タグ:哲学
小豆島巡礼・第一番洞雲寺の春
小豆島島遍路・第31番誓願寺と廻船
70年前の小豆島巡礼写真
岡山方面から小舟に乗り込んでいます。
向こうに見えるのが小豆島の島影のようです。
私には、牛窓付近からの船出風景のように思えます。
こんな船が頻繁に、島と対岸の港を行き来していたようです。
船中の様子です。
この時代は「遍路姿=白装束」では、まだなかったようです。
しかし、「金剛杖」はみんな持っています。
おばあちゃんたちはみんな着物姿です。
大石先生が洋服姿で学校に現れて、お母さん方から反発を受けた時代です。
島への上陸光景のようです。四海か北浦の港と思われます。
孫を肩くまにして、上陸するお祖父ちゃんの姿が見えます。
これから一週間、徒歩での島遍路の始まりです。
これらの写真について、何かお気づきの方がいらっしゃいましたら
お教え下さるようお願いします。m(_ _)m
小豆島巡礼・54番宝生院のシンパク
小豆島・四海の遍路道で見た菜園
島巡礼・西の滝の護摩の炎
島遍路・田浦庵の銀杏が・・
寒霞渓裏八景「奇岩の錦秋」
小豆島寒霞渓の裏八景を歩いてきました。
寒霞渓の紅葉の売り物のひとつは、
「奇岩を背景にした錦秋です。」
一枚目、法螺貝岩です。
巻きがかかった法螺貝に見えるかな?
2枚目何に見えますか?
私は、水木しげるの描く妖怪、一反もめんに見えます。
でも、昔の文人の付けた名前は「幟岳」(のぼりだけ)
3枚目は、天然の石橋のアーチです。
名付けて「石門」
寒霞渓の裏八景 紅葉は12月初旬まで楽しめるようです。
寒霞渓の紅葉の売り物のひとつは、
「奇岩を背景にした錦秋です。」
一枚目、法螺貝岩です。
巻きがかかった法螺貝に見えるかな?
2枚目何に見えますか?
私は、水木しげるの描く妖怪、一反もめんに見えます。
でも、昔の文人の付けた名前は「幟岳」(のぼりだけ)
3枚目は、天然の石橋のアーチです。
名付けて「石門」
寒霞渓の裏八景 紅葉は12月初旬まで楽しめるようです。
小豆島巡礼の難所・笠ガ滝から
島外からのお客様を案内して、日曜日に札所の笠が滝に行ってきました。
ここは、修験道の行場になっている札所です。
岩壁にお堂が張り付いているように見えます。
石段もなく、いきなり岩場を登ります。
ハイヒールを履いた女性は、登れません。
でも、これを登り、くらい洞窟を抜けるとそこは・・・
さらに、その上には13重の塔が立ち、
地蔵様が下界を、見守っていました。
「島遍路の聖地」と、私は呼んでいます。
ご案内した方々も、無事に下りてこれました。
ここは、修験道の行場になっている札所です。
岩壁にお堂が張り付いているように見えます。
石段もなく、いきなり岩場を登ります。
ハイヒールを履いた女性は、登れません。
でも、これを登り、くらい洞窟を抜けるとそこは・・・
さらに、その上には13重の塔が立ち、
地蔵様が下界を、見守っていました。
「島遍路の聖地」と、私は呼んでいます。
ご案内した方々も、無事に下りてこれました。
「島の光」・素麺の天日干し
島遍路・笠が滝への道で、
白いすだれのようなものが目に入ってきました。
近づいて見ると、素麺の天日干しです。
小豆島では、江戸時代から素麺が特産品として有名です。
「島の光」という名前で、親しまれています。
作業中の主人に声をかけて、いろいろなことを教わります。
昨日から練って伸ばした麺を
今日は晴れたので天日で乾燥させているそうです。
長い箸で麺の付着した部分を、ほぐしていきます。
乾燥が終わった素麺は、決まった長さに切り、
結束し箱に入れ3~6ケ月間熟成してから、
来年の春先くらいから出荷されるそうです。
秋の青空の下で、白い素麺がきらきらと
輝いているように見えました。
白いすだれのようなものが目に入ってきました。
近づいて見ると、素麺の天日干しです。
小豆島では、江戸時代から素麺が特産品として有名です。
「島の光」という名前で、親しまれています。
作業中の主人に声をかけて、いろいろなことを教わります。
昨日から練って伸ばした麺を
今日は晴れたので天日で乾燥させているそうです。
長い箸で麺の付着した部分を、ほぐしていきます。
乾燥が終わった素麺は、決まった長さに切り、
結束し箱に入れ3~6ケ月間熟成してから、
来年の春先くらいから出荷されるそうです。
秋の青空の下で、白い素麺がきらきらと
輝いているように見えました。
小豆島といえば・・
土庄港にオリーブの木々につつまれるように建つ群像。
小豆島を全国区の観光地に、押し上げた記念碑なのかもしれません。
1954年 高峯秀子版
1987年 田中裕子版
2005年 黒木瞳版(TVドラマ)
の三回、映画化されています。
この像は、映画の大ヒットを受けて2年後の56年に建立されたようです。
ちょうど今年で50年目になります。
大石先生の顔は、高峰秀子さんにそっくりだったそうです。
地元では「二十四の瞳」を読んだことも、見たこともなく
