吉野川市バンブーパーク
竹は根は浅いけれども、広く密に生えるので、洪水対策として土留め効果があるとされて、水害防備林として川筋に育てられてきました。阿波の吉野川の川筋には長く続く竹林が今でも数多く残ります。そのため河と竹林は古くから見られた光景のように私は思っていました。 一方、竹材はその柔軟性を活かし、編みあげることが可能で、いろいろな工芸品として活用されてきました。そして、各種水防施設にも用いられてきたようです。今回は、水害対策に竹材がどのように利用されてきたのか、洪水対策として竹林がいつ頃から姿を見せるようになってきたのかを見ておきましょう。
テキストは、「畑 大介 利水施設と蛇籠の動向 治水技術の歴史101P」です。
テキストは、「畑 大介 利水施設と蛇籠の動向 治水技術の歴史101P」です。
竹材を編んで細長く筒状にし、その中に川原石を入れた蛇籠が使われてきました。
このルーツは中国にあり、世界遺産に登録されている都江堰(四川省)紀元前3世紀)が築造された時に、はじめて用いられたとされています。
蛇籠が我国に伝来したのは、いつ頃なのでしょうか?
都江堰(四川省)の蛇籠
蛇籠が我国に伝来したのは、いつ頃なのでしょうか?
古事記に蛇籠に相当する「荒籠」がみえるので、早くから伝わっていたとされてきました。しかし、古代の遺跡から蛇籠が発見された例はないようです。ここからは、古墳時代頃に伝来して、古代には日本国内で広く用いられるようになったとは云えないと研究者は考えています。
それでは、蛇籠が確認できる史料はなんなのでしょうか?
それでは、蛇籠が確認できる史料はなんなのでしょうか?
『一遍上人絵伝』の富士川に渡された船橋の綱の右方は、蛇籠に固定されているように見えます。しかし、中世でも発掘調査で蛇籠が確認された事例はないようです。蛇籠が確認されるのは、戦国時代になってからです。永禄5年(1562)の穴山信君判物写に「籠」とあるので、戦国時代に甲斐国では蛇籠が使用されていたことは確かです。近世になると農書、地方書、定法書、川除普請仕様帳などから蛇籠は、広く普及していたことが分かります。蛇籠は寛永4年(1627)の吉田光由『塵劫記』に登場します。ここからは、江戸時代の早い段階ですでに知られていたことが分かります。
かすみ堤に使用されていた蛇籠
「かすみ堤」などの山梨県内の堤防発掘調査では、江戸時代の蛇籠が確認されています。以上から蛇籠の一般的な使用は戦国時代になってからであり、中世後半までは一般的ではなかったと研究者は考えています。堤に用いられた蛇籠
次に治水対策として竹林が育てられていた事例を見ておきましょう。
板壁の内側に竹が植えられている(粉河寺縁起 長者屋敷)
粉河寺縁起の長者(武士統領)の舘の周りには、竹が植えられているのが見えます。堀に面した塀沿いに、敷地を護るためと、弓矢の矢の作成材料として、武士の舘に植えられていたことが、絵巻物は描かれています。
竹材が実際に護岸施設に用いられていた事例としては、次のような所があります。
①奈良県大和郡山市の本庄・杉町遺跡の河川護岸(図10)②東京の汐留遺跡の大名屋敷の土留め竹柵
沖浦和光氏は、竹の普及について次のように記します。
①古代から中世初頭にかけては、温暖な南九州を除いて竹林は全国的には広がっていなかった②竹林の造成技術が各地に伝わり、竹がいろいろな分野で用いられるようになったのは南北朝時代以後③室町時代後半になって、治水灌漑のための竹林の造成が盛んに行われるようになった
つまり竹林の全国的普及は、南北朝以後ということにまるようです。竹は、古代からどこにでもあった身近な植物ではないようです。いまは里山では、竹藪が放置され、周りの山々を浸食して大きな問題となっています。私の家の竹藪も、すべて切り払って櫻を植えて、竹藪から山桜の山へと転換中です。このような讃岐の竹藪も、近世からあったわけではなく、明治以後に作られた景観のようです。我が里の「佐文誌」を読むと、大正時代に他所から持込、移植した竹が竹藪として拡がったことが分かります。現在の竹藪に囲まれた景観も百年前にスタートして、高度経済成長の時代にタケノコ景気の時代に急速に面積を拡げていったようです。竹と讃岐の里が結びついたのは近代になってからでした。それ以前は、以前にお話したように里山は「刈敷山」として、肥料のための草木刈りのための重要資源供給地でした。そのためタケノコなどは植えられなかったようです。竹藪が讃岐の里山に広がり始めたのは百年前からだったことを押さえておきます。
現在の蛇籠
以上、竹材活用の歴史をまとめておくと
①古代では『竹取物語』の竹取翁に象徴されるように個人の手工的生産が中心
②鎌倉時代になると生活に身近な井戸の材料として使用されるようになり
③戦国時代頃になると治水工事で蛇籠が用いられ
④近世になると多量の竹材が護岸施設にも使用されるようになる。
蛇籠の普及も、この流れに沿うもので、伝来と普及は時期を分けて考える必要があると研究者は考えています。竹は古代から身近にあったものではないこと、竹は外来植物で九州から次第に生育エリアを拡大したことを押さえておきます。
蛇籠
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献 畑 大介 利水施設と蛇籠の動向 治水技術の歴史101P