瀬戸の島から

金毘羅大権現や善通寺・満濃池など讃岐の歴史について、読んだ本や論文を読書メモ代わりにアップして「書庫」代わりにしています。その際に心がけているのは、できるだけ「史料」を提示することです。時間と興味のある方はお立ち寄りください。

カテゴリ: 随想「膝の上」

第23話レッドダイヤモンド 前編
鮠沢 満 作
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「余り物ですけどどうです?」
 そう言って庁務員さんが差し出したのはミニトマトの苗だった。
「ちょっと時期は過ぎていますが、まだいけると思いますよ」
 独身生活をしているとついつい野菜不足に陥り勝ちになる。
この夏はいっちょトマトでも食って夏バテ防止といくか。
「いただきましょう」
 二つ返事で受け取った。野菜を育てる自信はあった。
 仕事を終え官舎に帰ると、さっそくもらったミニトマトの苗を植えにかかった。
私の前の住人が家庭菜園をしていたらしく、
庭の一番奥の一角は煉瓦で囲いがしてあり、おまけに肥えた黒土まで入れてあった。
しかし単なる気まぐれだったのか、それとも多忙に追われ庭いじりどころでなくなったのか、
入れ替わりに私が住むようになったときには、野菜、花の類は影をひそめ、
雑草が憎たらしいまでに生い茂っていた。
(官舎を出るときには、普通草をきちんと抜いていくのが礼儀というものだが……。
でも軒下にいくつか菜園用の道具を置いて行ったから、まあいいとするか)。
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 経済的理由かはたまた不動産関係の理由か、
官舎は山を削って猫の額ほどの宅地空間をこさえ、
そこに無理矢理押し込む形で建てられている。
官舎西側=山の切り出し斜面となる。
だから土砂崩れの心配と日照時間が短いという難点がある。
元菜園はその切り出しの真下に作ってあったので、
私の思い過ごしかなんとなくいつもじめじめぬめぬめした感があった。
正直言って、その一角には足を踏み入れたくなかった。
何か邪悪なものが棲んでいそうな気がした。
例えば、林檎の木はなかったがイヴを騙したような蛇。
まあ、あくまで私の妄想だが……。
だから手早くスコップで黒土を掘りおこすと、
それをわざわざ庭の中央まで運んできた。
それを何度か繰り返し黒土がうず高く盛り上がったところで、
幅と高さを整え畝をこさえた。
家が百姓だからこれら一連の作業は造作なく終わった。
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 苗は濡らした新聞紙に包んであった。
それを一本一本丁寧に植え、夏ということで水をたっぷりやった。
ペットボトルから吐き出された水の勢いが強かったらしく、
苗は黒土にしなだれかかるようにへばり付いてしまった。
見るからに元気がない。
果たしてこの焼け付く夏を跳ね返して見事に育つのだろうか。
私は多分に不安だった。
でもまあもらったものだから枯れてもいいか。
失礼だが、最初そんな気持ちも多少はあった。
ところがどうだ。数日すると、へたりこんでいたはずの苗が、
予想を大きく上回って青空をぐぐっと押し上げるように
背筋をピーンと伸ばしているのだ。
「俺を舐めるなよ」、と言わんばかりの突っ張りようである。
それを見て、私も俄然やる気を起こした。
何かピリッと唐辛子の辛味に似た爽快感を覚えたのだ。
こいつ小さけどやるじゃないか、と。
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そこで私は自分に言い聞かせた。
きっとミニトマトを育ててみせる。
そして味気ない男所帯の朝の食卓を真っ赤なミニトマトで飾ってやる。
それからというもの、出勤前には必ず水をやり、愛の一声運動を始めた。
「おい、この暑さに負けるんじゃねえぞ。逆に太陽を食っちまえ。
いっぱい太陽を食っちまったら、きっと真っ赤になって、
お前の方が太陽になったりしてな。そうなりゃ甘いトマトになること請け合いだ」
本当はその後、「そのときは俺が遠慮なく食ってやる」と続くのだが、
それを言ってしまうと、トマトが怯えてなかなか熟さないといけないので、
言うのはやめにしておいた。
 果たしてミニトマトは夏の酷暑をものともせず大きくなった。
まず黄色い花が咲いた。
ナンキンの花を小さくしたような可愛いやつだ。
花が受粉すると、驚いたことにそこからほんの数ミリ程度の小さい緑の玉が生まれた。
よく見ると、それは紛れもなくトマトだった。
トマトの赤ん坊。おまけにトマト特有のギザギザの襟飾りまで付いていて、
それがよだれかけにさえ見えた。
こいつはまたしてもやられたね。
生命誕生の神秘。
 私は益々やる気を起こした。
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 どんなに忙しくても水を絶やさなかったし、愛の一声運動も忘れなかった。
とにかく我が子を育てる思いでしっかり愛情を注いだ。
その甲斐あってか、私の優しさを栄養にトマトの赤ん坊はすくすくその円周率を大きくし、
二週間もすれば大人のトマトに成長した。
玉は真珠の首飾りのように垂れ下がり、その重さで枝がたわんだ。
まさに実るほど頭を垂れるミニトマトかな、だ。
 待てよ。これって実は大変な事態じゃないのか。
私は改めて考えた。
というのも、どこかに花咲じじいが隠れていて灰を降らせているんじゃないか、
と疑いたくなるほど枝という枝は真っ黄色の花だらけであったからだ。
これがすべてトマトになる?
吃驚、仰天、目眩、動悸、息切れ、こむら返り、等々。
ざっと数えただけでも、花は優に百を下らない。苗は五本。
ということは、100×5=500。
う~ん、想像するだけで満腹。
想像妊娠というのがあるが、私はまさしく想像満腹に陥ってしまった。
ここまで期待に反して大きくなったミニトマト。
素直に嬉しい。が、またしても不安がよぎった。台風だ。
台風が来ると、折角ここまで育てたミニトマトが元も子もなくなってしまう。
南太平洋で台風が発生したと聞くたび、
私の小さい胸はキューッと押しつぶされるように痛んだ。
実際、その幾つかが四国に接近したときには、針の筵に寝かされた思いだった。
幸い台風は、私の杞憂を嬉しく裏切り香川には直撃しなかった。
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「もうミニトマトも終わったでしょう。きのう苗を抜きましたよ」
 木陰のベンチに座って涼んでいたら、庁務員さんが話し掛けてきた。
 終わった? どういうことだ。
 我が官舎のミニトマトは、終わりどころかこれからが端境期というのに……。
 この話をすると、「遅植えだったからでしょうか。
それともその黒土がいいんでしょうかね」と首をひねっていた。
 黒土? 
 引っ掛かるものがないではなかった。
 数日後、盆で帰省した。
四、五日留守にするため、根腐れするくらい水をやった。
しかし、実家にいても気にかかったのはトマトのこと。
こんなに気を揉んだのは娘が誕生して以来のことだった。
「手塩にかけて育てる」というのは、まさしくこのことを言うのだな、
などと再び子育てのシミレーションをしているような気持ちになった。
盆も終わり五日振りに官舎に帰ってきた。
もしやミニトマトは太陽に干されて枯れているのでは……。
荷物を玄関に置くや、すぐさま庭にまわった。
そして私は茫然と立ち尽くした。言葉が出ない。
目に飛び込んできたのは、真っ赤に熟したミニトマト。
緑の首飾りが真っ赤な首飾りに変身して、
夏の日差しを受け緩やかな放物線を描いてたゆたうように浮かんでいた。
芸術的均衡を壊すのは忍びなかったが、一つもいで口に放り込んだ。
そして舌の上で宝石をゆっくり転がしてみた。
太陽の温もりが広がった。
 私はそっと果肉に歯を押し当て、少しもったいぶって噛んだ。
 プチッ。
 トマトが爆ぜた。
 瞬間、これまでに味わったことのない甘い汁が溢れ出た。太陽の香りが溶けていた。
 完璧すぎる。赤いダイヤ。
 レッドダイヤモンド。
 そう命名した。 
後編に続く
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第22話 腹が立つこと
鮠沢 満 作
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 腹が立つこと?
 そんなもの数えたら切りがない。
 例えば、職業柄、非が自分にあるのに決してそれを認めようとしない生徒、それと親。
特に常識のない親には、腹どころか薄くなりかけた髪の毛まで立つ。
髪の話ついでに、カツラを付けて心機一転人生をバラ色にしようとしている人間に向かって、
「あら三日でロン毛になってる」と冷たく言い放つこと。
最初から払う気がないのに、食事の後にわざとらしく財布を取り出して、
「わたし払いますよ」とほざくこと。
駅裏で我が物顔で他人の自転車を無断拝借すること。
いわれなく犬の頭をこついたり、何日も猫に餌をやらないこと。
(私は猫嫌いだから、後者は許せるか)。
普段は病気の親の見舞いにすら来なかったくせして、
死んだときだけハイエナのように群がり分け前に与ろうとすること。
切符を買おうとキューイングをしているのに、
横から油揚げをさらうように割り込むこと。仕事を他人に押しつけてさぼること、等々。
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 腹が立つ人間?
 これも枚挙に暇なし。
 どこにでもつばをはくやつ。
 自分の車の吸い殻とかゴミを平気で窓から捨てるやつ。
 他人の年金でおもしろおかしく遊んだ金融庁のやつら。
 私の自転車のタイヤに千枚通しを刺したやつ。
 ついでに同僚の女性職員の自転車のサドルを盗んだやつ。
(いったいサドルをどうするつもりなんだろう? 
 まさかその人の大ファンで、毎晩あらぬ想像をしながら抱いて寝るとか? 
 これぞまさしく変態趣味)。
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まだある。
貸した金のことを覚えているくせしてとぼけ続けるやつ。
火事なのにタバコに火をつけて一服する消防署員。
「ご愁傷様」と言いながら、「香典がまたいるわい」と金勘定するやつ。
お経の途中を抜かしたくせして一人前お布施をせしめる坊主。
坊主の話のついでに、「金がないからご寄進を」と言いつつベンツを乗り回す糞坊主。
まだまだあるが、書き連ねていると本当に腹が立ってくるので、ここらで打ち止めにする。
ところでどうしてこういったことに腹が立つのでしょうか。
みなさん、考えたことありますか? 
弁論大会の原稿みたいになりましたが、問題提起だ。
問題提起したら、その答えを出す。
これが論理的文章論だそうだ。
 で、その答えは、『デリカシー』の欠如。
こうすれば他の人がどうなるか考えないから、
また、こう言えば他の人がどんな気持ちになるか考えないから。
至極簡単な答えで申し訳ない。
それに模範解答すぎて面白味もない。
でもデリカシーのない言動が、昨今我々の社会生活を蝕んでいる事実を見逃してはならない。
そうおっさんは思う。
違いますか? 
これは問題提起ではない。
賛同を求めているのだ。
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*
 初対面なのにまったく緊張感がない。
それもそのはず、目の前の女はあまりにも飾りがなく平凡そのものだったからだ。
幸政は知恵の顔を正面から見ていた。
鼻は高くなく低くなく、こじんまりと顔の中央に収まっている。
目も切れ長ではなく酔わせるような潤いもない。
ただ光は強く、澄んで凛としたところはある。
ほっぺにはまだ少女のような赤みを残しており、それに日焼けしていた。
唇も紫外線の餌食になったのか、ややかさついた感があり、
若い女特有の艶やかさがない。
たが、これも好意的に解釈すれば、しっかりと結ばれた唇からは意志の強さだけは窺い知れる。
額に無造作に垂らした髪が、どこかふけた印象を与えていた。
化粧でもすれば、多少なりとも見栄えもするのだろうが、そういうものにも無頓着らしい。
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「これってお見合いなんでしょう」
幸政の値踏みするような視線を跳ね返すように訊いてきた。
「そうらしいね」
 幸政もつい不躾な言い方になった。
「断ってもいいわよ」
「断るって……」
「見合いなら受けるか断るかはっきりした方が話が早いでしょう」
 いきなり結論に直行とは、味も素っ気もない。
正直、幸政は言われなくても会ったときから断ろうと思っていた。
ちょっとは期待もなくはなかったが、
チョコレートパフェを遠慮なくつつく野暮ったい田舎女を目の前にして、
余計その気持ちが強くなった。
「しばらく付き合ってから結論を出すというやり方もあるらしいけどね」
 一応は灰色の選択肢もあることを臭わせたが、
それはあくまで考える余地さえ残さずに
一発で断ったときの女の気持ちを考えての社交辞令であった。
むしろ知恵の方から、断ってもいいわよ、
と言ってくれたことに内心ほっとしていた。
「わたし、慣れてるから大丈夫」
「慣れてる? じゃあこれまで何度もお見合いを?」
「ううん。今回がはじめて」
「じゃあ何が慣れてると言うんだね」
 幸政は訝った。
「百姓女ってこんなもん。さっきあなた値踏みしてたけど、
私って見てのとおり値踏みのしようがない田舎女」
「はあ」
顔に似合わず感だけは鋭いようだ。
それでも幸政はすでに仕草を読まれていたことを少しだけ恥ずかしく思った。
紳士的でなかった、と。
「だから作ったって仕方ないでしょう。
あなたには悪いとは思ったけど、素のわたしで十分」
畳みかけるように言葉が飛んでくる。
飾らない物言いに少し好奇心と好感がわいた。
 視線を真っ直ぐに戻し女を改めて見ると、強がりとも思える言葉とは裏腹に、
やはり落胆に近い顔色を隠せないでいる。
目の前の田舎娘が少し可哀想になった。
「別に哀れんでくれなくてもいいのよ」
やはりこちらの心を読んでいる。
「別にそんな……」
「目を見れば分かるわ」
 そもそも今回のことはと言えば、父親の古い友人に「くっつけ業」をやってるお節介屋がいて、
どうしても、と言われて否応なく受けた次第だ。
はじめから気乗りはしなかった。
それに幸政ももう少し独身生活をエンジョイしたかったというのが本音。
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ところが一年半後、こともあろうに彼らは同じ屋根の下で暮らしていた。
それに知恵のお腹はスイカを抱いたように丸々としていた。
 決め手は?
 それは別れ際の幸政と知恵のこんなやりとりだった。
「お別れね」
「まあそうなるんだろうね」
「あなたの期待に添えない女でご免なさい。
言ったでしょう。わたしって素のままが楽なの」
「それも自分らしくていいんじゃないかな。
最近は自己表現ができないやつが増えたからね。
俺も含めてのことだけど」
「あたしんとこリンゴ作ってるでしょう。
リンゴって店頭に並んでいるまん丸で真っ赤なリンゴより、
見てくれは悪くても太陽をいっぱい吸収し
自然の風を纏ったリンゴの方が甘くておいしいの。
でもね。残念だけど見てくれの悪いリンゴは店頭に並ぶことはないの。
つまりは商品価値がないということ。
多くの人は外見ばかりに目を奪われて中味を見ようとしない。
まあ世の中ってそんなもんでしょうけどね」
「はあ」
「かく言うわたしも見てくれの悪いリンゴと似たり寄ったりだけどね」
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「ちょっと待った。
はっきり言っておくけど、君はちっとも見てくれが悪いなんてことはない。
むしろ健康的で溌剌とした美しさがある」
 知恵の誠実さについ引き込まれ言った言葉だったが、まんざら嘘でもなかった。
 知恵は目を細め幸政をぐっと見た。
「ありがとう。今の言葉素直な気持ちで受け取っておくわ。
初めてだわ。そんなこと言われたの」
知恵は右手を差し出し、
「さようなら。お元気で」
 と言った。
 幸政は差し出された手をためらいなく握り返すと、
「君って素敵だよ。さようなら」
 と、ちょっぴり感傷的になっていた。
 一週間後、断るはずだったのにどういうわけか、幸政は再び知恵と会っていた。
そして幸政は言葉を失っていた。
目の前にいるのは知恵だったが、知恵ではなかった。
薄化粧した知恵はまさに溌剌と健康的で、青空を焦がす太陽のように輝いていた。
「化粧しちゃった。どう? 少しは見てくれよくなった」
「綺麗だ」
 幸夫は心底そう思った。
そして無意識に言葉を継いでいた。
「店頭に並ばなくってもいいから、俺も太陽をいっぱい吸った、
自然の風を纏った、甘くて健康的なリンゴになれるかな」
「勿論。その方が人生肩肘張らず楽しくて、それに味わい深いわよ、きっと」
「俺、決めたよ」
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 デリカシー。
その根本は、相手の心を読むということ。
これってとっても大事なこと。
相手へのいたわりが滲み出るから。
すなわち自分の言動に責任を持つことに通じる。
ホットで、丸くて、柔らかいもの。
そしてほんわか包んでくれるもの。
それがデリカシー。

