中学校の歴史教科書(帝国書院)のタイムトラベル 太閤検地と築城
ここでは天守が立ち上がる城郭と整備が進む城下町が描かれています。天守の遙か向こうの山上に見えるのが中世の山城です。中世の城は、土塁と空堀と曲輪で構成され、石垣が使われていないのが特徴です。それが信長・秀吉の時代になると、石垣で囲まれた堀と、その上に天守が姿を見えるようになります。検地が行われている田んぼの横の道を巨石が運ばれて行きます。
拡大すると次の3つの運搬集団が描かれていることが分かります。
ここでは天守が立ち上がる城郭と整備が進む城下町が描かれています。天守の遙か向こうの山上に見えるのが中世の山城です。中世の城は、土塁と空堀と曲輪で構成され、石垣が使われていないのが特徴です。それが信長・秀吉の時代になると、石垣で囲まれた堀と、その上に天守が姿を見えるようになります。検地が行われている田んぼの横の道を巨石が運ばれて行きます。
拡大すると次の3つの運搬集団が描かれていることが分かります。
A 先頭 巨石を引っ張って運ぶ修羅(しゅら)集団B 2番目 牛に牽かせた牛車C 3番目 人が担いで運ぶ集団
これらの参考になっている『築城図屏風』(愛知県指定文化財)を見ておきましょう。
この屏風は建築中の城周辺の様子を描いたもので、城の構造や芝居小屋、町並みの様子などが6枚の屏風に描かれています。慶長12年(1607)の第一期駿府城とする説が有力ですが、駿府城の縄張り(建物配置)と一致しないので、名古屋城や金沢城説もあるようです。この屏風絵図で運搬集団を見ておきます。
築城図屏風 牛車が曳く切出石 背後に石垣が組まれている
石材を大勢で担いでいく集団
屏風図の最後(左下)に描かれる運搬集団が修羅です。築城図屏風の修羅集団
これほどの巨石となると牛車には乗せられませんし、人間が担ぐことも出来ません。修羅(シュラ)が丸太をかませながら曳かれています。100人以上の大人数でこの巨石は引かれています。修羅の語源は、仏陀の守護神・阿修羅に由来するようで次のように説明されます。
「だれにも動かすことができなかった帝釈天を、唯一動かした神が、阿修羅だった。この故事から、帝釈(たいしゃく)と大石(たいしゃく)をごろ合わせし、大石を動かす木ゾリを修羅と呼ぶようになったらしい」
おどけた表情のお面をつけ、思い思いの楽器を持ち、変わった形の帽子を被って、服装は統一性がありません。てんでんばらばらの独創的いでたちです。高烏帽子のような被り物は、加藤清正を模しているのかも知れません。その隣の人の帽子は、西洋のカーニバルの被り物で南蛮風です。その右隣のほら貝を吹くしゃくれあごのパンチパーマは山伏のようです。その隣は、南蛮装束で軽やかなステップを踏むカールひげ男などは、異人のようにも見えます。ここには当時の風流(ふりゅう)集団の雰囲気が漂います。
彼らは、どんな集団で、何のために修羅の上に上がっているのでしょうか?
巨石巨木には強い霊魂が宿ると、当時の人達は信じ、信仰対象になっていました。築城現場に運ばれる前は、どこかの聖地で崇拝の対象だったかもしれません。それを切り離して、城に運び入れようとしていることになります。その際には強力な霊魂を鎮めたり、逆に霊力を高めたりの儀礼が求められたのかも知れません。そうだとすると、この集団は、霊的呪術をつかさどるシャーマンたちということになります。お城に神聖な巨石がたどり着くまで、いろいろなパフォーマンスで巨石に宿る霊魂のパワーをコントロールするのが彼らの役目だったのかもしれません。そこでは当然、「重くて動かないのは石に宿る霊魂の仕業、そんなトラブルは俺たちにお任せ」とばかりに呪術的パフォーマンスを行っていたかも知れません。そうだとすると、築城の石曳きは、風流芸能集団の仕事場であったのかもしれません。
彼らは、どんな集団で、何のために修羅の上に上がっているのでしょうか?
