 先ほど見せた物怖じした表情はすでに消えていた。むしろ自信にあふれた卓也がいた。
「わたし、一度だめだったでしょう。だからどうしても怖くなるの」
「過去の亡霊は捨てろ。俺は、あそこの重ね岩みたいに、君を背負って歩きたい。
 苦楽を共にするなら、美幸、君としたい」
 卓也は美幸を胸に引き寄せた。
 往路と復路のフェリーが沖合正面で重なった。
 美幸は卓也の心臓の鼓動を聞いた。
 ドク、ドク、ドク。
 太く、強く打っていた。
 その鼓動の強さに、美幸は心安らぐものを感じ、未来を重ねてみた。
「二人一緒なら、何だってできそうな気がする」
 美幸は頬を胸にうずめたまま、重ね岩を見た。
〈そうね。どっちがおんぶされる方か分からないけど……〉 

イメージ 6

小豆島には甲乙つけがたい風景が随所にある。
重ね岩もその一つで、そこから眺める景色も掛け値なしに最高。
すぐ下が海。
のどかにフェリーとか漁船が行き交う様に、瀬戸の内海の優しさが伝わってくる。
それに足下が断崖絶壁のため、他のどこにもないスリルを味わうことができる。
高所恐怖症の私なんぞは、手摺りもなにもない山の稜線沿いを歩いたときには、
もう意識が遠のいてしまったほどだ。
しかしその冒険を差し引いても、余りあるものがある。
胸の奥まできれいさっぱり掃除ができる。
「う~ん、気分爽快」
この一言に尽きる。
特に夕日のシーンはお薦め。
ドラえもんの頭みたいなでっかい夕日が海に沈んでいくのだ。
(私個人としては、伊木末から眺める夕日が、ちょっぴり寂寥感があって好きだけど……
 ドラえもんの頭もつい撫でたくなって捨てがたい)
イメージ 7

私は今年三十年振りにして、ようやく「アポロチョコの正体」を突き止めることができた。
それは紺碧の空と紺碧の海に抱かれた、でっかい「夢の卵」だった。
しかし、誰が? 何の目的で?
その答えは必要ない。
なぜなら夢の卵だ。
夢に講釈はいらない。
人間はときとして、思わぬ力を発揮することがある。
そのとき「夢の卵」は孵化する。
それで十分じゃないかね、明智君?

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第10話 銚子渓
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

 
パリには鳩、ロンドンにはカモメ、東京にはカラスが似合う。
これはある外国紙に載った記事である。
うん、目と耳が痛い。
最近は動物に限らず昆虫まで住みにくい世の中らしい。
野山に引っ込んでいたのでは食べていけない。
それではとばかりに、街へと向かう。
なぜなら残飯があって、食べるものに苦労しないから。
ビルの谷間を真っ黒いハシブトガラスが舞ったり、
ジュースの空き缶に蜂が群がるのはそういう訳である。

イメージ 1

 小豆島に銚子渓というところがある。
ここも寒霞渓同様、モミジが美しい。
だが、銚子渓といえば猿。
猿が放し飼いにされ、多くの観光客が訪れる。
ふれ込みは、『お猿の国』。
だがそう銘打っているものの、実際は猿の暮らしも楽ではないに違いない。
猿にも人間同様、階級社会が存在している。
しかし、なかには群れに属さない猿もいる。
彼らは「離猿」と呼ばれて、まさにローンウルフならぬローンモンキーとなって暮らす。
観光客から餌をもらう連中を、輪の外から冷ややかに見ている。
 俺は、飼い慣らされないぞ、とばかりに。

イメージ 2

「飛び猿、群れに戻らないか」
 猿丸がようやく切り出した。
 山の頂上には彼ら以外誰もいない。遠慮なく話ができる。
 屋形崎と小海の集落が、作り物みたいに海岸線に沿って並んでいる。
 海は真っ青だ。その先に岡山が見える。
「団十郎の考えじゃないだろう」
 飛び猿は猿丸の考えを見抜いていた。
「銀治郎が台頭してきやがった。
 若い連中がなびいている」
「時代の趨勢だろう。
 歳とりゃ、力で押さえはきかなくなる。
 あいつは力の支配に頼りすぎた」
 飛び猿は遠くに視線を泳がせている。
「あんたの言うとおり、もう少し知を働かすべきだった。
 でも頑固で耳を貸そうとしなかった。
 あんたが離猿になったのも、そもそもそれが原因だった」
「昔のことはよせ。済んだことだ。感傷は禁物だ」
「このままだと団十郎は、殺られる」
 
  イメージ 3
 猿丸は懇願するような目で飛び猿を見ていた。
 しかし飛び猿の表情は変わらなかった。
 遠くを懐かしむように見ている。
「あいつを守るのは側近のお前の仕事だろう。団十郎に言ってくれ」
「何て」
「俺は離猿。でも哲学はある」
「哲学?」
「閑雲野鶴。俺はこの生き方が性に合ってる。誰に与することもない。
 あいつも群れの頭。引き際はきれいにしろ。それだけだ」
 猿丸は、分かった、と言ってその場を離れた。
 遠くで海が緩やかにうねっていた。
 汚点の一つもない天気だった。
「兄貴、済まない」
 飛び猿の目が濡れていた。

  イメージ 4              
  離猿。
ときに私もそうしてみたい、と思うことがある。
そうできればどんなにか楽だろう。
楽しくはないが、しがらみがない分精神的には楽だろう、と。
漂泊の俳人、尾崎放哉。
まさに彼がそうだった。
彷徨の果て、彼は小豆島を終の棲家として死んだ。
私は彼の心の襖を開けたことがないので、その奥に何が蠢いていたのか分からない。
彼は非凡、私は凡夫。
それでも少し憧れるところがある。

イメージ 5
 銚子渓に行くと、私は必ず頂上の展望台へ行く。
ときどき離猿が角張った岩にぽつんと座って、遠くの海を懐かしむように眺めているときがある。
飛び猿?
そう錯覚してしまう。
目の前に広がるパノラマは、私が選んだ小豆島三絶景の一つだ。

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第9話 渡し船

文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」
 
車を使い始めたのはつい五年ほど前のことで、それまでは自転車を使っていた。
東京とか大阪のような大都市に住んでいる人を除けば、
この話を聞くと、へえ今時変わってるね、と言われそうだ。
実はこれ私のことなんです。でも誤解しないでください。
私は変人でもそこら辺りを徘徊している変態性高気圧でもありません。
自転車に乗って小学生や幼稚園児を狙ったり、
物干し竿に吊してある女性物の下着を物色したりする趣味は持ち合わせていない。

イメージ 1

 要は、現代文明に飼い慣らされたくなかっただけのこと。
そう言えばちょっぴり格好良く聞こえるが、本当は自分のトレーニングのためだった。
自転車はいいトレーニングになる。
毎日、通勤に使っていた。
だから脚力には自信があった。

 ところがつい五年ほど前、仕事が変わって、どうしても車を運転しなければならなくなった。
自転車では仕事ができない。
すると給料がもらえなくなる。
えらいこっちゃ、死活問題じゃ。
で、仕方なく車に乗り始めたという次第。
自転車でのトレーニングができないので、脚力を落とさないため毎朝四時半から走ることに。
そんなおまけまで付いた。

 車に乗り始めて、やっぱり駄目だと思ったのは、
確かに早くて便利だが、周囲のものを楽しむことができなくなったということ。
自転車だといつでも道ばたに止めて、四季の草花を観賞できた。
本当は歩くのが一番いい。
時間はかかるが、それだけいろんなものに気が付く。
特に私は花が好きなので、自転車はまさにトレーニングも兼ねた最適の乗り物だった。
私たちは、スピードが増すほど逆に細かなことに気が付かなくなったり、
周囲のことに配慮ができなくなっているのではないか。

イメージ 2

 土庄町小江(おえ)に沖之島という小さな島がある。
県道からほんの目と鼻の先。
泳いでも行ける距離だ。
小さな島だが、それでも現在民家が十数戸ある。
ではその人たちはどうしているのか?
 渡し船。
 今時渡し船?
そこに住んでいる人たちにしてみれば、至極不便かもしれないが、無責任な言い方だが、
私のように島外から来ている一時的な住民にしてみれば、へえ渡し船、すごいじゃん、となる。