第21話 奇蹟
鮠沢 満 作
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 私の家族は四人。
父、母、兄、そして私。
父はすでに鬼籍に転じている。
母はもうすぐ八十に手が届く。
その母に奇蹟が起こった。
話はこうだ。
母は野菜畑にいた。
生来の貧乏性か、じっとしていられない。
毎日のように野菜畑に行っては、身体を動かしている。
毎日行くのだから、さして仕事があるわけでない。
とにかく身体を動かしていれば安心するのだろう。
そういえば長女が歩き始めた頃、毎朝五時くらいなるとムクッと立ち上がり、
何十分もベビーベッドの手すりにつかまって立っていたことを思い出す。
妻によると、子供というのはよちよち歩きしだすと、
そうやって自分が歩けるかどうか確かめているのだそうだ。
母もこれと同じで、畑に出て自分が動けるかどうか確かめているのだろうか。
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 その母がキャベツ畑の草取りか何かをやっていたときである。
母の頭蓋骨の内側をナイフで抉るような鋭い痛みが走った。
母は普段から頭痛持ちで、よく頭が痛いとこぼしていた。
だが、その日の痛みは普段の比ではない。
右目の奥がキリキリ切り刻まれていく。
母は我慢できずにその場にしゃがみ込み、兄の名を呼んだ。
幸いその日は土曜日で、兄は休み。
彼は折角の休みとばかりに、釣りに出掛けようとしていた。
 そのときどこからともなく自分の名前を呼ぶような声が……。
 はてな……。
 空耳?
 まあいいか。魚が早くおいで、と呼んだに違いない。
 兄は軽トラに釣り道具を積み込んで、さあ出発だ、
 とばかりに運転席に乗り込もうとした。
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 そのとき野菜畑では母の意識はほとんど切れかかっていた。
しぼんでゆく意識。白い部分がどんどん黒く塗りつぶされていく。
もう目の前が真っ黒で思考停止寸前。
それでも本能か、小さくなった思考の断片の、それまた隅っこから息子の名を呼んだ。
 今度ははっきりと聞こえた。
 兄は訝しく思いながらも声のした方へ行った。
 するとどうだろう。
母が地面に寝そべって身体をくねらせキャベツと戯れているではないか。
いくら陽気だとはいっても、モンシロチョウになるにはちと歳を取りすぎてはいまいか。
「おかはん、何やってんだ」
半ば呆れ気味に訊いた。
だが母は頭を両手で抱え、のたうちながらただウーウーと狼少年よろしく唸るだけ。
モンシロチョウからオオカミ少年への変異か。
兄が駆け寄ると、その表情は苦悶に歪んでいた。
そこではじめてただごとではないと悟り、すぐさま軽トラを走らせ病院へ連れて行った。
まあ奇蹟というのは、一連の伏線があって起きるもの、と私は解釈している。
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つまりその日、たまたま兄が仕事が休みだったこと。
その日たまたま市民病院に脳外科専門の当直医がいたこと。
偶然ICUにベッドが一つ空いていたこと。
頭蓋骨を一部取り外し出血部位を治療するという通常の処置に踏み切らなかったこと。
さらに言えば、待合室で冷たいようだが兄と私が父に対して、母の回復は絶望に近いから、
まさかのときのために覚悟を決めておいた方が落胆も少なくていいよ、
となんとも親不孝な忠告を発したことも、
もしかするとそのことで神様が父のことを哀れんで、
禍を福に転じた要因だったと考えられなくもない。
要するに、こういった諸々のことがいわばジグソウパズルのそれぞれのピースであって、
それらがうまく組み合わさって奇蹟は起こる。
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 クモ膜下出血。
これが母がモンシロチョウになり損ねた原因だった。
誇張に聞こえる節もあろうが、
手当に要するエネルギーたるや巨大なダムを建設するの匹敵した。
規模こそ違えやることはまさに大がかりな工事そのものだった。
母の年齢を考え、通常の外科的処置をせず、
大腿部の血管から細いカニュラを挿入して脳までゆき、
管の先に取り付けた特殊カメラを頼りに出血部をクリッピングして止血するという、
まさに劇画かSFの世界でしかお目にかかれそうにない処置に打って出ることになった。
結果、手術に要した時間は、なんと八時間。
八時間の手術。
少し想像ができない。
というのも私の一日の労働時間に匹敵するからだ。
それに私のように手抜き足抜きで、適当にやっているのではない。
相手は患者。
一瞬たりとも気を抜くことができない。
まさに生死の天秤棒を担いでいると言える。
そう考えると、八時間の手術というのは、患者にしても医者にしても一大事業である。
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 だが待てよ、と邪推の多い私は考えてしまう。
医者の中にもいろんなのがいる。
誠実一途の医者。
そうかと思えば、鉄筋を減らして手抜き工事をするどこかの
マンション建設の請負業者みたいな医者。
後者のお世話になったらそれこそ悲劇だ。
例えば母を例に取ると、患者は七十を越えた老女。
随分長く生きてきたんだし、今さら息を吹き返しても余命幾ばくもない。
だったら一応は手術の真似事だけはしておいて、
途中で「ああ面倒臭い。や~めた」と手抜きしたって素人には分からないだろう。
まあこういうことが起こってもおかしくはない。
しかし母は運が良かった。
彼女の主治医は医者としての使命を全うした。
こういう医者に母が委ねられたのも奇蹟を起こす連鎖反応に違いない。
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 ようやく手術が終わり、医者からできる限りのことはやらせて頂きました、
と丁寧に術後の報告を受けたときには、すごい医者もいるもんだと、
今更ながら医者という職業を見直した次第である。
それに引き替え私の出臍をいじくった医者はどうだ。
手術に失敗したにも拘わらず、慰謝料(医者料と書くべきか)を払うどころか、
ごまんと治療費をせしめたのである。
お陰で私の臍は醜く黒ずみ、カラス貝が夏の太陽に干されたみたいに、
パックリ大口を開けているのだ。夏なんか恥ずかしくて海水浴にもいけやしない。
中学のとき、きっちり臍が隠れるどでかい海水パンツをはいて行ったところ、
友達に「なんでお前の海水パンツそんなにでかいんだ? 
臍が見えるやつが今のはやりなんだ」と冷やかされた。
おのれ藪医者め! 
今からでも遅くないから、カニュラでも内視鏡でも何でも使って俺の腐った臍を治してみろ!
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 話のはぐれついでに、母が手術を受けた翌日、
近所のおばさんが同じクモ膜下出血で入院してきた。
(クモ膜下出血って、伝染するのかなあ)。
だが、その日はあいにくと脳外科の先生はおらず、
医科大学に応援を求めることになった。
しかし、搬送するのに時間がかかったことも原因の一つか、
残念ながら手術の効なく三日後に亡くなった。
 それに対し母はといえば……。
この……が何を意味するか。
実は、母は奇蹟的とも思える復活劇を演じたのである。
最初、医者から手術が成功しても言語障害とか手足の麻痺が残りますよ、
だから家族の人は気長にリハビリなんかに付き合うように、
と前置きされていたのである。
ほぼ諦めていた私たちにしてみれば、どんな形であれ生きててくれさえすればそれで十分だった。
 ところが、とここでフォントを変えて太字にする。
 奇蹟。
そうまさに奇蹟が起きたのである。
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母は言語障害もなければ手足の麻痺もなかった。
それどころか手術前よりもはるかに言語・頭脳ともに明瞭、
且つ手足は車検後の車みたいに快調に動き出したのである。
完全なるオーバホール。
「やったね! これだったらときどきICUに入るのも悪くないね」
「拾った命。これからは二度目の人生を謳歌できるというもんだ」
「人生を二度楽しめる人間なんてそうざらにはいない」
「じゃあ今晩は祝杯といくか」
 私たち兄弟はそう減らず口をたたいて、
手術当日父に向かって、
「まさかのときのために覚悟を決めておいた方が落胆も少なくていいよ」、
と言った言葉を茶化す形となってしまった。
だが結果がすべて。まさに私たち家族には最高のエンディングとなったのである。
 それから二年足らずで元気印の父が他界した。
 う~ん、人生は予測不能。
 そして波瀾万丈。
 今日もどこかで奇蹟が起こっている。そう思いませんか。
 納得? 
 でしょう。
 ではこの話はひとまずここで。
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第20話 魚釣り
鮠沢 満 作

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浮きを見つめて何時間でもじっとしておれた。
かんかん照りの日も寒風の日も。
小学校の頃、釣りにのめり込んだ。
家にはまだテレビがなかった。
だから子どもたちの遊びといえば、もっぱら外。
遊びといっても野山を駆けめぐったり、自分たちのあじとを作ったりと、
とにかくお金がかからない遊びである。
中でも男子には釣りが人気があった。
竹を切って釣り竿にし、紫陽花の枝を浮きにした。
餌は牛小屋のシマミミズ。
ミミズがいなければご飯粒。
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 釣りに一つの思い出がある。
学校行事の都合で学校が午前で引けた。
時間ができたのでその日は普段帰る道ではなく、違った道を通った。
途中に氏神様を祀った神社があり、その横に大きな池があった。
そこは釣りのメッカともいえる池で、大人から子どもまでよくその池で釣りをしていた。
私がその道を選んだのは、きっとその日も誰かが魚を釣っているだろう
という期待があってのことだった。

 梅雨が明け真夏の太陽が狂ったように照りつけていた。
緑に塗り込められた山の稜線の上に、入道雲が綿菓子のように背伸びをしていた。
汗が、額から、首筋から、背中から流れ落ちた。
もうすぐ夏休みだった。
うっそうとした神社の森を抜けると、視界が明るくなり遠くに橋が見えた。
男が一人釣り糸を垂れている。
思ったとおりだ。私の予想は的中したのだ。
池の南端辺りにさしかかっていた。
そこを左に曲がって坂道を登っていけば、十五分もすれば我が家だった。
池の南隅っこに小さいコンクリートの橋が架かっていて、
それはちょうど用水路から水が池に流れこむところで結構深く、
ホテアオイとか水草が茂って魚のいい隠れ場所になっていた。
だから用水路と池を行き来する魚の群れが、橋の上からもよく見えた。
釣り人にとっては恰好のスポットの一つだった。
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 私は橋の手前十メートルくらいで足を止めた。
釣り糸を垂れている男を見てぎょっとしたからである。
男は近所でも評判が悪い幸夫という男だった。
大阪に働きに出たものの使い物にならず舞い戻り、毎日ぶらぶらしていた。
直接口をきいたことはなかったが、何度か男のことは見かけたことがあった。
それに親には「男に近寄るな」と言われていた。
ぎょっとしたことを男に悟られたような気がして、
私は咄嗟に引き返えそうかと思った。
しかし男の目の前でUターンするのも不自然極まりない。
それこそかえって怪しまれて因縁でもつけられたら大変だ。
私はこわごわ幸夫に近づいていった。
幸夫が橋のど真ん中を占領していた。
私は渡ろうかどうか逡巡した。
男は目の端からじろっと私を睨んだ。
やっぱり感づかれていたんだ。
足が急に棒のように固まった。
男が今度はにやっと笑った。
汚らしい歯が覗いた。
じっと橋の手前で立ち往生している私に、先に口を開いたのは幸夫の方だった。
「坊主、学校は」
上から押しつけるような言い方で、有無を言わさぬ迫力があった。
それまで周囲でやかましく鳴いていた蝉の声が、
耳の奥で小さな粒になって凝固した。
幸夫の顔は痩せた上に黒々と日焼けしており、
その黒い皮膚に太陽が無造作に跳ね返っていた。
目が鋭くて、どことなく姑息。世の中に拗ねたような空気を漂わせていた。
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 これはたいへんなことになったぞっ。
へたに逆らうとタダでは帰れない。
そんな不安が真っ先に私を支配した。
「学校は午前中だけ」
 正直に答えた。
「学校さぼったのか」
「ううん。学校行事で……半ドン」
言葉がしどろもどろだ。
恐怖心を隠そうとすると、余計にそれが出てしまう。
直接目を見るのが怖く、次第に視線が下がる。
幸夫の足下にポリバケツが置いてあった。
胸の中は恐怖心で渦巻いているのに、
好奇心には勝てずその中にちらっと目をやった。
幸夫はそれを見逃さなかった。
「覗いてみな」
幸夫の顔を見た。
口元が笑っていたが、先ほどまでの皮肉な笑いではなかった。
私は言われるままバケツに近寄りしゃがみ込んだ。
ポリバケツには何十匹と鮒が泳いでいた。
中には体調二十センチを優に超える大物もいた。
それを見て背筋がぞくっとした。
「お前も釣りたいか」
幸夫は怖ろしいくらい私の心の中を読んでいた。
魚を釣り上げたときの痺れるような手応えが、全身を駆けめぐっていた。
幸夫は私の返事も待たず、つなぎ竿を取り出し、パーツをつないでいった。
それからテングス、錘、針。
手慣れていた。
準備ができたところで、
「ほら。やってみな」
と差し出した。
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 頭の中を近所の噂が流れた。
「ええ若いもんが仕事もせんでぶらぶらしとる。
どうせ大阪で何かやらかしたに違いない。
あそこの家の連中はみなそうだ。
ろくでもないやつらばかりや」
 幸夫の家を知っていた。
藁葺きの平屋で、マッチ箱のように小さかった。
庭もなく、周囲を槙の木がぐるっと囲っており、
その上いつも雨戸が閉められていた。
人を寄せ付けないその荒廃した空気だけでも、一見廃屋を思わせた。
ときどき洗濯物が軒下に吊されているのを見かけると、
やはり人が住んでいるんだ、と驚きに似た感情が湧いてきたりした。
槇の間から覗く壁は戸板がなく、剥き出しで所々剥がれ落ちていた。
ここ何年も修理した形跡はなかった。
どういうわけか表の入口にのところに、いつも錆びたリヤカーが置いてあった。
田畑もほとんどなく、野良仕事に使わないのであれば、
いったいリヤカーを何に使うのかその目的もはっきりしていなかった。
一度、年老いた男が屑鉄とか壊れた日用品を載せて、
夕暮れどき田圃道をとぼとぼ歩いているのを見かけたことがある。
だが、幸夫の家が何を生業に暮らしているのか知らなかった。
幸夫の両親はまともな教育も受けておらず、ろくすっぽ読み書きすらできない。
幸夫の姉は精神病を患っていて、どこかの精神病院に入っている。
その他もろもろのよからぬ噂があった。
しかし、そのどれほどが真実か定かではなかった。
恐らく火のないところに煙は立たないから、そのうちのいくつかは本当なんだろうが、
弱者に手を差し延べるどころか誹謗中傷をする大人に対して、
当時の私はある程度怒りを覚えるだけの正義感は持っていた。
とは言うものの、やはり脅威には違いなかった。
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 その噂の幸夫が竿を差し出して、魚を釣ってみな、と言っているのだ。
断ればどうなる? 
ついさっきUターンをしそうになって止めたばかりだ。
今度ははっきりと断るべきだ。このままぐずぐずしていると、本当に厄介なことになってしまう。
しかし、魚釣りの誘惑には勝てなかった。無意識のうちに手を伸ばしていた。
私は幸夫と並んで魚を釣った。
もう夢中だった。
餌を付けて糸を垂らすとすぐ鮒が食いついた。
それまでそんなに魚が餌に食らいつくことはなかった。
だから面白くてしかたなかった。
幸夫も夢中だった。
魚を釣り上げる度に、私の方を見て笑った。
その笑いの中に、噂されているような邪悪な性格は見出せなかった。
やはり大人の偏見だったのだ。
私は自分の考えが正しかったことに少し誇りを感じていた。
私たちは時間の経つのも忘れ魚を釣った。
気が付いたら、太陽はとっくに神社の森の向こうに没しており、
森全体がこんもりとした黒い影になり始めていた。
「帰らなくては」
でも幸夫にどう切り出していいものか。
そのとき向こうからバイクのエンジン音が聞こえてきた。
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父だった。
まずい、と思った。
 父のバイクは見る見るうちに近づいてきた。
 私のそわそわした態度に幸夫も気付いた。
 父はバイクを止め、私たちの方に来た。
「帰りが遅いと思ったらこんなところで魚を釣っていたのか」
 そう言うと、父は幸夫に一瞥を加えた。
 幸夫は言葉に窮した。
さっきまでの屈託のない表情はすでに消えていた。
ばつの悪い、拗ねたような表情が顔全体を曇らせていた。
「僕が釣りをさせてくれるよう頼んだんだ」
私は父の怒りが爆発する前に、幸夫のために予防線を張った。
父は私の目を見て何かを言おうとしたが、
「息子が世話になった。礼を言う」
私は父のバイクの後ろに乗って幸夫と別れた。
後ろ髪を引かれるというのはこんなことを言うのだろう。
幸夫に申し訳ない。
背中に、やっぱりお前もな、という幸夫の咎めの視線をいやというほど感じた。
家に帰って父にこっぴどく叱られると思ったが、父は魚釣りの件は一言も言わなかった。
母にも同様である。
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 今考えるに、父も私が思っていたと同じことを考えていたのではあるまいか。
世間の風評に荷担するな。
その後、幸夫と顔を合わすことはなかった。
噂では、幸夫は重い病気に罹り、二十代半ばで他界したとのことである。
私は中学、高校、そして大学と時を重ねるごと、
この一件のことも他の多くの思い出と同じように引き出しにしまいこんだものの、
特別な思いで再び引き出しを開けてみることもなくなった。
ただ、夏が来て、ぎらぎらした太陽の下、
子供たちが池で魚釣りをしているのを見かけると、ふと幸夫とのことを思い出す。
背中に刺さるような幸夫の視線。
それともそれは単に私の思い過ごしだったのだろうか。
まだ私が正義感に溢れ、何も疑うことなく未来を真っ直ぐに見つめることができた
少年時代の切ない思い出の一つである。
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 先日、ふとした折りに幸夫の家の近くを通りかかったが、
幸夫の家は取り壊されて更地にされていた。
更地とは聞こえがいい。
更地だったという方が適切だろう。
というのも今はそこに草がぼうぼうと生え、
かつてそこに家屋があったという痕跡さえ留めていないからだ。
今となっては、そこにかつて幸夫という早死にした男が住んでいたことを、
噂する者もいなければ思い出す者もいないだろう。
あの夏の昼下がり一緒に魚釣りをした私を除いて。

