中世以降になると、包丁諸流が奥義を書き伝えた料理伝書を残すようになります。伝書は料理の式法を伝えるもので、その読者は一部の料理専門家など少数の人々でした。また、伝書にはいろいろな故事引用が多く、神話、神道、陰陽道、儒教、仏教などによって権威付けがなされていることがその特徴とされます。その中で、魚介類の格付け(ランキング表)が登場してきます。
鎌倉時代の『厨事類記 第□』(1295年)には「生物 鯉 鯛 鮭 鱒 雉子 成止鮭絆供幅雉為佳例。」とあり、鯛と鯉が並んでランクされています。また「徒然卓』(第118段)では、鯉が次のように記されています。
「鯉ばかりこそ、御前にても切らるヽものなれば、やんごとなき魚なり」
ここには鯉が「やんごとなき魚」として特別の魚とされ、14世紀初頭の魚ランキングでは、最上位の魚として位置づけられていたことが分かります。それでは室町期の流派相伝書に、鯉がどのように記されているのかを見ていくことにします。
① 『四條流庖丁書』(推定1489)年
「一美物上下之事。上ハ海ノ物、中ハ河ノ物、下ハ山ノ物、但定リテ雉定事也。河ノ物ヲ中二致タレ下モ、鯉二上ラスル魚ナシ 乍去鯨ハ鯉ヨリモ先二出シテモ不苦。其外ハ鯉ヲ上テ可置也。」
意訳変換しておくと
「美物のランキングについては、「上」は海の物、「中」は河ノ物、「下」は山ノ物とする。但し、鯉は「河ノ物」ではあるが、これより上位の魚はない。但し、鯨は鯉よりも先にだしても問題はない。要は鯉を最上に置くことである。」
「一美物ヲ存テ可出事 可参次第ハビブツノ位ニヨリティ出也。魚ナラバ、鯉ヲ一番二可出り其後鯛ナ下可出。海ノモノナラバ、 一番二鯨可出也。」
意訳変換しておくと
「美物を出す順番は、そのランキングに従うこと。魚ならば、鯉を一番に出す。その後に鯛などを出すべきである。海のものならば、一番に鯨を出すべし。」
「物一別料理申ハ鯉卜心得タラムガ尤可然也。里魚ヨリ料理ハ始リタル也。蒲鉾ナ下ニモ鯉ニテ存タルコソ、本説可成也。可秘々々トム云々」
意訳変換しておくと
「特別な料理といえば、鯉料理と心得るべし。里魚から料理は始めること。蒲鉾などにも鯉を使うことが本道である。
以上は、鯉優位が明文化された初見文書のようです。
「料理卜申スハ鯉卜心得タラムガ」「里魚(鯉)ヨリ料理ハ始リタル也」などからは、鯉が最上位にランキングされていたことが分かります。また「ビブツ(美物)ノ位」とあるので、格付けの存在も明らかです。
大草流包丁式の鯉さばき
①『大草殿より相伝之聞古』(推定1535~73)
「一式三献肴之事 本は鯉たるべし 鯉のなき時は名吉たるべし。右のふたつなき時は、鯛もよく候」
意訳変換しておくと
「一式三献の肴について、もともとは鯉であるべきだ。鯉が手に入らないときに名吉(なよし:ボラの幼魚)にすること。このふたつがない時には、鯛でもよい。
一式三献とは出陣の時、打ちあわび、勝ち栗、昆布の三品を肴に酒を三度づつ飲みほす儀式のことで、これを『三献の儀(さんこんのぎ)』と呼びました。以後は三献が武士の出陣・婚礼・式典・接待宴席などで重要な儀式となります。そこでは使われる魚のランキングは「鯉 → ボラの幼魚 → 鯛」の順になっています。
②「大草家料理吉」推定(1573~1643年)
「式鯉二切刀曲四十四在之。式草鯉三十八。行鯉ニ三十四刀也.(下略)」
③ 『庖丁聞吉』推定1540~1610)
「出門に用る魚、鯛、鯉、鮒、鮑、かつほ、数の子、雉子(きじ)、鶴、雁の類を第一とす。」「一、三鳥と言は、鶴、雉子、雁を云也 此作法にて餘鳥をも切る也」「一、五魚と言は、鯛、鯉、鱸、王餘魚(カレイ)をいふ 此作法にて餘の魚をも切る也。」
ここでは、鯉は五魚並列に位置づけられています。以上からも室町から江戸時代初期までは、魚介類の最上級は鯉であったことが分かります。
鶴のさばき方
次に 近世の料理伝書の鯉のランキングを見ていくことにします。
①『庖丁故実之書 乾坤巻』成立年不明、伝授年嘉永五年(1852)
