今回は、綾子踊りの団扇・花笠・衣装を見て行くことにします。
奥三河の大念仏の大団扇
風流化のひとつに団扇の大型化があることは以前にお話ししました。綾子踊りも、芸司や拍子の持つ団扇は大型化しています。
綾子踊の芸司と拍子の持つ大団扇(中央)と中団扇(左右)
芸司 大団扇寸法(鯨尺)縦 1尺7寸5歩(約52㎝) 横 1尺3寸(39㎝) 柄 6寸(18㎝)廻りには色紙を貼り、金銀色で日と月を入れて、その下に「水の廻巻」か、上り龍・下り龍を入れるのもよし。拍子(榊持ち) 中団扇寸法(鯨尺)縦 1尺2寸5歩(約38㎝) 横 9寸(27㎝) 柄 6寸(18㎝)デザインは、大団扇に同じ。小踊 女扇子台笠 (省略)
団扇には①月と太陽が貼り付けられています。月と太陽は、修験者の信仰のひとつです。この踊りを伝えたのが聖や修験者などであったことがうかがえます。なお、月・日の下に描かれているのが「水の廻巻」のようですが、今の私にはこれが何なのか分かりません。「雲」と伝えられるので、雨をもたらす「巻雲」と考えていますが、よく分かりません。ちなみに、ユネスコ登録を機に新しく大団扇を新調することになりました。大きさは、尾﨑清甫の言い伝えの通りに発注しました。分かることは、出来るだけつないでいこうとしています。
綾子踊 外踊(がおどり)の団扇と笠
綾子踊の花笠寸法(尾﨑清甫文書)
意訳変換しておくと
芸司・拍子スワタシ(直径) 1尺5寸5歩(鯨尺 約46㎝)3色で飾り付けよ、ただし赤色は使用しないこと小踊花笠スワタシ 1尺2寸5歩(約37㎝)ただし、ひなりめんにして両側を折る、そして正面は7寸(21㎝)開ける
綾子踊に使われる花笠や笠
かつては、花笠や笠も手作りでした。しかし、戦後の高度経済成長の中で、これらを作れる人達がいなくなってしまいます。重要無形文化財に指定されて、団扇や花笠も新調されますが、それらは総て京都の職人の手によるものでした。それから約半世紀の年月が経って、痛みが目立つようになっています。修繕を繰り返しながら使用していますが、それも限界に近づいてきています。これらの新調が課題となっています。最後に衣装を見ておきます。
「村雨乞行列略式」の中の衣装と役割を見ておきましょう。
①最初に来るのが「幟一本」で「佐文雨乞踊」と書かれたものです。それを礼服で持ちます。②「警固十(六)人」とあります。当初は十人と書かれていたものを六人プラスして「増員」しています。これ以外にも「増員」箇所がいくつかあります。その役割は、「五尺棒を一本持って、周囲四隅の場所を確保すること」で、履き物は草鞋ばきです。③次が「幟四本」で「一文字笠、羽織袴姿で上り雲龍と下り雲龍」を持ちます。
四隅で結界を作る警固(佐文賀茂神社)
警固以外に杖突も6人記されています。
④「杖突(つけつき)六人」で「麻の裃で小昭楮、青竹を持て龍王宮を守護するのが任務」⑤「棒振(ぼうふり)・薙刀振(なぎなたふり)一人」で「赤かえらで刀頭を飾る。衣装は袴襷(たすき)」です。⑥「台笠一人」で、「神官仕立」で、神職姿で台笠を持つ」⑦「唐櫃(からひつ)」で、縦横への御供えを二人で担ぎます。これも神職姿です。⑧「正面幟二本」で「善女龍王」と書かれた二本の幟を拝殿正面に捧げ。一文字笠を被り、裃姿です。
⑥の「台笠一本」については、台笠の下は神聖な霊域で、悪霊や病魔も及ばないところとされました。普通は左右に2本なのですが、ここでは1本になっていることを押さえておきます。ちなみに前回見た「国踊りの絵図(拡大版)」では、台笠は2本描かれています。また、七箇念仏踊りや滝宮念仏踊りの絵図も2本です。しかし、実際には1本であったことが、ここからは分かります。
青い台笠が1本 その周囲に幟が林立
綾子踊 善女龍王の幟(佐文賀茂神社)
⑨は「螺吹(かいふき)一人」で、法螺貝吹きのことで、「但し、頭巾山伏仕立、袈裟衣で」とあります。かつては頭巾を被った山伏の袈裟姿だったようです。
⑩が「芸司一人」で「花笠・羽織・袴姿で、大団扇を持って踊る」とあります。
風流踊りを伝えたのは、「芸能伝播者」としての山伏や念仏聖達です。綾子踊りの旅の僧が伝えたとされます。その芸能伝播者が「芸司」にあたります。そのため初期の風流踊の芸司の衣装は黒い僧服姿であったと研究者は指摘します。それが江戸時代になると羽織袴姿になり、さらに二本差しで踊るようになります。ここには芸司を務める者の「上昇志向」が見えてきます。風流踊りは、時と共に衣装や持ち物も変化してきたことを押さえておきます。
⑪が「太鼓二人」が続きます。鳴り物の中では太鼓が、一番格が高いとされます。
⑫最後が「拍子二人」で、「但し、羽織袴仕立で、榊に色紙を短冊にして付ける。6尺5寸以上の榊一本を龍王宮へ供えるために持つ。」とあります。そのため「榊持ち」とも呼ばれていたようです。今は、入庭の時には榊を持って入場しますが、踊るときには回収しています。
村雨乞行列略式 NO4(尾﨑清甫文書 昭和14年)
⑨「鼓(つづみ)二人」の衣装は「裏衣月の裃に、小脇指し姿で、花笠」とあります。「小脇指」を指していることを押さえておきます。⑩「鉦(かね)二人」は「麻衣に花笠仕立て」で現在も黒い僧服姿です。
綾子踊の鉦(かね)と大踊 鉦は僧侶姿
⑪「笛吹二人」は「花笠・羽織袴で、草履履き」です。太鼓や鼓に比べると「格下」扱いです。⑫「小踊六人」は「花笠姿で、緋縮綿の水引を八・九寸垂らす。(後筆追加?)。小姫仕立で赤振袖に上着は晒して麻帯、緋縮綿(ひじりめん)に舞子結」⑬「地唄八人」は「麻の裃に小服で、青竹の杖を持って、一文字笠を被る」とあります。裃姿でも、その材質によって身分差が示されています。⑭「大踊(おおおどり)」は、「大姫は女仕立で、赤い振袖で上着は晒して、麻の片擂(かすり)で、水のうずらまき模様りの袖留め。帯は女物で花笠を被る。
綾子踊の小踊
以上からは、衣装や笠については、その役割に身分差があって、細かく「差別化」されていたことが分かります。戦後の綾子踊り復活に関わった人たちは、尾﨑清甫の残した記録を参考にしながら、意図をくみ取って、できるだけ見える形で残してきたのだと思います。
今回は、綾子踊の団扇・花笠・衣装についてお話ししました。最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。