第19話 プラットフォーム
鮠沢 満 作
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 私は急いでタラップを降りた。
フェリーが予定より五分遅れて接岸したからだ。
あと三分少々で列車が出発する。プラットフォームは二番線。
が、この二番線がくせもので、一番線、三番線、
そしてそれに続く四番線以降のプラットフォームは、
刈りたての頭みたいに横一列にきちと揃っているのに、
この二番線だけどいうわけか一番線と二番線に押し出されたように奥まったところにある。
ヨーロッパの駅ではこういったことはさほど珍しいことではないが、
数年前に立て直したばかりの新駅舎ということを考えると、
どうしてかな、と納得がいかない。
なぜわざわざ二番線だけ輪から弾き出したように奥まったところに作ったのだろうか。
出発時間が迫っているためか、目指す二番線は普段以上に遠い。
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 秋の夕暮れは本当につるべ落とし。
さっきフェリーからぼた餅のようにでかい夕陽を見たばかりなのに、
駅構内はすっかり闇の皮膜に包まれている。
雨よけの屋根に取り付けられた蛍光灯から吐き出される白っぽい光にも暗さが忍び込み、
行き交う人が亡霊のように現れては消えてゆく。
腕時計に目をやる。
ぎりぎり間に合いそうだ。
プラットフォームの中ほどに自販機があった。
その前に黒い人影が見える。
小さい。縮こまってるようだ。
私は小走りに通り過ぎようとした。
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「あの~」
遠慮がちな女の声がした。
私は一瞬逡巡したが、立ち止まり、声の方に振り向いた。
小さな黒い影の正体は老女だった。
手に何か持っている。
眼窩に沈んだ目が憶病そうに私の反応をうかがっている。
「どうかしましたか」
「ええ。これなんですが……」
 老女は何か差し出した。
それは缶コーヒーだった。
まさか私にくれるというのではあるまい。
「これがどうか」
「これ、固くて開かないんです」
老女の小さな手から缶コーヒーを受け取った。
熱い缶コーヒーの温もりが手の中に広がった。
私は造作なくプルトップを引き上げた。
「さあどうぞ」
 老女の顔に笑顔が咲いた。
「ありがとうございます。今日は寒くて……」
老女は感極まったように言うと、何度も何度も頭を下げた。
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 私が飛び乗ると、列車は錘が外されたように構内を滑り出した。
車窓を街の灯りがなぞって飛んでいく。
老女も背後の闇に紛れ、過去の時間の一部となって消えていった。
なのに老女の残像が頭を離れない。
私が考えていたのは、母のことだった。
母もあの老女と同じように、缶コーヒーのプルトップを開けられずに四苦八苦しているのだろうか。
よく考えると、もうその年齢だ。
プルトップさえ開けられなくなった母。
最近忙しさにかまけてそんな母のことを忘れていた。
プラットフォームのベンチにぽつりと座り、
缶コーヒーの温もりで手を温める老女の姿が、老いた母と重なった。
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 プラットフォーム。
再開の喜びと別れの悲しみを綴る場所。
そして帰る場所を持たない人間に最も孤独を押しつける場所。
胸の奥に小さな痛みが走った。
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第18話 牛小屋
鮠沢 満 作
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大きく愛くるしい目。
これを見ていると、本当に牛が好きなる。
と同時に切なさがこみ上げてくる。
記憶の端っこに引っ掛かって外れないもの。牛。
そのべべんこ(仔牛)が来たのは、
確か秋が深まりときどき北風が寒風の尾っぽを振り始めた頃だった。
前にいた牛が売られ、その後釜に買ってきたものだ。
私はモウと名前を付けた。

 百姓の家はどこでも一頭の牛を飼っていた。
牛が耕耘機の代用として、力仕事をさせられていた。
理由はそれだけではない。
農家にとって牛は大切な換金動物だった。
犬や猫のようにペットフードなどを食べさせなくても、
藁を切って米ぬかをまぶしてやれば、牛はいやがらずに食べる。
ときどきそこら辺りに生えている青草を与え、栄養のバランスを取る。
それで十分だった。
牛の糞も肥料として使える。
いろんな意味で牛は百姓にとって有益だった。
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 冬を越し、春の匂いが鼻先をくすぐる頃になると、
モウの身体も随分と大きくなっていた。
あと二ヶ月もすれば田植えが始まるが、そのときには一人前の働きを期待されるだろう。
その大事な牛に餌をやるのが、私に与えられた役割分担だった。
そこで毎日、早く大きくなれと、祈るような気持ちで世話をしていた。
毎日顔を合わせていると心が通う。
犬と同じで牛も利口な動物で、こちらの気持ちを十分に汲み取るようになる。
いつしか仲間意識が生まれた。
 小学生だった私は、よくモウと会話をしていた。
私がその日あったことを細かく説明すると、
大きな目をこちらに向けて真剣に聞いてくれる。
ときどき頭をぶるぶるっとゆすって、こちらに近づけてくる。
「君の話はよく分かったよ」という合図だ。
こんなとき「ありがとう」と言って、頭を撫でてやる。
すると、とても嬉しそうな表情を作るのだ。
そんな優しい心根のモウが好きだった。
けれども牛小屋で飼われてろくすっぽ外にも出られないモウが哀れでもあった。
所詮は人間と対等ではなかった。
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 その頃、よく牛の運命について考えていたように思う。
もし自分が牛に生まれていたらどうなっていただろうか、などと。
中でも私を苦しめたのは、モウが大きくなって大人の牛になるときのことだった。
そうなると牛市に連れて行かれてしまう。
それは私にとってはとても悲しいことだった。
いつそのときが来るのか、びくびくしながら暮らしていた。

 季節が一度巡った。
夏が過ぎ、空が一段と澄んで高くなり、あちこちで祭り囃子が聞こえるようになった。
収穫も終わり、農家ではひとときの休みに入る。
モウはすっかり大人の牛になっていた。
筋肉が首、そして肩口から背中にかけて盛り上がっていた。
足も太い。
モウの成長に呼応したように、私たちの関係もこの一年でぐっと深くなっていた。
私は相変わらずモウに何でも話していた。
モウはそんな私の話を身をすり寄せてきて、
大きな目をじっとこちらに向けたまま聞いてくれるのだった。
涙を含んだような潤んだ目が柔らかな光を帯び、
その中心に私の顔が映ると、私はモウと一緒に生きていると感じた。
雲一つない大空のように澄んだ瞳に掬われると、
どんなに苛立っていても気持ちが和らぐのだった。
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 でも私が恐れていたことが起こった。
その日は朝から暖気が漂い、昼間にはぽかぽか陽気の小春日和となった。
その陽気も手伝って、私は放課後友達に誘われるままサッカーに興じ、普段より遅く家に帰った。
もうすっかり暗くなっていた。
カバンを置いて真っ先にモウのところに行った。
電気のスイッチを入れた。裸電球がぱっとオレンジ色の光を放射した。
その瞬間、私は言葉を失った。
いない。
そこにいるはずのモウがいないのだ。
数日前、父が有線電話で誰かと話をしていた。
その会話の一部が思い出された。
「じゃあ、木曜日の午前中にでも引き取りにきてください」
父の声は低く、声を落としているようだった。
考えるに、あれはモウの引き渡しの話をしていたのだ。
私はすべてを悟った。
まず、モウに申し訳ないことをしてしまったという罪悪感が登ってきた。
私は唇を噛みしめ嗚咽した。涙が止まらなかった。
その晩、蒲団にくるまって、モウ、モウ、モウと心の中で叫んでいた。
いくら呼んでも心に開いた穴を埋めることはできなかった。
トラックに乗せられ牛市に連れて行かれるモウ。
何度も後ろを振り返り助けを求めるモウ。
悲しみに満ちたモウの目が私をじっと見ていた。
明け方、やっと睡魔が襲ってきて眠りに落ちた。
私は愛犬のミックが死んだ日と、モウが姿を消した日を忘れることができない。
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 思い出はいっぱいある。
でも大人になる過程で、燃えるものと燃えないもの、
捨てるものと捨てないものに分別して整理してきた。
捨てないでおいた思い出も、時間の経過と共にその色合いを失っていった。
けれどもこの二つの思いでは、
真夏の夜空に咲いた打ち上げ花火のような鮮烈な印象を今も残している。
ミック。モウ。
楽しかったよ。
素晴らしいひとときをありがとう。
そしてお休み。
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  人間は他者の命と引き替えに生きている。

第17話 卓袱台
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卓袱台の引き出しの中にそれはあった。
表に農協の稲穂のマークが付いた通帳。
この通帳に頭を殴られた思い出がある。
「大学に行きたいんやけどな」
兄貴のくぐもった声がした。
「無理や。うちは百姓や。そんな金はない」
にべもなく親父が言い切った。
以後、兄が大学のことを口にしたことはない。
封印したのだ。
兄が高校三年のときのことである。
兄は何を思ったのか、大型運転免許を取ると、或る運送会社でダンプの運転手となった。
腐っていたのかもしれない。
親父への反抗だったのかもしれない。
昨今とは違い、大学に行きたくても行けない時代があった。

 それから五年後。
私が高校三年のときである。
進路PTAがあった。
父も母も野良仕事が忙しく懇談には出席できなかった。
でも進路に関わる大事なことだからと、必ず保護者が来るように言われていた。
そこで代わりに兄が来た。
 家に帰ってきた兄が、
「お前、教師になりたいんか」
 と訊いてきた。
「まあなれたらの話やけどな」
 私は曖昧に答えておいた。

