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井内の原付ツーリング
井内地区のソラの神社をめぐっての原付ツーリングの報告です。前回までの「井内原付徘徊」で、次のような事が分かってきました。
①井内谷川沿いに祖谷古道が伸びていた井内地区は、祖谷との関係が深いソラの集落であったこと
②郷社であった馬岡新田神社と、その別当寺だった地福寺が井内の宗教センターの役割を果たしていたこと
③地福寺は、近世後半には剣山信仰の拠点として、多くの修験者を配下に組み込み、活発な修験活動を展開していたこと
④そのため地福寺周辺の井内地区には、修験者たちがやってきて定着して、あらたな庵や坊を開いたこと。それが現在でも、集落に痕跡として残っていること
今回も修験者の痕跡を探して、井岡の西川の集落を廻って見ることにします。馬岡新田神社の石段に腰掛けながら次の行き先を考えます。グーグル地図で見ると、この少し奥に斉南寺があります。なんの予備知識もないまま、この寺を訪れることにします。

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山斜面に広がる井内のソラの集落
谷沿いの街道を離れ、旧傾斜のジグザクヘアピンをいくつも越えるとソラの集落の一番上まで上がってきました。周辺を見回すと、お寺らしい建物が見えてきたので近づいていきます。

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普通の民家とお堂が渡し廊下で結ばれているようです。

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斉南本堂
斉南寺ではなく済南のようです。廻国の修験者たちが、その土地に定住し、根付いていくためにはいくつかの関門を越えて行く必要がありました。その一例が前回に大久保集落で見た出羽三山から子安観音を笈に背負ってやってきた修験者です。彼は、子安観音を本尊として、安産祈願を行い信者を獲得し、庵を建てて定住していきました。

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 斉南本堂
この済南坊は、一見すると農家です。農家の離れにお堂がくっついているような印象を受けました。周りには、耕された畑が開かれています。ここに坊が開かれるまでにどんなストーリーがあったのでしょうか。ひとつの物語が書けそうな気もしてきます。ボケーとして、ここからの風景を眺めていました。

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次に目指したのが野住地区の子安観音です。
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            旧野住小学校
下影の棚田を越えて、県道分岐をさらに越えて上っていきます。すると廃校になった小学校跡が道の下に現れました。

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きれいに清掃がされたグランドに下りていくと、大きな銀杏の根元に鹿と虎が出迎えてくれました。シュールです。
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野住の子安観音堂 宿泊施設付
反対側の出口を抜けると観音堂が見えてきました。正面に下りて、お参りさせてもらいます。

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            野住の子安観音堂 
集落の人々の信仰を集めていたのでしょう。そこすぐ横に、小学校ができて「文教センター」の機能を果たしていたのでしょう。お参り後に、説明版を見ます。
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ここには次のようなことが記されています。
①室町時代の子安観音を本尊として、遠方からの信者もお参りにきていること
②弘法大師伝説があり「たとえ野に住み山に暮れ果てようとも、弘法の徳を顕さん」から「野住」の地名がつけられたこと。
「野に住む」、改めていい地名だなと思いました。ここにも修験者の痕跡が見えてきます。

次にめざすのが妙見神社です。
妙見さんは、北極星を神格化した妙見菩薩に対する信仰で、眼病に良くきくという妙見法 という修法が行われました。これを得意としたのが修験者(天狗)たちです。妙見さんの鎮守の森の下に小さな鳥居が見えました。これは鳥居から参拝道を上るのが作法ということで、下に一旦下りました。登り口は畠の石段が続きます。

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道から鳥居を見上げてびっくり。

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          妙見神社の石段の登り口
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野住の妙見神社の鳥居と階段 
階段の傾斜が尋常ではないのです。立って上ることが出来ません。鳥居前では、中央部はオーバーハング気味です。なんとか這いながら鳥居まで上ります。そして振り返ってみます。

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妙見神社鳥居からの井内遠望
この光景に見とれて、石段に座り込んでしまいました。

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「よう来たな。ここで一服していきまえ」
と狛犬の声が聞こえてきたような気がしました。私は「この階段は日本一きつい階段とちがいますか?」と問うと、別の狛犬が
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「そうかもしれませんな」と答えたような・・・
這いながらたどり着いた妙見神社は、こんな姿でお待ちでした。
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野住の妙見神社
社まで急な上りが続きます。社殿の基壇や石段まで青石が積まれています。つるぎ町の神明神社の古代祭祀遺跡も青石が野積みされていました。また、前々回に紹介した井内の大久保神社の社は青石を積んだ鞘堂の中にありました。また、神社の境内に青石で積まれた祠を、よく目にしました。ソラの集落は青石文化と深く関わっている土地柄なのかもしれません。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。