1年に3回、まんのう町図書館の郷土史講座を担当しています。今回は、丸亀平野南部を勢力下において、天霧城の香川氏と対峙した長尾氏を取り上げることになりました。時間と興味のある方の参加を歓迎します。
お話する内容については、以下の記事がベースになります。

8:00 佐文公民館集合・荷物積込8:30 出発 (マイクロバス2台33名)9:40 サンポート到着 搬入10:00 リハーサル(入庭隊形・位置・音量確認・鳴物)10:45 昼食 → 終了後に着替え開始13:20 入庭隊形で待機13:30 入庭(いりは)14:10 退場 着替え・撤収15:00 サンポート出発16:00 佐文公民館帰着(片付終了後解散)
舞台上の流れ13:30 客席より入庭
今回は次のように簡単な役割紹介をしました。こんにちわ まんのう町の綾子踊保存会会長の白川です。髙松ユネスコ協会創立五十周年 誠におめでとうございます。この式典に呼んでいただいたことをありがたく思っています。私たちの住むまんのう町佐文は金毘羅さんが鎮座する象頭山の南側にある小さな盆地で、百四十軒ほどの集落です。水利の便が悪く、香川用水が通じるまでは水不足に悩まされてきました。その歴史は、日照りとの闘いの歴史でもありました。そこで踊り継がれてきたのが綾子踊りです。笛・鉦・太鼓・鼓・法螺貝などに合わせて踊る姿は、中世の風流踊りにつながるものとされています。綾子踊りを踊ることは、佐文地区に住む私たちにとっては、故郷に生きる証のようなものです。この踊りを途絶えることなく次世代へ伝承していきたいと思っております。髙松ユネスコ協会のますますのご活躍を祈念しながら、本日は踊らせていただきます。
雲竜の幟(保存会長の右側)13:37 棒と薙刀(なぎなた)
雨を呼ぶ善女龍王の昇り龍が描かれています。空海がインドから迎えたという龍で、満濃池や竜王山に済んでいたとされます。
法螺貝
頭巾に袈裟(けさ)の山伏姿です。綾子踊を伝えた修験者との関わりがうかがえます。