高峯秀子も知らない世代が増えていました。
昭和も遙かになりにけりでしょうか。
でも、昨年の黒木瞳版で少々「認知度」が高まったようです。
平和と幸せを求める願いが込められた「平和の群像」
その思いを、大切にしていきたいと思います。
小豆島を全国区の観光地に、押し上げた記念碑なのかもしれません。
1954年 高峯秀子版
1987年 田中裕子版
2005年 黒木瞳版(TVドラマ)
の三回、映画化されています。
この像は、映画の大ヒットを受けて2年後の56年に建立されたようです。
ちょうど今年で50年目になります。
大石先生の顔は、高峰秀子さんにそっくりだったそうです。
地元では「二十四の瞳」を読んだことも、見たこともなく
高峯秀子も知らない世代が増えていました。
昭和も遙かになりにけりでしょうか。
でも、昨年の黒木瞳版で少々「認知度」が高まったようです。
平和と幸せを求める願いが込められた「平和の群像」
その思いを、大切にしていきたいと思います。
小豆島オリーブ公園の十字架
牛の形をした島のお腹あたりが西村の集落。
この丘に開かれているのがオリーブ公園。
オリーブの木の中から、青い空を突き刺すように伸びている十字架。
エーゲ海ムードを出すための演出かと思ったら・・・とんでもない。
420年ほど前のこと、この島の領主となったのがキリシタン大名・小西行長。
彼はイエズス会の神父を保護し、この地に教会を建立しキリシタンの楽園を計画。
しかし、その後の禁教で迫害と殉教を受け、島からキリスト教徒の姿は消えた。
400年後の1986年に、ローマのバチカンから「平和と友愛」の
シンボルとして贈られたのがこの十字架
オリーブの木の中に、すくっと建っています。
まわりのオリーブの実も、収穫の時期を迎え黒く熟していました。
この丘に開かれているのがオリーブ公園。
オリーブの木の中から、青い空を突き刺すように伸びている十字架。
エーゲ海ムードを出すための演出かと思ったら・・・とんでもない。
420年ほど前のこと、この島の領主となったのがキリシタン大名・小西行長。
彼はイエズス会の神父を保護し、この地に教会を建立しキリシタンの楽園を計画。
しかし、その後の禁教で迫害と殉教を受け、島からキリスト教徒の姿は消えた。
400年後の1986年に、ローマのバチカンから「平和と友愛」の
シンボルとして贈られたのがこの十字架
オリーブの木の中に、すくっと建っています。
まわりのオリーブの実も、収穫の時期を迎え黒く熟していました。
島遍路より ご自由に どうぞ
島遍路は、四国遍路のように立派なお寺さんばかりではありません。
集落の人たちが守り続けているお堂も、札所になっています。
住職さんはいないけれども、地元の人がお接待をしたりしています。
ここは小豆島遍路 第七十三番救世堂です。
いつものように般若心経をおつとめして、堂のなかにはいると
あら・・
「自由にどうぞ」の言葉が・・・
これも接待の一つのかたち。
ありがたくいただき、合掌。
集落の人たちが守り続けているお堂も、札所になっています。
住職さんはいないけれども、地元の人がお接待をしたりしています。
ここは小豆島遍路 第七十三番救世堂です。
いつものように般若心経をおつとめして、堂のなかにはいると
あら・・
「自由にどうぞ」の言葉が・・・
これも接待の一つのかたち。
ありがたくいただき、合掌。
小豆島の石仏たち
= 島遍路の途上で出会った石仏たちを紹介します。=
目に入ってくる石仏たちが、
大切にされていることがよくわかります。
大切にされていることがよくわかります。
かわいくなって、なでなでして、
そして合掌です。
そして合掌です。
石門への道で見つけた言葉
小豆島遍路道 石門への道で見つけた言葉です。
看板が壊れ、地面に落ちていました。
地に還っていく途上です。
遍路道を歩いていると、いろいろなメッセージが投げかけられてきます。
言葉であったり、風景であったり、仏像であったり、
そのメッセージへの自分なりの回答を考える。
これも遍路道の楽しさのように私は、思っています。
看板が壊れ、地面に落ちていました。
地に還っていく途上です。
遍路道を歩いていると、いろいろなメッセージが投げかけられてきます。
言葉であったり、風景であったり、仏像であったり、
そのメッセージへの自分なりの回答を考える。
これも遍路道の楽しさのように私は、思っています。
小豆島遍路道で出会った言葉
この墓標に出会ったときにはどっきり。
じっと見つめていると、気分がよくなってきました。
なかなかこう言えない状況の中に生きた人たちが、
この言葉を墓標に選んだ思いが、伝わってくるように思えました。
じっと見つめていると、気分がよくなってきました。
なかなかこう言えない状況の中に生きた人たちが、
この言葉を墓標に選んだ思いが、伝わってくるように思えました。
小豆島遍路道からの言葉
自分にないものをもとめ、彷徨った後に
我が心をしっかりと見つめよということかな?