 卓袱台の事件の日、父も母も朝早くからキャベツの収穫に出ていた。
兄も仕事に出たらしく姿が見えなかった。
私は一人卓袱台に向かい、皿に盛られた菜っ葉の茹でものをおかずに、
冷えた朝ご飯を掻き込んだ。
百姓の家では、家族が揃って食卓を囲むことはほとんどない。
かといって、今のように家庭崩壊がどうしたこうしたというような性質のものではない。
百姓は労多くして稼ぎの少ない仕事だ。
夜が明けきらない内から仕事が始まり、日がどっぷり暮れて終わるというのもざらである。
「さあ、みんなで食事ですよ」なんて悠長な状況は考えられない。
それに特に農繁期になると、ご飯だっていつも用意ができているというわけにはいかない。
だからご飯がなかったら、自分で米をとぎ炊く。
おかずがなかったら、畑から菜っ葉でも何でも取ってきて自分で作る。
用意ができたら一人で食べる。そして洗い物をする。
これが百姓の家では当たり前のことであった。
こうやって生活の中で子供たちは自立することを学んだ。
家族の団欒がないから子供が心配だと、今の親たちのように不安になることもない。
親が苦労している姿を見ているから、子供は悪さに走らない。
適度な貧しさが人を成長させる。
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 腹にご飯を詰め込み食欲を満たしたとき、目の端に何かが引っ掛かった。
親父がいつも箸を入れている引き出しだ。
少し開いていた。
そっと引っ張り出してみると、農協の通帳があった。
悪いと思ったが通帳を開けてみた。
そして驚いた。
我が家には貯金は一円もなかった。
いや、それどころか借金だらけだったのだ。
私は複雑な気持ちでページをめくった。
その前の年も、その前の年もそうだった。
黒い数字よりも赤い数字の方が多かった。
頭を殴られたのはこのときだった。
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 父も母も家計のことは私たち子どもには一切言わなかった。
余計な心配をさせたくなかったのだろう。
子を持つ身となった今にして分かる。
それが親としての責任だ、と。
それと親としての矜持。
黙々と野良仕事に明け暮れる姿が浮かんだ。
朝から晩まで土色に染まった百姓生活。
それでいて暮らしは楽にならず強いられた借金生活。
 やりきれなかった。
 後日、兄貴にそのことを言うと、
「俺も見た。なんも知らんのに、俺は大学に行きたい言うて……
 金がないと言われたとき、はっきり言って少々親父に腹が立った。
 でもその貯金通帳を見たとき、自分が情けなかった。
 親の心子知らず。でもお前は大学に行け。教師になりたいんだろう」
「まあ」
 またしても曖昧に答えた。
五年前の父と兄の会話が頭をよぎっていた。
兄に悪いなあ、という気持ちがあった。
「分かった。俺が話してやる」
何を思ったのか兄は背中をくるっと返すと、部屋から出て行った。
翌朝、出がけに親父がぽつり独り言みたいに言った。
「教師になりたいんか。大学に行ってもいいぞ」
兄が父を説得してくれたのだ。
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それから三十年して父の一言にまたしても頭を殴られることとなった。
或る市民病院の一室。
夜。外は雨。
ベッドに横たわる父。
苦汁が滲み出た土色の顔。
重い息遣い。
 父は腎臓を患っていた。
その日も透析があって、ぐったりしていた。
明らかに命の炎が小さくなりかかっていた。
それに痴呆も出始め、言葉がときどき支離滅裂になるときがあった。
私は父親に付き添って、そばの丸椅子に座って本を読んでいた。
肺から絞り出される苦しそうな寝息。
ときどき痰がつまるのか咳をする。
それが病室の壁に反響する。
苦しそうな父の姿を見たくなかった。
こちらまで苦しくなるからだ。
努めて本に集中しようとした。
しかし思考は錯綜し、中断した。
父が寝返りを打った。
体位を変えたことで少し楽になったのか、息遣いも普通になり咳も出なくなった。
静寂が訪れると、病室独特の臭いが急に強くなった。
鼻をついてくる尿と消毒液、それと饐えた体臭が絡み合うような臭い。
それは生と死がせめぎ合う臭いでもあった。
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「千年の雨が降る」
突然父の声がした。
喉の奥から絞り出すような声だった。
「え?」
 私は父が眠っているものとばかり思っていた。
彼は窓の外をじっと見ていた。
目は焦点が溶けたみたいにぼーとしており、像を結んでいるようには思えなかったが、
それでも闇の先に何かの輪郭を捉えているようだった。
乾いた唇を舌先でしきりに舐めている。
腎臓を患っているので、水分を控えるよう医者から言われていた。
前日、みかんをくれとせがんだ。
だが、心を鬼にして与えなかった。
心が痛んだ。
その残滓がまだ心の隅に残っていた。
父は窓の外に落ちるものをはっきり感覚で捉えているらしく、
ひび割れた紫色の唇を少し引きつらせると、
「千年の雨。
 遠い遠い空の果てから千年の時を経て落ちてくる。
 そして雪のように降り積もっていく。
 音もなく。
 雨が止むとき終わりが来る」
「親父、しっかりせんとあかんで」
 私は少し声を大きくして言った。
それに対し、父はその場に私がいることに初めて気が付いたらしく、
「ヤスヒロか?」
 と、顔を向けずに問うてきた。
「そう俺や」
 父はその返答に納得したように頭をこくりと一つ振ると、
 突然脈絡の飛んだことを口走った。
「お前は教師になったか」
「ああ」
「それはよかった。だがサトルに悪いことをした。それだけが悔いや」
「悪いこと?」
 私は訊き返した。
「サトルは大学に行きたかった。
 それなのに行かせてやらなかった。
 今考えたらアホなことした。
 親として、それだけが悔いや」
 きっぱりと言った。
虚ろな視線に不釣り合いな明確さがあった。
まるで何十年も収納していた言葉をやっと言ったという感じであった。
父がこちらに寝返った。よく見ると父の目に涙が浮かんでいた。
「サトルに悪いことした。それだけが悔いや」
 父は同じことを何度も繰り返した。
きっと心に大きな杭となって突き刺さっていたに違いない。
「兄貴はそんなことちっとも気にしとらん」
「そう思うか」
「ああ。そんなちっぽけな兄貴じゃない」
 父はこの言葉に安堵したようだ。
表情が穏やかになり、静かに目を閉じた。
「千年の雨が降る」
 やがて寝息が聞こえてきた。
千年の雨が落ちるような静かな眠りだった。
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 この会話を交わして二日後、千年の雨に抱かれながら父は他界した。
夜の闇を塗りつぶすように降る雨。
父は小糠雨の先に何を見ていたのだろうか。
葬儀のとき、兄と相談した上で最後の別れに『青い山脈』を流してもらった。
私たち兄弟のささやかな、そして最後のプレゼントとして。
父を涙で送り出したくはなかった。
土に染められ、黙々と百姓という人生を生き抜いた男に、涙は似合わなかった。
 卓袱台。
今も実家の納屋にある。
兄はその上に載っていた親父専用の陶器の灰皿を今も使っている。
遠目から見ると親父が煙草を吹かしている、と錯覚するときがある。
 子どもができたとき、我が家はテーブルから卓袱台に変えた。
子どもたちはその意味を知らない。
いつか話すときが来るだろう。
そのとき千年の雨の意味も解けるかも知れない。
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第16話 筋力トレーニング
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筋力トレーニングに没頭しだしたのは、格闘技を始めて少ししてからである。
格闘技を始めたきっかけは、たいていの男ならそうであるように、
ただ強くなりたいという単純な理由だった。
買い物の途中で見かけた看板を思い出し、空手道場の門を叩いた。
空手といえどもまがりなりにも「道」という漢字が当てられている。
が、出てきたのは風貌からしてとても人の前で道を説くような人物ではなかった。
一言で「やくざ」。
でも話をしていると知性が感じられ、その長くて細い目と尖った鼻梁、
それと薄い唇がなんとも仏様のような顔立ちで、
まあ仏様なら道を説くのが道理で、人を陥穽に突き落とすこともなかろうと、
腹を決めて入門することにした。
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 だが、私が想像していた空手とは大きく異なっていた。
スポーツとしての空手をあくまできらい、
古来沖縄で綿々と受け継がれてきた正統の武道空手だった。
つまり、限りなく実践に近い空手である。
突く蹴るは勿論のこと、組み打ち、締め、関節も許されていた。
いわゆる総合格闘技である。
してみれば、強靱な精神はもとより鍛えた身体が要求されることは言うまでもない。
痩せの非力では、たとえ技が切れても勝負にはならない。
 そこで筋力アップ。
幸い、群れることが元来あまり好きではなかった私には、
孤独と背中合わせのウェートトレーニングは性に合っていた。
中にはパートナーを見つけなければ長続きしない人がいるが、
私に言わせれば、そういった人間はそもそもやる気がないのだ、と。
途中で必ず棒を折る。
なぜならウェートトレーニングは、その面白さが分かるまでは苦役そのものであるから。
要するに重労働。
なんとなく暗くて、しんどい。
まさに「修行」ということばがぴったり。
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最近は美容の一環として若い人たちにも人気が出てきたが、
それでも人口から言うと、テニスとかゴルフの比ではない。
しかし自分の肉体が徐々に変わり始めると考えも変わる。
胸、腕、背筋にうっすら筋肉が乗ってくる。
体脂肪が落ちて、ウェストがキュッと細くなる。
それに今まで持ち上げることができなかった鉄の塊を持ち上げることができると、
効果が実感でき、やる気を起こす。

 だが私の場合は、筋肉アップもさることながら、
日を追うごとに精神的な強さを求めるようになった。
つまり修行。
今日はどうする? 
疲れているからやめる? 
暑い? 寒い? 腹が減った? 飲み会がある? 
じゃあやめたら? 
悪魔がいろいろと誘惑の声をかけてくる。
そこで決断が迫られる。
これも修行の一つ。
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 不思議なことに、どのスポーツでも同じだが、
アスリートというのは休むということができない。
一日でも休むと筋力が退化する。
そんな妄想に取り憑かれている人間が多い。
私もその一人である。
気が付いたら走っているか、ウェートトレーニング室にこもっている。
休まなければ……と思いながらも鉄の塊と向き合っているのである。
黒光りする器具類は黙秘権を決め込んだ犯罪人みたいに押し黙り、
こちらに冷たい視線を向けているだけ。
伝わってくるのは、冷酷そうな無関心。無言劇。
一人芝居。パントマイム。影絵。何でもいい。
こちらも彼らを単なる鉄の塊とか機械という概念でしか捉えていなかった。
道具。
それが彼らに冠した私の言葉である。
その「道具」を使って、黙々と筋肉を絞り上げ、汗をかく。
鉄の塊を宙に浮かすとき、筋肉がぴりぴりと痙攣を起こす。
そして筋肉の細い繊維が切れる。
夏の盛りの筋力トレーニングは汗だくになる。
全身の筋肉を収縮させるため、細胞から水分が絞り出されるのだ。
真冬はまた違った意味で辛い。身体がなかなか温まらず、
その上芯まで冷え切った鉄の重みが、
物理的重さに加え精神的な負荷をも筋肉に加えてくるのだ。
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 しかし変化があった。
油を流し込んだような沈黙に支配されたトレーニング室。
その中で躍動する筋肉。
それに寄り添うように透明だが実体のある何者かが介在するようになった。
毎日使っている器具が、次第に自分の肉体の一部となった瞬間である。
器具の重みが筋肉に変わっていく。
そのため筋肉の破壊に快感が生まれ、道具に秘められた沈黙に
閉じこめられることに安逸さえ覚えるようになった。
それを機に、単なる「道具」と思っていたものとの対話が始まった。
機械と無声の対話。
彼らは口を開かない。
それでも何かが伝わってきた。
特殊な連帯感というのだろうか。
それが意思伝達という形で、私の感情に迫ってきた。
彼らに話しかけていたのは、むしろこの私だった。
不思議な感覚に襲われたのは事実である。
そして最後には彼らに対する愛着さえ湧いてきたのである。
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当初は、肉体が勝れば目の前の機械に勝てる。
劣れば負ける。
優劣を決める単なるゲームさ。
そう思っていた。
だが奥は深かった。
筋肉に精神が注入される。
このときアドレナリンが全身を駆けめぐる。
身体がカッと熱くなる。
気合い。
弾ける筋肉の筋。
と同時に、自分の一部となった機械が意識を持ってくる。
「負けるな。もう一息だ」彼らがそう囁きかけてくる。
それは彼らの最大の励ましである。
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 里山に登った。
紅葉の季節も終わろうとしていた。
枯れたススキが冬の寒さをよけながら揺れている。
その足下に、壊れた電気製品が捨てられてあった。
かつては人間の便宜のために身を粉にして働いた勇者。
だが、壊れたらただのガラクタ。
「お疲れ様」の一言も言えない人間の心が淋しい。
捨てた人間もやがて終焉を迎える。
そのとき周囲の人間はどのように振る舞うのだろうか。
ガラクタがいなくなって清々した。
こうなったら生きてたことが、これまた淋しい。

 ウェートトレーニング。
私の孤独を助長し、それでいて独り悦に入ることができるもの。
決して彼ら機械を粗末に扱ったりしない。
なぜなら、彼らは嘘をつかない。
まっすぐこちらを見据え、本当のことしか語ってこないから。
捨てられた道具たちにも言い分がある。
それに耳を傾けよ。

随想 膝の上第15話小さなお袋
鮠沢 満 作
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当時は女としては大柄だった。
なのに母が小さくしぼんでしまった。
先日、久し振りに実家に帰った。
真っ先に感じたこと。
それはお袋が小さくなったということ。
私の印象の中にあるお袋は、骨格がやや太くがっちりとした体躯の持ち主であった。
今思えば、お袋だけに限ったことではなかったかもしれない。
実家の周囲は田圃だらけ。
どの家も百姓を生業としていた。
力仕事を要求される仕事だけに、百姓女はみながっちりとして逞しかった。
それでもお袋は当時としてはやはり大柄な部類に入っただろう。
兄と私はこのお袋と親父の立派な体格と健康をもらった。
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 年取った今は、身体もあちこちがたがきて、野良仕事も思うようにならず、
家族が食べる野菜を少々作ることと、
農家には相応しくない広さの枯山水の庭掃除に明け暮れる毎日である。
百姓家に枯山水の庭という取り合わせは妙な感があるが、
実を言えば親父は百姓でありながら、華道と茶道の師範免状を持っていた。
彼は、日々の生活は質素を旨とし、飾りを捨て去ったわびさびの世界に生きていたように思う。
そんな中、芸術的生き方を求めていた。
中でも四季の風流を楽しむ感性を大切にしていた。
これを私は親父から引き継いだ。
その親父が大切にしていた庭を、今はお袋が守っている。
国家公務員である兄は、なかなか多忙で、庭の世話まで手が回らない。
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 お袋というと、私の脳裏に登ってくるものがある。
「東京? お前、東京へ行くと殺されるぞ」
「イギリス? そんな遠いところに一人行くなんて無茶や。殺されるぞ」
 お袋がかつて私に言った言葉である。
私が大学生のときだった。
私にしてしてみれば、もう大学生。
しかし母にしてみれば、まだ子供。
今もってその状況は変わっていない。
私は五十路を過ぎた。
兄も同じ。
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でも、お袋にしてみれば、子供はいつまで経っても子供。
その子供がいつしかお袋を追い抜いてしまった。
そう身体の大きさで。
子供が大きく成長するのに反比例したように、
お袋はどんどん小さくなっていった。
まるで今だに私たち兄弟が、お袋から乳をもらうみたいに、
お袋の身体から栄養を摂り続けている。
もしかするとそうなのかもしれない。
つまり、身体の栄養ではなく、心の栄養。
子供は大人になって、自分で独り立ちしているつもりでも、
親からすればまだまだ子供。
子供たちは親から目に見えない形でサポートされているのに
気が付いていないのかもしれない。
特に、核家族化が進む昨今では。
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「もういつお迎えがきてもおかしくない。もう八十五やしな。
 お前な、ちゃんと最後まで勤め果たさなあかんで。
最近、生徒殴ったり、飲酒運転したりして、よう先生が新聞に出とる。
母ちゃんはそれだけが心配や。
ええな。悪いことはするなよ」
一昔前、私が外国に出るとき、
「お前、そんなところに行くと殺されるぞ」
と必ず言っていたが、今はこれが口癖である。
よほど私の面つきがよくないらしい。
これでも親父とお袋の力作のはずなんだけどなあ……。
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 ひょっとすると、お袋は子供のことを心配するあまり
身体がしぼんでいったのだろうか。
とにかくお袋の身体がどんどん小さくなっていくのを見るのは、
やはり子供として忍びない。
いつまででもそばにいてほしいと願うのだが、こればかりは無理。
せめて生きている間だけでも、親孝行をしたいと思う。
というのも、やがて私もしぼんでいく日を迎えるからである。
 親は子供に身体と心の栄養を与えて、小さくなっていく。
でも、いつまでたっても大きな親に違いない。

随想 膝の上第14話 紅葉狩り
鮠沢 満 作
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まさしく全身すっぽりと紅葉に呑まれていた。
気が付けば、紅葉の絵の具の中を泳いでいるのだった。
最初は頭でその美しさを噛み砕いていた部分があったが、
こういう場合考えるという行為そのものが野暮で無意味、
途中から感覚的に理解するというものに変わった。
 ときどき自分が変身したくなるときがある。
そんなこと根本的にはできっこないのに、それをしたくなるのが人間。
特に私のように少年返りした大人はその傾向が強い。
叶わぬ願望とでも言うのだろうか。
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でも、少しくらいなら心の持ちようでそれもどうにかなる。
疲れてへとへと。
一歩たりとも動きたくない。
ご飯も食べたくない。
蒲団にもぐり込んで、四肢が退化するほど寝たい。
もう自己変革もへったくれもない。
こういう末期的状況でも、自分が少しでも打ち込めるものに、
まあ試しにやってみるか、と自己投入してみると、
意外に普段と違った自分を発見し結構変身できる。
当然のことながら、一時的なことではあるが……。
持続性のある変身を望むなら、それ相応の覚悟と努力、さらに代価が伴う。
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 私はよく自然の中に自分を放り出してみる。
すると、自然というものがこれほど繊細で優しいものかと気付く。
その逆もある。
言葉にはならないほどよそよそしくて冷たく、
ときには抗いがたい猛威を振るってくることもある。
たとえ後者の場合であっても、人間は心のどこかに自然を求め、
その懐の中で癒されようとしているのではないか。
かく言う私もその一人である。
多分、その理由の一つに自然が嘘をつかないというのがあるのだと思う。
嬉しいとき寛大に他者を慈しみ、腹が立ったら烈火の如く怒る。
人間のように、相手によってあの手この手と使い分け、
計算高く振る舞ったりはしない。
だから真意を推し量る手間も不要だし、余計な気を遣うこともない。
目に映る現象そのものが事実であり、それをもたらす秘められた力こそ真理である。
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 余計な気を遣わないでのんびりくつろげるところ? 
確かこれによく似たものが……そうだ、家族だ。
でも昨今のニュースを見ていると、
丸い心がギザギザになってしまうような事件が後を絶たない。
ギザギザどころか、干からびてひび割れさえしてくる。
肉親同士がいがみ合い、殺し合う。
もう家族が家族でない。
換言すれば、他人同士の集団生活、異物同士の同居。
このコンクリートのような無機質の空間に見え隠れするものは明らかだ。
言葉を忘れ、視線を合わさず、自分の世界にこもる。
いつしか煩わしいことから目をそむけるあまり、生き方そのものを喪失する。
自分が生きているのか、はたまた生かされているのか、それさえも定かでない。
温かい感情を滋養にすくすく育っていない人間は、
心に巣くった空虚を埋めるのに暴力に走る。
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囲炉裏を囲んで肩を寄せ合い暖を取る。
熱い鍋物をフーフーと息を吹きかけながら口に運ぶ。
孫がおじいちゃんの膝の上で、大きな目をぱっちり開けて、
揺れる火を眩しそうに眺めている。
こんな風景はもう日本では見られなくなってしまうのだろうか。
もしそうだとしたら、私たちは途轍もなく大切なものを失おうとしていることになる。
ちょっぴり貧しい。これが一番。
ちょっぴり幸せ。これで満足。
疲れた自分を少し休めてみませんか。
小さな止まり木でもいいじゃないですか。
そばに誰か寄り添ってくれる人がいればなおさらいい。
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今は紅葉の季節。
木々が、山々が、錦の衣にすっぽり包まれている。
あなたも一枚の葉っぱになってみてはどうですか。
あなたも一本の木になってみてはどうですか。
そしたら少しは装いを変えることができるかもしれません。
装いが変わると、気持ちも変わって内面も変わる。
ひび割れた心に潤いという潤滑油を流し込むことができる。
子供だましみたいですけどね。
 ちょっぴり貧しい。これが一番。
 ちょっぴり幸せ。これで満足。
  