 情緒。
日本人は情緒を大事にした。
 つまりは「空白の部分に存在する価値」を重んじたということ。
大都市東京にして、江戸情緒なんていう言葉もあるくらいだ。

   秋来ぬと
  目にはさやかに見えねども
  風の音にぞ驚かれぬる
        古今集169番 藤原 敏行

    イメージ 3

 こんな一句が頭に昇ってきた。
すべて言わなくても相手の心が分かる。
以心伝心(以心妊娠ではありませんぞ)とか、一でもって十を知るというやつ。
それに行間を読む。
こういったものも、一種の情緒にどこか通じるもの。


 沖之島への渡しは往復百円。
この百円にあなたはどれほどの価値を見出すか。
安い? それとも高い? 
その判断は、一度乗ってからにしましょうか。
いくばくかの情緒がありますから。

     イメージ 4

「いくらだ」
 男は不機嫌に言った。
顔はコートの襟に隠れてよく見えなかった。
「往復百円」
 船頭が言った。
「どうして、往復と決めつける」
「経験でさ」
「ふん」
 男は鼻を鳴らした。
 最終便。男は女を連れて船に乗った。
 年老いた船頭は、若い者には道理はきかねえ、そんな顔をして黙って艪を漕いだ。
 北風がぴゅーと泣いた。

  イメージ 5

 冬、小江の港では、「げた」という舌びらめを一夜干しにする風景が見られる。
寒風に揺らぐげた。
どうしたことか、私の中ではこのげた干しの風景と沖之島への渡しが絡み付いて仕方ない。
これも情緒というやつだろうか。
空白の部分に私は何を見ているのだろう。

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第8話 意石の館
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

小豆島に西寒霞渓といって、もう一つ寒霞渓があるのを知らなかった。
私としては随分勉強不足だった、と今さらながら反省している。
西寒霞渓は、小豆島町丸山から六キロほど上がった段山の頂上にある。
急なカーブを何度も曲がって、ようやくそこに至る。
バブルの時代、ご多分に漏れず小豆島にも土地ブームが席巻したと見える。
西寒霞渓には別荘の分譲地が、未だ売れずに放置されている。
所々に当時は洒落た別荘だったのに、と思わせるロッジがあるが、それも一時代の終焉を見て、荒れるに任せている。

イメージ 1

 どう説明していいのか分からないので、その分譲地の東、それとも西? の奥まったところに、
『石の館』と呼ばれるレストラン?(?マークばかりで、申し訳ありません)がある(のを偶然発見した)。
翌日、私は「瀬戸の島から」氏に世紀の大発見をしたと言わんばかりにそのことをまくし立てると、
石の館ならみんな知ってますよ、といとも簡単に言われてしまった。
 じゃあ、知らなかったのはこの私だけ?
 そうですよ。
 悔しい!
 こうなったら負け惜しみついでに言っちゃいますよ。
 みなさん、この『石の館』はなかなかのもんですよ、ホント。
ストーンアートとしてよりむしろ立地条件が凄い。


『自然愛好家倶楽部』会長の私が気に入ったのは、テラスから眺める風景。
これは小豆島の三絶景の一つと言って過言でない。
信じてください。誇張表現でも何でもないんですから。
ここはやっぱり「瀬戸の島から」氏の写真の出番か。
ちょっぴりアールヌーボー風の手すり。
それに薄いブルーのタイルを敷き詰めた半円形のテラス。
真下に内海湾、三都半島、岬の分教場を擁する田浦が広がっている。
フェリーの出入りまではっきりと見える。
私が行った日は快晴で、遠くに鳴門大橋まで見えていた。

イメージ 2

 う~ん、ロマンチック。
彼女若しくは彼(いや、何も彼、彼女に限ったことではありませぞ。隣のおばさまでもおじさまでも、飼い犬の銀治郎でも、二軒隣の乳牛のギュー君でも構わない)とデートするなら、ここ。
でも、夜は少し怖いか。

 ところで、一般的に言って欧米は石の文化、アジアは木の文化となる。
私はよく海外に出る。元々モンゴル系の血を引いているのか、生まれつき放浪癖がある。
そのため年に何度かどうしても異国を彷徨いたくなる。
そういう衝動に駆られたら、迷わず行く。
それが私流の生き方。

イメージ 3

 フランスのパリから汽車で四十分ほど郊外に行くと、シャルトルという小さな町がある。
〈シャルトルの青〉として全世界に知られるものがここにある。
大聖堂を飾るステンドグラス。
その青の美しさは〈シャルトルのブルー〉と呼ばれ、世界遺産にもなっている。
 一歩大聖堂の中に足を踏み入れると、そこは異次元。
静謐が支配し、あらゆるものが聖なるもの。
そう感じさせずにはおかない圧倒的な力(=神の力?)が存在している。
思わず天を仰いでしまう。
石を寸分の狂いもなく積み上げ、百メートルを超す大聖堂を造るに至った。
クーポラがもう一つの小宇宙を築いている。

 視線を側面に移すと、ステンドグラスが太陽の光を分光して、
その光の束が大理石の敷石に色の影を落としている。
よく見ると、光の束は万華鏡の中のような彩りの光の粒子からなり、
そっと差し出せば手のひらですくい取れそうだ。
その聖なる光の中に身を置き、神に祈りを捧げた数多の人々。
人間の叡智の凄さと、人間を究極の域まで駆り立てる宗教の持つ凄さに感服したに違いない。
イメージ 4

「手を出して」
 と言って、冬子は私に近づいてきた。
「どうしたの?」
 私が訊くと、
「これよ」
 と、目を輝かせた。
 冬子は光の束に両手を差し出し、ちょうど小さなカップを作っていた。
「ほら見て。光の粒子が手の中に溢れているでしょう」
 冬子の両手はステンドグラスの色に染まっていた。
「注いであげる」
 冬子はそう言った。
 私は黙って両手を差し出した。
 冬子はゆっくりと光の粒子を私の手の中に注ぎ込んだ。
「温かいでしょう」
 私は、黙って頷いた。
 この聖なる光の中で、冬子を折れるほど抱きしめてみたかった。

イメージ 5
 小豆島には、島四国と呼ばれる小豆島霊場八十八カ所がある。
見事な木造建築のものから簡易な庵に至るまで種々様々であるが、つい最近、枯れた雰囲気の庵の良さが少しなりとも分かってきた。
重々しくて圧倒的な力で迫ってくる石の建造物も凄いが、肌と同じ温もりを持つ木のそれも捨てがたい。
気持ちが落ち着くのだ。心が癒されるのだ。
見たことはないが、仏様を身近に感じる。

 海が見える小豆島霊場八十八カ所。
素敵なところなんです。
毎日コピー機で焼いたような生活を送っている人がいたら、是非のんびり小豆島を回って欲しい。
きっと日本の良さが分かりますよ。
小豆島に住む人々の心根の優しさが身にしみますよ。
まあ、一度おいでま~せ。
(話が逸れて申し訳ない。西寒霞渓。もう一度言いますが、すばらしいですよ、ホント)

エッセイ「想 遠」(小豆島発夢工房通信)


第7話 廃船
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」
 五十路の半ばにさしかかると、いろんなものがこれまでとは違った色合いで見えてくる。
五十代と断るまでもなく、各年代層でそうなんだろうけど。
とにかく高校生だった頃とか大学生だった頃とは、コペルニクス的転換に近い。

イメージ 6 
人間は年齢とともに経験を積んでいくんだから、そうなって当然でしょう。
そうならない方がどうかしてるんだ。
これを読んでいる人にそう言われそうなんだが、でも果たしてそうなんだろうか、
とやはりすんなり受け入れられない。
よくよく考えてみるに、私の場合、やっぱり原因は、
私の飼い犬の鼻が墨汁を吸わせたように黒いのと同じくらいはっきりしている。
意識しながらも敢えて目を背けてきた現実とでも言おうか、
それは私を例外扱いせず、しっかり躯と心に刻み込まれてしまった。
思い返すに、若い頃は青春のど真ん中にいたために、
その尻尾さえ見えなかったし、影さえ踏まなかった。
要するに、その時期には誰しもが考えないこと、だったわけである。