「河魚にも鯉を第一之本とセリ」「水神を祭可申時、鯉・鱸(すずき)・鯛、何れにても祭り可申事同然可成哉、(中略)、鯉の事欺、尤本成べし、鯛・鱸にてハ不可然、但鱸之事は河鱸にてハ苦しからすや、海鱸にてハ不可然(下略)」「但分て鳥と云へきハ雉子之事なるべし」
意訳変換しておくと
「河魚ではあるが鯉を第一とすること。」「水神を祭る時に、鯉・鱸(すずき)・鯛のどれにでもかまわないと言う者もいるが、(中略)、鯉を使うこと、鯛・鱸は相応しくない。但し、鱸は河鱸は可だが、海鱸は不可である(下略)」「但し、鳥と云へば雉子と心得ること」
② 『職掌包丁刀註解』、伝授年嘉水五年(1852年)
「包丁手数職掌目録 右三十六数は表也 (中略) 右之外三拾六手之鯉数を合て目録ヲ定、表裏の品ヲ定て習之也」
「一夫包丁は鯉を以テ源トス、(中略)、凡四條家職掌庖丁ハ鯉を第一トス、雑魚雑鳥さまざまに、猶他流に作意して切形手数難有卜、皆是後人の作意ニよつてなすもの也、然共、鱸・真那鰹・鯛・雉子・鶴・雁ハ格別の賞翫也、是又従古包丁有し事上、(下略)」「一夫包丁ハ鯉ヲ源トス、鯉鱗の長龍門昇進ノ徳有魚也(下略)」「鯛 一延喜式二此魚を平魚卜云、国土平安の心ヲ取捨日本各々祝儀二も第一賞翫二用之也」
意訳変換しておくと
「包丁手数職掌目録 これは36六数を表とする (中略) この外に36手の鯉数を合せて目録を定めています。表裏の品を定めてこれを習う」
「包丁は、鯉が源である。(中略)、四條家の職掌庖丁は、鯉を第一とする。雑魚雑鳥がさまざまに、他流では用いられ、形や技量が生まれてきたが、これは皆後世の作意である。しかし、鱸・真那鰹(なまがつお)・鯛・雉子・鶴・雁は格別の賞翫である。これは伝統ある包丁の道でもある。(下略)」「包丁は鯉が源である、鯉の鱗は、長龍門を登った徳のある魚である(下略)」「鯛については、延喜式でこの魚を平魚と呼んで、国土平安の心を持ち、日本のさまざまな祝儀でも第一の賞翫として用いられる。
これらの伝書は嘉永4年から6年にかけて、飯尾宇八郎より甲斐芳介へ伝授されたものです。この中で「職掌庖丁刀註解』は、何度も鯉を「第一の魚」としています。鯉を第一としつつ「然共、鱸・真那鰹・鯛・雉子・鶴・雁ハ格別の賞翫也、」と鯛なども同列に置きます。さらに、鯛を「祝儀二も第一賞翫二用之也」と祝儀の魚と位置づけるようになります。つまり、鯉の絶対的な優位性は見られなくなり、鯛に並ばれている感じがします。
④ 『料理切方秘伝抄」万治二年(1659)以前成立・四条家由部流の秘伝書
「一鯛十枚 鮒十枚(喉・唯)何ぞ名魚はこんの字を人て書物也」「二 唯鯉 一二つ鯉は四条家の秘伝也」
この書も、鯉の鱗の数を切り方の秘伝の数になぞった「三十六之鯉の秘伝」と記されていて、鯉優位を示します。 『料理切方秘伝抄」については、研究者は次のように評します。
「本書は、専門家の包丁人ばかりでなく、公家、武家また裕福な町人、上級文化人の間で読まれたのであろうか、その(端本)流布状態は、当初筆者が考えていた以上に広範囲に及んでいた」
鳥魚料理指南
⑤『割烹調味抄』亨和2年(1803)以降成立。ここには250種の料理の製法が載せられていますが、鯉の優位を説く記述はありません。その要因として、「伝書の内容の改変」があったことを研究者は指摘します。
この他にも、近世後半になると次のように鯉に対する否定的な評価が増えてきます。加賀藩四條家薗部流の料理人舟本家の近世成立の「料理無言抄」(享保14年(1729)
「鯉の鮨賞翫ならず。認むべからず」「鯉鮪賞翫ならず。」
「式正膳部集解』、安永5年(1776)成立
「小川たゝきの事 鯉は賞翫なるを以饗応にかくべからず」
御料理調進方』、慶応3年(1866)以前成立)
「塩鯉。江戸にては年頭の進物にする。其外一切賞翫ならず」
以上からは鯉料理に対する否定的な見方が拡がっていたことがうかがえます。
中世に鯉が優位であったというのは本当なのでしょうか?