巨石巨木には強い霊魂が宿ると、当時の人達は信じ、信仰対象になっていました。築城現場に運ばれる前は、どこかの聖地で崇拝の対象だったかもしれません。それを切り離して、城に運び入れようとしていることになります。その際には強力な霊魂を鎮めたり、逆に霊力を高めたりの儀礼が求められたのかも知れません。そうだとすると、この集団は、霊的呪術をつかさどるシャーマンたちということになります。お城に神聖な巨石がたどり着くまで、いろいろなパフォーマンスで巨石に宿る霊魂のパワーをコントロールするのが彼らの役目だったのかもしれません。そこでは当然、「重くて動かないのは石に宿る霊魂の仕業、そんなトラブルは俺たちにお任せ」とばかりに呪術的パフォーマンスを行っていたかも知れません。そうだとすると、築城の石曳きは、風流芸能集団の仕事場であったのかもしれません。
関西地方のダンジリや曳山の中には、築城石曳きをルーツとするとの伝承を持つものがいくつもあります。そのような流れは、この修羅の上の集団が、「呪術者集団=風流芸能集団」として演出したものかも知れないと私は思っています。
何かを大勢の人間が曳く作業は、単なる土木作業を越えた霊的な意味があったようです。
何かを大勢の人間が曳く作業は、単なる土木作業を越えた霊的な意味があったようです。
それが祭礼行事に育って行くこともありました。都市で修羅を曳くのは、宗教的な意味を持ちお祭りにつながっていました。例えば近世では、運河や開拓地の砂ざらえが行われ、さらえた砂を皆で引っ張って運びました。これを砂持ち作業と呼びました。これが祭礼化するのです。下絵は寛政元年(1789)5月下旬から大坂玉造稲荷で熱狂的な賑わいで行われた「砂持」の様子を描いたものです。
この絵は、町単位でそろえられた纏と法被(はっぴ)が描かれています。砂持ちに参加した人々は、砂持ち大明神を担ぎ出し、町毎の幟を立て、太鼓や鉦を打ち鳴らして加勢します。ここからは、砂持ち大明神のパレードに町々が競い合った様子がうかがえます。
「砂持」は、さらえた土砂を新開地や神社へ運ぶという作業を祭礼行事(パレード)に変えて行きました。人々は鳴り物入りで踊りながら熱狂してパレードした様子が伝わって来ます。さらに時代が進むと山車も登場しますし、「仮装」も行われ、祭礼空間が産みだされています。ここからは。このようなパフォーマンスを演出する芸能集団が江戸時代後期になっても活動していたことがうかがえます。
ここには各村々がのぼり旗を立て、仮装行列化し、鉦や太鼓で囃し立てる光景が記されています。大坂で風流として流行していた風俗が宇多津にも現れていたことが分かります。これは、高松藩の為政者には「統制できない不穏な動き」の前兆と写ったようです。以後、高松藩はこのような動きに対して規制を強めます。その結果、騒ぎは次第に収まっていったようです。以上をまとめておきます。
①古墳時代の石棺運搬などには修羅が使用されているが、それは運搬作業以上の神霊的な意味を持っていた。
②巨石の運搬には呪術者が伴い、独自のかけ声や踊りをしながら行われる霊的な行道(パレード)であった。
③それは近世の築城の際の巨石運搬にまで受け継がれていて、修羅の上に独自の呪術者集団が乗った。
④彼らは派手な衣装と身なりで、独自の踊りやパフォーマンスを行い、修羅運搬という土木作業に神霊的な意味づけを行い、祭礼パレードへと発展させた。
⑤修羅や荷車を大勢で引くことを祭礼につなげる感性を民衆は持っていた。
⑥同時に、それを演出する風流=呪術者集団がいた。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
関連記事この絵は、町単位でそろえられた纏と法被(はっぴ)が描かれています。砂持ちに参加した人々は、砂持ち大明神を担ぎ出し、町毎の幟を立て、太鼓や鉦を打ち鳴らして加勢します。ここからは、砂持ち大明神のパレードに町々が競い合った様子がうかがえます。
川ざらえの土砂運搬である「砂持」は、しだいに祝祭的な要素を加えていきます。
「砂持」は、さらえた土砂を新開地や神社へ運ぶという作業を祭礼行事(パレード)に変えて行きました。人々は鳴り物入りで踊りながら熱狂してパレードした様子が伝わって来ます。さらに時代が進むと山車も登場しますし、「仮装」も行われ、祭礼空間が産みだされています。ここからは。このようなパフォーマンスを演出する芸能集団が江戸時代後期になっても活動していたことがうかがえます。
巨石運搬の祭礼化
このような動きは幕末の宇多津でも見られました。「歴世年譜」は次のように記します。
「(宇多津)城下ノ者ハ土俵ヲ車輿牛馬二積ミ 各邑ノ旗幟ヲ建テ種々ノ紛議ヲ演ジ 鉦鼓管弦且ツ奏シ且ツ行キ往来織ルカ如夕日夜絶エズ」
ここには各村々がのぼり旗を立て、仮装行列化し、鉦や太鼓で囃し立てる光景が記されています。大坂で風流として流行していた風俗が宇多津にも現れていたことが分かります。これは、高松藩の為政者には「統制できない不穏な動き」の前兆と写ったようです。以後、高松藩はこのような動きに対して規制を強めます。その結果、騒ぎは次第に収まっていったようです。
①古墳時代の石棺運搬などには修羅が使用されているが、それは運搬作業以上の神霊的な意味を持っていた。
②巨石の運搬には呪術者が伴い、独自のかけ声や踊りをしながら行われる霊的な行道(パレード)であった。
③それは近世の築城の際の巨石運搬にまで受け継がれていて、修羅の上に独自の呪術者集団が乗った。
④彼らは派手な衣装と身なりで、独自の踊りやパフォーマンスを行い、修羅運搬という土木作業に神霊的な意味づけを行い、祭礼パレードへと発展させた。
⑤修羅や荷車を大勢で引くことを祭礼につなげる感性を民衆は持っていた。
⑥同時に、それを演出する風流=呪術者集団がいた。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。