イメージ 1

 ところがトワエ・モアの歌ではないが、ある日突然……。
老い。
私に憑依したものは、まさにこれだった。
それは親友の死によってもたらされた。
それも立て続けに、二つ。
二人とも、「お互い躯には気をつけようぜ」と言って別れて、二週間経つか経たないうちの死だった。
それを意識してからは、まさしく毎日が「一期一会」と考えるようになった。
友達の死を通して初めて、私自身も人生という数直線上を、随分と遠いところまで歩いてきたのだなあ、
そう認めないわけにはいかなかった。

 高校と大学生の頃、暇を見つけては絵を描いていた。
絵はうまくはなかったが、描いていると文章を綴るのに似て、自己の世界に陶酔できた。
なかでも「廃船」を描くのが好きだった。

イメージ 2

 何故?
 それは人生を感じさせるから。
勿論、人生を感じさせるものは他にもあるが、たまたま私の場合は廃船だったのである。
真新しい木と塗料の匂いに似合った分の臆病さを隠そうとしていた幼年期。
やがて経験を積み、向う意気荒く大海原を切り裂くように直進した青年期。
ひがな天気と海の機嫌を見ながら、当てにするでもなく漁をする老年期。
 ぼろぼろになった船体は、今にも崩れ落ちそうで痛々しいほどだ。
だが、私には誇らしく映る。
人生の荒波を乗り越えてきた者だけが漂わせる落ち着きと風格。
そういうものが廃船にはある。
落ち着きと風格を合わせれば、品格と言ってもいい。
船体は朽ちても品格は残る。
これってとても大事だよね。
少なくとも、今の私はそう思う。

 重要な決断を迫られたり、何かの折りに少し気弱になったりすると、
私は無性に廃船が見たくなって、小豆島の至る所に点在する入り江に出かけることがある。
漁港の隅っこに、役目を終えた廃船がとも綱でつながれている。

イメージ 3

「俺たちの出番はもうなくなっちまった」
 住吉丸が言った。
「もう一度、あの真っ青な大海原に出て、一暴れしたいもんだ」
 大翔丸が応えた。
「腹が裂けるくらいサワラを詰め込んで帰ってきた、あの日のことを覚えてるか」
「忘れるわけないだろう。あのときは凄かった。
大漁で、いくらエンジン回しても、先に進みやしなかった。
春の海がへらへら笑っていやがった」
「大翔さんと俺で一、二位を争った」
「あの頃は俺たちも若く、全身黒光りする筋肉だった」
「お互いもてたな」
「言い寄ってくるカモメを断るのが面倒臭いほどだった」
「大翔さん、白灯台に熱上げたことがあったな」
住吉丸がからかい半分に言った。
「住さん、大きな声を出さないでくれ。照れるじゃないか」
 大翔丸がスクリューの欠けた口で笑った。
「まだ想ってるのかい?」
「ぶきっちょな俺だ。分かってくれ。〈一途〉しか取り柄がなくってね」
「なるほど。大翔さんらしいや」

イメージ 4

 小さな漁港だったが、入口に小さな灯台があった。
毎日、胸を張って漁に出たことを、住吉丸も大翔丸も思い出していた。
白灯台の前を通り過ぎるときは、特にそうだった。
「大漁、待ってるわよ」
 白灯台が朝日に溶けるように白く、ほっそりと長い手を振ってくれた。
「俺に任せとけってんだ」
 波を割る首筋の筋肉が、ぐっと盛り上がった。
「お帰りなさい。明日があるわよ。ね、頑張ろう」
 漁が思わしくないとき、いたわりの言葉を忘れなかった。
優しい声は疲れた気持ちにしみこんで、明日への希望をかき立てた。
「おおっす」
 大翔はそう答えるのが好きだった。

イメージ 5

腹を抱えて笑うべきところも、みっともないからと口先で噛み殺すようにして笑ってみせる年齢。
チェックのネクタイを捨て、ヨモギ色の地味なネクタイで決めて見せようとする年齢。
一つ空いた席にお尻をねじ込んで座りたいのに、曲がった背骨がそれを許さない年齢。
女房に黙って貯めたへそくりを、気前よく部下のために遣い、翌朝、二日酔いの頭で後悔する年齢。
枚挙に暇がない。
 果たしてこれからどう生きるべきか。
 まさにハムレットのおっさん版だね。
 ◆残すべきか 残さざるべきか それが問題だ。
 一ひねりして英語で云えば、
 ◆To drink, or not to drink.  That is the question.
 となる。
 なんだ! 残すのは品格じゃなくって、ボトルに残った最後の一杯か。

エッセイ「想 遠」(小豆島発夢工房通信)


第6話 消えゆく島
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

 私が住む官舎から少し行ったところに、「木香の浜」というところがある。
昔は海水客で賑わったんだろうな、と想像させる美しい砂浜である。
私は毎朝四時半に起床してそこまで走ることにしている。
片道一、五から二キロくらいか。
途中にある鹿島の海岸線は、いつも心を和ませてくれる。
潮風を受けながら十分ほど行くと、坂道にさしかかる。
一見緩やかに見えるが、なかなかどうしてこれが曲者で、じわじわ足に乳酸が貯まり出す。
そのうち息も荒くなる。
でもそれを登り切ると、左下に視界が開け、白い浜が見えてくる。
それが木香の浜である。

  イメージ 1

 しかし昨年の四月に赴任して以来、毎日のようにそこまで走っているが、
一度も砂浜まで降りていったことがなかった。
冬場はまだ真っ暗で、砂浜さえ見えない。
ただ波が海岸線を洗う音だけが、かすかな響きとなって闇の隙間を縫うように聞こえてくる。
久し振りに散歩がてら出かけてみることにした。

 三十年前の記憶にあるその浜は、貝を裏返して敷き詰めたように白く、
柔らかな日差しにも眩しかったのを覚えている。
空と海のブルーを含んだ波が砂浜で砕けるたび、さらに眩しい白が水際を飾った。
砂浜は長く、波打ち際はウェディングドレスの裾のようであった。
何十メートルも先にブーケを持った花嫁がいそうであった。
沖をゆく船と蜃気楼みたいに浮かぶ島影。
これらがともすれば単調になりやすい海の広がりにアクセントを付けていた。
それともう一つ、背の高い椰子の木が二十五本ばかり植えられていて、
海から吹き付けてくる風に巨大な葉を揺らめかせ、熱帯性の熱を発散させていた。
私の記憶にあるその浜の残像とは、南国情緒たっぷりの風景だった。

 イメージ 2

 でもそこに足を運んでみて、胸が痛んだ。
予想はしていたものの、実際に行ってみて昔の記憶にある残像と現実との乖離は大きかった。
世の中って所詮こんなもんだろう。
そこに行く前から、まさかのときのために用意しておいた言葉がつい口をついて出てしまった。
砂浜は相変わらず美しかった。
椰子も一本も欠けることなくあった。
砕ける波も当時と同じように眩しかった。
では何が?
 野外ステージは壊れ、その回りは夏草が我が物顔に生い茂っていた。
まさに、強者どもが夢の後、である。
それに誰が捨てたのか、粗大ゴミさえあちこちに顔を覗かせていた。
さらに先へと進み砂浜に降りると、状況はまさしく悲惨そのものであった。
どこから流れ着いたのか、ペットボトル、プラスチック、発砲スチロールと、
現代文明が生み出した悪しき副産物が所狭しと散逸していたのである。
一時期、豊島の産業廃棄物が全国的な注目を集めたが、
これを見て小豆島とて楽観視できないことが分かった。
おそらく日本中がこういう状況なんだろう。いや、世界中が。