露払い 入庭の際に、榊(さかき)の枝をもって、道中を浄めながら先導します。
棒 薙刀と共に踊りの前に会場の邪鬼を祓い、浄めます
佐文村雨乞踊の幟
13:50 踊り開始(水の踊り→綾子踊→かえりの踊り)地唄(一番右で座っている)麻の上下に小脇差(こわきさし)姿で、一文字笠をかぶって、青竹の杖を持ちます。台笠(青い笠)烏帽子をかぶり、神職姿で台笠を持ちます。台笠の下は神聖な空間とされました。拍子龍王に供える榊を(さかき)持って入場します。黄色い大きな団扇を持ち、芸司を支える役割を果たします。芸司 (げいじ)全体の指揮者です。もともとは踊りを伝えた芸能伝達者の僧侶でした。大きな団扇には、日と月が描かれています。太鼓 袴(はかま)姿に白たすき掛けで黒足袋です。鉦 僧侶姿で、白衣に、黒い袈裟を架けて鉦を持ちます。風流念仏踊りの影響がうかがえます。笛 黒紋付の羽織袴(はおりはかま)で、白足袋に草履姿です。鼓 裃(かみしも)、袴(はかま)姿で小脇差しを指します。側踊(がおどり)
浴衣姿で竹皮の笠を被ります。側踊りは人数にきまりがありませんでした。そのため雨乞い成就の時には、多くの人が参加して面白おかしく踊ったと伝えられます。
善女龍王の幟 綾子踊を捧げたのは、雨を振らせる善女龍王に対してでした。
日時 11月2日(日)興味と時間のある方の来場を歓迎します。
場所 サンポート高松 第1小ホール
12:00 受付・会場 入場料無料(入場整理券が必要)
13:00 開演 開会式
13:30 綾子踊り 佐文綾子踊保存会
14:15 滝宮念仏踊り
15:10 香川町農村歌舞伎「祇園座」
5月2日(金)19:00 佐文公民館出発22:30 ホテル到着予定(淡路SA以後はノンストップ)5月3日(土)8:30~ 着付け(ホテル内の会場)11:00 ホテル出発13:30 EXPOメッセにて公演(30分)15:00 万博会場出発16:00 夕食(ホテル内)5月4日(日)8:30 ホテル発 会場到着後は自由行動11:30 パソナ館15:30 万博会場出発20:00 佐文帰着
佐文に住む住人としてして、綾子踊りに関わっています。その中で不思議に思ったり、疑問に思うことが多々でてきます。それらと向き合う中で、考えたことを今日はお話しできたらと思います。疑問の一つが、どうして綾子踊りが国の重要無形文化財になり、そしてユネスコ無形文化遺産に登録されたのか。逆に言うと、それほど意味のある踊りなのかという疑問です。高校時代には、綾子踊りをみていると、まあなんとのんびりした躍りで、動きやリズムも単調で、刺激に乏しい、眠とうなる踊りというのが正直な印象でした。この踊りに、どんな価値があるのか分からなかったのです。それがいつの間にか国の重要文化財に指定され、ユネスコ登録までされました。どなんなっとるんやろ というのが正直な感想です。今日のおおきなテーマは、綾子踊りはどうしてユネスコ登録されたのか? また、その価値がどこにあるのか?を見ていくことにします。最初に、ユネスコから送られてきた登録書を見ておきましょう。
ユネスコの登録書です。何が書かれているのか見ておきます。
①●「convention」(コンベンション)は、ここでは「参加者・構成員」の意味になるようです。Safeguardingは保護手段、「heritage」(ヘリテージ)は、継承物や遺産、伝統を意味する名詞で、「intangibles cultural heritage」で無形文化遺産という意味になります。ここで注目しておきたいのは登録名は「Furyu-odori」(ふりゅう)です。「ふうりゅう」ではありません。どこにも佐文綾子踊の名称はありません。それでは風流と「ふりゅう」の違いはなんでしょうか。
「風流(ふうりゅう)」を辞書で引くと、次のように出てきました。
「上品な趣があること、歌や書など趣味の道に遊ぶこと。 あるいは「先人の遺したよい流儀」
たとえば、浴衣姿で蛍狩りに行く、お団子を備えてお月見するなど、季節らしさや歴史、趣味の良さなどを感じさせられる場面などで「風流だね」という具合に使われます。吉田拓郎の「旅の宿」のに「浴衣の君はすすきのかんざし、もういっぱいいかがなんて風流(ふうりゅう)だね」というフレーズが出てくるのを思い出す世代です。
これに対して、「ふりゅう」は、人に見せるための作り物などを指すようです。
風流踊りに登場する「ふりゅうもの」を見ておきましょう。
中世には、春に花が散る際に疫神も飛び散るされました。そのため、その疫神を鎮める行事が各地で行われるようになります。そのひとつが京都の「やすらい花」です。この祭の中心は「花傘(台笠)」です。「風流傘」(ふりゅうがさ)とも云い、径六尺(約180㎝)ほどの大傘に緋の帽額(もっこう)をかけた錦蓋(きぬかさ)の上に若松・桜・柳・山吹・椿などを挿して飾ります。この傘の中には、神霊が宿るとされ、この傘に入ると厄をのがれて健康に過ごせるとされました。赤い衣装、長い髪、大型化した台笠 これが風流化といいます。歌舞伎の「かぶく」と響き合う所があるようです。
奥三河の大念仏踊りです。太鼓を抱えて、背中には巨大化したうちわを背負っています。盆の祖先供養のために踊られる念仏踊りです。ここでは団扇が巨大化しています。これも風流化です。持ち物などの大型化も「ふりゅう」と呼んでいたことを押さえておきます。
綾子踊りについてもも時代と共に微妙に、とらえ方が変化してきました。国指定になった1970年頃には、綾子踊りの枕詞には必ず「雨乞い踊り」が使われていました。ところが、研究が進むに雨乞い踊りは風流踊りから派生してきたものであることが分かってきました。そこで「風流雨乞い踊り」と呼ばれるようになります。さらに21世紀になって各地の風流踊りを一括して、ユネスコ登録しようという文化庁の戦略下で、綾子踊も風流踊りのひとつとされるようになります。つまり、雨乞い踊りから風流踊りへの転換が、ここ半世紀で進んだことになります。先ほど見たようにいくつかの風流踊りを一括して、「風流踊」として登録するというのが文化庁の「戦略」でした。しかし、それでは、各団体名が出てきません。そこで、文化庁が発行したのがこの証書ということになるようです。ここでは「風流踊りの一部」としての綾子踊りを認めるという体裁になっていることを押さえておきます。
以上をまとめておきます。
①かつての綾子踊りは、「雨乞い踊」であることが強調されていた。
②しかし、その後の研究で、雨乞い踊りも盆踊りもルーツは同じとされるようになり、風流踊りとして一括されるようになった。
③それを受けて文化庁も、各地に伝わる「風流踊」としてくくり、ユネスコ無形文化遺産に登録するという手法をとった。
④こうして42のいろいろな踊りが「風流踊り」としてユネスコ登録されることになった。
今日はここまでとします。最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
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日 時 2024年9月1日(日) 10:00~ (雨天中止)場 所 佐文賀茂神社(まんのう町佐文)日 程 9:00 受付開始10:00 公民館前出発 加茂神社への入庭10:15 保存会長による由来口上10:20 棒・薙刀問答10:30 芸司口上 踊り開始①水の踊 ②四国船 ③綾子踊 ④小鼓小休止⑤花籠 ⑥鳥籠 ⑦たま坂 ⑧六蝶子(ちょうし)小休止⑨京絹 ⑩塩飽船 ⑪忍びの踊り ⑫かえりの歌










