今回は、1期の鎌倉時代についてより詳しく見ていくことにします。テキストは「松田朝由 鎌倉時代後期の天霧石石造物 四国中世史研究第10号(2009年)」です。


鎌倉時代の石造物の中で研究者が注目するのが犬塚です。
犬塚は国立善通寺病院の東北の仙遊寺の近くにあります。徳治2(1307)年の『善通寺伽藍井寺領絵図』の中に描かれているので、13世紀以前のものと推測できます。高さ約2,5mの大きな天霧石で作られた笠塔婆(かさとうば)で、四方仏に大日如来を表す「バン」という梵字が刻まれています。笠塔婆は、塔婆の一種で、角柱状の塔身に屋根(笠)をのせたもので、仏像や梵字、名号などが刻まれ、側面に造立の願主や年号などが刻まれたもので、讃岐では東讃に多い石造物です。その中で年号が確認できるものを挙げてみると次の通りです。
①文永7(1170)年 筒野八面笠塔婆②弘安6(1283)年・9年(1286)の長尾寺笠塔婆③永仁3(1295)年 新川の笠塔婆④応安5(1372)年、永和2(1376)年の西教寺六角笠塔婆⑤応永8年(1401) 下り松庵の六地蔵笠塔婆
A 多度津町高見島五輪塔B 伝横尾時陰五輪塔C 善通寺市三帝廟D 岡山県笠岡市正顔五輪塔
①地輪は低く、水輪は荘重感があり、きれいな円形にならない。②火輪は軒が厚く外側にやや傾斜する③最も特徴的なのは空風輪で、空輪と風輪が分割成形で、一石でつくられないこと④空風輪を分割成形する地域として愛媛県松山市を中心に展開する凝灰岩(伊予の白石)の五輪塔があり、その時期は鎌倉時代中期からであること。
①真反で外方にやや傾斜する火輪の軒、大きな空風輪が共通すること②火輪の軒が外方に傾斜する点は香川東部の石造物とも共通すること
A 丸亀市中津八幡神社B 多度津町光厳寺C 善通寺市三帝廟

①塔身を空洞に割り抜き、内部に石仏を安置すること。②正面には窓を穿つ例が多いこと③空洞にはしないが、塔身正而を方形に深く彫り窪め、内部に石仏を刻むこと。これは備中東部内陸部の花満岩製宝塔に事例あり。④首部は塔身と別石で組み合わす例が多いこと。これは対岸の岡山県五流尊龍院宝塔や広島県浄土寺宝塔に事例あり。こうしてみると宝塔は岡山、広島の花崗岩製宝塔との関係がありそうです。⑤相輪は伏鉢・請花と九輪から上位で分割成形されていること。この類例は他地域にはないようです。天霧石石造物は近世初頭まで分割成形の相輪が見られます。


この東西ふたつの塔については、以前に次のようにお話ししました。
①東塔(左)が弘安元年(1278)櫃石島産の花崗岩で作られたもので、頼朝寄進と伝来②西塔(右)が元亨4年(1324)天霧山凝灰岩製で、弥谷寺(天霧山)石工によるもの
①は笠の一部と塔身、基礎の内部を空洞にしていること②これは、五輪塔、宝塔など天霧石石造物でも見られる特徴。③内部空洞化は室町時代以降も行われていて、岡山県西大寺層塔などにも見られ、天霧石石造物に多い特徴であること④観音寺市神恵院層塔の塔身や多度津町多聞院多宝塔には扉の表現が見られる。⑤その他、層塔は塔身の銘文、四仏の種子に独自性があるが、形態には在地色はあまり見られない。
A 高松市、坂出市に所在する摩尼輪塔(白峰寺)B 善通寺市三帝廟C 白峯寺十三重塔

これら摩尼輪塔の基になった作品として奈良県談山神社の摩尼輪塔があります。月輪状の円盤を正面に付けた笠塔婆であり、他に類例がありません。そのためこの石造物には直接的な関わりがあったと研究者は考えています。談山神社摩尼輪塔には乾元2年(1303)の年号があります。天霧石の白峯寺摩尼輪塔よりも18年古いことになります。ここからは天霧石摩尼輪塔は談山神社摩尼輪塔をコピーしたものという可能性が出てきます。しかし、請花、宝珠を分割成形する手法は天霧石石造物の特徴で、細かな部位は天霧石石工の個性が出ていると研究者は評します。

この三基について研究者は次のように指摘します。
①天霧系石造物にはない反花式基壇が見られ、諸属性も在地品と異なる点が多い②特に五輪塔水輪は最大幅を中位にとる整った円形で、壷形、筒型の多い天霧石五輪塔とはタイプが異なる。③整った円形の水輪は、大和の特徴なので、これらも大和石造物のコピーである可能性が強い④宝掟印塔の笠からも大和との関わりが推測される⑤しかし、大和の石造物そのものではなく、五輪塔空風輪、宝塔塔身などに天霧石の独自性が見られる
白峰寺に花崗岩製の十三重塔が姿を見せるのは、弘安元年(1278)年のことなので、それよりも10年以上早いことになります。他に先駆けて登場しているのです。一方で、大和・山城の層塔を見てみると、同じ時期(弘安元年)の層塔には京都府法泉寺十三重塔があり、そこには猪末行の石工銘が記されています。白峯寺の花崗岩製十三塔に大和石工が関わっていることをうかがわせるものに最上段の壇上積基壇を研究者は指摘します。壇上積基壇のある石造物は大和石工が好んで採用したものです。ここから研究者は「白峯寺花崗岩製十三塔は大和石工によって出張製作されたもの」と推察します。

最下段には壇上積基壇があり、白峯寺花崗岩製十三重塔と同じ様に大和石工によって出張製作された可能性があります。円通寺は細川氏の守護所とされてる寺院で、中央との繋がりがうかがえます。
①鎌倉時代中期の白峯寺と円通寺は中央と深いつながりがあった②そこには大和石工が出張製作した花崗岩製の石造物が造立された③このような香川と大和の石造物・石工の関わりを背景として、14世紀初頭になると地元の天霧石石工は大和石工の製作した石造物を模倣して畿内風の石造物を製作するようになった。
参考文献 「松田 朝由 弥谷寺の石造物 弥谷寺調査報告書(2015年)」
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