『随想 膝の上』第13話 大先輩
鮠沢 満 作
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朝四時になるとカッと目が覚める。
これはこともあろうに、主人である私が飼ってる愛犬マル様に飼い慣らされたからである。
夏の朝、太陽が東の山の稜線をじんわりと染め始めると、
マルはマルケースとよばれるハーフドーム状の寝床から出てきて、
ウリャーとかけ声もろとも準備体操を始める。
いち、にー、さん。
ます前足のストレッチ、続いて後ろ足。
そして背中をピーンと反り上げ、そしてワン。
このワンは、「ご主人様、早く降りて来なさい。
散歩の時間ですよ」と催促するワンである。
はいはい分かりましたよ。
そそくさと着替えをすませ下に降りていく。
 ワンワン。
 二つ吠えると、これは「遅いぞ。待ちくたびれて痺れがきれたぞ」である。
 というわけで、朝四時になると必ず目が覚めるのである。
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覚めるのはいいが、今は単身赴任の身、そのマル様もそばにいない。
だったら朝寝を決め込めばいいではないか。
通常はそうなる。
でも根っからの百姓根性。
親父もお袋も百姓である。
だからその血を引いているのか、じっとしていられないのである。
そこで体操服に着替え、コップに一杯ウーロン茶をひっかると、四時半頃走りに出かける。
自分から個人情報を漏えいするが、長い間格闘技をやってきた。
自分ではまだ現役だと思っている。
だから身体を鍛えておく。
ランニングに出るのはそのトレーニングの一環である。
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 朝の四時半にトレーニングですか?
 そう思うでしょう。
ちょっと変わってますね、そう顔に書いてありますよ。
いいんです、私さえよけりゃ。
人様には迷惑かけてないですからね。
四時半と言えば、漁師、新聞配達、牛乳配達、こそ泥等々を除けば、
まあ普通はみなさん眠りの底にいますよね。
でも朝の空気って気持ちいいんですよ。
知らないでしょう。
自動車の排気ガスやら人間様の垂れ流す工業廃液なんかの悪臭といった、
いわゆる諸々の汚染物質にやられた昼間の空気とは違って、
それはそれは頼もしいくらい凜としてピーンとして、そしてパリッとしているのです。
まるで揚げたてのポテトチップ。
喉が切れるような直角な空気を肺に送り込むと、
肺の細胞が甘い朝の空気に軽く痺れさえする。
自分が朝に染められていく。
そんな感じなんです。
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 朝の四時だとこれを独り占めできるのだ。
贅沢でしょう。
本当の贅沢というのは、こういうのを言うんでしょうね。
きらびやかな衣装を身に纏うのでもなく、高級な車を乗り回すのでもなく、
高級レストランで高脂肪高コレステロールがいっぱい詰まったおいしいものを食べるのでもない。
そんな人工的な味付けと風味たっぷりの薄っぺらな代物ではなくて、
もっと基本的でささやかなもの。
基本的でささやかだが、酷があって新鮮そのもの。
その一つが朝の四時にある。
それを独り占め。
と思いきや、残念ながらそうは簡単に問屋が卸してくれない。
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 ご想像のとおりです。
私より早く起きて同じことをやっている人がいるのです。
それも複数。
彼らはいったい何者なんでしょう。
かく言う私も、彼らにそう思われているのかもしれない。
「あの変態野郎、また走っていやがる。夏も冬もウィンドブレーカー着て。
バカの一つ覚えか。
いったい何者なんだ」
その常連さんの中に一人、私が尊敬してやまぬ男がいる。
年の頃は、六〇、六五、それとも七〇? 
要するに年齢不詳である。
頭は結構砂漠化が進んでいて、かつてふさふさとして緑の草原だった部分は半ば失われている。
黒縁のメガネがスーパーマンのクラーク・ケントに似ているが、
その奥に座った目は細く鋭く獰猛だ。
鼻は過去にどういう歴史があるのか、途中で約五度くらいの角度で左に振っており、
少し潰れ気味だ。
息がしにくいだろう。
何? 大きなお世話だ、と? 
ごもっともです。
唇は薄く、やや酷薄的な印象を与える。
タラコの唇が人情味に厚く、少し悪口を言っても許せるのに対し、
この薄い唇はめったに余計な口はきかず、もしそれが口を開くとしたら、
飛び出してくる言葉は辛辣無比で、聞いた者の鼓膜を一生打ち鳴らすに違いない。

 走る姿といえば、これがまた少し特徴がある。
身体を右方向に約十五度くらいねじり、左手は通常の腰の位置だが、
右手はどういうわけか力が抜けたみたいに、だらりとさげたままでいるのだ。
そしてパタパタと靴音を立てながら走ってくる。
これは私の想像であるが、この男かつて脳梗塞か何かを患って、
そのリハビリを兼ねて走っているのではなかろうか。
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もう一つ私がこの男に興味を覚えたのは、着るものである。
私は夏でもウィンドブレーカーを着て走る。
それを見れば、私もよそ目には少しは変わっているかもしれないが、
それでも季節を問わなければ歴とした運動着には違いない。
なのにこの男、何と普通のシャツとズボンをはいて走っているのだ。
想像していただけますか。
そのままフェリーに乗り込んで、高松の三越でお歳暮を買っていても、
誰も振り向いて好奇の眼差しを向けることもない出で立ちなのである。
ちょっと買い物に出てくると言って、玄関を出た。
ところが何かの衝動に駆られて突然走り出した。
まさにその恰好なのである。
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 この男に早起きという点でときどき勝つこともあるが、凄い、と私を唸らせるのは、
毎日同じ時間に同じコースを同じ速度で同じ服を着て同じ姿勢で走ること。
それと年齢。
さっきも言ったが年齢不詳だが、間違いなく私より一回り以上は上と思われる。
それなのに私よりはるかに元気なのである。
私の勝手な思い込みかもしれないが、彼は一種の求道者である。
雨の日も風の日もカンカン照りの日も雪の日も走り続ける。
私が二日酔いでときどきちょんぼするのに、男は絶対休むことをしない。
走るという行為を毎日寸分違わず実行する。
三度の食事と同じように、歯磨きするのと同じように、
便器に座って排泄するのと同じように、一年三百六十五日。
これがうならずにおれようか。
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 単純。繰り返し。
 改めて考えてみるに、これほど陳腐で使い古された言葉はない。
まるでコピー機で何万回となく焼いたような言葉。
だがこの裏に真理が隠されていることに、我々の多くは気付かない。
パラドックスだが、単純なことほど難しい。
そして深遠である。
単純は単調。
単調は面白くない。
面白くなかったら飽きる。
それでは繰り返しはどうか。
毎日同じことを繰り返す。
繰り返すと単調になり新鮮味がなくなる。
すると退屈になり、飽きる。
だから単純と繰り返しが結合すると、鬼に金棒でこの上なく至難の業となる。
辛抱のない人間はすぐ途中で放り出してしまい、
こんなこと何食わぬ顔でやってのけるのは求道者
もしくはオタクくらいのものと相場が決まっている。
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 パタパタパタ。
踵の薄い靴音が闇のしじまを破って聞こえてくる。
今日も来たね。
さすがだ。
すれ違うとき大先輩に対する敬意で、おはようございます、と一声掛ける。
だが、黒縁メガネの男は何の返事も寄こさない。
ただ我が道を行くのみ。
真っ直ぐな一本道を。
その先に何を見ているのか誰も知らない。
それでも身体を右に十五度ねじって、右手をだらりと下げ、
そして普段着でひたすら走り続ける。
男が幻のごとく遠ざかり、闇に消えていく。
哀愁を帯びた後ろ姿に、ちょっぴりくたびれた男らしさが貼り付いている。

 ローンランナー。
黒縁メガネの男。
いったい何が彼にそうまでさせるのだ。
その答えは、闇の先にある。
男が独り占めしている闇の先に。 

写真は、小豆島の大部・小部で人の住まなくなった家の周辺で見かけた物です。(^_^)/~

第12話 すっぱいみかん(後編)
鮠沢 満 作
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 眠っていると思っていた父親がじっとこちらを見ていた。
どんより濁っているが、直線的な視線である。
意思が宿っている目だ。
これまでに何度も見てきた。
だから道夫にはよく分かった。
「どうした親父。季節外れの蚊でもいるんか」
わざととぼけて訊いた。
病室で訊くような質問ではなかった。
心がくすんで、暗澹の底に滑り落ちていくようだった。
父親の乾いた唇が少し動いた。
しかし、声にはならなかった。
邪険にもできず顔を唇に近づけた。
それがせめてもの思いやりだった。
ひび割れた唇に終焉の兆しが浮き始めているのを、弥が上にも感じないではおれなかった。
あんなに筋肉隆々だった父親が、今では骨と皮に近い。
父親の青春がどんどん遠くなっていく。
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「ミカン」
 かすかではあるが今度は声になった。
声は嗄れていた。
乾いているのだ。
声が。
「駄目だよ。医者に止められてる。水分を控えるよう言われているだろう」
道夫は会話を切りたかった。
「その紙包みの中に入っている」
父親はミカンにこだわった。
直線的な視線を道夫から外さず、舌で唇を舐めた。
ねばつく唾液が薄く糸を引いた。
父親の意図するところは明らかだった。
道夫は急須に残っていた茶を少しだけ湯飲みに注ぎ、口に含まそうとした。
しかし父親は顔をそむけ、拒否した。
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「道夫、ミカン」
父親はなおも食い下がった。
声は何億光年もの彼方から落ちてきたような虚ろさがあった。
目には恨みに似た光があった。
道夫は迷った。
天井に目をやり黒ずんだ斑点を数えてみた。
この病室で、これまで何人がこの黒ずんだ斑点を数えただろう。
退院までの日数、それとも死までの日数? 
ますます気持ちが沈んでいった。
そして答えはやっぱり、ノーだった。
道夫は頭を振った。
「この親不孝者が」
 非難の言葉が今度は輪郭をはっきり留めた。
「そう、俺は親不孝な倅だよ」
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 その二日後、父親は死んだ。
 ミカン一つをあれほどほしがった父親。
 なのにそれをくれてやらなかった倅。
 以降、道夫はミカンが食べられなくなった。
 酸っぱいミカン。
 ふとした折に、その酸っぱさが間歇泉のように吹き出し、
 胸にしみ渡ることがある。
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 人は思い出には生きられない。
誰かがそう言った。
思い出は時間と共に薄れていくものだから、と。
でも逆に、時間の経過に抗うように鮮明になっていくものもある。
それは自分が歳を取ることによって、当時分からなかったことが、
突然霞が晴れたみたいに鮮明に見えてくるからである。
そのとき胸の内にくぐもっていたものが飛散し、
新たなる法悦感を与えてくれたりする。
もしくは虚飾が剥げ落ち、地肌が露呈して愕然とすることもある。
人はみな毎日を賭け事に生きている。
右に転ぶか左に転ぶか分からない。
どんなに賢明な考えの持ち主でも、
ふとしたきっかけから幼児が犯すような過ちに走ることがあるし、
のろまで影の薄い人が、起死回生の逆転ホームランを放つことだってある。
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 見下ろすと、坂手の家並みが肩を寄せ合ってかたまっていた。
古ぼけた町並み。
じっと息をつめたような空気。
すべてのものが色彩を失い、セピア色に塗り込められていく町。
でもそこに細々と息づくものがある。
陶器の背中がかすかに動いていた。
豆の皮剥きをする老夫婦が、橙色のミカンの間に見え隠れした。
これからは思い出に花を咲かすことが楽しみになり、
新しい冒険を嬉々とした表情で語ることもなくなる。
たとえ心の天秤を振らすことがあっても、
それは手の平にちょこんと載るくらいほんの小さなことに違いない。
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 私は失礼とは思ったが、一個ミカンを枝からもいだ。
光沢のあるつやつやとしたオレンジ色を確かめると、そっと鼻先に近づけてみた。
苦さを含んだ甘美な香りがあった。
日曜日。
午後のひととき。
秋色の風。
父親の憔悴した顔。
「親父、さあ取れたてのミカンだ。今度こそ食べていいよ」
 オレンジ色が目にしみ、ミカンが網膜の上で崩れていった。 

第12話 酸っぱいミカン(前編)
鮠沢 満 作
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日曜日の午後、申し分ない天気だったので、誘われるように散策に出た。
場所は壺井栄で有名な小豆島は坂手。
かつては大阪行きのフェリーが発着して賑わいもあったが、今はその便もなくなり
迫った山に押しつぶされるように狭い土地に囲われた淋しい漁村に後戻りしている。
 でも私はそんな鄙びた漁村が好きである。
人間の力ではどうすることもできなかったやるせない思いとか崩れた夢の破片が、
首をすっこめてあちこちに潜んでいるから。
ときには心をぐっと温めてくれることもあるし、逆に抉ってくることもある。
未来に煌めきを見出すほど斬新なことが起こりそうにもない。
ただ過ぎゆく時間の谷間に生かされ、一日が無事終われば神に感謝する。
そういった毎日が、最大の幸せであると気付くのに何十年とかかる土地。
坂手はそんな場所である。
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 例えば古びた瓦とか戸板をはがしてみる。
すると長年の風雨に耐えてきた黴びた時間の残骸が降り積もっていて、
それらが冬眠から叩き起こされたみたいにのろのろと動き出す。
大きく張り出した大木の枝にすっぽり包み込まれた小さな神社。
その境内から鬼ごっこに興じる子供たちの歓声が、
過去という時間の壁を破って聞こえてくるような気がする。
「もういいかい? まあだだよ」
ぺんぺん草に覆われた廃屋の大黒柱が、
折れた背骨をぐいと青空に突き立てて、
今もって往事の矜恃を見せつけていることもある。
まさに歳月の辛辣さと、それに翻弄される命ある者の儚さを感じてしまう一瞬だ。
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 坂手港に車を置き、狭い路地を登っていった。
狭い路地といっても住民が普段使っている生活道路で、車も自転車もリヤカーも通る。
わびしいがしっくりそこの空気にとけ込んでしまうある種の安堵感が浮遊している。
アキレス腱に少し痛みを感じながらも、小豆島霊場第一番洞雲山を目指し、
一歩一歩自分を押し上げていった。
少しずつ視界が大きくなっていく。
それに合わせて気持ちも晴れる。
民家が途切れ、段々畑が現れた。
老夫婦が地べたに腰をおろしたまま大豆の皮を剥いていた。
野良仕事に服従してきた背中が丸くて小さい。
陶器の人形のようにも見えるその後ろ姿に、突然、父と母の顔が浮かんだ。
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一時の感傷を捨て、さらに上に行く。
もう随分と上まで来ていた。
視界を遮るものはなかった。
家々のくすんだ甍の向こうに別の甍の波が広がっていた。
海だった。
雲間からなだれ落ちる逆行の太陽光線が、鋭い針のように海面に突き刺さっている。
その部分だけがスポットライトを浴びせられたように照り輝いているが、
秋の物寂しい海にやんわりと説得されて周囲の空気と折り合いをつけていた。
太陽が雲に隠れた。
眩しさが引っ込むと、視界に色が戻ってきた。
秋の色が空気だけでなく、木々にも野草にも、
そして土にもこびりついているのが分かった。
目の前に紫色の大きな花がぬっと現れて、その頭を風に揺らしていた。
近寄ってみると、一つの花ではなく、
無数の小さな花弁が寄り集まって一つの房を作っていた。
残念ながら名前は知らない。
私は額の汗を手の甲で拭うと、再び歩き出そうとした。
と、そのとき雲が破れ、その隙間からまたしても太陽の光が落ちてきた。
紫色の花に代わって、今度は無数の黄金色の玉が浮き上がってきた。
それらは洗い立てのようにきらめき、水気を帯びた瑞々しい柔らかささえ放っていた。
目の前に現れたのはミカンだった。
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 私はこんな光景を子供の頃何度も夢に見たことがあった。
大人になった今もそうである。
オレンジ色のミカンが鈴なりで、その向こうに真っ青な海が広がっている。
その海を割るように真っ白い船が走る。
まさにメルヘンだが、今でも丘の上のミカン畑の向こうに広がる青い海が、
私の想像力をかき立ててやまない。
瀬戸内の風景を語るとき、ミカンと青い海という組み合わせをを欠かすことができない。
まさに私にとっては牧歌的要素の代表格である。
 ミカン、か。
 思い出すと、小さな溜息が出る。
苦いというか、酸っぱいというか、一つの思い出に行き着く。
今考えたら、自分がなんて親不孝だったのか、と自分を責めずにはおれない。
が、もう遅い。
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 私の父は他界するまでの約二年間を人工透析の厄介になった。
腎臓疾患だと分かると、医者の勧めで食事療法に乗り出した。
最初はそれで少し進行は抑えられたが、一年くらいすると、
もう食事療法では対処しきれなくなった。そしてやむなく人工透析。
父は人工透析するくらいなら死んだ方がましだと、
頑迷に医者の忠告を聞き入れようとはしなかった。
私と兄がなんとかそれを説得した。
「親父、長生きしたらまだまだいろんなことができる。好きな花や茶も楽しめる」
「そうや。週に三回はしんどいかもしれん。
でも生きとったら、兄貴の言うとおりまだやり残したこともできる。
親父の人生やからとやかく言う筋合いでないかもしれん。
だがわしら子供は親父に悔いのない人生送ってもらいたいんや」
「金もいらん。名誉もいらん。ええ人生やったと言うてくれたらそれでええ」
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翌日から透析が始まった。
親父を説得したものの、
透析が終わって病室に帰ってきた親父のぐったりと憔悴しきった姿を見るにつけ、
本当に説得が正しかったのかどうか、二人して顔を見合わせることが何度もあった。 
後編に続きます。