むかし、佐文七名といって七軒の豪族があったところ、綾という女がいた。ある旱魃の年に、草木も枯死寸前となり、村人は非常に苦しんでいた。ある日、諸国遍歴の僧に綾が住民の苦しみを話したところ、僧は住民をあわれみ、龍王に願いをこめて雨乞踊りをすれば降雨疑いなしと教えた。そこで村人を集め旅僧自ら芸司となり、綾夫婦の鉦、太鼓にあわせて踊ったところ、俄に一天かき曇り、滝の如く雨が降った。それより干天の年には、この踊りを行うことを例としてきた。以来、この踊りを踊ると、恵みの雨があったので、だれ言うことなく綾子の踊りとして現在に伝わっている。


ユネスコ無形文化財リストへの登録は、無形文化遺産の認知度の向上とその重要性の認識を確保し、文化的多様性を尊重する対話の促進に貢献します。「風流踊り」 人々の願いや祈りが込められた神事の踊り。日本の提案により「風流踊り」の登録を認証します。
UNE事務局長 刻印日2022年11月30日


①国の補助金で伝承者養成事業を行うこと②その成果として、隔年毎の公開公演を佐文加茂神社で行うこと③全国からの公演依頼への補助金支出④公開記録作成と「佐文誌」の出版


第1組 北村 千疋 萱原これが江戸時代の「南条組」だったようです。南條組が、今は旧綾南・綾上町の11組に分けて、その中から毎年3組ずつが1グループとして奉納します。そして5年に一度、11組全部で踊る総踊りが行われているようです。滝宮天満宮に奉納されていた12本の御神酒は、「西分奴組 + 11組の踊組」からのもののようです。
第2組 東分 山田上 山田下
第3組 西村 石川 羽床上
第4組 北村 小野 羽床下
大日記には次のように記されている。延喜三年二月廿五日、菅原道真五十七歳の時、①雨乞成就に感謝して、毎年7月25日に瀧宮で舞曲祭を行う。俗にいう瀧宮の踊りとは、②七ケ村(まんのう町)南條・北條・坂本などの4ヶ所から年毎、異なる組の者が踊り込みを行う。但し、北條組については、踊り込み年が定まっていない。7月16日から25日までは、③各地域の神社に踊りが奉納される。しかし、瀧宮に奉納するのが主とされるので、④瀧宮踊と呼ばれている。
この踊りは、普通の盆踊とは大きな違いがある。⑤下知(芸司)と呼ばれる頭目が、花笠を被って袴を着て、大きな団扇を打ち振って、「なつぱいぎうや(南無阿弥陀仏)」と云いながら曲節に併せて踊る。小踊は12,3歳ほどの童子が花笠を被って、袴をつけ、襷(たすき)をかけて、下知の団扇にあわせて踊る。又鼓・笛・鉦を鳴らすものもいる。彼らはそれぞれ花笠・襷で、踊子・鉦打ち、鼓打ちなどの人数も決まっている。しかし、踊る各庭によって人数に多少の変化がある。こうして踊りが終ると、下知が「願成就なりや」と高かに云う。これが一場(ヒトニワ)で、一成(ヒトキリ)で、これを「なつばいどう」と呼ぶ者もある。
①古いタイプの百石踊の「下司」は「新発意(しんほつい)=僧侶」で、法衣のうえから白欅をした僧衣②それが綾子踊りの芸司は「裃」で庄屋の格式衣装③滝宮念仏踊りの下司(芸司)は、現在は陣羽織
「戦前までは、各組の下司は、麻の裃を着て踊っていた。ところが麻やかすりの裃は、もうない。特注扱いで高価で手がでん。そこで、ある組の下知が派手な陣羽織にしたら、全部右へなれいになりました。」
お―な―むあ―みどおお―えお―な―むあ―みどお…えお―な―むあ―あみどんどんどは―なむあ―みどお―えお―なつぼみど―えは―な―んまいど―えな―むで ノヽ /ヽ
①中世の雨乞祈祷は、修験者など呪力ある者のおこなうものであった。②村人達は、雨乞成就の時に感謝の踊りを、郷社などの捧げた。
