三角寺の調査報告書(2022年)の中には、葬送関係の版木が4点紹介されています。曳覆(ひきおおい)曼荼羅図・敷曼荼羅図・死人枕幡図など葬送時に用いられるものの版木です。曳覆曼荼羅は死者の上に掛ける曼荼羅、敷曼荼羅は死者の下に敷く曼荼羅で、どちらも死者を送るときに使われたものです。版木があると言うことは、それを三角寺で摺って「販売」していたことになります。これらの版木を、今回は見ていくことにします。
三角寺の「敷曼曼荼羅図」
三角寺の「敷曼曼荼羅図」(版木58表而、図4)には、左側にその使い方が次のように記されています。
「棺の底にこれを敷き、その上に土砂を入れ、その上に亡者を入れ、又その上に土砂をかけ、その上に曳き覆いをひくべし。土砂は光明真言百遍となえて入るべし。但し授り申さぬ人はとなえ申まじき事。」
意訳変換しておくと
まず棺の底に敷曼荼羅を敷き、土砂をかけ、死者を納め、またその上に土砂をかけて曳覆曼荼羅で覆うこと。土砂は、光明真言を百回唱えながら入れること。ただし、加持祈祷を受けていない人は、唱えないこと。
使用手順を整理しておきます。
①棺の底に敷曼荼羅を敷き、土砂をかける。②死者を納め、その上にまた土砂をかけて、曳覆曼荼羅で覆う③この時に用いる土砂は、光明真言を百回により加持祈祷されたものをかける。④ただし、加持祈祷を受けていない人は、唱えないこと。
ここからは、底に敷くものと、死者に上からかけるふたつの曼荼羅が必要だったことが分かります。その曼荼羅の版木が残されていることになります。
曳覆高野秘密曼荼羅図(三角寺)
上からかける曳覆曼荼羅図(版木59)は、五輪塔形の中にいろいろな真言が記されています。
これらの真言で死者を成仏させることを願ったようです。死者とともに火葬されるものなので、遺品は残りません。しかし、版木が全国で20例ほど見つかっています。真言の種類や記す箇所・方向などで、様々な種類に分類できるようです。三角寺版では、火輪部に大威徳心中心呪・不動明王小呪・決定往生浄土真言・馬頭観青真言が記されています。このスタイルの曼荼羅図は、あまりないと研究者は指摘します。このような曳覆曼荼羅が後に経帷子(死装束)に変化していきます。
大宝寺の五輪塔形曳覆曼荼羅
五輪塔形曳覆曼荼羅の版木からは、何が分かるのでしょうか?
版木のデザインは、密教と阿弥陀信仰が融合してキリークが加わり、さらに大日如来の三味形としての五輪塔と一体化します。そして、五輪が五体を表す形になったようです。それが鎌倉時代末の事だとされます。
青目寺(広島県府中市)
葬儀用の曼荼羅版木が、三角寺に残されていることからはどんなこと考えられるのを最後にまとめておきます。
①死霊に対する鎮魂意識が広がった中世に、滅罪供養に積極的に取り組んだのは高野の時宗系念仏聖(高野聖)であった。
②高野聖は、阿弥陀・念仏信仰のもとに極楽浄土への道を示し、そのためのアイテムとして引導袈裟を「販売」するようになる。
④江戸幕府の禁令によって高野山を追放された念仏聖先は、定着先を探して地方にやってくる。
⑤その受け入れ先となったのが、荒廃していた四国霊場や、滅罪供養のお堂などであった。
⑥葬儀用の曳覆曼荼羅(引導袈裟)などの版木が残っている寺院は、高野聖が定着し滅罪寺院の機能を果たしていたことがうかがえる。
つまり、多くの宗教者(修験者・聖・六十六部など)を周辺に抱え込んでいた寺院と言うことになります
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。参考文献
参考文献
「四国八十八箇所霊場詳細調査報告書 第六十五番札所三角寺 三角寺奥の院 2022年 愛媛県教育委員会」の「(103P)版木 ⑤葬儀関係」
「四国八十八箇所霊場詳細調査報告書 第六十五番札所三角寺 三角寺奥の院 2022年 愛媛県教育委員会」の「(103P)版木 ⑤葬儀関係」