『随想 膝の上』第11話 胸キューン話

鮠沢 満 作
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 随分昔になるが、友達から次のような話を聞かされたことがある。
そのときぐっときたことを今でも覚えている。
私の友人Tは東京の大学を卒業すると郷里に帰り、地元の大手有力銀行に勤めるようになった。
真面目で人当たりが良く、それに頭も切れたので、有り体に言えば出世街道を走っていた。
Tもそれなりに手応えを感じていた。
しかし、子供が脳性麻痺で生まれ、治療に明け暮れることになる。
最初は奥さんが主に子供の面倒を見ていたが、
いい専門医が東京にいるということで、仕事の合間を縫っては治療に通った。
次第に年休が多くなり、さらには治療費のために
自分が勤める銀行の預貯金も解約するという立場に追い込まれていった。
当然Tの評価は落ちた。
このとき上司は、Tの置かれた状況を分かっていながら、
思いやりという気持を前面には出さず、ただ業務成績が思わしくないとしたのである。
業績一点張りの地方銀行のやりそうなことだった。
企業一番、従業員は番外。
結局Tは銀行を捨て、家族を取った。
銀行での勤務は約八年だった。
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 Tはふる里を捨て奥さんの実家のある静岡へと移っていった。
世間体を憚るような人間ではなかったが、
それでも田舎に住んでいた彼には世間の目が気になったことは間違いない。
それに静岡の方が距離的にも東京に近く、通院にも便利だったことも理由の一つだ。
 静岡に移って職探しをし、市内の大きな本屋に就職した。
Tの銀行員としてのこれまでの知識、それに人柄も手伝って、
一年半ばかりで経理・営業を任されることになった。
が、給料は銀行勤めをしていたときとは比べものにならないくらい減った。
医療費もバカにならず、仕事がない日曜日には宅配便のアルバイトをやった。
 ある日、新入社員が入ってきた。
以前どこかの会社に勤めていたのを退社し、転職してきたのである。
一見してそれも納得がいった。
口が重い。
その上、身だしなみもどこか普通でない。
普通でないというのは、若い女性であれば当然気に掛けるであろうような化粧、服装、
そういったものには興味がないといった印象だったのである。
短大を出ているということだったが、どうも人付き合いが苦手のようだ。
恐らく前の会社でも口数が少なく社交性に欠けたため、
人間関係の構築がうまくいかず居場所を失ったに違いない。
聞くところによると、親の縁故で本屋に再就職してきたということだった。
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 名前は桐子。
桐子はTの下で働くようになった。
が、Tが値踏みしたとおり仕事ぶりも思わしくなかった。
言われたことはちゃんとやれるのだが、客相手となるととたんに態度が硬くなる。
口がうまく動かない。
客との受け答えがからっきしダメなのである。
しばらくすると、彼が危惧したような事態になった。
自信を失い、周囲の者ともコミュニケーションが取れなくなり、まさに四面楚歌。
 Tはある夕方、仕事がひけるのを見計らって桐子をいっぱい飲み屋に誘った。
ひょっとすると彼の誘いを断るかな、とも思った。
なにせ相手は固い鎧を全身にまとったこちこち女。
それに誘った先が、飲み助が集まる小汚い焼鳥屋である。
彼は騒がしい方が周囲のことを気にせずに、本音で話ができると考えたのである。
 桐子はカウンターに俯き加減で黙って座っていた。
ジョッキーのビールにもさらに並べられた焼き鳥にもなかなか手を出そうとしない。
 Tは単刀直入に切り出した。
「俺は本音でしか物を言わない。
桐子さんに言っておきたい。
自分に自信が持てないんだろう。
周囲のことを気にして、自分の欠点ばかり見える。
だからそれを直そう直そうと焦って、かえって泥沼に入っていく。
そして結局は自分にまた失望。
でもね、自分のいいところを出せばいいんだ。
他人がどう思おうが関係ない。
自分のいいところだ。分かる? 
自分に関して一番自信が持てるもの、それを精一杯出すんだよ。
そしたらもう一人の引っ込み思案だった桐子さんがにっこり微笑む。
例えば、他人を恨まない、羨望しない、貶めない。これだけで十分さ。
実を言うと、これができないやつがこの世の中にはわんさといる。
うわべを繕ってなかなか本音を出さない。
いつも警戒心を解かない。
隙あらば自分のいいように他人を利用する。
そういう連中さ。
でも桐子さん、君は純粋だ。
心がきれいだ。
だから悩むんだ。
逆説的な言い方かもしれないが、そんな君を自慢したらいいんだよ。
もっと誉めてやったらいいんだよ。
 さあ、へこんでないで飲んで食べて。ここの焼き鳥、最高だよ」
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 この言葉に桐子の態度が変わった。
頬が心なしか緩んだのだ。
それからは仕事のことだけでなく、個人的なことも少しずつ話すようになった。
心に余裕が生まれたのか、周囲の人間ともうまく波長を合わせることができるようになった。
彼はひとまず安心した。
しかし、事件が起こったのはそれから一ヶ月くらいしてからである。
梅雨に入って鬱陶しい日々が続いていた。
軽い昼食を済ませて店に戻ると、ほっとする間もなく午後の仕事が始まった。
桐子は新刊本の入れ替えをしていた。
そこに少しインテリ風の男性客がやってきた。
彼はメガネをすこしずらしながら本を探しているようだった。
視線があちこち飛ぶ。
少し神経質だ。
それに苦虫をかみつぶしたような顔。
哲学者のような面相に、Tは彼が店に入ってきたときから嫌なものを感じていた。
 桐子がへまをしなければいいが……。
 彼の不安は的中した。
 その哲学者男は、探している本が見つからなかった。
つかつかと桐子に近づいていくと、何を思ったのか桐子の背中に手を置いた。
桐子は仕事に気を取られていたので、突然背中を触られて不意打ちを食らった状態になった。
 キャー。
 桐子は思わず悲鳴を上げ、そして
「何するんです、この変態が」
 と、その哲学者男に向かって叫んでいた。
桐子の目には恐怖心が宿っていた。
しかし、普段のおどおどした桐子からは想像もつかないくらいはっきりとした口調だった。
当然、悲鳴も罵声も店員だけでなくそこにいた客にも聞こえた。
みんなの視線がその哲学者男に注がれたことは言うまでもない。
 哲学者男は自分が痴漢に勘違いされたことにとまどっていたが、すぐに
「俺はただ探している本がどこにあるのか訊きたかっただけだ。
それなのにこいつは大声を出して、それに俺を痴漢扱いしやがった。
この店は従業員にどういう教育をしているんだ」
 と、逆に息巻いて形勢を立て直してきた。
 Tはすぐさま二人の間に割って入り、
「責任者のTと申します。
とんだ失礼をしました。何分店に出てまだ間がないもので、
これからご迷惑にならないようよく教育をいたしますので、今日のところはご勘弁のほどを」
 Tはひたすら平身低頭の姿勢を保ち続け、嵐が収まるのを待った。
哲学者男はTの取りなしに少し不満だったが、桐子にも頭を下げさせたので、一応事は収束した。
後で訊くと、むかしストーカーに狙われたことがあって、
それ以来男性に対して神経過敏になっていると説明された。
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 それから桐子の状態が悪くなった。
またしても自分の弱点が表面化した状態になり、Tがいくら助言を与えても軌道修正はできなかった。桐子は責任感が強く、自分の失態が許せなかったのだ。
 結局、本屋を辞めることになった。
 Tは桐子のために送別会を開くことにした。
同僚が数人集まる小さな送別会だったが、その当日の朝、出勤しようとすると、
玄関で奥さんが、
「あなたこれ」
 と言って封筒をTに差し出した。
「何だ」
「今晩、送別会でしょう。桐子さんだったかしら。彼女を精一杯励ましてあげて」
 Tは頭をゴツンと殴られたような衝撃を受けた。
感激の衝撃だった。
家計は決して楽ではなかった。
子供の治療費に精一杯の生活で、飲み会に回す金銭的余裕があるわけではない。
それなのに黙って夫のために封筒を差し出す妻。
 Tの頭をよぎったのは、かつて勤めていた銀行だった。
上司の感情に乏しい顔が浮かんだ。
俺は上司には恵まれなかったが、それよりもっと大事なものが見つかったぜ。
禍転じて福と成す。
まさにこれだな。
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 その夜、Tは桐子のために最大の慰労をしてやった。
送別会の別れ際、桐子が言った。
「素敵な男性に巡り会えたこと、感謝しています。一生忘れません。
初恋ってこんなのを言うんでしょうね。
もう終わったけど」
「前に向いて歩いてくれ。胸を張って。自分のいいとこを信じてな」
 Tの目頭は酒の酔いでもないのに、熱くなっていた。
 Tは今でも日曜日には運送会社でアルバイトをしている。 
写真は小豆島小部(こべ)のある民家の庭先の光景です。

随想 膝の上』第10話 言葉を失うとき
鮠沢 満 作
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飛行場へ娘を送っていくときが、一番苦手である。
最後の言葉がいつもうまく言えないし、言ったとしてもちぐはぐで崩れているのだ。
淋しい気持ちを隠すがための精一杯の照れ隠しである。
要するに、素直じゃないのだ。
 これが大人、それも男親のすることなんだろうか。
外国映画を見ていると、むこうではハギングしてI love you.と軽く言ってのける。
まるで朝の歯磨きのように儀式的に。
日本でああやると大いに変だ。
周りの人がきっと目をひん剥いて、「あいつら何やってんだ」とじろじろ見るに違いない。
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 日本人は儒教の影響がまだあるのか、愛情表現が下手であると言われる。
かといって、欧米人のようにのべつくまなくI love you.では身がもたない。
聞くところによると、欧米人は常に愛情表現をしてないと、
相手に自分の気持ちが伝わっていないのではないかと不安になるらしい。
果たして本当なんだろうか。
外国人の友達がいるが、そういう質問をしたことがないので分からないが、
どうも彼らの所作を見ているとある程度当たっているようにも思う。
 私は日本人だからやっぱり「以心伝心」のほうがいい。
奥ゆかしさもあるし、第一他者への理解と愛情がなければこうはならないから、
これこそ取りも直さず真の愛情であり他者への思いやりの表れである。
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とは言うものの、こうなるには技術がいる。
それに忍耐。
喩えて言えば、芳醇なワインと同じである。
阿吽の呼吸とやらが分かるまで、お互いを寝かせておかなければならない。
そして色で分かる。
匂いで分かる。
最後には気配を感じるだけで分かるとなる。
相手のことを十分知って初めて以心伝心。
今の若い人は、ろくすっぽ相手のことが分からないまま間違って「以心妊娠」。
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 自分の子供には言ったことないが、やっぱり人間やっている限り、いつかは別れが来る。
「人間は別れるために生まれてくるのだ」と、あるエッセイで読んだことがあるが、
これは極端な言い方かもしれないが、無常の世界に生きている限りそれも一つ事実である。
だから最後の言葉をどのように言い表すべきか、この頃よく考える。
若い頃にはこんなこと真剣に考えたことはなかった。
それに娘もそんな話をするには小さ過ぎた。
でも、私も五十路の半ばになり娘も社会人になって、ある程度理知的な話ができるようになると、
やっぱりいつかは迎えなければならない今生の別れというものについて考え、
どんな形でそれを言えばいいのだろうか、とふと気になり始めた。
まさか飛行場での別れのように、ちょっと悪ガキを装って強がりをみせてもシャレにならない。
さりとて、死の間際に「死にたくねえよ」なんて、
おんおん泣きつくような恥ずかしい真似だけはしたくない。
やっぱり最後は、家族に対して「ありがとう」と本気を込めてさりげなく言うのが一番かもしれない。
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 こんなことを書くとどこか思い当たることがないだろうか。
多分、種明かしをすると、おおかたの日本人ならなるほどねと頷くことでしょう。
映画『男はつらいよ』である。
渥美清。
うん三枚目でいて、人情味においては超一流の二枚目。
いつも他人のために自己を犠牲にする主人公。
やっぱり日本人の粋な男の原点が『ふうてんの寅さん』にはある。
涙をぐっとこらえて顔で笑う。
できないよな、こんなこと。
ほとほと感心してしまう。
というのも、最近そんな人情味に溢れた人間が少なくなったからだ。
それにそんなことが粋だなんて誰も思ってやしない。
むしろ馬鹿だくらいにしか考えていない。
まずはてめえのこと。
他人なんて二の次。
そういう生き方だ。
寅さんの場合は、愚直まで真っ直ぐ。
唐辛子をまぶしたようにぴりっと真っ直ぐな生き方をしている。
でもちょっぴり素直さを隠すためにへそ曲がり。
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 盆と正月は私にとっては浮き浮きした時期ではあるが、
反面、それが終わるときのことを考えると、やはりどこか淋しくなる。
胸の奥に小さな痛みが生まれ、段々とその波紋を広げていく。
娘が東京に帰る最後の晩には、さて明日飛行場で何と言おうかなどと、
死にかかった脳細胞をこねくり回しているのである。
まだ二足歩行ができるときにこの始末だから、
ましてや本当の最期のときとなるとどうなるんだろうか。
それに、もしかするとその場に家族が必ずしもいるとは限らない。
そうなると別れの言葉さえ言えずに終わってしまう。
 やっぱり欧米式に、毎日I love you.とやるほうがいいのだろうか。
まさかのときのための保険として。
この保険はお金がかからない。
でも、結構難しい保険だ。
なぜなら、「素直さ」がない人間は加入しても無意味だから。
愛情の掛け捨て。
今の世の中、まあこれもいたしかたないか。 

