ここに出てくるのは、その薬草などの原材料の買入表になるようです。
右が6月15日、左が7月20に仕入れた薬草になるようです。1ヶ月毎に薬材を仕入れていたことが分かります。仕入品目には、次のようなものが並びます。
A 露房B 大黄C 耳草D 甘枝(草)E 丁子F 玉阿曜G 山帰来D 龍黄
私は漢方薬についてはまったくの素人なので、AIに教えられながら調べたことを記しておきます。
A 露房

「露蜂房」は、スズメバチやアシナガバチなどの巣を乾燥させた生薬(蜂房)です。「雨露に当たった巣の方が良い」ということからこの名前で呼ばれています。 効能は、殺菌解毒作用、血液凝固促進作用、利尿作用、鎮痙・鎮静作用、抗炎症作用など、様々な効果がある。
B 大黄( ダイオウ)はタデ科のダイオウ類の根茎を乾燥したもの。

ダイオウ
瀉下、清熱、活血、駆瘀血の作用があり、便秘、熱性疾患、打撲、月経異常などに用いられます。C 耳草(ユキノシタ)


ユキノシタを乾燥させたもの
漢名は「虎耳草(コジソウ)」で、毛が生えた肉厚の葉が虎の耳に似ていることから付いた名前といわれます。漢方のバイブル『本草綱目』には急性の中耳炎に対して生のユキノシタをついた汁を耳に垂らすという用法が記されています。中耳炎に対する効果があり、耳と関係が深い薬草のようです。D 甘枝(甘草:カンゾウ)

甘草はカンゾウの根や根茎を乾燥させたもので、有効成分はグリチルリチン酸です。この成分は砂糖の50倍もの甘みを持ち、医薬品や食品の甘味料として幅広く利用されています。 多くの漢方処方(約7割)に配合され、「国老」という重要な称号で呼ばれたりもします。主な効能は、鎮咳・去痰: 咳や痰を抑える効果、 炎症やアレルギー反応を抑える作用、鎮痙・鎮痛: 筋肉の痙攣や痛みを和らげる効果、胃の働きを活発にする効果があります。化粧品の成分としても使われ、「芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)」などの漢方薬に用いられます。
E 丁子(ちょうじ)は、

用途と効果としては、丁子は香辛料としてだけでなく、漢方薬やアロマテラピー、防虫剤など幅広い用途で使われています。効能は、 消化促進や体を温める作用があり、冷えによる腹痛、消化不良、嘔吐、しゃっくりなどの漢方処方に用いられます。主成分である「オイゲノール」には鎮静・抗炎症作用があり、歯科の痛み止めとしても利用されていました。その他: 強い香りを利用して、ペスト予防のポマンダー(匂い玉)として使われた歴史や、ゴキブリなどの虫除けとしても効果があることが知られています。
G 山帰来(サンキライ)は、「サルトリイバラ」
名前の由来は、「山へ捨てられた病人が、この根を食べて病気が治り、元気に山から帰ってきた」というエピソードからきているようです。薬効としては、 根茎は「山帰来」や「土茯苓(どぶくりょう)」と呼ばれ、解毒や利尿、関節痛などの生薬として利用されます。 花言葉は、「不屈の精神」「屈強」「元気になる」など、生命力の強さや薬効にちなんだポジティブな意味を持っています。
H 「龍黄(りゅうおう:牛龍黄):」

希少な動物性生薬である牛黄(ごおう)、蟾酥(せんそ)、鹿茸(ろくじょう)が配合されています。
効能: 動悸、息切れ、気付けなどに効果があるとされています。
以上は買入リストでしたが、次のような使用リストもあります。
以上は買入リストでしたが、次のような使用リストもあります。
出てくる薬剤品名は買入リストと同じです。使用した分を確認し、翌月に補填していたことがうかがえます。どうして、このような漢方の薬剤買入リストが大正時代の法照寺にあるのでしょうか?
その答えは、「法照寺寺史の歴代住職一覧」にあります。