イメージ 3

 島が消える。
南太平洋のポリネシアの西端に位置するツバルという珊瑚礁の島々は、
温暖化のために水位がどんどん上がって、島そのものが海に消えようとしている。
小豆島はどうだ? 
小豆島がゴミに消える。
想像するだけで恐ろしいじゃないか。
世界遺産にしてもいいような小豆島が、「夢の浮島」ならぬ「ゴミの浮島」。
「夢拾い」ならぬ「ゴミ拾い」。
こうなってはシャレにもなりゃしない。

 このブログを借りて、おっさんは叫ぶぞ。
本気だぜ。耳の穴かっぽじって聞いてくれ。
みなさ~ん、ポイ捨てやめようぜ。
自分のゴミは自分で処分しろ。
でなかったら、俺たちの地球は本当に消えちまうぞ。
最後に、ルールとかモラルをおっさん連中は口やかましく言うが、
それはその社会がどれだけ成熟しているかを示すバロメータなんだ。

イメージ 4

コロン カンカンキーン
「今の音、何よ」
菌子は右手でハンドルを握り、左手でメールを打ちながら自転車をこいでいた。
「知らねえ。バッタとキリギリスが野球でもやってんじゃねえのか」
菌太がすまし顔で答えた。
「あんたね、いい加減にしなよ」
菌子は自転車を止めた。
「拾ってきなさいよ。空き缶ポイ捨てするなんてみっともないじゃん。
 デリカシーのない男って、大嫌い」
菌太は自転車の荷台から降りると、投げ捨てたジュースの缶を渋々拾いに行った。
「何で俺に注意しやがる」
菌太は毒づいた。
「何か言った?」
「別に」
菌太は足で缶を蹴飛ばしながら帰ってきた。
「あんた運転しなさいよ」
「どうして?」
「運転していればぽい捨てしないでしょう」
「偉そうに」
菌太は不満そうにハンドルを握った。

数分後。
コロン ビンビンビーン
「今の音、何だよ」
「知らないわ。猿とカニがゲームやってんでしょう、きっと」
菌太が肩越しに後ろを見ると、オロナミンの壜が転がっていた。
まさに、ビンビンビーン。
こりゃどっちもどっちだ。
付ける薬がないとは、まさにこのこっちゃ。
世の中暗いぜ。

イメージ 5

夜空の真ん中にひょいとハンモックをつるして、銀色の月が寝そべったまま、
恥ずかしそうに半分だけ顔を出している。
手には絵筆。
顔にはいかにも楽しくて仕方ないといった悪戯っぽい笑い。
ハンモックの縁から小さなバケツを傾け、
そろそろと銀色の光を垂らすと、
長い砂浜に寄せる波の背に銀の絵の具を塗っていった。
遊びに興じていた月が何を思ったのか、絵筆の動きを止め、
ぐっと前に差し出してそのままじっと待った。

しばらくすると、筆先に小さな銀の滴が生まれ、
次第に大きく膨らんでいった。
最後に星のきらめきを抱えきらっと光ると、
その光の重さに筆先からぽつりと落ちた。
 銀の流れ星。
 誰かが流した涙?
 ううん。それは月からの贈り物。
 小島の磯がふわっと明るくなって、
夢を枕に眠るおっさんの頬に留まった。
そして小さな声がした。
「いつもわたしを見守ってくれて、ありがとう」

イメージ 6

渋くてぎざぎざの夢を見ていたおっさんが、
う~ん、と唸って、そしてぱっと笑った。

エッセイ「想 遠」(小豆島発夢工房通信)


第5話 岬の分教場
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」


土曜日と日曜日には、家に帰ることが多い。
田んぼ仕事と犬の散歩が待っているからだ。
高松からは汽車を使う。
十五分もすれば田園風景の中を走っている。
八月だと緑の稲穂が、青空に向かって元気よく伸び、深緑の山の稜線の上には、
真っ白な入道雲がほっぺにあめ玉をねぶったようにぷっくら笑っている。
それに蝉時雨。
これだけで気持ちが和らぐ?

イメージ 1

 でも何か変だぞ。
周囲の乗客を観察してみて、ようやくそれが何か分かった。
なるほどこれが原因か。
乗客のほぼ全員が同じことをしているのだ。
にらめっこ。
にらめっこ? 何を馬鹿な。おっさん暑さで血迷ったか。
もう一言足せば、携帯電話。
もうお分かり戴けるでしょう。
老若男女、みな携帯の画面とにらめっこ。
夢中」という言葉がぴったり。
一言も言葉を発しない。
私の真ん前の女子高校生は、目にもとまらぬ早さでメールを打ち込んでいる。
ピポピポキンキンキュー。
ブラインドタッチ。
鮮やかなもんだ。
よく指がもつれないなあ。
感心する私の右隣では、口を半開きにしたサラリーマン風の男がゲームに夢中。
おいどうなっちまったんだよ。
まるで携帯電話の奴隷じゃないか。
俺たちは携帯をもった猿か? 
猿は銚子渓にいっぱいいるけど……。
おい、俺たち本当に大丈夫か。このままでいいんだろうか。

イメージ 2

 醤油づくりで知られる「醤の郷」を少し行ったところを右に曲がって、
エメラルドグリーンの海に目を奪われながら車を十五分くらい走らせると、それはある。
木造づくりの古い校舎。
黒い板塀がいかにも歴史の重さを感じさせる。
苗羽小学校田浦分校と言っても島外の人にはピーンとこないと思う。
『岬の分教場』と言えばどうでしょうか。
壺井栄原作、木下恵介監督、高峰秀子主演により映画化された『二十四の瞳』の舞台となったのが
ここ岬の分教場である。
昭和四十六年まで約七十年間使用されていた。

イメージ 3

 入り口でスリッパにはきかえて、板張りの廊下を進むと教室。
中に入ると、少しかび臭いような煤けたような空気に、鼻孔をくすぐられる。
とうの昔に忘れた木の匂い。
床に目を落とすと、木目がはっきりと浮いている。
小さな椅子と机。
教卓。
その背後にある黒板。
隅っこに置かれたオルガン。
天井からぶら下がった裸電球。
かつてそこは子供たちの天国だった。
泣いて笑って、飛んで跳ねて、踊って唄った。
手をつないで、みんなででっかい輪を作った。
みんな友達だった。
みんな家族だった。

 左の窓から柔らかい陽光が射し込んでいた。
光の渦がタンポポの綿毛のように跳ねている。
アンドゥトワ アンドゥトワ。
その渦が子供たちの影のように見えた。

イメージ 4
貧しい? と思いますか。
「貧しいのは、心が細った人のことを言うのです」
先生がそう言ったよ。
きっとそうだと思う。
きらきら輝く私たちの目を見て。
海のきらめきみたいでしょう。
だって未来が住んでいるんだもの。
お腹を空かせていても、友達が大事。
疲れていても、父さん、母さんの肩叩き忘れないよ。
きれいな櫛はないけど、野の花を摘んで髪にさすの。
そしたら髪に風が流れるの。
友達と手をつないで踊っているときが、一番楽しい。
みんなで声を合わせて歌っているときが、一番幸せ。
勉強がしたい。
字が読めるようになりたい。
字が書けるようになりたい。
そしたらあなたの優しさがこもった手紙が読めるもの。
そしたらあなたに愛がつまった手紙が書けるもの。
私たちのきらきら光る瞳を見て。
海のきらめきが見えるでしょう。
それでも、貧しいと思いますか。

 本当の幸せっていうのはね、心を太陽にすること。
他人の幸せを自分の幸せと感じる心を持つこと。
他人を自分の家族と思うこと。
ありふれたことに、きらりと輝くものを感じること。
いっぱいあるじゃない。
違いますか?