写真は昨日(3月22日)、小豆島小海からの暮れゆく夕陽です。

『随想 膝の上』第8話 かけうどん
鮠沢 満 作
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土曜日もしくは日曜日は私の「うどんデー」。
『サラダ記念日』ならぬ『うどん記念日』と呼んでもいい。
毎土、日曜日が記念日というのもおかしな話だが、これには訳がある。
コーヒーを飲む人がカフェイン中毒になるのと同じで、私は一種のうどん中毒である。
毎日でもうどんを食べようと思えば食べられる。
それも一日に三度。
しかしそこをぐっと我慢して一週間に一度と決めている。
なぜなら、うどん通というのは、
うどんだけでなくだし(つゆ)まで完全に味わい尽くして初めて通と言える。
そういう持論を持っているからである。
ラーメン通が最後のスープの一滴まで味わい尽くすのと同じである。
そういうことで、うどん屋へ行くと必ずだしまで飲み干していた。
毎日うどん屋へ足繁く通って、毎日だしまで飲み干していたのでは、これは塩分の摂りすぎで、
少し血圧が高い私にしてみれば、さらに血圧を高くすることにもなりかねない。
だからうどんは一週間に一度と決めているのである。
そういう訳で、一週間ぶりにうどんを味わえる土、日曜日は、私にとっては記念日なのである。
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 私はいつの頃からか、自称『自然愛好家倶楽部』と『麺類捜査探偵団』の会長に収まっている。
と言っても会員は私一人だけ。
勝手に設立して、勝手に命名し、そして勝手に活動している。
準会員らしき者が二人いるが、それは仕方なく私に付き合わされる妻と長女である。
数年前までは、ねじが吹っ飛んだ機械仕掛けのおもちゃのように、
無軌道にうどんを追って香川県中を東奔西走していた。
まさに「うどん行脚」である。
うどんだけではない。
麺類なら何でもこいであった。
ラーメン然り、パスタ然り。
現在は小豆島に住んでいるので、当然、素麺となる。
とにかく、誰かが「あそこのうどんはうまい」と世間話をしているのを小耳に挟んだだけで、
その次の土曜日か日曜日にはそこへ出かけているという有様だった。
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 しかし、そうやって噂に上るうどん屋とか、最近のうどんブームに乗って
雑誌に取り上げられる多くのうどん屋というのは、確かに噂にたがわずおいしいことは認める。
だが、と言いたい。
そのほとんどはマスコミに名前が出たということで、少なからず商業路線を意識してか、
うどん屋という昔懐かしいほっとする情緒というものがない。
そもそもうどんというのは、いつでも、どこでも、それも気軽に食べられるというのが、
ここ讃岐にあっては絶対必要な条件なのである。
それとどこか素人っぽい雰囲気、
もしくは現在我々が忘れかけている田舎っぽい感触が味わえる場所なのである。

ところが、バスをチャーターして観光客が大挙して押し寄せたり、
店のテーブルに予約と札が立っていたりするのを見ると、もうこれはうどん屋ではない。
さしずめうどんレストランとでも言えようか。
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私の実家のそばに、脳梗塞を患いリハビリを兼ねてうどんを打っているおやじさんがいる。
元々は、奥さんがどうしてもうどん屋をやりたいということで始めたのが事の発端だった。
奥さんの思いが叶って、ようやく小さいがこぎれいなうどん屋を開店したものの、
運命のいたずらか、奥さんは癌を患い開店して一年半くらいで他界してしまった。
さぞかし悔しい思いをしたことだろう、奥さんも、また遺されたおやじさんにしても。
不幸はさらに続いた。
奥さんが他界したことも原因していたのか、今度はおやじさん自身が脳梗塞で倒れた。
命は取り留めたものの、手足に麻痺を残した。
 退院して、おやじさんはリハビリのつもりでうどんを打ち始めた。
そして四肢の動きにも少しずつ改善が見られ、天国の妻への感謝の気持ちで一大決心をした。
 一年ほど閉めていたうどん屋に、ある日暖簾が掛かった。
「またうどん屋を始めたから、気が向いたら寄ってよ」
 それは商売気のない一声だった。
いや、むしろ自分の打ったうどんが果たして客の口に合うかどうかまだ思案している、
そんな口調であった。
つまり、今思い返してみると、一度食して商売になるかどうか味見してくれ。
そう言いたかったに違いない。
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 そのうどん屋、営業時間は午前十一時から午後の二時まで。
おやじさんの体力からして、それ以上営業するほどまだうどんが打てないのだ。
本当はもっとうどんを打ってできるだけ多くの人に喜んでもらいたいはずなのだ。
実は、亡くなった奥さんが何故うどん屋をしたかったか。
それはまさに商売抜きでできるだけ多くの人に喜んでもらいたい、ただそれだけだったのだ。
清廉で無欲。
老後の暮らしに困らない老夫婦の楽しみごととしては、
美しすぎる余生の送り方になるはずだった。

「このつゆ、鰹がよくきいてておいしい。むかし懐かしい味ね」
妻の言葉を借りればそうなる。
まさにそのとおりだった。
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 以後、土曜日か日曜日のどちらかは、おやじさんのうどんを食べに行くようにしている。
注文は、かけうどん。
それも打ち立てを暖めずにそのままつゆをかけるやつ。
讃岐でうどんの通は生醤油うどん。
でもだしを味わいたい私はかけうどんとなる。
 今は亡き植草甚一は、日曜日の午後は読書と散歩と言ったが、
私の場合は、土曜と日曜の昼はかけうどん。そして午後は自然散策。
 とにかくうどんを食べているときが、私の至福のひとときである。
つるっと喉の奥をなめらかに滑り落ちるうどん一本一本に、亡くなった奥さんの想いある。
鰹だしのきいたつゆに奥さんの優しさがある。
そしてどんぶりの中に奥さんの笑顔がある。
これでかけうどん一杯百円なり。
う~ん、これは安い贅沢だ。 
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『随想 膝の上』第7話 彼岸花
鮠沢 満 作
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猛暑の引き際が悪く、十月に入ってもまだ残暑がぐずぐずしていた。
これからは温暖化の影響で毎年こういうことになるんだろう。
春と秋が短くなって、四季が二季になる。
それでもやはり彼岸花が咲き、空がいっそう高くなると、さすがに朝夕涼しくなってきた。
犬の散歩に出たり、趣味の里山散策に出たりすると、
彼岸花が鮮やかな深紅の頭を放射状に広げているのに出くわす。
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彼岸花は、その名のとおり彼岸に咲く花。
彼岸。
こっちではなくあっちの世界。
また、仏教で煩悩を脱して悟りの境地に達することも彼岸と呼ぶ。
それに対する言葉は此岸。
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小さい頃、彼岸花に対して一種の恐れのようなものを抱いていた。
それは彼岸というのがあの世を意味する言葉だと母親に教えられたことが原因だったのか、
それとも曼珠沙華という奇妙な呼び名が、
やはり仏教に関わりのある言葉であったことに起因していたのだろうか。
とにかく彼岸花というのは通常の花と違って、
茎には葉っぱがなくて、花といえば毒々しいまでの真っ赤な長いしべ。
どことなく奇異で、あの世から運んでこられた特殊な花といってもおかしくなかった。
だから子供心に空恐ろしい花と想像したのに違いない。
彼岸花にはいろんな呼び名がある。
カミソリバナ、シビトバナ、トウロウバナ。
マンジュシャゲ(曼珠沙華)もその一つ。
中でもシビトバナの印象は子どもには大きかった。
子供たちの間では、ソウレン(=葬式)バナと呼ばれていた。
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 しかし今はそうではない。
四季の移ろいの中で、彼岸花は大きな役割を演じている。
暑さ寒さも彼岸まで。
そう、彼岸花が咲いて夏が終わり、彼岸花が咲いて冬が終わる。
一種の季節の分水嶺みたいなものになっている。
小さい頃に空恐ろしく思った花をよく観察してみると、長いしべは巨大な睫毛のような格好をしていて、マネキンの大きな瞼からこっそり盗んできたみたいだ。
真っ直ぐ垂直に伸び上がった茎は、曲がったことが大嫌いで、邪心がまったくない。
雨後の竹の子と同じで、空を仰ぎ見る一途さに真摯な志さえ感じる。
汚穢がないのである。
そう考えると、彼岸花というのはとても清い花である。
だから彼岸に咲く選ばれた花なのかもしれない。
彼岸と此岸を年二回行き来する花。
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 今年は温暖化の影響で開花が二、三週間遅れた。
地球は自転し、季節は巡っているはずなのに、目に映る、または肌に感じる季節は、
昔のようにはっきりとした句読点を打ってないような気がしてならない。
犬の散歩の途中、彼岸花が大挙して咲いていた。
その花の上に広がる空に、春でもないのに雲雀がせわしなく声帯を震わせ啼いていた。
これは果たして正しいことなのか。
まさか雲雀も彼岸花と同じように、年に二度巣作りをするんじゃなかろうね。
私たちの周囲では、私が彼岸花に対して抱いたのとは別種の空恐ろしいことが起ころうとしているのではあるまいか。
もしそうなら、私たちは此岸にいて彼岸にいることになる。
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『随想 膝の上』第6話 金木犀
鮠沢 満 作
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 窓を開けると、甘い香りが部屋になだれ込んできた。
 カーテンが少し風に揺らいでいる。
 香りの正体は裏庭の大きな金木犀。
 毎年、秋口になると甘い匂いを放つ。
 本当のことを言うと、私は金木犀に限らず匂いのややきついものを苦手としている。
 あるときバスの中で吐きそうになった経験がある。
 初めてパリに行って、路線バスに乗ったときのことである。
 途中から乗り込んできた中年の女性が、たまたま私の隣に座った。
 その女性は香水を付けていた。その匂いのせいだった。
 その女性を弁護するために言っておくが、決してどぎつい香水の匂いではなかった。
 ほのかに匂ってくる程度の香水だったが、日本の田舎で生まれ育った私は、
 そもそも香水というものに馴染みがなかった。
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 百姓である私の母は、当然のことながら香水を身にまとうことをしなかった。
 母は香水よりむしろ土の匂いがした。
 太陽をいっぱい吸い込んだ、少し煙ったような土の匂い。
 パリでのカルチャーショックの先鋒は香水だった。
 今はもう慣れっこになってそういこともない。
 何度も海外に出ていると、鼻だけでなく体中の器官が自然とその土地の色、
 匂い、形に慣らされていく。
 それに香水は欧米の文化的側面の一つであると、頭の中でも十分に理解し受け容れているからである。
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 香水については他にまだある。
海外経験をするまでは、欧米人は概して体臭がきつい、
だから体臭を消すために香水とかオーデコロンをふりかけるのだ、
というまことしやかな定説を私自身が信じていた節がある。
それは日本人が欧米人のことを深く理解していないがために起こる妄想の類に等しい。
しかし、今はそういう偏見もない。
欧米人の体臭がきついというが、欧米人にしてみれば、彼らとはまったく異なる生活、
それもときとして彼らの目には不衛生に映るかもしれない生活を送っている東洋人の体臭こそきつい。そう思っているかもしれない。
お互い様である。
これは私たちが無知であったり、
他国及びそこに住む人々に無関心で浅学であったりすることから来る偏見である。
この種の偏見は少し努力すれば改善される。
香水を使うのは、耳にピアスをしたり、爪にマニキュアをするのと同じで、
一種の身だしなみの一つである。
そう考えれば、ことさら奇異でも何でもない。
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しかし、つい先日経験したことは、頭でいくら理解してもそれでカバーできるものではなかった。
何十年か振りに香水の匂いで吐きそうになったのである。
家に帰る列車の中、仕事で完全に疲労困憊していた私は、座席に沈み込むように座っていた。
するとどこからともなくそれは匂ってきた。
最初は鼻先をかすめる程度だった。
が、匂いは次第にきつくなっていった。
出発時間数分前というときには、もうその車輌に充満していたのだ。
それに仕事を終え帰宅する乗客で随分と混んでいた。
人いきれと香水の匂いがコラボレーションして、とうとう私の中枢神経を刺激してしまった。
昔の弱点が蘇ったのである。
頭はずんやり重く、胃の周辺が軽く蠕動し始めていた。
今回はノートルダム寺院もセーヌ川も見えない。
嗅覚がやられても視覚で慰めるものがあれば救いなのだが……。
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 私は吐き気を我慢しながら人並みの隙間から匂いの震源地を探した。
当然、女性をターゲットにした。
しかし、分からなかった。
携帯電話でメールを打つ人、雑誌に目を通す人、疲れで居眠りする人と様々だったが、
どうもその服装からして香水の主とは思えなかった。
そのとき他の乗客はどうだったか。
観察してみると、みな迷惑しているだろうが、平然としている。
私のように気分を悪くしている人間など一人もいなかった。
 う~ん、私の神経が過敏なのだろうか。
 香水のことを頭からはじき出すために、意識を窓外に転じた。
漆黒に近い闇が茫々と広がっている。
汽車は田園地帯を走っていた。
家の灯りがちらちらたき火のように、ぼーっと浮かび上がる。
その先には里山の稜線が、うっすらと空と境界線を分かち合っている。
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列車は高松を出て約二十分後、無人駅に停車した。
人並みがごっそり剥がれたように車外に吐き出された。
私の前に立っていた大半の乗客もそこで降りた。
そのとき、すーっと一筋のきつい香水の匂いが鼻孔を刺して動いた。
私はその後を視線で追った。
なんと震源地は男だった。
それも若い、ちゃらちゃらとした男。(おっと失礼。ちゃらちゃらかどうか中身までは分からない)
破れたジーンズにぶかぶかのTシャツ。
股下短いジーンズから、絵柄の派手なパンツが、今晩は、と舌を出していた。
「ああ~」
 吐息が私の隣のご婦人から漏れた。
彼女は大きく深呼吸をしていた。
なるほど、男は彼女の右隣に座っていたのだ。
私は彼女の吐息に苦笑し、そして何よりも安堵した。
いや、本当に安心したのだ。
私と同じことを考えている人間がいたこと、それがどれほど私の心を軽くしたことか。
パリのセーヌにノートルダム大聖堂。
ルーブルにオルセー美術館。パリには香水が似合う。
私も結構大人になったものだ。 
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随想 膝の上第4話 誕生日プレゼント
鮠沢 満 作

