幕末の「讃岐国名勝図会」には、源平の戦いの最中の元暦元年(1184)の大洪水で決壊してから、満濃池跡は
「五百石ばかりの山田となって人家なども建ち、池の内村と呼ばれた」
と記しています。それでは、満濃池はどのようにして再築されたのでしょうか。「満濃池営築図」を見ながら再築の様子を追ってみましょう。
①の上から下に伸びる道路のように見えるのが金倉川で、川の中には石がゴロゴロと転がっています。
②の中央の島のように見えるのが池の宮があった丘で
③の右側の流れは「うてめ」(余水吐)の跡ですが、川のように描かれています。
②の中央の島のように見えるのが池の宮があった丘で
③の右側の流れは「うてめ」(余水吐)の跡ですが、川のように描かれています。
③金倉川を挟んで、左右に丘があります。古代の満濃池は、この丘を堰堤で結んでいました。
④左(東)側が「護摩団岩」で、空海がこの岩の上に護摩団を築いて祈祷を行ったとされる所です。今は、この岩は満濃池に浮かぶ島となってほとんどが水面下です。
④左(東)側が「護摩団岩」で、空海がこの岩の上に護摩団を築いて祈祷を行ったとされる所です。今は、この岩は満濃池に浮かぶ島となってほとんどが水面下です。
⑤右上の池の内側に当たる所に注目してください。ここに数軒の民家と道、農地を区切るあぜ道が描かれています。これが、池跡にあった「池内村」のようです。
「うてめ(余水吐け)」の奥には、家屋や田んぼが描かれている
「うてめ(余水吐け)」の奥には、家屋や田んぼが描かれている
絵図の上部には、文字がぎっしりと書かれています。ここには寛永5年(1628)10月19日の鍬始め(着工)から、同8年(1631)2月の上棟式(完工)までの日付ごとの工程、奉行・普請奉行の氏名、那珂・宇多・多度3郡の水掛高、そして最後に、西嶋八兵衛による矢原正直との交渉が記されています。
満濃池の再築に向けて、二人の間で何が話し合われたかを推測してみましょう。
再築工事開始の二年前、寛永3年(1626)8月に、生駒藩奉行の西嶋八兵衛が池ノ内村の矢原正直方へやって来た。毎年の日照りについて相談がなされた。そこで、正直は池の内に所持している田地を池の復興のために残らず差し出すことを申し出た。
再築工事開始の二年前、寛永3年(1626)8月に、生駒藩奉行の西嶋八兵衛が池ノ内村の矢原正直方へやって来た。毎年の日照りについて相談がなされた。そこで、正直は池の内に所持している田地を池の復興のために残らず差し出すことを申し出た。
つまり、この図に描かれている田畑や家屋が池の内村で、その領主が矢原家であったようです。満濃池を再築するにあたっては、土地の持ち主であり、有力者である矢原家の協力を欠くことができなかったのでしょう。
この功績に対して生駒藩は矢原家を満濃池を管理する池守に任じ、同時に池上下において五〇石を与えます。
「讃岐国名勝図会」の「神野神社の釣燈篭銘文」からは、矢原家の歴代当主が氏神である神野神社の社殿の再建を願主として行っていたことが分かります。つまり、矢原家は池内村の領主であったようです。
こうして、堰堤が出来上がり水がためられると池の内村は、池の中に姿を消すことになったのです。
満濃池史
参考文献
香川大学名誉教授 田中健二 歴史的史料からみた満濃池の景観変遷 満濃池名勝調査報告書
大宝年間(701-704)、讃岐国守道守朝臣、万農池を築く。(高濃池後碑文)
820年讃岐国守清原夏野、朝廷に万農池修築を伺い、築池使路真人浜継が派遣され修築に着手。
821年5月、復旧難航により、築池別当として空海が派遣される。その後、7月からわずか2か月余りで再築。
852年秋、大水により万農池を始め讃岐国内の池がすべて決壊
852年8月、讃岐国守弘宗王が万農池の復旧を開始し、翌年3月竣工。
1022年 満濃池再築。
1184年5月、満濃池、堤防決壊。この後、約450年間、池は復旧されず放置され荒廃。池の内に集落が発生し、「池内村」と呼ばれる。
1628年 生駒藩西嶋八兵衛が満濃池再築に着手。
1531年 満濃池、再築
1649年 長谷川喜平次が満濃池の木製底樋前半部を石製底樋に改修。
1653年 長谷川喜平次が満濃池の木製底樋後半部を石製底樋に改修,
1654年 6月の伊賀上野地震の影響で、7月5~8日、満濃池の樋外の石垣から漏水。8日には櫓堅樋が崩れ、9日九つ時に決壊。満濃池は以降16年間廃池。
1866年 洪水のため満濃池の堤防が決壊して金倉川沿岸の家屋が多く流失し青田赤土となる。長谷川佐太郎、和泉虎太郎らが満濃池復旧に奔走。
1869年 高松藩執政松崎渋右衛門、長谷川佐太郎と満濃池視察。
8月、満濃池、岩盤の掘削によって底樋とする工事に、軒原庄蔵を起用`満濃池の復旧工事に着手。
9月、岩盤の掘削工事に着手。
1870年3月、石穴底樋貫通。6月、満濃池堤防復旧。7月、満濃池修築完了
参考文献
香川大学名誉教授 田中健二 歴史的史料からみた満濃池の景観変遷 満濃池名勝調査報告書