 瞳はそう日記に書いて、目を閉じた。
二十年前のことだった。
あの頃の自分に戻りたい。

イメージ 5

ものが溢れている。
地球の表面から滑り落ちそうなくらいね。
それでももっと欲しいですか?
ものを多く持つことが、いつの間にか幸せを測る物差しになってしまった。
よく言うように、腹八分目でいいのだ。
満たされると、考えなくなる。
有り難くなくなる。
想像力が枯渇して、創造性に乏しくなる。

 ミツバチを花がいっぱいあるところに連れて行くと、どうなるか知っていますか。
さぞかしたくさん蜜を集めるだろうなあ、と思うでしょう。
実は、その逆なんです。
一年中花が咲いているもんだから、ミツバチはいつでも蜜が集められると安心して、
怠け者になっちゃうのだそうです。
今の私たちにどことなく似てないですか。

イメージ 6

ピポピポキンキンキュー。
私はこの金属音より、アンドゥトワ アンドゥトワの方が好きだな。
だって子供たちが目を輝かせながら踊る姿が見えるから。

エッセイ「想 遠」(小豆島発夢工房通信)


第4話 四方指
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」

寒霞渓から見てちょうど真南にあるのが四方指。
「しほうざし」と読む。標高777メートル。
小豆島唯一の高原「美しの原高原」にある。
ここからだと、東西南北四方が見渡せる。
晴れた日には、鹿の角?みたいな内海湾、大部、池田、土庄等々、小豆島が一望できる。
まさに欲張りスポット。

イメージ 1

 私が高校の卒業記念にと知音二人とともに小豆島に来たとき、一番感動したのがここだった。
残念ながら季節の関係もあったのだろうが、寒霞渓ではなかった。
「おい、こりゃ天国や」
 と私。
「まだ死んでないぞ」
 単純なYが半畳を入れる。
「馬鹿。比喩じゃ、喩えじゃ。素麺じゃ」
 今度はTの番だった。
「お前、まだ酔ってるのか」
 私がTに訊いた。
「あれしきの酒で酔うもんか」
 Tが笑いながら返してきた。
「そうだよな。三人でビール十五本程度じゃな」
 Yがとぼけたように言った。
「じゃあ、これでもやるか」
 Tがポケットからウイスキーの瓶を取り出した。
 私たち三人は、ときどき受験勉強に疲れたら、寄っては酒盛りをしていた。

 小豆島へやって来たのは、卒業式から二週間くらいしてだったと思う。
というのも大学の合格発表の後で、三人ともまがりなりにも行き場所を確保でき、ほっとしていたからだ。
三月の終わりにはそれぞれ違った大学に進み、ばらばらになってしまう。
そこで思い出記念旅行に行こう。
そう提案したのは他でもないこの私だった。
だが肝心な金がない。
そこで浮かんだのが、貧乏高校生である私たちにしてみれば、一応海外であり、
そして旅行らしい気分にひたれるのではないかという淡い期待を抱かせた小豆島であった。

イメージ 2

 果たして小豆島は私たちの期待を裏切らなかった。
私たち三人は、よく歩き、よくしゃべった。
夜は昼の疲れもものともせず、酒を飲みながら将来を、好きな女の子のことを語った。
(残念ながら、三人とも振られたが……)
そう、青春を熱く語ったのだ。
前の晩しこたま飲んで少々酒が残っていたが、私たち三人は元気そのものだった。
翌日、内海町の遍路宿を出発、寒霞渓、そして四方指と歩いてきたのである。

 春の柔らかな光に包まれた小豆島は、目にもさやかに輝いていた。
洗い立てのようなすがすがしい空気に、若葉が匂っていた。
高校を卒業したばかりの私たちそのものだった。
ういういしくて、傷つきやすく、そして無知でタケノコのように単純。
これから出て行く都会のことも、また、大学を卒業したら待ち受けている世間という魔物に対しても恐れを知らなかった。
イメージ 3

 穢れなき青春。(飲酒癖のある高校生のどこが穢れなきじゃ? すいません!)
四方指からの眺めは、非の打ち所がなかった。
それほど素晴らしかったのだ。
私の心に一つの風景画を刻みつけた場所であったことだけは間違いない。
なぜなら、私は小豆島から帰るやイーゼルとキャンバスを押し入れから引っ張り出し、
四方指から内海湾を俯瞰した油絵を描き、それを勉強机の上に飾っていたからである。
 何の因縁か、私はその四年後、大学を卒業すると小豆島に赴任を命ぜられた。
Yは現在、イオングループの常務取締役になり、Tは大手銀行を早期退職して、
好きなフルートを吹きながら中国から輸入した硯を売っている。

イメージ 4

 四方指からは、その呼び名に違わず四方が見渡せた。
しかし、そのとき私たち三人の将来はまったく見えなかった。
それでも未来に不安を抱かず、前へ進む元気だけはあった。
それは青春という誰もが通過する時期にのみ持つことを許される勲章だったに違いない。
「知音」とは、奏でる音を聞いてそれが誰か分かる。
そういう間柄を指す。
心を許し合った真の友。
まあ言うなれば、飼い犬が足音でご主人様と分かるに等しい。

イメージ 5


 歳月は人を待たない。
久し振りに高校時代のことを肴に酒盛りでもやらかすか。
でも最近めっきり酒の量が減った。
これが心配だ。
音は音でも、飲み過ぎてお鈴の音を聞かないようにしなければ……。

お鈴鳴って
友を知る
ー満ー

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第3話 寒霞渓
文………鮠沢 満     写真……「瀬戸の島から」
 寒霞渓。小豆島恋叙情の中でも、この寒霞渓は題材に選ばなかった。
というのも、寒霞渓は小豆島の代名詞になっているからである。
小豆島=寒霞渓。
そんな方程式が成り立つ景勝地を書くには、まだ私の文章力では無理だと思ったのである。

イメージ 1

 しかし、先日ひょっとしたことから、随筆でなら書いてみようか、と思い始めたのである。
きっかけは新潟の友人。
彼はかねがね私が勤務する小豆島を一度訪ねたいと言っていた。
それがこの夏、香川を訪れる機会に恵まれたので、
是非とも小豆島に寄りたいと言ってきたのである。
要するに、酒を飲もうじゃないか、ということなのである。
さっそく彼はインターネットで小豆島のことを調べたらしく、
小豆島には寒霞渓というとてもすごい名勝があるんだね、と開口一番そう言った。
 やっぱり、寒霞渓か。

 ところで、寒霞渓は日本三大渓谷美の一つに数えられている。
凝灰集塊岩が長年にわたって浸食された結果、深い渓谷と奇岩絶壁を生み出すに至った。
奇岩絶壁といっても、単なる奇岩絶壁ならどこにでもあるが、寒霞渓のそれは特異である。
自然という天才が創造した芸術作品。
そう称してもいいからだ。
奇抜な形の岩々と、そこに生える松、モミジ、楓等の木々との調和が特に見事で、
四季を通してその様相を変える。
なかでも秋のモミジは絶品で、まさに息を呑む。
私の言葉ではこんな陳腐な表現しかできないのが残念だ。
やはりここは「瀬戸の島から」氏の写真を見ていただくに限る。
(だから寒霞渓は題材に取り上げたくなかったのである。オンオンと泣く)

イメージ 2

 寒霞渓は表十二景、裏八景からなる。
頂上へは紅雲亭からロープウェイ、またはブルーラインで車でも行けるが、
それは私に言わせると邪道である。
寒霞渓の渓谷美を駆け足で、また空中からのパノラマとして楽しむにはいいかもしれないが、
自然美を堪能したいのなら、はやり表十二景と裏八景を徒歩で登るべきである。
『讃岐めん探検隊』と『自然愛好家倶楽部』の会長である私なんぞは(あくまで自称であって、このような組織及び団体は存在しない)、その美しさに何度言葉を失ったことか。
大袈裟な言い方だが、妻とも一週間ほど口がきけなかったほどだ。
(今振り返ると、あのときの夫婦喧嘩はフォークとナイフが乱れ飛ぶほど派手だった)
 登山途中に突如として現れる奇岩。
これがまた絶妙なタイミングで現れる。
少し足が疲れたかな、そう思ったところにぬっと出現する。
ついついそれらに見入って、疲れを忘れてしまうのだ。
心憎いまでの演出と言わざるを得ない。

イメージ 3

頭上の岩を
めぐるや
秋の雲
子規
 
それに奇岩に付された名前も面白い。
いくつか抽出してみよう。
さて、あなたはいくつ読めるでしょうか。
何を隠そう、かく言う私も漢和辞典を調べないと分からないものばかり。
(すべての漢字が読めると、漢字能力検定2級くらいかなあ)
 ご託はそれくらいにして、さあ漢検開始。制限時間は三十秒。
 まず表十二景から。

通天窓、
紅雲亭、
錦屏風、
老杉洞、
蟾蜍巖、
玉筍峰、
画帖岩、
層雲壇、
荷葉岳、
烏帽子岩、
女蘿壁、
四望頂、
鷹取展望台。

 どうでしたか? 三十秒も必要なかった?

