瀬戸の島から

金毘羅大権現や善通寺・満濃池など讃岐の歴史について、読んだ本や論文を読書メモ代わりにアップして「書庫」代わりにしています。その際に心がけているのは、できるだけ「史料」や「絵図」を提示することです。時間と興味のある方はお立ち寄りください。

タグ:ユネスコ無形文化遺産

まんのう町図書館の郷土史講座で綾子踊りについて、お話ししました。その時のことを史料と共にアップしておきます。
綾子踊り 図書館郷土史講座

佐文に住む住人としてして、綾子踊りに関わっています。その中で不思議に思ったり、疑問に思うことが多々でてきます。それらと向き合う中で、考えたことを今日はお話しできたらと思います。疑問の一つが、どうして綾子踊りが国の重要無形文化財になり、そしてユネスコ無形文化遺産に登録されたのか。逆に言うと、それほど意味のある踊りなのかという疑問です。高校時代には、綾子踊りをみていると、まあなんとのんびりした躍りで、動きやリズムも単調で、刺激に乏しい、眠とうなる踊りというのが正直な印象でした。この踊りに、どんな価値があるのか分からなかったのです。それがいつの間にか国の重要文化財に指定され、ユネスコ登録までされました。どなんなっとるんやろ というのが正直な感想です。今日のおおきなテーマは、綾子踊りはどうしてユネスコ登録されたのか? また、その価値がどこにあるのか?を見ていくことにします。最初に、ユネスコから送られてきた登録書を見ておきましょう。

ユネスコ登録書
ユネスコ無形文化遺産登録書

ユネスコの登録書です。何が書かれているのか見ておきます。
①●
convention」(コンベンション)は、ここでは「参加者・構成員」の意味になるようです。Safeguardingは保護手段、「heritage」(ヘリテージ)は、継承物や遺産、伝統を意味する名詞で、「intangibles cultural heritage」で無形文化遺産という意味になります。ここで注目しておきたいのは登録名は「Furyu-odori」(ふりゅう)です。「ふりゅう」ではありません。どこにも佐文綾子踊の名称はありません。それでは風流と「ふりゅう」の違いはなんでしょうか。

風流とは?
「ふうりゅう」と「ふりゅう」の違いは?

「風流(ふうりゅう)」を辞書で引くと、次のように出てきました。

上品な趣があること、歌や書など趣味の道に遊ぶこと。 あるいは「先人の遺したよい流儀


 たとえば、浴衣姿で蛍狩りに行く、お団子を備えてお月見するなど、季節らしさや歴史、趣味の良さなどを感じさせられる場面などで「風流だね」という具合に使われます。吉田拓郎の「旅の宿」のに「浴衣の君はすすきのかんざし、もういっぱいいかがなんて風流(ふうりゅう)だね」というフレーズが出てくるのを思い出す世代です。
これに対して、「ふりゅう」は、
人に見せるための作り物などを指すようです。
風流踊りに登場する「ふりゅうもの」を見ておきましょう。

やすらい踊りの風流笠
やすらい踊りの風流笠


中世には、春に花が散る際に疫神も飛び散るされました。そのため、その疫神を鎮める行事が各地で行われるようになります。そのひとつが京都の「やすらい花」です。この祭の中心は「花傘(台笠)」です。「風流傘」(ふりゅうがさ)とも云い、径六尺(約180㎝)ほどの大傘に緋の帽額(もっこう)をかけた錦蓋(きぬかさ)の上に若松・桜・柳・山吹・椿などを挿して飾ります。この傘の中には、神霊が宿るとされ、この傘に入ると厄をのがれて健康に過ごせるとされました。赤い衣装、長い髪、大型化した台笠 これが風流化といいます。歌舞伎の「かぶく」と響き合う所があるようです。

奥三河大念仏の大うちわ
奥三河大念仏の大うちわ

奥三河の大念仏踊りです。太鼓を抱えて、背中には巨大化したうちわを背負っています。盆の祖先供養のために踊られる念仏踊りです。ここでは団扇が巨大化しています。これも風流化です。持ち物などの大型化も「ふりゅう」と呼んでいたことを押さえておきます。

文化庁の風流踊りのとらえ方

文化庁の「風流踊」のとらえ方は?
華やかな色や人目を引くためためにの衣装や色、持ち物の大型化などが、風流(ふりゅう)化で、「かぶく」と重なり会う部分があるようです。一方、わび・さびとは対局にあったようです。歌舞伎や能・狂言などは舞台の上がり、世襲化・専業化されることで洗練化されていきます。一方、風流踊りは民衆の手に留まり続けした。人々の雨乞いや先祖供養などのいろいろな願いを込めて踊られるものを、一括して「風流踊り」としてユネスコ登録したようです。