七月六日より大順をかけ、十三日踊願い戻し 又十五日、十七日より、夫より二度の願立てをなし、二十三日めなり。それより二十七日めなり。又、添願として神官の者より、自願かけ自願後八月三日に踊り、十一分の雨があり御利生あり
7月6日に大願を掛けて、13日まで綾子踊を踊った。(それでも雨は降らないので)15日、17日に改めて二度の願立てをし直した。それでも雨は降らない。そこでさらに23日、27日に、添願として神官が自願した。自願後の8月3日に綾子踊を踊った所、十分の雨があった。これも踊りのご利益である
①雨乞成就のために村人自らが綾子踊りを踊っていること②7月6日に踊りを始めて、1週間連続で踊り続けたこと③それでも降らないので願をかけ直し、さらに神官(山伏?)も雨乞祈祷した。④その結果、雨乞い開始から約1ヶ月後に十分な雨が降ったこと
1934(昭和9)年7月16日 かんばつにつき加茂神社にて踊る1939(昭和14)年かんばつにつき8月9日よりけい古8月17日 加茂神社・龍王祠前で踊る8月22日 自雨あり9月 1日 雨あり9月11日 お礼踊り
踊り実施決定 → 稽古 → 実施 → 降雨 → お礼踊り
1953年12月12日 十郷村文化祭出演(十郷小学校)12月13日 香川県公会堂出演(高松市)1954年8月21日 香川県文化財に指定 綾子踊公開(加茂神社)
1955年3月9日 琴電会社映画撮影 綾子踊公開(加茂神社)1955年4月2日 香川県無形文化財に指定9月5日 香川県農業祭出演1960年1月28日 中四国民俗芸能大会出演(岡山市天満屋)1962年10月30日 仲南村文化祭出演(仲南東小学校)1966年4月10日 宮田輝司会 NHKふるさとの歌まつり出演1968年9月10日 佐文核子踊保存会会則制定1970年1月21日 第12回香川県芸術祭出演(高松市民会館)1971年4月11日 国の重要無形民俗文化財として文化庁認定8月16日 文化庁選択芸能公開 於加茂神社1972年8月18日 NHK金曜広場出演(NHK松山放送局)8月27日 綾子踊公開(加茂神社)11月19日 第15国香川県芸術祭出演(普通寺西中学校)
①三年間、国の補助金を受け伝承者養成事業を行い、隔年毎の公開公演を佐文賀茂神社で行うこと②公開記録作成を行うと共に、「佐文誌」編集出版
③全国からの公演依頼に応じて行う公演活動に対する補助金支出
①コロナ中に大型イヴェントが実施できずに、財源が蓄積されていること②風流踊りがユネスコ登録されて、注目度が集まっていること。
①佐文賀茂鴨神社での隔年毎の公開公演②対外的なイヴェントへの出演
ユネスコ無形文化遺産このリストへの登録は、無形文化遺産の認知度の向上とその重要性の認識を確保し、文化的多様性を尊重する対話の促進に貢献します。「風流踊り」 人々の願いや祈りが込められた神事の踊り。日本の提案により「風流踊り」のリストへの登録を認証します。私たちは、文化的多様性の重要性の認識を高め、尊重する対話の促進に貢献します。UNE事務局長 刻印日:2022年11月30日
内 容 華やかな、人目を惹く、という「風流」の精神を体現し、衣裳や持ちものに趣向をこ らして、歌や笛、太鼓、鉦(かね)などに合わせて踊る民俗芸能。除災や死者供養、豊作祈願、雨乞いなど、安寧な暮らしを願う人々の祈りが込められている。祭礼や年中行事などの機会に地域の人々が世代を超えて参加する。それぞれの地域の歴史と風土を反映し、多彩な姿で今日まで続く風流踊は、地域の活力の源として大きな役割を果たして いる。










12:20 記念館を出発12:40 佐文公民館帰着13:00 弁当配布後に解散