 続いて裏八景。
法螺貝岩、
二見岩、
大亀岩、
幟嶽、
大師洞、
石門、
松茸岩、
鹿岩。

 ああ、安心した。そんな顔がコンピューターの向こうに見えますね。
こっちは結構読みやすいでしょう。まあ、漢検四級くらいでしょうか。
いろいろと凝った名前を付けていますが、実際に見ていただくと、
どうしてその漢字が当てられたかお分かり戴けると思います。
まあ一度だまされたと思って、秋にでも小豆島を訪ねてみてください。
私と同じように茫然失語(こんな表現あった?)に陥ること請け合いですから。

イメージ 4

 垂直に切り立った奇岩が、まっすぐ空を突き破っている。
その上岩肌はごつごつとしていて、優しさが微塵もない。
まるで荒くれた野武士が仁王立ちになって、下から登ってくるものは虫一匹とて蹴落としてやる、
そう言っているようだった。
雪絵は後じさった。
それでも思い切って前に身を乗り出したい衝動もあった。
この矛盾した気持ちの原因は、奇岩の割れ目から突き出たモミジにあった。
見事な赤。
周囲の空気さえ赤く染まっている。
モミジ明かり。
真昼というのにふとそんな言葉が浮かんだ。

雪絵は一歩前に進み出た。
隣で瓦投げを楽しむ家族が、大きな声を上げて笑っていた。
その間隙をついて、もう一歩前に出た。
視界がぐっと広がった。
ロープウェイのゴンドラが登ってくるのが見えた。
膝が少し震えていた。
一歩間違えば、急峻な渓谷をまっしぐらに落ちていく。
それでも雪絵は、岩松とともに固い岩肌を飾るモミジの一葉を手にしてみたかった。
この頃とみに臆病になった雪絵にとって、モミジの一葉は、
どうしても手にすることができなかったものを手にすることに似ていた。

イメージ 5

 どうしても手にできなかったから、余計に愛おしいのだ。
両手でひしと抱きしめたいのだ。
簡単に手に入るものなど犬にくれてやる。
困難なものを手にすることで、ようやく自分が立ち直れる。
そんな予感がしていた。

 目の前に林立する岩。
そこに鉤をかけ、一歩一歩上に這い登っていく雪絵自身の姿があった。
眼下に内海湾が鹿の角のように広がっていた。
青空の天幕をはがし、そのまま重ねたような青さだ。太陽の光が跳ね返っている。
 やっとのことで岩を登り切った雪絵は、思い切ってモミジに手を伸ばした。
そして……。
「お母さん、こっち」
瓦投げをしていた子供の声がした。
それは雪絵に向けられた声だった。
 
 イメージ 6
 人間やってると、いろんなことがありますよね。
いいこと悪いこと。
笑ったり泣いたり。
山あり谷あり。
まさに人生はジェットコースター。
それにマニュアルもない。
これって寒霞渓に鉤を掛けて登るに等しくないですか。
最後に寒霞渓の名前の由来。
どうもいくつかあるらしいが、
その一つに応神天皇が岩とか木々に鉤をかけて登ったというのがある。
「かぎかけ」から「かんかけい」。
なるほどね。
漢字も「浣花渓」、「神翔山」、「鍵懸山」といろいろ当てられたらしいが、
結局は高松藩の儒学者藤沢南岳の「寒霞渓」が現在使われている。



 付録=[漢字検定問題解答]
通天窓(つうてんそう)、紅雲亭(こううんてい)、錦屏風(きんびょうぶ)、老杉洞(ろうさんどう)、
蟾蜍巖(せんじょがん)、玉筍峰(ぎょくじゅんぽう)、画帖岩(がちょうせき)、層雲壇(そううんだん)、
荷葉岳(かようがく)、烏帽子岩(えぼしいわ)、女蘿壁(じょらへき)、四望頂(しぼうちょう)、
鷹取展望台(たかとり)、法螺貝岩(ほらがいいわ)、二見岩(ふたみがいわ)、大亀岩(だいきがん)、
幟嶽(のぼりだけ)、大師洞(たいしどう)、石門(せきもん)、松茸岩(まつたけいわ)、鹿岩(しかいわ)

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)


第2話 海の森

文………鮠沢 満 写真……「瀬戸の島から」
 ここ小豆島には、夕日スポットとか朝日スポットと呼ばれる箇所がいくつかある。
観光案内マップにも書いてある。
なかでも、伊喜末(いぎすえ)から眺める夕日は格別なものがあり、私のお気に入りの場所である。
前島と豊島(てしま)、その奥に男木島と女木島を黒のシルエットに沈む深紅の夕日は、まさに言葉を奪ってしまう。

イメージ 1

 もう二十年も前になるだろうか。
アメリカのイリノイ州にあるマトゥーンという田舎町の大学で、日本文化について教えたことがある。
通い初めてアメリカ人大学生の向学心の旺盛さに驚かされたが、それよりもっと私を驚かせたのは、大学がこともあろうにトウモロコシ畑のど真ん中にあるという事実だった。
右を見ても左を見てもトウモロコシ。
もうそれはそれは見渡す限りのトウモロコシなのである。
トウモロコシが三度のめしより好きな人間でも、先が霞んで見えなくなるほど遠くまで広がるトウモロコシ畑を見れば、自分が人間ではなく牛に思えてくるに違いなかった。
朝から晩までひたすら食べても、大海の一滴を掬うに等しい。
全部食べ尽くすとなると、替え歯がいくらあっても足りない。

 トウモロコシの収穫は九月の半ばから十月の初旬まで。広大なトウモロコシ畑のこと、手作業というのは当然無理で、巨大なコンバインを使う。
収穫時期になると、あちこちでコンバインがカブトムシみたいに行き来しているのを目にする。
私が世話になっていたテイラー教授も元々は農家の生まれで、親から受け継いだ広大なトウモロコシ畑を持っていた。
 ある日、キーを持ってくると、彼は私に「コンバインでトウモロコシを刈れ」と言った。
私は日本では見たこともない巨大なコンバイン(日本のコンバインは小さいのでコンマインという……私の造語)に圧倒されたが、首尾よく運転席に座ると、トウモロコシを一筋ずつ刈っていった。
刈り出すとこれがなかなか面白い。
なにせ中学生の頭にバリカンを走らせている感覚なのだ。

イメージ 2

 決められた私の仕事も終わりにさしかかろうとしていた。
その頃にはもう日も傾き、太陽はオレンジ色の光を吐き出し、最後の演出に取りかかっていた。
私はようやく最後の一筋を刈り終えた。
とそのとき、突然オレンジ色の光に包まれたトウモロコシが、金色に輝き始めたのである。
地平線の彼方まで続くトウモロコシ。
最初は刷毛でうっすらなぞったみたいに弱々しい輝きだったものが、数分後には強烈な輝きに変わった。
まさに広大な大地が金色(こんじき)に燃えていた。
それは収穫を祝うことと、母なる大地への賞賛と感謝の表れに他ならないと思えた。
 私は固唾を呑んでそれを見守っていた。
 地平線の上には、でっかい夕日がさも得意そうにぶら下がっていた。

イメージ 3            *

 朋美は波の背に乗った夕日の落ち葉を一枚ずつ拾い上げてみたかった。
そしてまだ熱の残るそのかけらを、ブローチ代わりに胸に付けておきたかった。
きっと二人が交わした約束が、胸に刻印されるに違いなかった。

