吉野川はかつて多くの川船が行き来した川。吉野川を池田からカヌーで出発。その痕跡を探してみました。
対象頃の池田の川港 諏訪神社の鳥居に向かって階段が伸びている
船頭達が航海の安全を祈った神社へ長い石段が残っています。
船頭達が航海の安全を祈った神社へ長い石段が残っています。
ここから池田への人と物が荷揚げされ、積み出されていきました。
遠賀川の平田船
穀物・薪炭・足代桐・藍・まゆ・野菜などを積んで徳島まで下り、帰りは塩や肥料・海産物・日用雑貨品などを運んできました。
下りは3日程度。登りは、風向きのよいときは帆を張り、一週間ほどだったといいます。
船には船頭の他に丘船頭が乗って艪や櫂の使えない浅瀬に来ると、川へ飛び込んで船を進ませたそうです。
出港から30分。赤い橋が見えてきました。三好大橋です。
船には船頭の他に丘船頭が乗って艪や櫂の使えない浅瀬に来ると、川へ飛び込んで船を進ませたそうです。
三好大橋
出港から30分。赤い橋が見えてきました。三好大橋です。
吉野川に架かる橋としては創生期の鉄橋です。1968年竣工ですからもう50歳になろうとしています。この橋が出来る前は、どうやって川を渡っていたのか?
三好市池田町大具の渡し 1958年三好大橋完成まで運用
この日は梅雨の中休みで真夏日。蒼い空と白い雲と赤い橋を川が映していました。
一番の難所を過ぎると、鮎師さんの立ち並ぶザラ瀬の向こうにみえてくるのがこの風景。東みよし町昼間(左側)と三好市井川を結ぶ鉄橋と高速道路がクロスしているように見えます。
鉄橋は讃岐琴平からの列車に阿波池田に至るため架橋されたもの。
昭和の初めのことです。阿讃のトンネルを抜けてきた蒸気機関車が誇らしげにこの鉄橋を渡って行ったのでしょう。
この鉄橋のあたりにも、井川と昼間を結ぶ渡船場があったようです。布屋渡と呼ばれていました。南岸を通る伊予街道と北岸の撫養街道を結ぶ渡船場として、地域の人たちには大切な渡しでした。
この渡しの下流に土讃線の鉄橋ができた「影響」を三好町史(775P)は、こんな風に紹介しています。
この渡しの下流に土讃線の鉄橋ができた「影響」を三好町史(775P)は、こんな風に紹介しています。
この渡しを通っていた人たちの中には、鉄橋に付けられている保線のための側道を歩いたり、自転車を押したりして通る者ができた。もちろん、国鉄当局からは通行を禁止されていたので、当局の者の目を逃れて、秘かに通っていた。
高速道路の橋のたもとの風景です。
かつての瀬戸の港のような「雁木」構造のように見えます。
この当たりが昼間の川港だったようです。
下流から昭和初期と平成に登場した2つの橋を振り返ってみました。
ザラ瀬が終わると赤い橋が見えてきました。美濃田大橋です。
この橋のたもとにも渡場があったようです。その話は次回に・・













