正月三日 午後四時から参籠。 脇坊中も神前に詰める。
正月四日 お山の口明け。小頭・中間が神酒一升持参ででかけ、薪一荷ずつ拵える。 松葉は瓦屋へ渡す。
四日の「口明け」というのは、「はじまり」を意味する言葉で、象頭山への入山解禁を山の口明けとか山の口と云っていたようです。小頭と中原が神酒をもって山に入り、山を浄めた後に、薪を一荷だけ山から下ろしています。作業というよりも、これも儀式です。
正月五日 町方重立の者へお節を下さる。正午ごろ登山、料理一汁二菜、酒肴三種、吸い物なし。東西領の出入りの中、今日も登山。
正月六日 参籠の中日なので台所で①饂飩(うどん)を拵えて籠所へ差し上げる。ただし、②切り火で整える。③金剛坊宥盛の祥月なので尊前へ仏供を供える。




軒先に、この招牌が掲げられているのでうどん屋であることが分かります。現在の所では、これが讃岐で最初に登場する饂飩屋の絵図史料になるようです。文書史料としては、金光院日帳のものが一番古いのではないかと思います。空海が饂飩を持ち帰ったというのは俗説で、饂飩が登場するのは近世になってからです。それが金光院では正月参籠の中日に出されていたことを押さえておきます。
参籠中日に出す饂飩の調理は「切り火(きりび)で整える」とあります。
これは火打石と火打鎌(鉄片)を打ち合わせて火花を出し、厄除け、清め、邪気払いを祈願する日本古来の伝統的な風習です。鬼滅の刃にも、次のように登場します。

正月七日七草の雑煮を籠所で差し上げる。 年男が若餅を籠所へ持参して、お上に直接差し上げる。「弘化行事」 脇坊・役人そのほか一統 籠所で人日のあいさつを申し上げる。
正月八日神前お経の口明。 籠所での鏡餅を雑煮にして出す。また小附飯も出す。 本坊でも鏡餅を雑煮にして出勤している者一同に下さる。酒は出さない。「宝暦九年日帳」 お経の口明、雑煮だけであったが蓋の飯も出すようせ出される。
正月九日いつものように当月御祈の札守を高松の殿様・若殿様・水戸様に差し上げるので、寺社奉行まで使僧を差し出す。昨年の暮れ、お申越しの五穀成就の祈祷の札守も一緒に差し上げる。明日からの会式の役割を申し渡す。 夜、町方から寄進の掛行灯を御神前までの道筋にともす。 表門へ菊の紋付の雪洞一ツ台行灯ともす。 黒門は平常の金灯籠で済ませる。 御守所へ晒幕を掛け、菊の紋付の雪洞一ツ、内に大行灯をともす。
「弘化行事」 参籠結願なので脇坊・法中が籠所へ恐悦のあいさつに上る。
正月十日役割の通り、銘々詰所へ出動する。 護摩堂で恒例の大般若の修行があり、衆僧へ昼食に焼飯を出し、斎(とき)・非時(ひじ)は籠範所で出す。焼飯は切り火で拵える。
それでは院主が参籠した籠所とは、どこにあったのでしょうか?
讃岐国名勝図会の絵図をつなぎ合わせてみます。右が金毘羅大権現の本社、左が松尾寺本堂の観音堂です。
金毘羅大権現の松尾寺本堂 観音堂(讃岐国名勝図会)
伽藍の一番南に「籠堂」とあります。ここに金光院主は正月に1週間ほど参籠していたようです。しかし、そこで何を行っていたのかは、いまの私にはよく分かりません。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
参考文献
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