雨乞い踊りから風流踊りへ
雨乞い踊から風流踊へ

綾子踊りについてもも時代と共に微妙に、とらえ方が変化してきました。国指定になった1970年頃には、綾子踊りの枕詞には必ず「雨乞い踊り」が使われていました。ところが、研究が進むに雨乞い踊りは風流踊りから派生してきたものであることが分かってきました。そこで「風流雨乞い踊り」と呼ばれるようになります。さらに21世紀になって各地の風流踊りを一括して、ユネスコ登録しようという文化庁の戦略下で、綾子踊も風流踊りのひとつとされるようになります。つまり、雨乞い踊りから風流踊りへの転換が、ここ半世紀で進んだことになります。先ほど見たようにいくつかの風流踊りを一括して、「風流踊」として登録するというのが文化庁の「戦略」でした。しかし、それでは、各団体名が出てきません。そこで、文化庁が発行したのがこの証書ということになるようです。ここでは「風流踊りの一部」としての綾子踊りを認めるという体裁になっていることを押さえておきます。
以上をまとめておきます。
①かつての綾子踊りは、「雨乞い踊」であることが強調されていた。
②しかし、その後の研究で、雨乞い踊りも盆踊りもルーツは同じとされるようになり、風流踊りとして一括されるようになった。
③それを受けて文化庁も、各地に伝わる「風流踊」としてくくり、ユネスコ無形文化遺産に登録するという手法をとった。
④こうして42のいろいろな踊りが「風流踊り」としてユネスコ登録されることになった。
今日はここまでとします。最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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昨年の2022年 11月30日付けで 佐文綾子踊がユネスコ無形文化遺産リストに登録されました。その認証状が東京に届き、会長が授与式に参加していただいてきたのがこれです。

P1250238
ユネスコ世界無形文化資産 「風流踊」登録書

さび付いた私の頭は、英単語が消え去って判読不明。そこでスマホで写して、アプリに翻訳させると次のように出てきました。
                         
  ユネスコ無形文化遺産
このリストへの登録は、無形文化遺産の認知度の向上とその重要性の認識を確保し、文化的多様性を尊重する対話の促進に貢献します。
風流踊り」 人々の願いや祈りが込められた神事の踊り。
日本の提案により「風流踊り」のリストへの登録を認証します。私たちは、文化的多様性の重要性の認識を高め、尊重する対話の促進に貢献します。
UNE事務局長    刻印日:2022年11月30日 

冒頭の「convention」には、「①慣習、しきたり②会議、集会③大会参加者、出席者」という3つの意味があります。よく使われるのは②の意味ですが、ここでは③の参加者・構成員の意味のようです。 「heritage」は、継承物や遺産、伝統を意味する名詞で、後世に伝えるべき自然環境や、遺跡跡など、文化的、歴史的に受け継がれるものを指しています。例えば、「intangibie cultural heritage」で無形文化遺産という意味になるようです。
     
  そして登録名は「Furyu-odori」です。
その形容詞が「人々の願いや祈りが込められた神事の踊り」となっています。ここで気になるのは、ユネスコの認証状の中には「風流踊」とあるだけで、佐文綾子踊はどこにもありません。

もうひとつは、そのリストが日本政府によって提出された。それを、ユネスコが認めリストに登録したという形式がとられていることです。あくまで承認権者はユネスコなのです。ユネスコ世界遺産事業以後、ユネスコは権威を高めたように思います。遺産の保護活動以外に承認権者の地位を手にしたことが、その背景にはあるのではないかと私は勝手に考えています。
 この認証状に「添付」されたような形で頂いてきたのが、次の文化庁の書類です。
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綾子踊 文化庁の認証状
  内容的には、ユネスコ認証状の日本語訳版のようなものです。ただ、ここには「重要無形民俗文化財 綾子踊」と「保護団体 佐文綾子踊保存会」が明記されています。そして「ユネスコ無形文化財の一覧表に登録された「風流踊」を構成することを証す」とあります。
文化庁のユネスコへの「風流踊」提案書には次のように記されていました。
内 容 華やかな、人目を惹く、という「風流」の精神を体現し、衣裳や持ちものに趣向をこ らして、歌や笛、太鼓、鉦(かね)などに合わせて踊る民俗芸能。除災や死者供養、豊作祈願、雨乞いなど、安寧な暮らしを願う人々の祈りが込められている。祭礼や年中行事などの機会に地域の人々が世代を超えて参加する。それぞれの地域の歴史と風土を反映し、多彩な姿で今日まで続く風流踊は、地域の活力の源として大きな役割を果たして いる。

  いくつかの風流踊りを一括して、「風流踊」として登録するというのが文化庁の「戦略」でした。しかし、それでは、各団体名が出てきません。そこで、別途文化庁がそれを証明するために発行したのがこの証書ということになるようです。

どちらにしても、保存会会長からの指示は、これらに相応しい額を購入して、佐文公民館に掲げよというものです。早速、額選びにとりかかっています。この2つの証書を預かって、最初にしたのは、仏壇に供えることです。

そして、ユネスコ認証状がとどいたことを父に報告しました。父もかつては保存会会長を務めていたことがあります。2年に一度の地元の神社での一般公開や、東京や長岡での公演活動の準備に、尽力していた姿を思い出します。この知らせを歓んでいるはずです。
 今年は講演依頼がいつになく多い年になっています。その背景としては、次のようなことが考えられます
①コロナ開けで、伝統芸能公演ラッシュとなっていること
②風流踊りがユネスコ登録されて、注目度が高いこと。

佐文綾子踊保存会も公開年ではないのですが、10月には郡上八幡、11月には東京の日本青年ホールでの公開に招かれています。そのため公演メンバーが決められ、いろいろな下準備が進められています。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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