「奇妙湯(淋病・しょうかち・寝小便・血の下り等に特効有りあり)医薬を製造販売していた」
ここからは明治から大正3年には、法照寺が「奇妙湯」という漢方薬を製造販売していたことが分かります。お寺が薬品を製造するというのは、現在から見るとミスマッチのような感じがします。しかし、伝統的な民間薬や治療法の由来をたどると、宗教者(修験者)にたどりつくと研究者は考えています。
例えば修験者は、自ら狩猟で捕らえた熊の各部分を薬品として使用し、祈祷時に薬として病人に与えていました。ここからは「呪医=狩猟者 + 修験者」という姿が垣間見えてきます。熊の肝臓は高級漢方でした。 修験者と漢方の関わりを見ておきましょう。
修験者の拠点であった埼玉県秩父地方の三峰神社では現在でも次のような漢方が販売されています。

A 胃痛・下痢などに効く「三峰山百草」B 心臓病・腎臓病・疲労回復などに効く「長寿腹心」C 眼病・痔疾・便秘症などに効く「家伝安流丸」D 胃カタル・胃酸過多などに効く「神功散」
金毘羅神信仰の修験者たちが数多く集まってきた金毘羅大権現にも、独自の漢方薬が製造販売されていたことは以前にお話ししました。参拝客の多い寺社では、お土産としても人気があったようです。また、山岳修行の山々には、薬草が多いといわれます。
「越中富山の万金丹」で有名な富山の薬は、もともとは砺波平野の里山伏たちが開発したものでした。彼らは農耕儀礼の祭祀者であるとともに、民間医療の担い手でもありました。符呪やまじないなどマジカルな病気治し以外に、施薬、医療も行なっていて、次のような薬が里山伏系の寺社で販売されていました。
神職越野家(旧山伏清光寺)の貝殻粉末の傷薬、海乗寺の喘息薬松林寺の腹薬利波家の喘息薬山田家の「カキノタネ」などの下痢止め
野尻村法厳寺の薬は明治維新の神仏分離後になると真宗等覚寺に伝授されます。こうして、真言修験者系の専売特許的な漢方薬が浄土真宗などの寺院にも伝わっていきます。佐文の法照寺も、このような流れの中で漢方薬の製法を学び、製造販売を始めたことが考えられます。そして報恩講などでは、次のようなやりとりがあったかもしれません。
門徒「うちの孫は、いまだにおねしょが止まらないんですわ。」住職「それならうちの奇妙湯を飲ませなさい、これは寝小便には良く効く。試しに、これを持って帰りなさい」
とセールスしていたのかもしれません。
しかし、法照寺で漢方薬で調合されていたのも大正3年までのようです。これ以後の記録がありません。また、前年に住職が交代しています。新しい住職になってからは、調合をやめたようです。
以上をまとめておきます。
①法照寺では明治になって奇妙湯という漢方を調合・販売していた。
②奇妙湯製造のための漢方薬剤の仕入・使用の帳簿が残っている。
③薬剤を仕入れて、調合していたようで当時の住職が漢方薬剤の知識を持っていたことがうかがえる。
④これらは薬剤使用量からしても少量で、信徒など限られた人達だけへの販売で、手広く製薬業をおこなっていたのではない。
⑤しかし、定期的に仕入れているので、薬材行商人的な行者が定期的に法照寺を訪れていたことが考えられる。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献
関連記事以上をまとめておきます。
①法照寺では明治になって奇妙湯という漢方を調合・販売していた。
②奇妙湯製造のための漢方薬剤の仕入・使用の帳簿が残っている。
③薬剤を仕入れて、調合していたようで当時の住職が漢方薬剤の知識を持っていたことがうかがえる。
④これらは薬剤使用量からしても少量で、信徒など限られた人達だけへの販売で、手広く製薬業をおこなっていたのではない。
⑤しかし、定期的に仕入れているので、薬材行商人的な行者が定期的に法照寺を訪れていたことが考えられる。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
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