将軍御成の献立から供応の場における鯉と鯛の立場を研究者は比較します。
永禄4年(1561)、将軍足利義輝三好亭御成の献立「三好筑前守義長朝臣亭江御成之記」の鯉と鯛の使用状況は、鯉の「こい 三膳」の一回だけに対し、鯛は「をき鯛・式三献」「鯛・二献」「たい・二膳」「たいの子・一七献」の四回です。献立には焼物、和交、鮨など調理法だけの記載もあって、全容は分かりません。
永禄11年(1568)将軍足利義明朝倉亭御成の献立「朝倉亭御成記」でも、鯉は「鯉・三献」「汁鯉・二膳」の二回ですが、鯛は「汁鯛・四膳」「鯛の子・九献」「赤鯛・九献」の三回となっています。ここからは、使用頻度は鯛の方が頻度が高く、鯉の優位性は見られません。
天正14年(1586)~慶長4年(1599)、茶の湯隆盛のなかで催された『神離宗湛日記献立 上下』の会席での鯉と鯛を比較します。
使用回数をみると、鯛が64回に対して、鯉はわずか7回です。太閤はじめ諸大名、利体その他歴々たる茶人が名を連ねる茶事は、会席としては同時代の最高の水準と考えられます。このなかで鯉が生物料理だけに用いられ、煮物や焼物には使用されていません。つまり、安土・桃山時代にの上層会席では、鯛が鯉を圧倒するようになっていたと言えそうです。
この背景には「魚のランキング」よりも、「調理の適正」が魚類選択の基準になっていたことがうかがえます。あるいは魚の格付けそのものが考慮されていない可能性があります。
つぎに、上層間の美物贈答を見ておきましょう。
1430年の足利義教から貞成親王への美物贈答(五回)の魚介類には、鯛4回(25尾と2懸)、鰹(8喉)、以下、鱈、鰆、鱒、鰯、いるか、大蟹、海老、鮑、牡蛎、ばい、栄蝶、海月などです。この中で鯛と鯉を比較すると、鯛がやや多くなっています。
文明5年(1483)、伊勢貞陸から足利義政への献上品の魚介類では、鯛25回(103尾と2折、干鯛2折)、鯉5国(11喉と2折)、以下、蛸(7回)、鰐(6回)、鳥賊(6日)、海月(4回)、鱸(3回)などが頻度が多い魚です。
文明5年(1483)、伊勢貞陸から足利義政への献上品の魚介類では、鯛25回(103尾と2折、干鯛2折)、鯉5国(11喉と2折)、以下、蛸(7回)、鰐(6回)、鳥賊(6日)、海月(4回)、鱸(3回)などが頻度が多い魚です。
この中でも鯛は、回数、数量ともに突出しています。鯛は京都の地理的条件から入手困難だったとよく言われますが、上層階層には地方から毎月多くの鯛が献上されていたことが分かります。
「山科家の日記から見た15世紀の魚介類の供給・消費」には、
「山科家礼記」などの5つの史料に出てくるの魚類消費の調査報告書です。そこには、淡水魚介類と海水魚介類の比較を次のように報告しています。
「山科家礼記」などの5つの史料に出てくるの魚類消費の調査報告書です。そこには、淡水魚介類と海水魚介類の比較を次のように報告しています。
「教言卿記」は淡水魚介類のべ30件、海水魚介類59件「山科家礼記』は淡水魚介類のべ194件、海水魚介類492件、「言同国卿記」は淡水魚介類のベ132件、海水魚介類174件
これを見ると、海水魚介類の消費量の方が淡水魚介類に比べて多いようです。また、鯉と鯛の件数比較では、
「教言卿記」は、鯉6件、鯛25件「山科家礼記」は、鯉43件、鯛155件「言国卿記」は、鯉19件、鯛84件