豊島が夕日に溶けるように炙り出されていた。やがてそれも漆黒の闇に閉ざされ、沈黙の海に眠ることになる。産業廃棄物も暗い海の底へと沈み、鎮守の祠も、棚田も、島民も、みなおしなべて海の森に還っていくのだ。
朋美はそれでも、そこに一つの輝きを見ていた。
海の底に横たわる裕樹の皺一つない若い躯と魂。
それはかつて朋美に情熱を与え、希望を抱かせたものだ。
それは歳月の浸食を撥ねつける聖なる存在であって、いかなる罪に対しても免罪符を許されていた。
今、裕樹が目覚めようとしていた。
「裕樹、きれいな夕日よ。さあ、紅蓮の光に染まりなさい」
今、朋美の目の前にある海は嘘のように静まり返っていた。
だが、海難事故が起きたあの日は違った。
裕樹が漁に出て小一時間くらいすると、低気圧の通過に伴い海は突然時化だし、瞬く間に大荒れになった。
「朋美、子供ができたら夕日を見に来よう」
 事故の数日前、裕樹はそう言った。
 朋美は、うん、と頷いていた。

イメージ 4            *

 娘が東京から帰郷したとき、「やっぱり田舎の夕日は違うよね」と言った。
「どこが違う?」
「まず色。次に熱。それと大きさ、かな。
ビルの谷間に沈む夕日は、人工的で、作為の回し者みたいで気持ちがついていかない。
色も煤けた赤で、どう見たって不完全燃焼。
さしずめ病んだ夕日ね。
いくら大きく膨らんでみても、ビルの隙間に沈んでいくんだもの、肩を縮めて小さくならざるを得ない。
ときどきネオンの看板に引っ掛かっているときがあるのよ。
やっぱり夕日は、雄大な地平線とか水平線を従えて落ちるのがいいわよ。今日一日が終わったという感じ。それに、明日また頑張るぞ、という気持ちになれるじゃない」

私がアメリカのトウモロコシ畑に沈む夕日を見て、大自然の神秘に畏敬の念を覚えたとき、長女は四歳、次女は一歳半だった。
あれから二十年以上が経って、果たして夕日の色も熱も大きさも変わったのだろうか。
子供の頃、夕日を追いかけていって、もうそれ以上入らないくらい、胸いっぱい夕日を詰め込んだものだった。

イメージ 5

温暖化が進んで地球の環境がどんどん悪化して、子供たちの夢と希望の象徴であり、大人の憧憬の拠り所である夕日も、やがては不治の病を発症し、汚らしいだけの斑点に成り果ててしまうのだろうか。
そんな腐った夕日なんか誰も見たくないはずだ。
私の目の奥に焼き付けられた夕日は、未だ色褪せることがないのだけれど……。

 瀬戸に沈む夕日に見入るとき、私はアメリカで見たでっかい夕日と、それとは対照的に海の底に静かに横たわる海の森を想う。
砂漠化の手が届かない深い海に広がる海の森。
そこに多くの魚たちが棲み、多くの魂が安らぐ。
もう少しすれば、今年も盆がやって来る。
朋美は裕樹に会えるはずだ。
イメージ 6

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)

第1話 刹那の寺

             ?H5>文:鮠沢 満     (^o^) 写真:「瀬戸の島から」
記念すべき第一話は、人生の先輩であり、私の芸術的素養の生みの親であり、
そして何より血のつながりが最も濃い人物を書こうと決めていた。
私の父である。
が、ちょっとしたハプニングで、親父の出番は後回しになってしまった。
その日は梅雨が明け切らないへんてこな天気で、
曇ったり、晴れたり、小雨が舞ったりと、めまぐるしく変わった。
しかし久し振りに過ごす小豆島での日曜日。
官舎に閉じこもっているのが勿体なく、出かけることにした。

 イメージ 1

 そそくさと着替えを済ませると、小豆島霊場第七十六番奥の院三暁庵に出かけた。
ここは弘法大師が巡錫の途中、衣を洗われた際、
池の水があまりに少ないので井戸を掘られたとの言い伝えがある。
名前に庵が付されているとおり、ごく小さい大師堂と通夜堂があるだけの、
訪れる人とて滅多にない山寺である。

 しかしなぜそんなところへ?
もしかして紫陽花が残っているかもしれない。
そんな淡い期待を胸に出かけたのである。
車を降りると、期待を裏切らず、紫陽花が散り際の最後の花を梅雨の滴に濡らしていた。
遠くから見ると、うっすらけぶった霧に浮かんだ紫の雪洞のようであった。
境内には私以外誰もいなかった。
私一人のために最後の花を散らさず待っていてくれたことに、
何だかとても得をしたような気分になった。
 
 イメージ 2

 その幸せな気分にひたったまま、第七十七番札所歓喜寺、第七十番長勝寺と回った。
長勝寺の掘り割りに架かる小さな石橋を渡るとすぐ正面が本堂だった。
賽銭を投げ、祈った。
本堂左に「子さずけ地蔵」があるというので、
そちらに向かうと、一人の女が手を合わせていた。
体つきと着ているものからしてまだ若い。
年の頃は三十前か。彼女を包む空気がピーンと張りつめていた。
邪魔するのも悪いと思い、私は踵を返すと、本堂右の大蘇鉄の方に歩いていった。

「あなたどちらから来たんね」
私は肝を潰した。
人影もないのに突然声がしたからである。
きょろきょろしていると、本堂から住職が顔を出した。
「土庄ですけど」
「ならあの子頼めんかい」
そう言うと、住職は先ほど「子さずけ地蔵」の前で一心に祈っていた女を指さした。
「瑠璃堂(第六十九番)まであの子乗せてやって。
 わざわざ神奈川県から来たんだってよ」
住職は女に声をかけた。
女は遍路杖をつきながらのろのろやって来た。
足取りが重い。
それに遠目ではあるがどこか翳りがある。

 イメージ 3

「じゃあ行きますか」
 私の誘いにもちょっと頷くだけで、言葉は返してこない。
顔もこちらに向けない。
どうも私を信用していないらしい。
それも尤もな話である。
いくら寺で会ったからといって、初対面の見知らぬ男に、
乗せてやってくれ、と頼む住職の方がおかしい。
寺参りする人間がみな善人とは限らない。

 女は黙って後部座席に座っていた。
車に乗せてもらったのに、祐作に話しかけてこようともしない。
空気が固い。ひんやりとした気流のようなものさえ肌に貼り付いてくる。
果たして女は本当に後部座席にいるのだろうか?
祐作はバックミラーで女の様子を見ようとしたが、
それをしてはいけないと、第六感が告げていた。 
冷気を吐き出すクーラーの唸り音と、女がときどきもらす長い息だけが、
現実の断片として車内に浮遊していた。

 イメージ 4

 車は長浜の海岸線を走っていた。
鈍色の海がのっぺりと広がっている。
屈折した光の関係か、豊島の手前で蘇芳色に変わろうとしていた。

「あのー」
女が小鳥のような小さな声を出した。
祐作はバックミラーで初めて女の顔を真正面から見た。
化粧気はまったくなかった。透き通るような真っ白な肌をしている。
それがかえって翳りを濃くしていた。その翳りを差し引いても、目を見張る美人だった。
「何でしょうか」
 対向車にしっかり視線を釘付けにしたまま訊いた。
「私、行く先々の寺で……」
女はそこで言葉を切った。
女の目は濡れているに違いなかった。
やはり第六感が当たった。

 瑠璃堂でも女は全身が抜け落ちて影だけになるほど一心に祈っていた。
撫で肩の後ろ姿が悲愴でさえあった。
まだ若いのに遍路とは。
私は彼女が今晩泊まる大黒屋旅館へと車を走らせた。
途中、何故か三暁庵で見た紫陽花をふと思い出してしまった。
無意識に女と重ね合わせたのかもしれない。
雪洞のように浮かんでいた紫の房。
散り際の切なさを帯びた美しさがあった。

 イメージ 5

 私は、はっと、胸を打たれた。
女はドアを閉めようとするとき、少しはにかんだように言った。
「私、行く先々の寺で心を置いてきたんです。
 それでいいんだって。
 今日は有り難うございました。
 お陰で一つ温かい心を戴きました。
 これを切り分けながらもう少し寺を回ってみます」

 女はドアを閉めた。
私は車を出した。
三暁庵の紫陽花も数日内には散るだろう。

エッセイ「想 遠」(小豆島発 夢工房通信)