我が心をしっかりと見つめよということかな?
小豆島遍路道の墓石の言葉
こんな言葉を墓石に残せるのは素敵なことに、私には思えます。
どんな生き方をした人なのか
どんな人たちに見送られたのか
うーんとうなりながら
ついつい立ち止まって考えてしまいます。
遍路道はそんな道でもあります。
どんな生き方をした人なのか
どんな人たちに見送られたのか
うーんとうなりながら
ついつい立ち止まって考えてしまいます。
遍路道はそんな道でもあります。
小豆島巡礼の道から
なげかないから美しく感じる人はいます。
小豆島巡礼で出会った言葉
この言葉も、私たち巡礼グループの合い言葉になりました。
人付き合いの難しさの愚痴を聞いては、
最後にこの言葉を一言
そして、大笑い。
笑いは世界を救います。
人付き合いの難しさの愚痴を聞いては、
最後にこの言葉を一言
そして、大笑い。
笑いは世界を救います。
小豆島巡礼・西光寺にて
西光寺は、土庄の街の中にあり、後の岡に五重塔を持つお寺。
この塔は、土庄の人々の心のランドマークタワーでもあると私は思っています。
自由俳人の尾崎放裁に、「死に場所」を提供したのもこのお寺。
境内には大銀杏と、その下に放裁の歌碑があります。
般若心経を終えて、入っていった本堂の柱にあったのがこの言葉でした。
この塔は、土庄の人々の心のランドマークタワーでもあると私は思っています。
自由俳人の尾崎放裁に、「死に場所」を提供したのもこのお寺。
境内には大銀杏と、その下に放裁の歌碑があります。
般若心経を終えて、入っていった本堂の柱にあったのがこの言葉でした。
島巡礼 ある庵から
くるしさをくるしんではいけないということ?
小豆島・巡礼 ある庵の壁から
どこの庵にあったものか・・
記憶が・・・
向上も堕落も自分にあるのですな・・・
記憶が・・・
向上も堕落も自分にあるのですな・・・
小豆島遍路道の言葉・石門にて
自分の鏡ということは、自分の姿が写っていると言うことかな。
ふう~む。
なるほど、
ふう~む。
なるほど、
小豆島遍路道の言葉・仏国寺編 5
なるほどな
世の中全ては仏さん
それが見える視力がないんやな。
でも、もう仏谷寺(ぶっこくじ)につくやろな。
世の中全ては仏さん
それが見える視力がないんやな。
でも、もう仏谷寺(ぶっこくじ)につくやろな。
小豆島遍路道の言葉・仏国寺編 4
ふーうーん。
小豆島巡礼・仏谷山で出会った言葉 1
池田の大麻山の断崖の下にある仏谷山。
曲がりくねった急な登りを登っていると、曲がり角ごとに看板が立てられています。
その中から私の心に届いたものをお届けします。
そのときの私がどっきとして、なるほど思ったのがこの言葉。
今の島の時の流れは、私にはぴったりしています。
感謝 合掌
曲がりくねった急な登りを登っていると、曲がり角ごとに看板が立てられています。
その中から私の心に届いたものをお届けします。
そのときの私がどっきとして、なるほど思ったのがこの言葉。
今の島の時の流れは、私にはぴったりしています。
感謝 合掌