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私の誕生日を祝わなくなって久しい。
家族が私に冷たいのではない。
また家庭が破綻しているのでもない。
四十歳の誕生日を迎えたとき、
「もうこれからは誕生日を祝わないでくれ」と言ったことが発端だった。
歳を取っていくのに、何がうれしい。
そういう思いからだった。
それにそもそもこの世に生まれてきたことが、
そんなにめでたいことなのか、それさえも定かではない。
こんな皮肉なことを言うと、罰当たり、と親に叱られそうだが、
誕生日を特別の日として祝うほど意味があるとは思えない。
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九月十一日。これが私の誕生日である。
あの同時多発テロが起きた日と同じ日である。
私が実際にオギャーと産声を上げた九月十一日には、どんなことがあったのだろうか。
日本を含め世界ではいろんなことが起こっていたはずだ。
記録に残るもの残らないものすべて含めて。
両親にとっては、私が生まれたことがその日の最大のニュースだったのか。
それともまた食い扶持が一人増えたくらいにしか思わなかったのだろうか。
これまでの両親の私に対する愛情のかけかたからすると、前者だったらしい。
まあ、ホッとする。
というのも、この世に生まれてきても貧困の犠牲になって、
せっかく刻み始めた命の鼓動をすぐさま奪われてしまう新生児がいかに多いことか。
それを考えると、誕生日を祝うというのは、あながち無意味でないのかもしれない。
生命賛歌の観点から言えば。
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 今は仕事の関係で一人暮らしをしている。
周囲には猫の子一匹いない。
あえて家族らしきものを挙げるとしたら、
携帯電話を入れておくぬいぐるみ犬モーと、
毎日我が子のように育てている観葉植物十鉢くらいか。
その日も昨日という日をコピー機で焼いたような一日だった。
無味乾燥な書類の山の処理に追われ、
また、同僚の愚痴やら文句やらの処理にと、非建設的な時間を費やした。
しがない宮仕えの身だから文句は言えないが、最近とみにくだらない仕事が多すぎると思う。
やった、という成就感がない仕事にねじふせられて、
晩ご飯も食べずにそのまま布団にもぐり込んでしまいたいと思う日が続いていた。
鉛のつまったような重い身体をなだめすけせて玄関まで辿り着いた。
キーを回してアパートに入ると、ムッとした空気が身体を包み込んだ。
締め切った部屋には残暑がねっとり付着している。
それどころか、まるで随分前からアパートの主みたいな大きな顔をして居座っていた。
疲れのせいだと思うが、自然と腹が立った。
窓を開けても冷気はおろか、一吹きの風さえ入ってこない。
背広を放り出し、身体にへばりついた下着を剥がすように脱ぎ捨てると、浴室に飛び込んだ。
しばらく冷たい水に身体を閉じこめておくと、少し気持ちがしゃんとしてきた。
バスタオルを腰に巻いたまま冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出し、グラスに注いだ。
それを一息で飲み干したとき、携帯電話が鳴った。
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メールの着信音だ。モーが口元にこぼれ落ちそうな笑みを浮かべている。
久し振りの着信音を、久しく来なかった友を迎えるような気持ちで楽しんでいるようだった。
メールの送信者は分かっていた。私のメールアドレスを知っているのは三人しかいない。
妻と娘二人。
 携帯電話を取り、メールを開いた。
「お誕生日おめでとう。いつも仕事お疲れ様。これからも身体に気を付けて頑張ってね」
 その日はやけに疲れていたのと、
少々気分が滅入るようなことが一週間の内にいくつか続いたこともあり、
素直な気持ちで画面に「有り難う」と言った。
と、そのとき、ふと一抹の寂しさが胸を突き上げてきた。
同時に私の脳裏をかすめたものがある。
それは娘がまだ三、四歳くらいの頃の面影だった。
アルバムのページをひらひらめくるように、
そのときどきの情景が浮かび上がっては移り変わっていった。
 今は二人とも成人し小さいときの面影は微塵もないが、
彼女たちがいくら歳を取っても、私の記憶のアルバムに刻み込まれた娘の姿というのは、
どういうわけか三歳くらいから小学校に上がる前までのもが圧倒的に多い。
以後、まるで私の時間が止まったかのように、彼女たちの姿は成長していない。
 それは何故? 
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おそらくは娘と私が肌の温もりを躊躇なく体感できた時期だったからではなかろうか。
人間も動物、無意識のうちに我が子の温もりを肌で
しっかり確かめておきたい時期があるに違いない。
家族としての集団性をより強く感じられるのもこの時期をおいて他にない。
だから一番懐かしく感じられるのだろう。
 私は子供が親の身近にいると感じられるのは、小学校六年生くらいまでかな、と思う。
中学校に通い出すと、子供たちはクラブ活動に友達との付き合いにと、
土・日曜日はほとんど家にいなくなる。
一家団欒という言葉は、この頃から次第に遠くなっていく。
 私自身を振り返ってもそうだった。
仕事と地域の活動と、ほとんど家を空けていた。
だから娘たちとはいわゆるすれ違いで、ろくすっぽ顔を合わせる機会もなかった。
高校になると、それがより顕著になる。
子供たちは自分たちの小社会に属し、大人との交わりを疎遠にしたがる。
 私の場合は、これは私の当初からの考えだったのだが、
娘が高校を卒業すると東京の大学に進学させた。
いつまでも親のそばにおいて甘えさせたくなかったからである。
彼女たちが東京に出発するとき、飛行場でそれぞれに見送った。
そのとき、ああ、もうこの子と一緒に暮らすこともなくなってしまうんだな、と思った。
「同じ屋根の下にいるということ」は、取りも直さず家族を構成する根幹ともいうべき要素だ。
それが失われた。
少なくとも私はそう思った。
東京にやらせるというのは私が仕組んだことであったはずなのに、
一抹の寂しさを覚えたのは、自然界の動物たちが子供を独り立ちさせるために断腸の思いで追っ払う、あの感覚をまさに自分自身が味わっていたからではないのか。
親子が肌を温めながら暮らせるのは、本当に短い期間なのである。
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 胸の中に湧いた何とも言えない感情の渦は少しの間消えなかった。
「お誕生日おめでとう」、か。
 これまで祝ってもらわなかった誕生日が、大挙して一度に押し寄せてきたみたいだった。
感激が雪崩現象を起こしていた。
誕生日を気に掛けてくれる人間がいるということ。
それだけで十分過ぎるほど幸せなことなんだ。
「メール有り難う。頑張るよ。君たちも頑張るように」そう返信した。
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 携帯の画面を閉じたとき、もう少しで忘れるところだったものを思い出した。
 私は鞄の中から一枚のCDを取り出した。
仕事が引けて部屋を出ようとしたとき、
ある同僚が
「今日、誕生日でしょう。これつまらないものですが、私からのプレゼントです」と
手渡してくれたものだった。
 改めて見ると、「ショパン、ピアノ協奏曲第2番」と書いてある。
 じ~んときた。
 電気を消して真っ暗な中で音を一つ一つ追っていった。
身体の細胞一つ一つにピアノの音がしみ込んできた。
私はショパンが大好きだった。
その甘美な色調の海に浮かび、流木のようにぷかぷかと漂っていた。
疲れもいつしか消えていた。
 三十分ばかりの演奏が終わった。
目が潤んでいた。
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演奏も素晴らしかった。
この曲を私の誕生日に選んでくれた同僚の温かい気持も嬉しかった。
が、それ以上に私の気持ちを動かせたものは、
やはりさっき感じた「誰かが自分のことを気に掛けてくれている」という簡単な事実だった。
普段何気なくやり過ごしているが、実はこれほど身体の芯から温まるものはないのかもしれない。
些細でつまらなく思えるもの、モノトーンもしくは無色透明なために気にも留められないものが、
意外や桁違いな幸せを運んでくるものだったりする。
一本のメールを受け取ったとき、私の心を動かせたものは、まさにそれだったに違いない。
 こんな誕生日なら、毎年祝ってもらってもいいかな。
 いかんいかん。
歳を取るとすぐ調子に乗り、ずうずうしくなるのが中年おやじの悪いところだ。
いや~冥王星に届くくらいの反省じゃ。
 同時多発テロが起きた日と同じ九月十一日、私は五十四歳を迎えた。
久しぶりに心満ちた誕生日になった。

随想 膝の上 第2話 痕跡
鮠沢 満作
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自然。
私たちはこの言葉を普段よく使う。
しかし実はこの言葉、未知数に富んだ言葉で、すごい力を持っている。
未知数に富んでいるから、偉大。
点とか線とか面といった一次元的な広がりしか持たないのではない。
なのにその自然の未知数にも限界が見えてきた。
大学生のとき初めてスイスを訪れた。
もうかれこれ三十年以上も前のことになる。
このときグリンデルワールド近くにはまだ氷河が残っていて、
ホテルから少し登ったところでも、その尻尾に触れることができた。

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しかし、つい先般、あることで再訪の機会に恵まれた。
が、状況は一変していた。
それも壊滅的に。
いつ切られたのか氷河の尻尾はなかった。
蜥蜴の尻尾なら、切れてもまた生えてくるだろう。
しかし氷河はそうはいかない。
肝心の胴体の方も当時より遙かに後退し、栄養失調みたいに痩せていた。
まるで末期のガン患者そのものだった。
 数日後、モンテローザを訪ねた。
ここも同じく、目を覆いたくなる状況だった。
眼下には雄大な氷河が夏の太陽に光の帯をきらきらさせていると思いきや、
どす黒く変色し、かつての半分くらいまでに細くなっていた。
これはほんの一例。
北極では氷が溶け始め、北極熊、アザラシ、その他諸々の生物が絶滅の危機に瀕しようとしている。
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「人間は何もないことを前提に造られている」とは空海の言葉である。
これは無から無へという俗に言う「無常の世界」を示唆する部分もあるのだろうが、
もう一つ、何もないところから物を造り生きるという、
人間が無から有を生む「生の有意義性」をも示唆しているように思う。
我々が生まれ落ちた自然という器は無の器。
あくまで人間はその無の中の一要素。
その無の器の中で有を創造し、生きる。
間違っても我々を包含する自然を征服しようなどと考えるものではない。
それは金の卵を産むガチョウを内側から傷つけるに等しい。
氷河の尻尾はもう帰らない。
帯も太くはならない。
失ったら取り戻せばいい。
その発想は、出発点がそもそも狂ったルールに支配された現代社会では通用しない。
文字どおり無は無に過ぎない。
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 祐介はどこからともなく吹いてきた風を背中に感じた。
風の中に芯があり、眠っている意識を呼び覚ます冷ややかさがあった。
彼は自分に何かが起ころうとしていることを意識した。
息を殺し、目を閉じた。周囲の景色が意識の外へと遠ざかっていく。
昨日別れ際に言った祐子の愛の告白とも取れる言葉が、
夏の太陽に舐められたようにぐんにゃりと曲がって、新鮮な意図も失われていった。
それだけではない。
明け方見た夢の断片、それは祐子と愛を確かめ合った瞬間だったが、
それさえも漂白されたうえに、粉末になって飛び散ってしまった。
祐介を包む宇宙は拡大していた。
今まで意味を持っていた一つひとつのものが、
宇宙の拡大に反比例するようにそれほど大事とは思えなくなってきた。
祐介の意識も遠心力に任せ遠のいて薄くなり、
自分が祐介という一個の人間であることさえ忘れかけようとしていた。
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 意識の最後の糸にぶら下がったとき、自分を遠くから見つめているもう一人の自分を感じた。
草むらに横たわるもう一人の自分は、透明に近い白で、汚れはなかった。
それを見て祐介はハッとした。
祐介は背骨の一つに氷を押しつけられたような刺激を受け、
胸に一筋の風が舞うのをはっきりと感じた。
その瞬間、俯瞰している祐介と大地に横たわる祐介が合体した。
そして透明になって体全体が羽毛のようにふんわり宙に浮いた。
祐介が凭れかかっていた木が、突然サワサワと葉を揺らし始めたかと思うと、
葉のさざ波が大きなうねりになって雑木林全体に広がった。
雑木林全体が祐介の意識の流れに従ってなびいていたのだ。
 健全な魂は救われた。
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自然というのは、我々の住空間である。
だからいろいろな機能を演じている。
その一つに、癒しと救済がある。
心を癒し、魂を救済する。
自然の色に染められる。
これってとても爽快である。
自分の中に風を感じて、周囲の色彩に染まる。
もう一人の自分を発見することにもなるし、またやるぞっ、と元気ももらえる。
自然の衣に包まれる意味をもう一度考えたい。
もしかすると、もう遅いかもしれない。
もしそうだとしたら……慚愧。 

『随想 膝の上』
    
4時半に起きて、毎朝走る男
トレーニングマシンで汗を流し、胸を「洗濯板」にすることに執念を持つ男
毎週の道場通いを欠かさず「武闘家」であり続けようとする男
しかし、かつてはザックにシュラフを詰め込んで、世界の美術館めぐりをしたという。
そして、今も出勤の前には、ワープロに向かい文章を毎日紡ぎ出している。

小説「小豆島恋叙情」の作者の鮠沢満氏は、そんな男です。
彼が書きためたものを「密かに独占入手」!(^^)!
今回は、小豆島を舞台にしたものではありません。
でも島に暮らし、島に生きているからこそ生まれてきたものだと思えます。
そんな訳で(*^_^*)随想「膝の上」を、紹介していこうと思います。

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1 膝の上     鮠沢 満作


普段何気ないことが、実はとても大切ということに気が付かないことが多い。
それは膝の上にある。
膝の上というと、まさに間近である。
でも、それがじっと辛抱強くのっかっているのが見えない。
無くなっても分からない。
膝の上にのっかっているのは、「幸せ君」。
彼は大声でしゃべったり、気づいてほしいと手を振ったりしない。
ただいつも恥ずかしそうに微笑んでいるだけ。
どんなときも知らんぷりして背中を向けたりしない。
晴れの日も、雨の日も、風の日も、そして雪の日も。
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 私は迫り来る影から一粒の種を守ろうとしていた。
デジタル時計がコツコツコツと切り目を入れるようにはっきりと時を刻んでいく。
反対に記憶は過去へとコマ送りされる。
由美の顔が突然大写しになった。
いつものように完璧な歯を見せて笑っている。
背後は海。
青空を引きはがしてそのまま貼り付けたように真っ青だ。
瞳の奥まで青に染まってしまいそうだ。

由美はサンダルを脱ぐと、真っ白な砂浜に素足で立った。
そして軽やかにワルツを踊って見せた。
白いワンピースの襞がゆらゆら揺れ、強い日差しに眩しく輝いた。
波乗りしてきた風が、からかい半分に髪を掬い上げると、流線型の風の形が描かれた。
すーっと柑橘系のシャンプーの匂いがした。
 寸分の狂いもない。
 しかしそれが甘い考えだとしらされた。
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 突然、由美が「怖い」と叫んで、顔を覆うようにしてその場にしゃがみ込んだ。
 気を引こうとするときに由美がよく使ういつもの冗談だろう。
 私はくすくす笑っていた。
 しかし何かがおかしい。由美の顔が恐怖に引きつっている。
 何か不吉なものを覚え由美に走り寄ろうとしたが、何者かが強い力で押し返してくる。
 由美の躯が砂に沈み始めた。白いワンピースの裾が、砂浜に襞の数を増やしていく。
 もう胴体の半分まで埋まってしまった。
 這いつくばって手を伸ばし、やっとのことで由美の手を取った。
 そしてぐいと引っ張った。
 だが由美の手がボコっと鈍い音を立てて抜けた。
「お願い、助けて」
 由美の阿鼻叫喚の悲鳴が波の背に降り注ぐ。
  もう一方の手を差し出す由美。
 それをつかもうとする私。
 もう由美の顔の半分が砂に消えかかろうとしていた。
 さっきあれほど美しかった髪が、邪悪な蛇の胴体のようにとぐろを巻いていた。
 ゆっくり由美は砂に呑まれて消えた。
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 「由美」
私は狂ったように砂を掘り返した。
爪が剥がれ、血が滲む。
それでも掘り続けた。
辛うじて指の先に一本の髪が引っ掛かった。
慎重にそれをたぐる。
やがてもつれた髪の束が出てきた。
それを鷲づかみにし、力任せに引っ張り上げた。
  ズルッと何かぬめった音が足下で聞こえた。
 尻餅をついて後方に倒れた私がつかんでいたものは、肉のそげた由美の骸骨だった。
 茫然とするしかなかった。
 白い砂浜が何か凶暴な牙を忍ばせているように思えた。
砂浜だけではない。
押し寄せる波も邪悪なものを含んでいたし、吹き付ける風にもナイフの凶暴性が臭っていた。
 私は由美を守れなかった。
  カチャッ。
 デジタル時計がまた一つ、現在を過去に葬送するための刻み目を入れた。
それは姿を変え、私の背に十字架を残した。
背中がたわみ、きしむほど重い十字架。
私は膝の上にあるごく普通の「ささやかな幸福」さえ見えなかったのだ。

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 空気のように透明で、実際には存在するのに目に見えないもの。
もしかすると、そういったものに本当に大切なものが隠されているのかもしれない。
なぜって? 
大切なものはそう簡単には見えないから。
あなただってそうでしょう。
大切なものは、紙に包んだり箱に入れたりするでしょう。
それに鍵だってかける。
膝の上の「幸せ君」も同じ。
目の前にいるのに見えない。
ときには足を止め、その場にしゃがみ込んで、
それからじっくりと膝小僧を眺めて見るのもいい。
きっと天使のように微笑んでいる「幸せ君」が見えてくるはず。
一言「有り難う」と言ってみても罰は当たらない。
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