はじめに

文:鮠沢 満 (^o^) 写真:「瀬戸の島から」

 自分の中に風が起こり、私という個体を形作る繊維にそって流れると、全身がふんわり軽くなって透き通ってしまう。気が付くと、まばゆい光の粒子に包まれた洗い立ての自分がいる。
生きている!
これまでにこんな経験をしたことがありますか。

イメージ 1

 青い海と豊かな自然。
これを滋養にすくすく育った小豆島は実に美しい。
それもただの美しさではない。
涙が出るほど美しいのだ。
四季の移ろいをこれほど見事に映し出す場所も珍しい。
その真綿のように柔らかな懐に抱かれていると、身も心も洗われ、老いていく自分ではなく、逆に若返っていく自分を感じてしまう。再生神話という言葉がぴったりだ。
それにここに暮らす人たちがまたいい。
素朴で気取ったところがない。
素の人間というか、生身の人間をあっけらかんとしてさらけ出している。
だから温かい。人間同士の絆が生まれないはずがない。

 そうだ! 残り少なくなったおいらの人生。
このまま拱手傍観して無為徒食の日々を繰り返すんじゃだめだ。
世界遺産にしてもいいようなこの島を、できるだけ多くの人に知ってもらうこと、そして私と同じ体験をしてもらうこと。それってもしかすると、意外に意義のあることじゃないの?
「うん、きっとそうだよ」
一人納得したところに偶然通りかかった「瀬戸の島から」氏。
彼が私の独り言に、「何が、うん、きっとそうなんだよ」ときた。

イメージ 2

 私はかくかくしかじかでござると簡潔に説明すると、彼の目が西表(いりおもて)山猫の如くらんらんと輝きだし、
「それなら俺にも一枚噛ませろ」
と唸り声に似た声を発したのだ。
彼もこよなく小豆島を愛する人物の一人なのである。
ごもっとも。
「一枚でも二枚でもいいよ。そのオオカミのような立派な歯でガブリとやればいい」
「じゃあ決まりだ」
かくして見事に手打ちは終わり、『小豆島恋叙情』の迷コンビの二度目の旗揚げと相成った。
やれば何かが残る。足音じゃなくって足跡が。
確証があるわけでもないのに、私たち二人は意気投合し、早くもめいめいの思惑にしたり顔。
う~ん、単細胞。まさにゾウリムシ人間。
でもこの際、結果は考えないことにした。

なにはともあれ、世の中を諦観の気持で眺めている中年男にとっては、とにかく一歩を踏み出すことが大切なんだ。もしかすると途中で私が、若しくは「瀬戸の島から」氏が、それとも双方が棒を折ってしまうかもしれない。
蹌踉として進まず、さまよい道に迷うかもしれない。
疲労困憊し道端にへたり込んで、長い長い休憩に入るかもしれない。
そうなったときには、この連載を読んでくださる皆様の力を貸して戴きたい。
なあにそんな大それた頼み事ではありませんのでご安心を。
ちょっと私たち二人の背中を押してくれさえすればいいのです。
崖っぷちに立った友達の背中を、冗談交じりに押すように。
何度かやったことあるでしょう。
ついでに、「おっさん、元気出せよ」と言って、冷えたオロナミンCでも差し入れしてくれると文句なし。
そうすれば、単純細胞のゾウリムシはまたやる気を起こして、よいしょ、と立ち上がりますから。
これはいわば私たち二人の挑戦なんです。五十路男のね。

 イメージ 3

 ここでちょっと話が逸れますが、僕たちが少年、少女だった頃を思い出してみてください。
みんなきらきら輝いていたはずだ。
喩えて言えば、あの頃の僕たちはまさに畑からとってきたばかりのスイカだった。
まだ湿った土さえ付いていた。それを水洗いして、包丁で真っ二つにざっくり切る。
現れる真っ赤な果肉。そこからしたたり落ちる甘い汁。
あの頃の僕たちはみんなそれと同じだった。
瑞々しい感性に溢れていた。
歳を取るとつまらなく思えるどんなちっぽけなことにも、好奇の目を輝かせ、感嘆の声を上げ、
恐れながらもそれに手を伸し、かぶりつき、味わい、そして腹ぺこの胃の附に落としたのだ。
もう忘れましたか、こんな経験。
だったらもう一度取り戻してみませんか。
ちっぽけだったかもしれないけど、きらきら輝いていたあの頃の自分を。

 人生は片道切符の一人旅。
どうあがいたって後戻りもやり直しもできない。
それに時刻表だってないに等しい。
それなら自分の流儀で、思う存分終着駅までの旅を楽しんでやろうじゃないか。
別段、急行列車で行く必要もないし、それに冷暖房完備の指定席でなくてもいいのだ。
コットンコットン鈍行列車に揺られながら、窓外に展開する風景の一コマ一コマをコレステロールで固まった感性の起爆剤とし、心の隅々まで晴れわたるいい旅ができるならもう最高。でしょう?


 そのためには? 
そうだ。後ろを振り返ることより先に想いを馳せることにしよう。
毎日を一期一会と思って生きることにしよう。
『想遠』というタイトルの所以はそこにある。
また、小豆島を離れた人たちだけでなく、まだこの地を訪れたことのない人たちにも、小豆島のことを脳裡に描いて戴き、遠くからでもいいから大切に想ってほしいという願いも込めたつもりである。

イメージ 4

 このエッセイの中に、突如として小説の断片らしきものが割り込んでくるが、奇をてらった新しい文章技法ではない。単なる筆者の気まぐれに過ぎない。
目障りなら飛ばし読みしていただいて結構。
エッセイの脈絡を犯すものでないことを、一言お断りしておく。
 ついでにもう一つ。
『小豆島恋叙情』と重複する部分があるが、そこは狭い小豆島のこと、ご理解戴きたい。

              *

〈案内します。午前零時発、夢の浮島こと小豆島ゆきエンジェル号が間もなく出発します。
ご利用のお客様は、零番線までお急ぎください。
なお、切符は「夢の窓口」にてお買い求めください。
お急ぎくださ~い。エンジェル号、間もなく出発で~す〉
「おい相棒、そろそろ出発だとよ」
「あいよ」
「切符持ってるな」
「ああ、片道切符でよけりゃな」
ピーポッポッポーピー
 二人が乗り込んだのは所々に錆の浮いた老列車だった。
しかしいざ出発の段となると、汽笛を鳴らして気合いを入れるほどかくしゃくとしていた。
車体がズシンと震え、エンジン音が一層高くなった。
景気のいい汽笛が眠りの底にいた構内に響き渡ると、未来を描くことを忘れたつがいの鳩が、鉄骨の隙間で重い鉛の瞼を開いた。
「おいこんな時間になんだよ」
「夢の浮島に向かう夜行列車よ」
「夢拾い、か。人間のやることは理解に苦しむよ、まったく」
「もう夢なんてどこにもないのにね。馬鹿みたい」
  
 イメージ 5

 夢拾いの乗客を乗せたエンジェル号は、無数の星が瞬く夜空に向かって出発していった。
「ヴォンヴォヤージ」
「瀬戸の島から」氏が言った。
「ボンボンおやーじ?」
 と私。
「君も相当耳が遠くなったね」
「心配ご無用。小豆島で新しい耳拾ってくるから」
「貝のやつ? あれはいいよ。海の響きが聴けるからね。このごろはやりのiポッドよりよほどの優れもんさ」



はじめのおわりに
ということで、始まってしまいました。(-_-;)
小説を書き終えて
「貯めてきた物をはき出して、すっきりした。」
「もう当分、何も心には貯まらん。筆をもつことはないぞ」
と言っていた「鮠沢 満」氏。

ところが、にこにこしながら近づいてきて曰く
「エッセイみたいな軽いもんやったら書ける気がしてきたわ」から
「島のために書きたい」 に変わり
「できたぞ」(^_^;)

そんないきさつで、性懲りもなくスタート。
さてどうなりますことやら。
不安(ファン)一杯の門出です(^_^)/~
時々、覗いてやってください。
瀬戸の島から

このページのトップヘ