木製底樋では、決壊を防ぐためには定期的に交換する必要がありました。交換のためには堤防を掘り下げなければなりません。そのために多くの農民が讃岐中から動員され、約一週間ほど寝泊まりして従事しました。この負担は大きく、農民達は次のようなザレ歌を残しています。
③ このふたつを結んで当時の堰堤は造られていました。
川のこちら側には、金毘羅に長逗留している金持ちたちが芸者をつれて、工事見物にやってきています。大工事は、見物人が数多く集まる所でもありました。同時に、新工法に対する当時の人びとの期待感もあったのかもしれません。
金倉川の改修工事中に、川の中から決壊でながされた石組みの一部が出てきました。その底に当たる部分を並べたのがこれです。このような形で石組で底樋としたと推測されています。底の部分がまっぷたつに折れています。想定外の力が石組みにかかったことがうかがえます。
番組は、こちらのユーチューブからも御覧いただけます。
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