で、どれも鯛が鯉を凌駕しています。鯛は全ての魚介類のなかで最も多く出てきます。ちなみに淡水魚だけに限って多い順に並べてみると
「山科家礼記」では、鮎64件、鮒58件、鯉43件「言国卿記」では、鮎68件、鮒30件、鯉19件
ここでは鯉は淡水魚三種のなかの下位になっています。
これについて研究者は、次のように指摘します。
「中世社会においては魚介類は儀礼的、視党的な要素の強い宮中の行事食や包丁道の対象としても用いられており、これらの記述からは中世後期において魚介類相互間に人々が設定した一種の秩序意識、鯉を頂点とする秩序意識をも看取することができる」
「(しかし)山科家の日記類のなかには、こうした秩序意識の理解に直接資する記事は少なく、包丁書などで述べられる事柄と交差する点が見いだし難い」
「それぞれの魚介類の記事件数のみを物差しにすれば、鯉よりむしろ鯛の方が贈答されることが多く、重視されているように思われる」
「贈答や貫納の場面では鯛の需要が他の魚種を引き離し食物儀礼の秩序とは異なる構図がみえて興味深い,」
「ここからは「儀礼魚」としての役割が鯉から鯛へと重心移動しつつあった15世紀の現実世界を魚類記録は映し出してくれる」
つまり、従来の説では料理伝書の記述に基づいて「中世における鯉優位」が言われてきましたが、これは伝書、儀礼の場の中だけのことで、一般的な食生活の傾向とは乖離があったということになります。
以上、中世、近世の料理伝書の魚類の格付けをまとめておきます。
①中世の料理伝書には鯉優位のランキングが示されていること
②しかし、これは上層の供応、贈答などの実際の場には反映しておらず伝書の中に留まること
③伝書における中世の鯉優位は近世にも引き継がれるが、出版された伝書が改変が推定される伝書には、中世と異なる鯉への否定的な評価が見られること
それでは中世の鯉優位は、どのように形作られたのでしょうか
通説には伝書の権威付けとして引用されるのが次の中国の故事です。
「龍門(前略)此之龍は出門・津門・龍門とて三段の龍也、(中略)三月三日に魚此龍の下ニ集り登り得て、桃花の水を呑ば龍に化すと云う事あり」(包丁故実之書)
「目録之割 (前略) 鯉鱗の長龍門昇進ノ徳有魚也、毎鱗黒之点有之、鱗数片面三拾六枚有、依之衣共鱗数三拾六手の数ヲ定メ給ふ卜言ふなり」(『職掌包丁刀注解』)
意訳変換しておくと
「(黄河の)龍門(前略)の滝は、出門・津門・龍門の三段に流れ落ちる。(中略)三月三日に魚たちは、この滝の下に集まって、この滝を登り得た魚だけが、桃花の水を呑んで龍に変身すると伝えられる。」(包丁故実之書)
「目録之割 (前略) 鯉は龍門の滝を昇進した有徳の魚である。鱗ごとに黒い点があり、鱗数は片面で36枚ある。そのため包丁人は伝書に鱗数と同じ36手の数を定めている。(『職掌包丁刀注解』)
ここからも「鯉の優位」を説く中世の伝書は、包丁家などに伝わる儀礼的な場面を想定して、鯉を「出世魚=吉兆魚」としていたことが推察できます。「徒然草」の「鯉ばかりこそ、御前にても明らるゝものなれば、やんごとなき魚なり」というのは、包丁人たちによって形成された評価と研究者は考えています。
今日はここまでです。最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献